朔月のスフィア −7

※ ご注意:このSSには、話の都合上、勝手に創作したキャラクターが多数登場いたします。主役は、少年時代のサクモさんです。

 

病院の医師が、一般の見舞い客が病室に入る事を許可したのは、サクモが入院して六日目だった。
それまでは、医療忍者のナユタとツナデ、そして特別に許可をもらったソマの入室しか許されていなかったのである。
午前の診察に訪れたサクモの担当医は、患者の順調な回復具合に、満足そうな笑みを浮かべた。
「ワクチンが効いたんですね。紅薊熱の特徴である紅斑も消えてきたし、呼吸器官もほぼ正常。…でもまだ、あまり大きな声を出さないように注意してください。体力もまだ少し戻った程度なのですから。くれぐれも、無理はしないように。…でないとまた、酸素吸入器と点滴のお世話になりますよ。わかっていますね?」
医師の言葉に、はい、とサクモは大人しく頷いた。
やっと、重湯やお粥ではない普通の食事になったのだ。逆戻りは勘弁して欲しい。
コンコン、とノックの音が響いて、看護士が顔を覗かせる。
「先生。お見舞いの方、お通ししてもよろしいですか?」
「ああ、そうか。…はたけさん、お見舞いの方がいらしているんですが。お通ししても、よろしいですか?」
「………あ、はい」
看護士の女性は手馴れた様子でベッドを起こし、患者が斜めに身体を起こした状態で寄りかかれるように、枕の位置を直した。
さりげなく、サクモの髪を手櫛で整えるという細やかな気遣いは、女性ならではだ。
サクモが小声で礼を言うと、看護士はにっこりと微笑んだ。
医師は、戸口の外で待っていたらしい見舞い客に声を掛ける。
「お待たせしました。…すみませんが、なるべく患者を疲れさせないようにお願い致します。面会時間は二十分、とさせて頂いておりますので。御了承ください」
「はい」
てっきりタカオ達か―――もしくは自来也達が来たのだと思っていたサクモは、医師達と入れ替わりに病室に入ってきた見覚えの無い婦人に驚いた。
「あの………?」
婦人は、丁寧に会釈する。
「初めまして…に、なりますね。はたけ様にとっては。…私、長月館という宿屋の女将をしております者です。…お加減は、如何ですか?」
アッとサクモは声をあげた。
「あの…山の麓の宿場町の………? 話は聞いています。すごくご迷惑を掛けてしまったそうですね。………あ、どうぞ椅子をお使いください」
「ありがとう存じます。…では、失礼致しまして」
椅子に腰掛けた女将に、サクモは頭を下げた。
「………その節は、申し訳ありませんでした。あの………副長に、ご迷惑をお掛けした分と、お世話になったお礼をお届けするように頼んでおいたのですが。…受け取って頂けましたか?」
女将は微苦笑を浮かべた。
「はい。もう、過分なほどのお気遣いを頂戴致しましたわ。…かえって、申し訳ないくらいの。………私どもは、大したお役に立てませんでしたのに」
「いいえ。僕が使わせて頂いた布団は、おそらく使い物にならなくなったでしょうし。部屋の消毒もしなければいけなかったでしょう? とんでもない伝染病の患者を連れてこられたんです。宿としては、受け入れ拒否をなさっても当然の所でしたのに。…感謝、します」
女将は目許を和ませ、律儀に礼を述べる少年を見た。
「……はたけ様も、報酬も無い、依頼されたわけでもないお仕事をなさったでしょう…? 人の、命がかかっていたから。自分に出来る事があるのに、放ってはおけなかった。…違いますか? ………私共も、同じ事です。…もっとも、最初は紅薊熱だとは存じ上げなかったのですけどね」
ほほ、と女将は笑った。
「あの副長さん達も、紅薊熱だと知っていて黙っていたわけではございませんし。…一度受け入れたものを、病名が判明した途端に追い出すような非道な真似、出来ようはずもありませんわ。……はたけ様」
「…はい」
女将は居住まいを正し、表情を引き締めた。
「私は、皆を代表してお礼を申し上げに参りました。…うちの従業員や、貴方様に命を救われた、村の者の代理でございます。皆、お見舞いに来たがっていたのですが、大勢で押しかけるとご迷惑になると、存じまして」
サクモは、黙って彼女の顔を見つめた。
