朔月のスフィア −5

※ ご注意:このSSには、話の都合上、勝手に創作したキャラクターが多数登場いたします。主役は、少年時代のサクモさんです。

 

つう、とサクモの目じりから涙がこぼれる。
生理的な涙かもしれないが、ツナデにはそれが彼の『生きたい』というメッセージに思えた。
「心臓マッサージ! 早くッ」
ツナデの声で、ナユタは我に返った。
「は、はいっ」
呆然としている場合ではない。
ナユタはサクモの心臓の上にチャクラを集めた掌を当て、一定のリズムで刺激を与え始める。
その間、ツナデはサクモの気道を正常な状態に近づける努力をしていた。
ツナデの苦労が実り、完全にふさがっていた気道が少しずつ開き始める。
(よし、この調子!)
ツナデは、何度目かの人工呼吸を試みた。
―――と、サクモが小さく咳き込むような音を漏らし―――喘ぐように空気を吸い込む。
同時に、心臓マッサージを続けていたナユタが顔を輝かせた。
「蘇生成功!」
「やった!」
思わずツナデが快哉を叫んだ時、廊下からドタドタと慌ただしい音が聞こえてきた。
「ツナデ! ほれ、酸素吸入器! 点滴も借りてきたぞ!」
その声に、ソマがサッと扉を開ける。
自来也とヤマネが両手に荷物を抱え、肩で息をしていた。
そして、見知らぬ男がやはりハアハアと息を切らしながら、医療機材を抱えて部屋に入ってくる。
「し、失礼します! 私は里山病院の医師です。以前、紅薊熱の患者を診た事がありますので、同行しました。何か、お役に立てるかもしれません。………容態は?」
ツナデは礼儀正しく会釈した。
「それは、心強いです。わざわざありがとうございます。……今、一時的に心肺停止状態に陥りましたが、心臓マッサージと人工呼吸で持ち直したところです」
病院から来た医師は、少女の指が患者の喉に当てられたままなのを見て、彼女が医療忍者なのだと察した。
「重症ですね。…もしかして、チャクラで気道を確保しているのですか? でしたら、もう少しそのまま続けてください」
「はい」
ナユタは、サッと医師に場所を譲った。
こういう医療器具には、あまり触った事がなかったからだ。慣れている者に任せた方がいい。
「彼が、力持ちで良かったですよ。大き目の酸素ボンベを持ってこられました」
自来也は、グスッとハナをすすった。彼が背負ってきたボンベは、一般人ならまずは成人男性でも一人では運べない重量だろう。
「………ワシも自分が忍者で良かったと思ったわ。お医者殿、ボンベはこの辺りでよろしいか」
「ええ、その辺で」
医師は、サクモの様子を横目で見ながら、手早く酸素吸入器の用意をする。
「それにしても、紅薊熱とは。木ノ葉でも、予防接種は徹底していると思っておりましたが………」
自分にわかる範囲で医師を手伝いながら、ナユタが首を振った。
「何故、罹患してしまったのかはわかりません。…もしかすると、なんらかの事情で予防接種を受け損ねていた、という可能性はありますが………」
ツナデは、肩越しに自来也を見た。
「お疲れさん。びしょ濡れだね。お風呂、使わせてもらっといでよ。…それと、猿飛先生に報告よろしく。私はまだ、当分ここにいるって言っておいて」
自来也は、気遣わしげな眼で酸素マスクをつけたサクモを見―――頷いた。
「………おう。ワシもすぐ、戻る。………サクモさんは、ワシの大事な友達だものな………」
ソマも、同じくびしょ濡れのヤマネに着替えてくるように指示を出し、不安な面持ちで部屋の隅に固まっているタカオ達を見た。
「……それとな。ナユタと俺は、隊長についているから。お前らは、仮眠を取れ。隊長が心配なのはわかるが、ここでお前らが雁首揃えていても事態は変わらん」
「しかし、副長。俺達だけ休むわけには………」
「隊長は、お前らにきちんとした休息を取らせたくて、宿のある麓まで降りたんだ。…そのお気持ちを、無駄にするな」
「では、せめて交代で誰かがここにいるようにします。…使い走りや、力仕事くらいなら出来ますから」
食い下がったタカオの眼を数秒見つめ、ソマは頷いた。
「………そうだな。…わかった。じゃあ、交代で仮眠を取るようにお前が采配してくれ」
「了解です、副長」
その会話から、まだ子供のように見える患者がこの男達のリーダーなのだと医師は察しをつける。
忍者は徹底した実力主義で、家柄や金の力で昇格するものではない、ということは忍の世界に疎い医師でも知っていた。
この年齢で『隊長』と呼ばれる地位にいるということは、相当優秀な忍者なのだろう。
なら、皆が必死になってこの少年を助けようとするのも理解出来る。
「…ワクチンは、いつくらいに届きそうですか?」
医師の質問に、ソマがツナデの顔を見た。
ツナデは、朱唇で親指の爪を噛む。
「………足の早いのが取りに行っているけど。…雨続きで足元の状態が悪いから………それに、一応医局は二十四時間態勢だけど、すぐにワクチンを出して来られる人間がいてくれるとは限らない。最速で夜明け。手間取れば、明日の夕方になるかも………」
「………夜明けなら、まだ希望が持てますね。…しかし、明日の夕方となると……患者の体力が持つかどうか。………覚悟だけは、しておいてください」
それは、この医師に言われるまでも無く、ツナデもナユタも承知していることだった。
「………わかっています。それまで、出来るだけの事を」



