朔月のスフィア −6

※ ご注意:このSSには、話の都合上、勝手に創作したキャラクターが多数登場いたします。主役は、少年時代のサクモさんです。

 

ほんの少し、外が白んできた。もうすぐ、夜が明ける。
一度は下がりかけていた熱はまた上がりだし、じわじわとサクモの体力を奪っていく。
ツナデは、粘膜の腫れを鎮めておくコツをつかみ、一晩中チャクラでサクモの気道を確保し続けていた。
「………姫。大丈夫ですか? 少し、お休みになられては………」
ツナデの身を案じたナユタが、声をかける。
疲労の色が濃く出ている顔を伏せ、ツナデは首を振った。
「…ありがと。私は、まだ大丈夫。………この子の方が、ずっと苦しい………一生懸命、戦っている………」
おそらく、彼の身体中が悲鳴をあげている。生命を蝕む病魔と、戦っているのだ。
「では、せめて私が姫の回復を致しましょう。…御許しを」
ツナデは一拍考え、頷いた。
「そうね。………お願い」
ナユタは、両手で印を結んでチャクラを練り上げ、片手をツナデの首の後ろに。
もう片方の手を彼女の額に当てた。そうして、ゆっくりと彼女の疲労を癒していく。
じわり、と心地のいい温かさが、ツナデの全身に広がった。
「………回復系の術に慣れているのね。上手いわ………気持ち、いい」
「恐れ入ります」
その様子を見ていたソマが、首を傾げる。
「お前のその術、隊長には効かないのか?」
ナユタは、口惜しそうに顔を歪めた。
「……残念ながら。一時的に体力を消耗しただけの、健康体の人間になら有効な術なんですけどね。今の隊長に術を施しても、焼け石に水以下の効き目しかありません。……病自体を、何とかしなければ」
トントン、と遠慮がちに戸が叩かれた。宿の女将が、心配そうな顔で部屋を覗き込む。
「………失礼致します。病人さんのご様子は、如何ですか」
ソマは腰を上げ、女将に会釈した。
そして、もしもサクモに意識があったら絶対に気にするだろう、と思われることを代わりに訊ねる。
「迷惑を掛けて申し訳ない。…病人はまだ、予断を許さない状態だ。…それより、他の宿泊客は大丈夫だろうか」
「ええ。…具合が悪くなった、というお客様は、いらっしゃいません。どうぞ、お気遣いなく。………でも………そうですか。まだ、良くなりませんか………可哀想に………」
女将は、辛そうに眉を顰め、口元を手で覆った。
「………皆様、看病でお疲れでしょう。少し早いですが、朝食をお持ちしました。少しでも、召し上がってください」
女将は、盆を持って控えていた仲居を振り返った。
食べやすいように、との配慮だろう。小さめの握り飯と、一口で食べられる饅頭がたくさん皿に並んでいる。
味噌汁も鍋ごと運び込まれ、部屋の隅は炊き出しのような様相になった。
「…すまない、女将。………感謝する」
いいえ、と女将は首を振った。
「このような時は、お互い様でございます。………それに、聞けば山向こうの村を鉄砲水からお救いくださったのは、あなた方だというではございませんか。この宿場町には、あの村から出稼ぎに来ている者が、たくさんいるのです。……あなた方は、彼らの恩人なのですよ」
食事を運んできた仲居の女性が、ぺこりと頭を下げた。
「あたしも、あの村から働きに来ているんです。…鉄砲水なんかにやられたら、足の悪い年寄りや、小さな子供は逃げられません。…ささやかな畑も、全部流されてしまったでしょう。……みんなに代わって、御礼を言います。本当に……ありがとうございました」
ソマは、首を振った。
「………礼なら、あの子に………意識を取り戻したら、隊長に言ってくれるか。……村を救う、と決断したのも、実際に術を使って鉄砲水を食い止めたのも、彼なんだ。………残り少ないチャクラを、ギリギリまで使って………」
その所為でサクモは今、死に掛けている。
ソマの心境を察したのだろう。仲居は眼を潤ませ、何度も頷いた。
「はい。………あの、あたしらに出来ることは、何でも仰ってください。大したことは出来ませんけど。…氷、まだ要りますか? 新しいお水、持って来ましょうか」
「ありがとう。……うん、氷と水。それから湯も頼んでいいか?」
「はい。すぐにお持ちします」
ふう、とソマは息をついた。
(いったい誰が、宿のモンに鉄砲水の一件を漏らしたんだ? ………いや……違うな。おそらく、隊長を心配して仲間内で話しているのを、宿の者に聞かれてしまったのだろう。………俺だって、思った。………村を助けて、チャクラ切れ状態にならなきゃ………病気になんぞ、ならなかったかもしれない。あんな事さえ無ければ、と。………でもそれは、隊長に対する侮辱だ………)
サクモは、自分がチャクラ切れを起こすことなど承知の上で、あそこで術を使ったのだ。
見て見ぬ振りが、出来なかったから。
そして、そういう決断を下す隊長だからこそ、自分達は―――………
その時だ。
片膝を抱え、サクモの汗を拭ってやっていた自来也が、ハッと顔を上げた。
「………帰って、来よった………!」
ツナデも、顔を上げる。
「大蛇丸? 大蛇丸が、戻った………?」
「ワクチンが来たかっ!」
戸を開け放ち、ヤマネが飛び出して行く。
続いて、トウヤとサジキも飛び出して行った。
雨上がりの朝もやの中、山の稜線から太陽が僅かに顔を覗かせる。
ハアハアと息を荒げて宿に辿り着いた大蛇丸は、二階から転げ落ちんばかりに駆け下りてきたヤマネ達を見て、ニィ、と笑った。
「………どうやら、まだ生きているみたいね………? アンタ達の隊長は」



