朔月のスフィア −4

※ ご注意:このSSには、話の都合上、勝手に創作したキャラクターが多数登場いたします。主役は、少年時代のサクモさんです。

 

あれほど、辛かったのに。
全身を苛んでいた痛みも、言葉では言えないような苦しさも消えている。
(………僕は………)
死んだのかもしれないな、とサクモは他人事のようにぼんやりと思った。
意外なほど、ショックは無い。
むしろ、安堵の気持ちが大きかった。
もう、いいのだ。
何も我慢しなくていい。耐えなくてもいいのだ。
何も。―――何も。
己を殺し、忍者でいる必要も無い。
サクモは周囲を見回した。
誰もいない。
薄暗いような、ほの明るいような、不思議な空間だった。
ふらり、と足を踏み出す。
(ここが………死者の国? なら……どっちに行けば、お父さんに会えるかしら。………お母さんは、まだいるかなぁ。…もう、二人とも生まれ変わってしまったかな………)
母の顔は覚えていない。父の顔の記憶も、あやふやだ。
でも、会えばきっとわかる。
わかるはずだ、とサクモは思った。
「それにしても…寂しい所。………すっごく静か………」
出してみた声は、どこにも反響することなく、吸い込まれるように虚空に消えた。
「………もしかして、地獄………なのかな? ここ」
誰もいない。音も無い。
自分、独り。
この孤独が永遠に続くのならば、確かにここは地獄と呼ぶべき場所だろう。
サクモは自嘲の笑みを浮かべた。
やはり、自分は地獄に堕ちる人間だったのだ。
自ら望んで選んだ道では無かったが、この手はたくさんの命を奪ってきた。
許されるはずが、なかったのだ。
「なら、お母さんに会えるわけ………ないな。………でも…これでいいんだ。………僕は、許されてはいけない………」
ひとつ息をつき、あてどなくサクモは歩き始めた。
―――歩くことが、贖罪だとでもいうように。