:::



その頃。
木ノ葉の里に向かって、大蛇丸は全速力で駆けていた。
他人の為に、こんなにも必死になっている自分に、大蛇丸自身が驚きながら。
(いいえ、不思議じゃない………不思議じゃないわ。私は、私の為に走っているのよ。私は、あの人を失いたくないんだもの。…彼は、この大蛇丸を殺してくれる人。私の為に、私を殺すと約束してくれた唯一の人なのだから………!)
優しい笑みを浮かべ、『友達になろう』とサクモは無邪気に言った。
そして、大蛇丸の出した、普通なら引いてしまうような条件をあっさりと呑んだのだ。
その彼が、あんな病気で命を落とすなど、許せない。大蛇丸は、苦々しげに顔を歪めた。
おそらくはサクモも、チャクラ切れ寸前まで体力が落ちていなければ、感染などしなかったのだろう。
しかし、不幸な偶然が重なったのだ―――と、簡単に言ってしまうわけにもいかない。
そもそも、予防接種さえ受けていれば、多少免疫力が低下していたとしても罹患しないはずなのである。
そこが、皆が首を傾げている所以だ。
だが、大蛇丸にはひとつ心当たりがあった。
大蛇丸は、『はたけサクモ』という人間に興味を抱き、彼について調べられるだけ調べたのである。だから、その家庭事情も大体は把握していた。
母を早くに亡くし、上忍であった父も殉職した今、サクモは祖父と二人きりで暮らしている。
父親が殉職したのも既に十年前の話なので、サクモは殆ど祖父に育てられたようなものだ。
この祖父がくせ者なのだ、と大蛇丸は知っていた。
両親を亡くした幼い孫を、親代わりになって男手一つで育てた、と言えば聞こえはいいが、そこには子供にとって大切な愛情が、欠片もなかったのである。
 



