宵の寄り路迷い路−3

 

「いらっしゃいませーっ」
暖簾をくぐると、愛想のいい女の子の声が迎えてくれた。
「こちらでお召し上がりですかぁ?」
この甘味処は、店内で飲食する他、持ち帰りの客も多い為、最初に確認される。
「うん。二人ね」
秋水はナルトを手招きして奥の席に座った。
「何食う?」
ナルトは小さなお品書きをつかみ、真剣な顔で検討している。
「う〜ん、迷っちゃうなー…」
「ま、好きなだけ悩め」
秋水は水を運んできた女の子に微笑みかけた。
「おカルさんいる?」
女の子はいきなり女主人の名を出され、驚いたような顔をした。
「ええと…あ、はい…おかみさんですね? よ、呼んで参ります」
「いいよ。聞こえている」
店の奥から、おカルが出てきた。秋水を見て、静かに微笑む。
「……秋水さん。…ちゃんと来てくれたんですね…」
「だって約束したじゃないか。また来るって」
「そう言って、前の時はそれっきりだったでしょう? ……私はさっきの約束も夢じゃな
いかって…今の今まで思っていたわ」
秋水は苦笑を浮かべた。
「……ゴメン。…前の時は不可抗力って事で…カンベンしてよ、おカルちゃん」
年配のおかみを、若い忍が気安げに「おカルちゃん」と呼ぶ様子に女の子は目を丸くして
いる。
「おい、何食うか決めたか? ナルト」
ナルトはお品書きから顔を上げた。
「んーとね、クリームあんみつにするってばよ」
秋水はおカルを見上げる。
「じゃ、コイツにクリームあんみつ。オレはおカルちゃんに任せる」
「……はい、じゃあちょっとお待ちくださいね」
おカルは軽く会釈すると奥に戻っていった。
ナルトは不思議そうな顔で老婦人の背中を見送る。
「じいちゃん、ここのばあちゃんと知り合い…?」
「…まーね、昔馴染み」
「…………じいちゃんのムカシナジミ……って…あ、そうか…三代目と知り合いだったん
なら、他にも知っている人がいてもおかしくねえのか! ……でも、いいのか? その格
好で会っちゃって」
「………んー? オレも会うつもりはなかったけど、朝偶然会っちゃって……思わず懐か
しくて名前呼んじゃってねー。……ちゃんと言ってあるよ。オレは死人だって」
ナルトは眉間に皺を寄せた。
「………それでフツーに話しているあのばっちゃんもスゲエな……」
「オレは忍者だから、何でもアリだと思ってくれたみたいだわ。……まあ、あんまり気に
しなくてもいいんじゃねえか? 明日も明後日もこの格好で歩き回るワケじゃなし。…四
十年前の知り合いで、オレの顔まで覚えている人間なんて、滅多にいねえよ。……似てい
ると思っても、普通は同じ人間だなんて思うもんか。生きていたら、オレだって七十過ぎ
のジジイだ」
ナルトはまじまじと目の前の青年を見る。
「……それって…じいちゃんが死んだ時の……カオなんだよな……?」
「イルカのままだと色々やりにくいだろう? ……下手すればイルカにも迷惑かけるし…
…それに、自分が七十になったツラなんざ想像出来ねえし。一番自然に変化していられる
のが元の姿だったんだよ」
「う〜ん、そっか……」
ナルトはずずーっと水をすする。
「なあなあ、イルカ先生は中忍だけどさ、じいちゃんは?」
「オレ? オレも中忍だよ? 中忍の甲」
「コウ……?」
秋水もコップの水で唇を湿らせる。
「あ、今は中忍の中での格付けって無くなったの? …ほら、中忍っていってもさ、下忍
から上がったばかりのヤツともうすぐ上忍ってヤツじゃ実力に雲泥の差があるだろう?」
「…うん」
それはナルトにもよくわかる事だった。同じ下忍と言っても、その実力には人によって洒
落にならない程の差があるのを、身を持って知っていたからだ。
「だから、中忍の中にも階級があったのさ。…上から甲、乙、丙、丁。下忍から上がった
ばかりのヤツだと大抵は丁だ。そして、そいつの能力や戦功に応じて上がっていく。まあ、
中忍は中忍だけどな。……部隊での立場はそう変わらなかったけど。ただ、基本給が違う
から、みんな階級上げには熱心だったぜ」