時間の感覚は失われていた。
自分が死んだのだとして。
この『死』の世界に来てどれくらい経ったのか、サクモには見当がつかなかった。
何だか、もう何年も経ったような気もするし、ほんの一時間程度―――いや、もっと短いような気もする。
足元を見ても、どんな所を歩いているのかハッキリとはわからないが、平坦な地面、というのが一番近い。
だが、次の瞬間、足元に穴が開いて奈落に落ちても不思議ではない―――そんな不安定な危うさを覚える。
周囲は、相変わらず何も無い。
さすがのサクモも、木の一本くらい生えていてもいいのに、と思ってしまう。
―――と、彼の思考を読み取ったかのように、行く手に樹木らしき影が見えた。
(………あれ? 偶然かな?)
試しにサクモは、「もっとたくさん生えていた方がいいのに」と心の中で呟いてみる。
すると、最初に見えた木の向こう側に、薄っすらと森のようなものが現れた。まるで、今までその姿を覆い隠していた霧が晴れてきたかのように。
「………偶然でもいいか。………何も無い世界は、やっぱり寂しいもの」
やはり人間、ただ歩くにも『目標』があった方が張り合いというものがある。
とにかく、あの森まで行ってみよう。
それが遥か彼方であろうとも。
何も無いと思われた世界に出現した森に向かって、サクモは歩き始めた。
ところが、歩いても、歩いても、なかなか森に近づけない。
これは手強いな、とサクモは苦笑した。まるで、サクモの移動と共にあちらも動いているかのようだ。
肉体的な疲労は感じないが、精神的にこたえる。
(…あ、そうか。ここ、地獄なんだものね。………これも、僕の受けるべき罰なのかも)
なら、歩くまでだ。
そう彼が腹をくくった途端、幾らも歩かないうちに眼前に森が出現した。
サクモは肩を竦める。
「………よくわかんない世界………」
地獄にしては、とぼけている。
正体のわからない森に、迂闊に足を踏み入れるのは危険―――と、いつもの習性で瞬間考えたサクモは、己を嗤った。
危険も何も、もう死んだ身で何を用心する必要があるというのだ。
「………無意味だよね」
そっと、手を伸ばして木に触れてみる。きちんと木の感触があった。
足元には、草の感触もある。
振り返ると、今まで歩いてきたはずの漠々たる空間が無い。代わりに、いつの間にやら前後左右、鬱蒼とした森に囲まれていた。
(………つまり。この木に触れた瞬間、僕が認識できる世界が変化したってことかな?)
サクモは、周囲を観察した。植物の種類は、木ノ葉の周辺でよく見られるものに似ている。
このまま森の中を歩いていけば、もっと違う光景にも出会えるのだろうか。
この森が出口の無い永劫の迷路だとしても、さっきまでの何も無い空間をただひたすらに彷徨うよりはマシだ。
少なくとも、歩くのに飽きた時に木に寄りかかって休むことが出来る。
しばらく歩くうち、サクモは妙な既視感にとらわれた。
この森を、知っているような気がする。
(あ………そうか。この間、任務で行った森に似ている…のかな。いや、森なんてどこも似たようなものかしら)
しかし、目の前の茂みを抜けるとそこには開けた場所がある、と思えてならない。
果たして、茂みをかきわけて行くと、唐突に森が途切れた。
乳白色の霧の向こうには池があり、その岸辺には白い花が咲いているのがぼんやりと見て取れる。
そしてなんと、自分以外の人影があったのだ。
その人影は、サクモに気づいて振り返る。
「………誰?」
背格好、声から自分より年上だが、まだ若い男だとサクモは判断した。
「あの………僕は………」
「あーれ? 残念。カワイコちゃんかと思ったら、男かぁ。………でも、こんなトコに来るのはまだ早いんじゃないかなーっ…て、感じだね」
相手から敵意は感じられない。
サクモは思いきって、男に近づいて行った。
「…こんな所、とおっしゃるからには、ここが何処かご存じなのですね? すみません、僕にはハッキリわからないんです。ここは、死者の世界ですか?」
男は緩慢に首を振った。
「そーだねえ。オレにもよくわかんないんだけどね。…うん、限りなく近いんじゃないかなー…とは思うよ。…でも、そんな事を言うってコトは、キミは自分が死んでもおかしくない状況にあった、という自覚があるんだ?」
近づいて見ると、男は口布で顔の半分を覆い、額当てを斜にして片目を隠していた。髪は、サクモと同じ銀髪である。
サクモは、男の装備と額当てから彼が同じ木ノ葉の忍と見て取り、幾分緊張を解いて口を開いた。
「………はい。任務を終え、里に帰還する途中で………僕は熱を出して、倒れたんです。そこからの記憶が曖昧で……おそらくは気を失い、そのまま意識不明になったのではないかと。…あのまま死んでいたとしても、おかしくはないですね」
そこでサクモは肩を竦めた。