千手一族の柱間が初代火影となった当時から、『はたけ』の家は力のある忍達を多く輩出し木ノ葉の里に貢献してきた。
だが、各国間の情勢が安定せず、里と里の争いが続く戦乱の中、多くいたはたけ姓の忍がいつの間にか減ってしまい、気づいた時は僅かに数名を残すのみになっていたのである。
サクモの祖母の代では、とうとう生き残っているのは、彼女と、負傷して引退した彼女の父だけになってしまった。
忍の資質の多くは、血で受け継がれていく。
その一族にしか伝承し得ない術、能力を絶えさせない為には、子孫を作るしかないのだ。
血継限界能力こそ発現していなかったが、はたけの血は優秀な忍を生む。
自分の代で血と家名が絶えることを恐れたサクモの祖母は、他家に嫁ぐことなく、婿養子を迎えた。
だがその夫は、彼女との間に男児を一人設けた後、子供がまだ十歳にもならないうちに任務で命を落としてしまった。
まだ若かった彼女は、喪が明けた後、二度目の婿養子を迎えることとなる。
跡取りになる子供が一人では、心許なかったからだ。
この二度目の夫が、今のサクモの祖父である。
彼と、サクモの祖母の間にも、男児が二人生まれた。
だが、残念ながらこの二人の男の子の忍としての才は、長男に比べると低いと言うしかなかったのだ。
次男は中忍になる前に命を落とし、三男も中忍には昇格したが、そこまでだった。
二十歳前に上忍に昇格し、『はたけ』の名に恥じない忍となったのは、長男のみ。
この長男が他国で見初めた女性を連れ帰って結婚、生まれたのがサクモであった。
サクモにとって義理の祖父にあたる男は、この異国人の嫁を認めようとはしなかった。
実は彼は、義理の息子には自分の親族から嫁を娶らせるつもりだったのだ。そうなれば、自分の親族とはたけの家の結びつきは強固になり、自分の血に連なる子が生まれることになる。
親に断りも無く勝手に結婚相手を決めてしまったばかりか、よりにもよって異国人の女を連れてくるなど、認められるはずもない。
しかも、男にとって忌々しいことに、生まれてきた義理の孫は異国人の女にそっくりの容姿をしていた。
色素の薄い、色白の肌。白銀の髪。可愛い、などとは到底思えなかったのであろう。
彼は、血の繋がらない孫を抱こうともしなかった。
それでもまだ、サクモの祖母と、三男が生きていた頃は良かったのだ。
三男は父に似ず気の優しい青年で、甥であるサクモを、眼を細めて可愛がっていた。
サクモの母のこともきちんと義姉と呼び、異父兄の留守には彼女を頑迷な父から護ったのである。
彼のおかげで、夫が不在の時も、彼女は安心して暮らす事が出来た。
ところが、サクモの祖母が病気で他界、三男が殉職と、相次いで亡くなってから、状況は変わってしまう。
まだ赤子であったサクモと、サクモの両親。そして、彼らとは血の繋がらない祖父。
この家族の中で、祖父が疎外感を覚えたとしても無理は無い。
他国から嫁いできたサクモの母は、懸命に里に馴染もうと努力したし、舅もきちんと立てていた。
しかし、どんなに彼女が努力しようとも、舅である男の気持ちが変わることは無かった。
事あるごとに、男は彼女に辛く当たったという。
彼女自身に問題があったわけではない。
そもそも、義理の息子に自分の親族の娘をあてがおうと思っていた男にとって、異国人の嫁は邪魔以外の何者でもなかったのだ。
ある日とうとう、長男が長期の任務で里外に出ている隙に、彼はサクモの母を追い出してしまったのである。
舅に逆らえず、まだ二歳にもならぬ我が子を連れ、泣く泣く彼女は家を出た。
夫さえ帰ってくれば、自分を迎えに来てくれる。そう、信じて。
だが、運悪く彼女は故郷の土を踏むことも叶わず、事故に巻き込まれて亡くなってしまう。
帰宅して、妻子が追い出された事を知ったサクモの父は、慌てて彼女らの後を追い、奇跡的に生き残っていた我が子を保護して連れ帰ったのである。
その父も、サクモが五歳の時に殉職。
以降、サクモは血の繋がらない祖父と二人暮らしになった―――

 



大蛇丸が知り得た、サクモの家庭事情はざっとこのようなものだった。
(………このジジイが臭いのよね。…聞いた話じゃ、サクちゃんは虐待に近い扱いを受けて育ったみたいだし。………もしかして、わざと子供に必要な予防接種を受けさせなかった………ってことも、十分考えられるわ)
大蛇丸自身も、数年前に忍である両親を失ったが。
任務で忙しかった両親でさえ、息子の健康には気を配ってくれていた。当然、予防接種を受けに連れて行ってもらった記憶もある。
そんな、木ノ葉では当たり前の事もしてもらえず、罹らなくてもいい病に罹って苦しんでいるのだとすれば―――あまりにもサクモが不憫だった。
大蛇丸は、フッと昏い笑みを浮かべた。
(ま………その事実確認は後回しね。今は先ず、ワクチンを持ち帰らなきゃ。………待ってなさい。絶対に、夜明けまでに届けてみせる………!)