ナルトは首を捻った。
「……そういや中忍ってハバが広いよなあ……今度、イルカ先生に聞いてみよっと。今で
もそういう分け方してんのかどーか。…でもじいちゃんはソレだと一番上の中忍だったん
だろー? 何で上忍にはならなかったんだ?」
秋水は呆れたような顔でナルトの額を指で押す。
「バッカ。なろう、で簡単になれるかよ。……上忍ってのはそんな軽いもんじゃないぞ。
今はどーだか知らんが、少なくともオレの頃は上忍ってのは滅多になれるものじゃなかっ
た。……まあ、任命されても断ったかもしれないけど」
「なんでさ?」
秋水は笑った。
「だって上忍って面倒くさそうだったからさ。…今と体制違うのかもしれんが、オレの時
の上忍なんて責任ばっかり重くなって、しかも自由に動けもしないってポジションだった
からね。……まあ、収入はだいぶ違っただろうから…あの当時…もしも上忍にしてやるっ
て言われたら……随分気持ちは揺れただろうなあ。…娘も、もう嫁に行ってたからオレ、
身軽になってたしな」
ナルトはキョトンとした。
「ムスメ? じーちゃん、子供いたの?」
「アホんだら。オレが死ぬ前にガキ残していなかったら、イルカも生まれていねえんだよ。
…お前、どこまでオレの事知っているのさ。死んだ事情とか知ってるのか?」
ナルトは唸った。上目遣いに天井を睨みながら記憶を辿る。
「えっと〜〜……? 昔、敵の術か何かであの洞窟で殺されて〜…氷に閉じ込められて〜
…んで、この間イルカ先生が氷に触ったら、じーちゃんのタマシイが先生の中に入っちゃ
ったんだよな? んで、そのショックでしばらくイルカ先生は意識不明だったけど、じい
ちゃんは出て行って、先生は元通りになれたんだって思ってた。…オレ、じいちゃんがま
だイルカ先生の中にるってのはさっきまで知らなかった」
「…そっか」
秋水はどこかホッとした。
あの上忍は、子供に余計な事は教えなかったと見える。男との痴情のもつれで殺されただ
なんて、あまり吹聴されたくない話だ。
「でも、アレだな。……お嫁に行くほど大きな子供がいるようには見えねえってばよ、じ
いちゃん」
「あはは、ソレは皆に言われた。…知らなかったヤツも多かったし」
そこへ、おカルが盆を運んできた。
「お待たせしました」
秋水の前に綺麗な鶯色の餡がかけられた餅の皿を置き、ナルトの前に果物で華やかなクリ
ームあんみつの器を置く。
「ありがとう」
「……これで良かったかしら?」
秋水は懐かしげな顔で頷いた。
「よく覚えててくれたねえ…オレ、甘いのあんまり食わないけど、これは好きだったんだ。
他所のずんだ餅とは味がちょっと違うんだよね。くるみ餡も混じっててさ、美味いんだよ。
懐かしいなあ…」
一切れ口に運び、おカルに微笑んでみせる。
「うん、美味いよ、おカルちゃん」
「…良かった。……ゆっくり……なさっていってね」
興味深げに皿を覗き込んでいるナルトに気づいた秋水が、一切れすくってに差し出してや
る。
「ホラ、口開けろ」
ナルトは素直に口を開け、「あぐっ」と餅に喰らいついた。
「おっ! ウマイってばよ!」
おカルはその様子を不思議そうに眺めている。
秋水が四十年前のままの姿でここにいる事も充分不思議だったが、街で何度か見かけたこ
とのある子供と一緒にいるのが更に不思議に思えて仕方ないのだ。
その彼女の視線に気づいた秋水が、悪戯っぽい微笑を浮かべてナルトを顎で指した。
「コイツはね、オレの友達。…歳はだいぶ離れているけどね。なあ、ナルト?」
自分のあんみつに取り掛かっていたナルトは一瞬大きく眼を見開いたが、「うんっ」と元気
良く頷いた。イルカやカカシはナルトにとって『先生』だが、秋水は違う。
その関係には名前などつけられないが、彼が『友達』と言ってくれるのはどこかくすぐっ
たくて、嬉しかった。
「オレのダチだから、よろしくしてやってね、おカルちゃん」
おカルは笑って頷いた。
「他ならぬ秋水さんの頼みでは聞かないわけにはいきませんわね」