「………ちょっと、チャクラを使い過ぎました。自業自得です」
ハハ、と青年は苦笑した。
「耳が痛いな。…ま、オレも似たようなものよ」
「貴方も…ですか?」
「オレの切り札はね。すんごくチャクラを喰うのよ。…でもね、ソレを使えば危機が回避出来る。状況を打開出来る。…仲間を助けられる。………それがわかってるから、つい、ねー………本当は、もう少し加減してチャクラ使わないと、いかんのだけどねぇ」
チャクラの残存量がギリギリになるまで戦っても任務を遂行しよう、忍の本分を尽くそうというその姿勢は、共感できるものだ。
サクモは、青年に好感を持った。
そして、そんな彼が任務で命を落としてしまったのか、と残念に思う。
「僕は………貴方のような方は、尊敬します」
「アラ。オレ、褒めてもらっちゃった? ありがとね。………でも、結局倒れてたらやっぱ、仲間に迷惑かけちゃうわけだからねえ。…頑張り過ぎるのもどーよって話なわけ」
サクモは思わず、悲しげなため息をついた。
「そうなんですよね。………皆に迷惑………かけたんでしょうね。……僕も。…申し訳ないです………」
隊長が、任務から帰還する途中で病死するなど。きっと、ソマ達に物凄く心配をかけ―――そして、迷惑をかけてしまったに違いないのだ。
「……キミ、任務から帰るところだって言ったね?」
「はい」
「任務は成功したんだ?」
「………はい。一応」
「どんな任務?」
普通なら、いくら同じ里の忍同士とはいえ、会ったばかりの名も知らぬ男に任務の内容を漏らしたりはしない。
だが、ここはもうそんな掟など無意味な世界なのだ。
サクモは、ポツポツと今回の任務について青年に話した。
水害に襲われかけた村のことも、その後に強硬な山越えを選んで熱を出したことも、包み隠さず。
青年は、唯一晒している右眼を和ませ、優しく微笑む。
そして、おもむろに手を伸ばしてサクモの頭をポンポン、と撫でた。
「………そう。そりゃあ大変だったねー。…お疲れさん」
その手が、あまりにも優しくて。
小さな頃に父に撫でてもらった時のような懐かしさに、サクモは胸に甘い痛みを覚えた。
「………いいえ。任務を遂行するのは忍として、当然………で………」
目の前がボンヤリと滲む。
あれ、とサクモは慌てて眼を擦った。何で、涙が出るのだろう。
サクモの頭に手を乗せたまま、青年は少し屈み、顔を覗き込んだ。
「こんなちっこいのに、チャクラ使い果たすまで頑張ったんだもの。…本当だったらキミを褒めてくれる人は他にいるんだろうけどね。…その人の代わりに、オレが褒めてあげる。……キミは、よくやった」
サクモは首を振った。
「いいえ。いいえ。……当然の事をしても、誰も褒めてなど………むしろ、叱責を受けて当然です。………部下を、里まで無事に連れ帰るまでが僕の仕事なのに。………途中で、倒れるなんて………」
青年は、そんなサクモをふんわりと抱き寄せた。
「オレは、キミを責めたりはしない。………よく、頑張ったよ」
「………隊長として………失格…………」
青年の手が、優しくサクモの髪を撫でる。
「………キミは、頑張った。………偉かったよ」
「………………僕は………………」
サクモの眼から、またポロリと涙がこぼれた。
「うん。……よくやったね」
気づけば、初対面の青年の胸に縋りついて、泣いていた。
死んでいるのに、こんなに涙がこぼれるなんて不思議だ。
これは、何の涙なのだろう。―――胸が痛くて、たまらない。
「ごめんなさい………」
「何を謝るの。………ずっと独りで、頑張ってたんだね」
青年の優しい声に、サクモは気づかされてしまった。
自分は、誰かに褒めてもらいたかったのか。
慰めてもらいたかったのか?
こんな風に、優しく。
忍としての実力を認めてくれる人は、いた。
手際よく任務を遂行すれば、すごい、と賞賛してくれる人も、いた。
でも、自分が欲しかったものは、そんな賞賛ではなかった。
こういう優しい手と、労わってくれる声が欲しかったのだ―――もう、ずっと、ずっと。
「………きっと、アナタは優秀過ぎたんだね。…だから、誰も褒めてくれなかった。出来て、当然だと思われて」
サクモは唇を噛み締めて、僅かに首を振った。
「そんなことは………」
青年はサクモの銀の髪を撫で、頬に触れた。
「………誰も、アナタが凄く凄く頑張っていることに、気づけなかったのでしょう」
青年の口調の変化に気づき、サクモは顔を上げた。
そこにあったのは、自分と同じ深い紺碧の瞳。
「大丈夫。………オレは、知っています」
サクモは、眼を見開いた。
「アナタがどれだけ孤独だったか。…そして、頑張っていたか。………知っています」
だから、と青年は微笑んでサクモを抱きしめた。
「泣かないで。………大丈夫、ちゃんとアナタを見ている人はいます」
サクモはこくん、とひとつ頷いた。