時刻は、午前零時をとっくに過ぎてしまった。
医療施設そのものは、二十四時間態勢だが。
医局に行っても、すぐにワクチンを出してもらえるかは、わからない。
(……こういう時は、やっぱり最高権力者のご威光をお借りするのが、お利口さんってものよね………)
大蛇丸は、何とかして火影に取り次いでもらい、ワクチンを出すように医局に命令してもらおう、と考えた。
二代目は、サクモの才能を高く買っているはずだ。
里の将来にとって、欠かせない人材であることは誰の眼にも明らかなのだから。
その命が危ういとなれば、動いてくれるはず。
相手が就寝中でも何でも、かまうものか。無礼を咎めて処罰するというのなら、すればいい。
サクモにワクチンを届けた後でなら、いくらでも応じてやる。
―――と、大蛇丸はハラを括っていたのだが。
里の大門に辿り着いた時、拍子抜けするほどあっさりと門は開かれた。
時間が時間なので、先ず大門を開かせるのに手間取るだろう、と思っていたのに。
のみならず、門の詰め所にいた当番の忍は、辿り着いた大蛇丸を温かく迎え、労ったのである。
「この雨の中、夜道を駆けてくるのは大変だっただろう。ご苦労さんだったな。…ツナデ姫の書いたという、医局への申請書を見せてくれ」
「………何故、それを………」
「事情はわかっている。猿飛上忍から、火影様宛に式が送られて来たのだ。……ワクチンは、既にここに用意してある」
大蛇丸は、唇を噛んだ。己の師匠が、同じことを考えて、先に手を打ってくれたのはわかる。
―――だが。
「……事情がわかっているなら、どうして式が来た時点で、誰かにワクチンを持たせて送り出だしてくれなかったの」
人間の足より、式の方がずっと早い。ワクチン要請の報は、かなり前に届いているはずだ。
「ワクチンの用意が出来たのは、つい今しがたなんだ。…風邪や腹痛の薬を出すのとはワケが違う。正式な手続きを踏み、それが承認されなければ出せない。時間が掛かったんだ。…それでも、緊急を要すると言う火影様の勅命で、異例の速さで承認されたんだよ。普通なら夜が明けて、医局が通常の業務を開始するまでワクチンは出せなかっただろう」
「じゃあ、さっさと寄越しなさい。わかってるでしょ、急ぐのよ!」
大蛇丸の尊大な物言いを、男は咎めなかった。
少年の焦りと苛立ちは、当然のものだったからだ。
男は忍耐強く、大蛇丸に説明する。
「だから、先にツナデ姫が書いた申請書を、出してくれ。…猿飛上忍の式が知らせてきたとはいえ、貴重なワクチンを簡単に門外に出すわけにはいかない。ワクチンの要請が事実かどうか、確認が必要なんだ」
大蛇丸は、懐から紙を出した。
「………これよ」
男は、サッと文面に眼を走らせる。
「確かに、姫の手のようだな。…おい、ワクチンを」
男が詰め所の中に声を掛けると、厳重に梱包された包みを持った忍が出て来た。
「これがワクチンだ。緩衝材で梱包はしてあるが、強い衝撃は与えないように注意してくれ」
「…わかったわ」
ワクチンを手に出てきた男は、心配そうに大蛇丸の顔を見る。
「……君は、ここまで駆け通しだったのだろう? …俺が行こうか?」
大蛇丸は首を振った。
「いいえ。…私が、持ち帰ると約束したのよ。………大丈夫、まだ走れる」
そうか、と男は頷いた。
「じゃあ、せめて兵糧丸と、滋養スープを飲んでいきなさい。少しは回復するだろう」
「………そうね。もらうわ」
水分とカロリーを補給することの大切さは、身をもって知っている。大蛇丸は、素直にスープと兵糧丸を口にした。
「足元は取り替えなくても大丈夫か?」
「サンダル? 大丈夫よ。履きなれている方が、いいわ」
男は、躊躇いがちに声を落とし、そっと訊いた。
「………紅薊熱に罹っているのが、はたけ上忍だというのは、本当かい?」
「………………それが、何か?」
大蛇丸の、肯定と取れる返事に、男は表情を曇らせた。
「………そうか。…俺は、以前彼に窮地を救われたことがある。…出来ることなら、俺が走って薬を届けたいくらいだ。………頼む。彼を、助けてくれ」
大蛇丸は、空になったスープの椀を男の手に返した。
「言われなくても」
ワクチンをしっかりと背負い、今来た道を駆け戻るべく、大蛇丸は身を翻した。
その背に、「頼んだぞー! 気をつけて行けよー!」という男達の激励の声がかかる。
大蛇丸は、思わず苦笑していた。
未だかつて、こんな見ず知らずの人間に「気をつけて行け」などと送り出されたことがあっただろうか。
彼らが、大蛇丸の身を案じているのではないことはわかっている。
大蛇丸が薬を届ける相手、サクモの身を案じているのだ。
(………皆、アンタが心配なのよ。…わかっている? サクちゃん。………私が戻るまで、頑張るのよ………!)





 



 

 

NEXT

BACK