「本当に、ありがとうございました。…貴方様が、村を襲ったはずの災害を未然にくい止めて下さらなかったら、おそらく村は全滅しておりました。村から働きにきているうちの従業員達は、家族と帰る家をなくすところだったのです。………皆、言葉に尽くせないほど感謝しております」
女将の、誠意のこもった感謝の眼差しを見た時。サクモの頭の中で、誰かの声が蘇った。
―――『おそらく、アナタはその力で、たくさんのものを護ってきたはずですよ』―――
これは、誰の声だろう。とてもよく知っているような気がするのに、わからない。
女将に何か答えよう、と思ったが声が出なかった。
その代わりに、サクモの両目から涙の粒が滴り落ちる。
少年の白い頬を濡らす透明な滴に驚き、女将は腰を浮かせた。
「どう、なさいました?」
サクモはやっと、声を絞り出した。
「………………僕は、忍です」
「え? ………ええ」
「任務で、たくさんの方達の…命を、奪ってきました。………村を救ったのは、そういった事への罪滅ぼしだった……かもしれません。………感謝……して頂くに、値しない……と………」
女将は、痛ましげな眼で少年を見た。
人間の重い業を背負うには、まだ若過ぎる。心も若くて、柔らかくて。
業の持つたくさんのトゲに、たやすく傷ついてしまう。
加えて少年期特有の潔癖さが、更に彼を苦しめているのだろう。
「………関係、ございませんよ」
女将は、躊躇いながら少年の銀色の髪に手を伸ばした。サクモの鼻腔に、どこか懐かしい香りが届く。
「関係ございません。……貴方様が何を考え、どういうおつもりでいらしたか、ということなど。命を救われた方にとって、何の関係がございましょうか。……己の命を救われた者はもちろんのこと、己の大切な人の命を救って頂いた者にとって、救ってくださった方は恩人なのです。感謝して、当然でございましょう? ………貴方様の力は、たくさんの命を救える、素晴しいものです。誰かを救いたくとも、力が無ければ黙って見ていることしか出来ないのですよ? ……お願いでございますから。どうか、ご自分を卑下するような言葉は、仰らないで。………聞いているこちらが、悲しくなります」
そう言いながら、女将は少年の柔らかなクセ毛を指で優しく梳いた。
「女将…さん………」
また、頭の中で声がする。
―――『………アナタはこれからもっと大きな力を得て。…そうして、より多くの命を護り、育むことの出来る人なんですよ』―――
誰の声なのか、わからない。けれど、心の内側に響くような、優しい声。
………そうだ。
自分は、誰かを殺し、世界を破壊する為に力を欲したのではない。人を、より多くの人を護り、少しでも誰かの役に立つ為に、力が欲しかったのだ。
幼い頃は、誰かに認めてもらいたいとか、褒めてもらいたいという気持ちだけだったような気がするが。
―――今は、違う。
サクモは、恥ずかしそうに指先で涙を拭った。
「すみません。………僕が、自分のやったことを卑下してはいけませんね。…そんな事をしたら、村の方々の命を軽んじることに繋がってしまうのに。……僕は素直に、皆さんが助かったことを喜べば良かったんですね」
女将はニコリと微笑む。
「こちらこそ。お説教がましい物言い、御許しください。…はたけ様のようなお若い方を見ると、つい老婆心で色々と言いたくなってしまうのですよ。………でも、私はただ、はたけ様にお伝えしたかった。知っておいて頂きたかっただけでございます。貴方様の無償の行為に、たくさんの者達が感謝している、ということを」
そうそう、と女将は手提げの袋から菓子折りを出してきた。
「これ、お口に合えばよろしいのですけど。もう、お食事に制限は無くなったとお聞きしましたので。………どうぞ、皆様でお茶の時にでも召し上がってください」
「あ。…ご丁寧に、ありがとうございます。頂戴致します」
それと、と彼女はもう一つ小さな紙包みをサクモの膝に乗せた。
「これは、うちの仲居達から。…はたけ様の、その銀色の御髪がとても綺麗だと羨ましがっておりましてね」
「僕の…髪ですか?」
「ええ。開けてご覧になって」
女将に促され、サクモは包みを開けた。
「………これ、髪紐……ですか?」