店を出る時、秋水は草餅を幾つか包んでもらった。そして、おカルにそっと囁く。
「……また来るよ。……いつか、またね。じゃ、元気で」
おカルは、黙って頷いた。
四十年前、そうした様に。


 
「じーちゃん、後、行きたい所ってある? オレ、付き合ってやるってばよ」
「…せっかくの休みなのに、いいのか?」
ナルトはニカッと笑う。
「だって、トモダチじゃん」
「そーか、ありがとな。……でも、俺がこれから行くのは墓参りだ。お前に付き合っても
らうのは悪いよ。……ああ、花屋の場所だけ教えてくれるか?」
ナルトは一瞬混乱した。
―――秋水はもう死人で。…死人がお墓参りをする? 自分の?? いや、そんなワケは
無い。
「だ…誰のお墓?」
「ん〜…ニョーボ。…俺のカミさん、俺よりも先に逝っちゃってるから。…今からもう、
五十年以上前に、な……娘達ももう墓の中みたいだけど、どこに墓があるか知らないし…」
秋水は寂しそうに微笑む。
「………奥さんかあ……奥さん、草餅好きだったん?」
草餅は、墓への供え物だとナルトにもすぐわかったらしい。
「んー? 女の子だからね。甘いものは好きだったなーって。俺だけこんな風に復活しち
ゃってさ、好きなもん食ってさー。何か、ズルイって怒られそうだし」
ナルトは秋水の袖を引いた。
「花屋、あっちだってば。…知ってるヤツの親がやってる店だから、もしかしたら安くし
てくれっかも」


十班の紅一点、山中いのの家は花屋だ。
店番はあいにく、彼女の母親らしい女性だった。その年頃の『大人』が自分を快く思って
いない事を知っているナルトは、店の中に入らなかった。
「……じいちゃん、ゴメン。いののヤツ、いねえや。…あのおばちゃん、オレ苦手だから
ここで待っているってば」
「…うん」
何か事情がありそうだな、と察した秋水は一人で店に入り、もう花束にしてある菊を買っ
てさっさと出てくる。
「……ソレでいいの? 奥さん、菊好きだったんか〜?」
「ん〜? アイツの好きだった花ってさあ、墓に供えるにしては難のある花ばっかだから、
コレで勘弁してもらうわ」
秋水はポケットからラーメンの代金分程度の金を出してナルトに差し出す。
「……ごめんな。……これで一楽行ってくれ。…墓参りになんか付き合わなくていい…」
来るな、と言われてはナルトも強引についていくわけにはいかなかった。首を横に振り、
ラーメン代は謝絶する。
「ううん。それはいいってばよ。…さっき、あんみつ奢ってもらったから。…今度、じい
ちゃんが表に出てきた時に一緒に食いに行こ? ラーメン」
えへ、とナルトは笑い、「じゃ、オクサンによろしくなーっ」と言いざま踵を返して走り出
す。
「ナルト……」
「またなーっ! じいちゃん!」
振り返って笑顔で手を振る子供に、秋水も手を振り返した。
「……ありがとうな…ナルト……」
 

        

 



 

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