:::
 


サクモは、見知らぬ場所で眼を覚ました。
(………ここは、何処だろう………)
山中でソマに背負われた辺りから記憶は曖昧で、その後の事はよく覚えていない。
(確か………麓の宿場町で一晩休むことになってた………はずだよね。…でも………)
自分が寝かされているのが、宿の客室などではなく医療施設だ、という事は室内の雰囲気、自分の状態でわかる。
点滴と酸素マスクを用意している宿など、普通無いだろう。
だが、木ノ葉の病院でもない。匂いが違う。
(僕は、どこかの病院に運び込まれるくらい、具合が悪かったってことか………)
ナユタは、腕のいい医療忍者だ。その彼の手に負えないほどの状態に陥っていたとは。
(………うわあ。またソマさんに叱られちゃいそう………)
具合が悪いのに、黙っていて悪化させた。きっとまたお説教だ。
副長であるソマは、サクモが上忍で隊長でも遠慮はしない。
頭ごなしに叱ることはさすがに無いが、年長者として注意すべき点はきちんと言ってくる。
叱られる事が嬉しい、というわけではないが、サクモは彼にお説教されるのが然程嫌ではなかった。
妙に距離を置かれるよりはずっといい。
そう思いながらぼんやりと視線を彷徨わせたサクモは、ベッドの脇に誰かがいるのに気づく。
(………誰………? ナユタさん…?)
呼ぼうとしたが、声が出ない。微かに、掠れた喘鳴が咽喉から漏れただけだ。
ベッドの脇の人影が動き、サクモの額に冷やりとした手が当てられた。
「目が覚めた? ………んー、でもまだ少し熱はあるね。ああ、無理してしゃべろうとしないで。咽喉が傷つくよ。炎症、治まったばかりなんだから」
知らない声だ。サクモと同じくらいの、少女の声。
何度か瞬きをすると、ようやく視界がまともになってくる。サクモを覗き込んでいたのは、声の印象通りの少女だった。
(………誰だろう。………看護士さんには…見えないけど………)
「あんたは覚えてないだろうけど、死に掛けたんだからね? 本当に一度、心臓止まったんだから。…しばらくは、絶対安静」
自分の心臓が一度は止まったのだと言われても、サクモはショックを受けなかった。
他人事のように、「そうだったのか」と思っただけで。
そこまでの重態になったのなら、ソマとナユタが手近な病院にかつぎ込む、という選択をしたのも頷ける。
サクモの表情が、まだどこかボンヤリとしているのを見て、ツナデは微苦笑を浮かべた。
「………私の言っていることが、わかる? 聞こえている?」
サクモはコクンと小さく頷いた。
「よし。…まず、自己紹介しておくね。私は、ツナデ。同じ木ノ葉の忍者だよ。よろしくね」
その名で、彼女が初代火影の孫娘だと気づいたサクモは、点滴に繋がれていない方の手で『初めまして。よろしく』と指文字を返した。木ノ葉の忍だけに通じる、手話だ。
それを見たツナデは、ニッコリと笑った。
「指はちゃんと動かせるようだね。良かった。……えっと、たぶん訊きたいこと、いっぱいあると思うけど。………実はね………」
と、ツナデの話の途中で、コンコン、と病室の扉を軽くノックする音が響いた。
「失礼します。…あッ…隊長、目が覚めたんですね! ああ、良かった………」
扉を開け、顔を覗かせたのはナユタだった。
その心底安心した、という声に、サクモは自分がどれだけ彼らに心配をかけていたのかを知る。
手話で謝ろうとしたその手を、ナユタは素早く両手で包み込んで止める。
「まだ、あまり余計な体力は使わないでください。…おっしゃりたい事は、わかりますから。………姫。もう、隊長に現状の説明を…?」
ツナデは首を振る。
「この子……じゃない、この人、今目を覚ましたところだもの。まだ、名乗っただけだよ。ああ、あんた一度死にかけたんだから、おとなしくしてろ、とは言ったわね」