濃い藍色の糸を細かく編んだ細長い紐。よく見れば、細い銀糸が所々に編み込まれており、房止めが彫り物を施した黒石という、凝った細工物だった。
「そういう細工物が得意な子がおりまして。…よろしければ、お使いになってください。はたけ様の御髪にはどんな色が似合うか、女の子達がそれはもう熱心に話し合って、決めたんですよ。……そのお色なら、男の子でも嫌がらないんじゃないかって」
「手作りなんですか。…凄い。器用な方なんですね。………あれ………これって………」
房止めの石に施されているのが、矢弾除けのまじないだと気づいたサクモは、石を握りしめた。
「………ありがとう………ございます。これを下さった皆さんに、お伝えください。お気持ち、とても嬉しいです。大切に、使わせて頂きます」
「はい。ご伝言、確かに承りました。……あまり長くお邪魔しては、先生に叱られてしまいますね。そろそろ、失礼致します。………どうぞ、お大事になさってくださいませ」
サクモは、ぴょこんと会釈した。
「お忙しいところ、わざわざありがとうございました。……あの、僕……退院したら、里に戻る前にご挨拶に伺いたいのですが。…よろしいでしょうか?」
「もちろんでございます。お待ち申し上げておりますわ。…では、ごめんくださいませ」
「どうぞ、お気をつけて」
女将は微笑を浮かべて一礼し、静かに扉を閉めた。
彼女の残り香が、微かに室内に漂っている。
それが、祖母の形見の扇子と同じ、白檀の香りだと、ようやくサクモは気づいた。
彼女の言葉が素直に心に届いたのは、この香りの所為もあったのかもしれない。
髪紐を元の袋に戻し、看護士が戻ってこないうちにソマが持ってきた報告書を読んでおこう、とした時。
複数の気配が部屋に近づいてくるのに、サクモは気づいた。
おざなりなノックの後、ひょいと顔を覗かせたのは自来也だった。
「うぉーい、元気かのぉ? 何やら、見舞い解禁が今日からだったんだってなー。タイミング良かったわ、わはは。昨日だったら追い返され………ん? このニオイは………おなごかッ?」
ゴン、と自来也の後頭部をツナデが叩く。
「やかましい。昨日まで面会謝絶だった病人の部屋で騒ぐんじゃないよ。………この香りは、白檀か。もしかして、あの宿の女将さんが来てたの?」
「いらっしゃい、ツナデちゃん、自来也。…うん、ご名答。女将さん、今さっきまでここにいたんだけど。すれ違いになったね。………大蛇丸は?」
ツナデと自来也は、顔を見合わせた。
「それがね。お見舞い一緒に行こうって言ったんだけど。………用事があるって言うんだよね」
「おかしなヤツじゃ。…あんなにサクモさんの事、心配していたクセになー」
ふぅん、とサクモは残念そうな顔をした。
「ワクチン、取りに行ってくれたのって、大蛇丸なんでしょう? 御礼、言いたかったんだけどな。……あ、ツナデちゃんと自来也にも、すっごくお世話になったんだよね? 本当に、ありがとう。三人とも、恩人だよ。………僕に出来ることがあったら、何でも言ってね。ツナデちゃん、フルーツあんみつだけでいいなんて、言わないでよ?」
ツナデは、両手を胸の前で合わせた。
「じゃあ、焼肉食べ放題、二人で行こうよ。美味しいって評判の店、里に新しく出来たんだよー」
うっわあ、と自来也が呆れた顔をした。
「これだからお前は色気が無いんじゃ! サクモさんみたいな美形と、焼肉屋だと? もそっと、気の利いた所にメシ食いに行けっつの」
「いいんだよ! サクモさんは、たんぱく質をうんと摂らなきゃいけないんだから! 私は、美味しいお肉を食べられて幸せ。サクモさんは、必要な栄養源を摂取。ほれ、一石二鳥」
サクモは、おずおずと手を挙げて提案した。
「あの………皆で行けばいいんじゃない? その、焼肉屋さん。自来也も、大蛇丸も一緒に………」
だぁめ、とツナデは指でバッテンを作った。
「デートだもん。私、サクモさんと二人っきりで行きたい」
「でぇとじゃとぉ? ツナデ、お前ワシの誘いは蹴るクセに………」
べ、とツナデは舌を出した。
「鏡見て、出直しておいで」
あはは、とサクモは笑った。
「いいなあ。仲、いいんだねー。ツナデちゃんと、自来也」