「………ありがとう………ございます。…僕、ここで貴方に会えて、良かったです。……何も無くなってしまったと思ったのに、僕の心にはまだ何かを求める気持ちが残っていたのですね。…貴方のおかげで、随分と慰められました。………僕は………罪人だから、慰めなど求めてはいけないと思っていましたが」
「罪人? アナタが?」
「………忍の性、とはいえ。………僕は、人を殺し過ぎました。許されるはずがありません。……ここは、地獄かと思ったのですが。違ったようですね。……貴方のように、優しい方がいるのですもの。僕は、これから地獄へ行くのでしょう」
いやいやいや、と青年は首を振る。
「ここはたぶん地獄じゃないですが、それは見当違いっつうか。…それを言うなら、オレも間違いなく地獄往き組ですからねえ」
サクモは首を傾げた。
「そう……なのですか?」
「だってオレ、暗部だったですからね。キナ臭い時代も経験してますし。それこそね、きっと今のアナタよりもっともっとたくさん、ぶっ殺しちゃってますよ。………あのね。オレ達は、里の剣でしょう? 戦うのがその使命じゃないですか。戦いは勝たなきゃ意味が無い。……向こうだって、こっちを殺しに来てるんですからね。殺すことを躊躇っていたら、殺されちゃうでしょうが。すなわち、負け。…そして、オレ達が負けたら、里が、国が蹂躙されるんです。……戦争でなくても、それが任務なら暗殺もすれば、機密情報をめぐって命のやり取りもする。………それが忍の性だと、アナタも言ったでしょ?」
「ええ。…それはわかっています。でも………」
「では何故、力を求めたんですか? 隊長という地位にいるなら、それ相応の力を得る為にアナタは努力したはずだ。………中忍になるにも、上忍になるにも。違いますか」
「だって………僕は、忍になるしかなかったんです。…強く、ならなきゃ…いけなかったんです」
青年は、宥めるようにサクモの背中を撫でた。
「動機がなんであれ、アナタは力を得た。………強い忍になる、というのは、それだけ護れるものも増えるってことです。おそらく、アナタはその力で、たくさんのものを護ってきたはずですよ? それが、罪だと言うのですか?」
サクモは、鉄砲水から護った村の住人の、感謝の顔を思い出した。
「そういう……ことも、ありましたが。………でももう、いいんです。だって、僕は死んだんですよ。………もう、辛い気持ちを押し殺してまで、人を殺めなくてもいいんですから………」
青年は、瞬間痛ましそうにサクモを見た。
「………アナタは………死んだ方が楽だったと………言うんですか?」
 サクモは僅かに頷いた。
「………………否定は………しません」
そう、と青年は吐息と共に悲しげな声を漏らす。
「でもね。…アナタはこれからもっと大きな力を得て。…そうして、より多くの命を護り、育むことの出来る人なんですよ。………アナタにとって、辛い事も多いかもしれません。でも、どうかもう少し、頑張ってください。…きっと、喜びもあるはずです」
サクモは首を振る。
「慰めてくださらなくても結構です。………もう、終わったんですから」
「………終わってなど、いませんよ」
え? とサクモは顔を上げた。
「今、何て………」
「………アナタの人生はまだ終わってはいない、と言ったのです」
青年の指が、サクモの髪を愛しそうに梳く。
「大丈夫ですよ。………アナタはまだ、死んだりしません」
サクモの唇が震える。
「………貴方は…誰ですか………? 何故………」
青年は、サクモの質問には答えなかった。
ただ、サクモを励ますように微笑む。
「まだ、死ぬべき時ではないのです。………生きたい、と願ってください。強く、強く、願ってください。………そうすれば、帰れます」
その微笑が、悪戯っぽいものに変化する。
青年は口布をずらし、サクモの額に軽くキスした。
「どうやら、オレにもまだ寿命があるみたいだ。………オレも、もう少し頑張りますから。………アナタも、頑張ってください。………諦めないで」
青年の姿が消えていくことに気づいたサクモは、慌てて呼び止めた。
「待って! 貴方は誰? 何故、僕を―――」
「………生きていれば、また逢えますよ。…………ぅさん」
青年の声は、姿と共に消えていき―――語尾はよく聞き取れなかった。
ただ、『生きて欲しい』という彼の強い願いだけが伝わってくる。
(まだ………死なない? 生きられる………?)
生きていればまた逢える、と彼は言った。
逢いたい、とサクモは思った。
死にたくない。

―――生きてまた、彼に逢いたい………―――




 



まあ、この青年は名前をださずともおわかりになると思いますが。
妙な親子の邂逅。(笑)

 

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