「………そうですか。ありがとうございます。……隊長。まず、現状を報告致します。山越えをして、麓の宿場町に到着したのは、四日前の夕刻になります。ここは、その宿場町から一里ほど離れた病院で、一昨日から世話になっております。副長は、任務終了の報告の為、一旦里に帰還致しました。他の者も一緒に。奴ら、ここに残りたがりましたがね。…今、残っているのは俺だけです。医療忍者の特権ってことで」
ツナデは肩を竦めてみせた。
「私も、医療忍者の特権ね。……一度治療に係わったんですもの。きちんとこの目で経過を見たかったから、先生にわがまま言って、残らせてもらっちゃった」
「ツナデ様の部隊とは、宿で一緒になったんです。……ツナデ様には、大変お世話になりました。隊長の治療にお力を貸してくださいまして………」
サクモが感謝の眼を向けると、ツナデはにっこりと微笑んだ。
「それは当たり前。だって、同じ里の仲間が病気だっていうのに、知らん顔出来るわけがないでしょう? …それに、最終的にあんたの命を救ったのは、大蛇丸が木ノ葉の里から取ってきたワクチンだし」
サクモの表情が、初めてはっきりと変わった。
ツナデは、その変化を眼に納めてから、ゆっくりときりだす。
「………そうよ。あんたの病気は、治療に特殊なワクチンが必要だったの。……自分が、高熱を出したところまでは覚えているよね? ………あのね。あんたは、紅薊熱に感染したんだよ。………知っている? 紅薊熱」
サクモは眼を瞠った。その病名は、彼にとっても意外なものだったのだ。
やがてサクモは、ゆっくりと指を動かした。
『…知っている。致死率の高い、伝染病。………他の人は無事?』
ナユタは、サクモを安心させるように、ふとんの上を優しくポンポンと叩く。
「大丈夫です。感染したのは、隊長だけでした。…俺達はもちろん、宿の従業員や、他の客などにも異常は見られませんでしたから。ご心配なく」
サクモは、ホッと表情を緩ませて、頷いた。
「隊長は、チャクラの使い過ぎと疲労から、免疫力が著しく低下したことによって感染したと考えられますが。………あの、ひとつ確認させて頂きたいのですけど、隊長は紅薊熱の予防接種を受けていらっしゃいますか? 普通、木ノ葉では五、六歳で受けるものなのですが」
どこか遠慮がちなナユタの質問に、サクモは眉を顰めて眼を伏せた。
『………わからない。覚えていない』
「…そうですか。…いや、いいんです。もしも、ハッキリと受けたという記憶があったら、そっちの方が問題ですから。予防接種が効かなかったってことですからね。………さあ、少し休んでください。今夜から、食事も出してもらいましょう。しばらくは病人食ですが、ガマンしてくださいね。ああ、果物くらいなら大丈夫ですよ。何か、食べたいものはありませんか?」
サクモは、首を振った。
『ありがとう。今は、思いつかない。………それより、いつ、退院できる?』
「………そうですね。隊長の回復次第です。でも最低、後三日はここから動かしたくありません。出来れば、木ノ葉の病院で治療を受けて頂きたいのですが、体力が戻らないうちは、移動は無理です。その酸素マスクと点滴が外れて、声がしっかり出せるようになって、普通の食事をたくさん食べられるようになったら、考えましょう」
それに、とツナデは腰に手を当てた。
「病気が病気でしょ? 予防接種を受けていない可能性のある他人と接触する危険はおかせない。全快してからでないと、退院の許可は出ないと思うよ。……早く帰りたいのはわかるけど、ここは辛抱して」
サクモは、ぱちぱちと瞬きをして、頷いた。
要するに、大人しくナユタ達の言う事を聞いて、病気を治さないことには、この病室を出ることは出来ないらしい。
(………紅薊熱………そんなものに罹ったのか。………何故………? 僕は、予防接種は受けていなかったのかな………覚えていない。………もしかしたら、お父さんが亡くなったりした時期で…ゴタゴタしてて、受けそびれたとか………?)
いずれにせよ、過ぎたことだ。