良くないッ! と二人が仲良くハモッた時。
丁寧なノックの音が響く。洗濯物を手にしたナユタが、扉を開けて入ってきた。
「……何だ、賑やかだと思ったら、ツナデ様に自来也君。お見舞いに来てくれたんですね。…あれ? あの蛇こ……じゃない、大蛇丸君は?」
サクモと同じ質問をしたナユタに、ツナデは肩を竦めて見せた。
「私ら、一応スリーマンセルで動くこと、多いけど…いつもいつも一緒じゃないから。……でも、今回は一緒に来ると思ってたから、私も意外に思ってるの。大蛇丸も、私達に負けず劣らずサクモさんの事は気にしているはずだから。……たぶん、本当に用事があるんじゃないかな。それが済んだらきっと、お見舞いに来ると思うよ」
サクモの命を救う為に、雨の中を休まず夜通し駆けてワクチンを運んだ、大蛇丸。
だがサクモが危険な状態から脱したのを確認するや、ソマ達の感謝の言葉にもロクに応えずに、さっさといなくなってしまった。
今回の大蛇丸の行動は、ツナデには理解出来ないことだらけだ。
大蛇丸にとって、このはたけサクモという少年はどういう存在なのだろう。
(………本当に、いったい何を考えているんだろ。………わかんないヤツだよね………)





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誰もいないはずの中庭から、視線を感じる。老人は、暗がりに眼を凝らした。
「………そこにいるのは、誰だ」
「………………芸の無いセリフだこと。まあ、気配はわざと殺さなかったからね。これで気づかなかったら、相当ボケているってことだけど」
庭の片隅から、亡霊のように一人の少年が姿を現した。
「………誰だ。名乗れ」
「嫌よ。その必要は無いわ。………私はただ、アンタに訊きたい事があって、来ただけだから」
老人は、眼を眇める。
「名も名乗らぬ無礼な輩に、何を訊かれても答える気などになれぬな。………去れ」
暗がりの中、少年の眼が妖しく光る。
「あら。名乗ったら、何を訊いても答えてくれるのかしら? …じゃ、教えてあげるわ。……私は、大蛇丸というのよ。………アンタは、はたけサクモの、義理の祖父。………でしょ?」
「……貴様、少しははたけの内情を知っているようだな。アレがしゃべったか」
「あの人は、私に何も話さないわよ。私が勝手に色々と調べたの。どういう人なのか、興味があったから。………そうね、もしかしたら彼より詳しいかもね? お家の事情とやらに」
老人は数秒押し黙って大蛇丸を見据え―――やがて「ハッ」と嘲笑を吐き出した。
「アレの、友達というわけか? なるほど、バケモノにふさわしい、バケモノの友達というわけだ」
大蛇丸は、不快そうに老人を見る。
「義理とはいえ、孫をバケモノ呼ばわり?」
唇の端に嘲笑を残したままの表情で、老人は素っ気無く返した。
「…あんなとんでもないチャクラを持った生き物が、バケモノでなくて何だと言うのだ? はたけの家に入った手前、親無しになったアレを仕方なく育てたが。あんなもの、私の孫などでは無いわ」
ふうん、と大蛇丸は無感動に相槌を打つ。
育てた、だなどとよく言うものだ。同じ屋根の下に住んでいただけで、子供の世話など他人に任せきりだったと聞いている。養育費も、はたけ家の資産で十分賄えたはず。自分の懐が痛んだわけでもなかろうに。
「………ま、全面的に否定はしないわ。…私もあの人、バケモノみたいだって思ったもの。…でも、アンタが言っているような意味じゃないわよ。…彼の、非凡な才能と力への褒め言葉として、それ以上の表現が無くてね。……アンタは、彼の力をきちんと見極められないんでしょう。あの眩しいくらい綺麗なチャクラも、器の大きさも。……量りきれなくて、怖いのね」
「………私を挑発しているのか? ……だとすれば、浅薄なことだ」
大蛇丸はやれやれ、とため息をつく。
「トシを喰うと、ムダに用心深くなるものなのねえ。経験の賜物ってヤツかしら? ………別に、そんなつもりは無いわ。でも、本当にわかってないんだわね。………可哀想に、あの人も」
老人の声が、スッと低くなる。
「わかっておらぬのは、小僧、お前の方だ。……調べたと言うなら、アレの母親の事も知っているのだろう? アレの父親は、より強い忍を生み出そうと、わざわざ里の外からある一族の娘を探し出してきて、娶ったのだぞ。………他人には任地で出逢って恋に落ちた、などと言っておったようだがな。…そんなお綺麗な話ではないわ。三文小説ではあるまいに」
大蛇丸は、僅かに眉を顰めた。それは初耳だ。
「………ある一族?」
「代々その身にバケモノを宿し、器となることで力を得てきたという、得体の知れぬ一族よ。……あの一見儚げな容姿に騙される者は多いが、中味はバケモノに違いないわ。…それが証拠に、アレはまだむつきが取れたかどうかという齢で、チャクラを操りおった。普通、自我もろくに形成されておらんような幼児に、そんな真似が出来ようはずがない………」
それは確かに、世間一般的な概念における『普通』ではない。
だが、そこまでの早熟ぶりを聞くと、かえってあの非常識なまでの強さにも納得がいく。
ニヤリと大蛇丸は笑った。
「…素敵じゃないの。ソレが本当の話だとしたら、ね。……彼は、ヒトとしての理性や感情、判断力を失うことなく、バケモノの力を発揮して戦えているってことになるわ。……それのどこに問題があるの? ああ、気味が悪い? …いえ、やっぱり怖いのね。ふふ、凡人の悲しさね。…………自分には理解出来ない能力を異端視し、頭から忌まわしいものだと決め付ける」
この男は、血の繋がらない孫をきちんと見ようとせず、忌むべき者として眼を逸らし続けている。
だから、気づかないのだ。
サクモが、バケモノじみた能力を持っているだけの、普通の少年だ、ということに。
おそらくサクモは、この『祖父』に認めて欲しくて。
他の誰でもない、たった一人の『家族』に認めてもらいたくて、必死に頑張ってきたのだろうに。
血は繋がっていなくとも、祖父と孫として仲良くこの家で暮らす事が、彼の一番の望みなのだろう、と大蛇丸には察しがついていた。
哀しいくらい、ささやかな望みだ。
忍の家に在って、忍である祖父に認めてもらうには、自分も強く優秀な忍になることだと―――幼い子供だったサクモがそう考えるのは、無理からぬこと。
しかし、サクモが頑張れば頑張るほど。その才能を開花させ、高みに昇れば昇るほど。
皮肉なことに、祖父の心は義理の孫から離れていったのだろう。
挙句の果てに、彼には理解不能な領域に辿り着いた少年を認めてやることが出来ず、バケモノ呼ばわりだ。
本当に、報われない。
「………それがどうした? バケモノには、アレの異質さはわかるまい」
「…………………ねえ。…そんなに忌まわしいのなら、自分の手で殺せば良かったじゃない。……消し去ってしまいたいとは………思わなかったの?」
ヒクリ、と老人は頬を引き攣らせた。
「………あんな得体の知れぬ生き物を殺すだと? 私が自ら手を下してか。そんな危険な真似、出来るわけがなかろう。………私の預かり知らぬ所で死んでくれる分には、構わんがな」
大蛇丸は軽い調子で相槌を打つ。
「ふぅん。…本当にアンタ、彼をそんな人外の怪物だとでも思っているの? 呆れた。………その分じゃ、伝染病の予防接種なんてしてあげてなさそうね………?」
「予防接種? アレにか。…バケモノにそんなものは必要なかろう。万が一、病気に罹って死ぬようなら、それまでのこと。………それが、あやつの運命だっただけの話だ」
大蛇丸の顔から、一切の表情が消えた。先程までの皮肉めいた冷笑さえ浮かべていない。
「………そう………やっぱり。…アンタの所為だったのね………」
「何の話だ。…アレが、何か伝染病にでも罹ったというのか?」
大蛇丸が黙っていると、老人はいきなり笑い出した。
「そうか! アレでも、そんな病気には罹るのか! ハハハ、案外人間じみたところもあるのだな。……で、何の病だ。死んだという話は聞いておらんが?」
「………………死ぬわけないでしょう? いえ、周りがあの人を死なせるわけがないでしょう。…皆が懸命に看病して、助けたに決まってるじゃない。皆、彼を失いたくないのだもの。…あの人を忌むべきバケモノだと思っている愚か者は、アンタくらいなものよ」
フン、と大蛇丸はハナを鳴らした。