運悪く病気に罹り、運良く助かった。―――それだけのこと。今考えても、仕方が無い。
たった数分、ナユタ達と手話で話しただけなのに、サクモはひどく疲れた気がした。
何かを考えるのも億劫で―――彼の瞼は、自然に閉じていく。
「………この分じゃまだ、食事をしただけでも疲れてしまいそうな感じね。………チャクラと体力。回復するには時間が必要だわ」
サクモがまた眠りに落ちたのを確認したツナデは、そっとふとんを掛け直し、傍らのナユタの袖を引っぱった。
「ちょっと」
「………姫?」
「いいから、ちょっと来て」
ツナデはナユタを廊下に引っ張り出し、小さな声で囁いた。
「………………あの、ね。…か……彼が、心肺停止状態になった時…の、ことだけど」
ナユタはその時の事を思い出し、きゅ、と眉を寄せる。
「…はい」
「………言わないでね」
「は?」
ツナデが何のことを言っているのかわからなかったナユタは、正直に訊いた。
「…あの。………何を、ですか?」
ツナデはカァッと赤くなった。
「き…決まってるでしょッ! ………その、わ、たしがっ…彼にじ、人工呼吸をやったってことよ! あ、そりゃもちろん、アレは医療行為と言うか、人命救助であって………その………」
キスじゃないけど。―――と、ツナデは心の中で呟いた。
彼女の赤くなった頬を見て、ナユタはやっと微妙なオトメ心に気がついた。
優秀な医療忍者であっても、彼女はまだ十四、五の少女で。
人工呼吸とはいえ、唇を合わせた相手は同じ年頃の少年なのだ。
意識の戻った本人と会話して、今更ながらに恥ずかしくなってしまったのだろう。
「ああ。………はい、わかりました。言いません。……隊長も、意識してしまうかもしれませんしね」
それは、彼にとって悪くない事かもしれないが、とナユタは思った。
もっと異性に関心を持ってもいい年頃なのに、サクモはあまりそういった事に興味を示さないのだ。
きっと、『忍』であり『隊長』であることで、今は精神的に一杯一杯なのだろう。
将来はすこぶるつきの美女になりそうなツナデに、魅力的な青年になるであろうサクモ。
お似合いだと思うのだが。
当のツナデに内緒にしてくれ、と言われては黙っているほか無い。
「………わかってくれたのなら、いいのよ。…あ、彼だけじゃないよ。自来也とか、大蛇丸にも言わないでね!」
「はあ。…承知しました」
ふー、と息をつくと、ツナデは腕を突き上げて伸びをした。
「さーて、彼も昏睡状態から脱したし。後は、栄養つけて体力を回復させるだけだね。………私はそろそろ、里に戻るわ。あまり遅いと、怒られちゃうし。…大叔父様には、私から報告しておくね。彼の病状」
ナユタは、改めて頭を下げた。
「ありがとうございます。…今回は、本当に助かりました。隊長に…いえ、皆に代わって、お礼申し上げます」
やーだ、とツナデは微笑った。
「堅苦しいのは、ナシナシ。…私も、今では滅多にお目にかかれない病気の患者を診れて、勉強になったしね。………そぉだねぇ…彼が全快して里に戻ったら、うんと美味しいフルーツあんみつでもご馳走してって、言っといて。そんでチャラよ」
「……隊長に、お伝えしましょう」
「あんたも、彼が心配なのはわかるけど、自分の身体も大事にしなさいよ? ロクに寝てないでしょう。…少しは、この病院の看護士も信用したら?」
ナユタは苦笑を浮かべた。
「………はい。ツナデ様、道中お気をつけて」
「うん、ありがと。…じゃ、またね。近いうち、お見舞いに来るよ」
ヒラヒラッと手を振って、少女は踵を返す。
金色のポニーテールを揺らし、振り返りもせずにまっすぐ歩み去っていくツナデの背を、ナユタはずっと見送っていた。
「…ツナデ姫、か。………ありゃあ、いい女になるなあ………」
 

 



 

 

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