「ああ。………彼の才能に嫉妬するあまり、疎んじている輩なら、他にもいるみたいだけどねぇ。……アンタも案外、そっちの口なんじゃないの? それを認めたくないから、バケモノだ何だと孫を貶めているだけで」
老人の顔にカッと血が昇った。
「そうして、人をバカにしているがいい、バケモノめ。…アレもどうせ、腹の中では私を見下しておるに違いないわ。………バケモノのくせに、オドオドと私の顔色を窺いおって。苛立たしい」
大蛇丸は、顔にかかった長い黒髪を指先で払いのける。
「それが本音? ………本当に、気の毒なくらい何もわかってないのね。あの人のこと。…………救いがたいわ。……ああ、もういい。………アンタは、あの人の害にしかならない………」
その一言を聞いた時。老人は冷水を浴びせられたようにゾッとした。
そしてようやく、自分が初対面の少年に心の裏側に押し隠していた内面の声をぽろぽろと漏らしてしまっていることに気づいて、愕然となる。
今まで他人には―――いや、サクモにさえ、『厳格に孫を躾けている祖父の顔』しか見せた事が無かったというのに。
この少年には最初から己の闇の部分としか言いようの無い、卑屈で暗い声を言わされてしまっている。
思えば、少年の瞳が奇妙に光ったのを見た時から胸の中に妙な不快感が生まれ、毒のある言葉を吐くのを止められなくなってしまったような―――
「……き…貴様ッ………何か仕掛けたな………」
「何のことかしら? ……そうそう…今回のこと、あの人は真実を知っても、アンタを責めたりしないと思うわ。哀しみはするでしょうけど、どっか諦めているものね、あの人も。………でもね、私はアンタを許さない。許さないって、決めた」
老人は、やっとと言った態で掠れた声を漏らした。
「許さないから………どうすると言うのだ? 私を、殺すか………」
「そうねえ。………私は、アンタにはもうあの人の傍にいて欲しくないって、正直思ってる。……出来ることなら、殺したいくらいだけど。…今すぐは殺さないわ。………アンタと同じやり方をしようじゃないの」
「私と………同じ………?」
大蛇丸は、ニィ、と笑った。
「わざと幼い孫に紅薊熱の予防接種を受けさせなかったのは、一種の賭けよね? 将来、感染する機会があるかどうかなんてわからないけど、万が一罹患したら、自分が手を下すことなく、死んでくれるかもしれないって。…死亡確率の高い病気だものねえ。………違う?」
老人は、肯定も否定もしなかった。
「アンタは、積極的に彼を殺そうとしたわけじゃないけど。死んでも構わないって思ってたのは、事実よね。…だからね、私も積極的には殺さないでおく。………ある、呪いをかけておくわ。……そうね。………私の定めた言葉を、定めた回数口にした時。…アンタの心臓は止まるの。運が良ければ、結構長く生きられるわよ?」
「………なっ………何だと、そんな事が………」
大蛇丸は楽しげに巻物を取り出した。
「………呪印って知ってる? 私も研究中なんだけどね。結構色々と使い道があって、面白いのよ。…その実験も兼ねてさせてもらうわ」
老人は思わず、後退ろうとした。
老人とて、元忍。年齢の割りに足腰はしっかりしている。なのに、ゆっくりと近づいてくる少年から逃げる事が出来ない。
まるで金縛りのように、足が動かないのだ。
「な、何をする気か知らんが、私が警務部隊に訴えればお前もただでは済まんのだぞ」
「おバカさんね。私が証拠なんか残すと思う? 私と会ったという記憶もきれいに消してあげるわ」
「や………やめろ………」
「ダメよ。…さっき、私の眼を見たでしょ? アンタはもう、逃げられないの………」
妖しく光る、少年の眼が近づいてくる。
老人は、目の前にいる生き物こそが『正真正銘のバケモノ』だと気づき―――声にならない悲鳴をあげた。
 

 



………『代々その身にバケモノを宿し、器となることで力を得てきた』というお祖父さんのセリフは、殆ど彼の妄想です。
人柱力のことを知って、事実と妄想を混同してしまったもよう。
サクモさんのお母さんは、潜在的に忍のいい血は持っていましたが、普通の女性でした。

 

 

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