宵の寄り路迷い路−4
記憶にあったものより、だいぶ古びて荒れた墓。 無理もない。あれからもう、何十年も経っているのだから。 おそらくイルカは、曾祖母の墓の場所など知らないのだろう。それも仕方の無い話だった。 彼の両親は、彼がまだアカデミーも出ていない子供の頃に亡くなったのだから。 秋水は墓を掃除して、花と線香、草餅を供えて手を合わせる。 「……ゴメンな。…オレも本当だったらとっくにお前の所に行っていたはずだったのに… …まだこんな所をウロウロしてんだよ…」 秋水は、周囲に人の気配が無いのを確認してから変化を解いた。 「ほら、見えるか? ひ孫だ。……この子が、お前のひ孫のイルカだよ。……オレに似て いるだろ? ちゃんと、元気にやっている。…ちょっと相手に難があるが、恋人もいるみ たいだし、安心していいよ。……此処の事は、今度イルカにも教えておくから。この子、 優しい子だからちゃんとお墓の世話もしてくれるはずだ……」 墓に刻まれた妻の名前を指で辿る。 妻の人生は短かった。 十八で子供を産んで、二十一で逝ってしまった。 秋水とは幼馴染みで、付き合いこそ長かったが、男と女として恋仲になってからはたった 数年。子供の純粋さで恋をして結ばれてしまった二人には、お互い以外見えなかった。 だが、幼くて必死の恋は、静かな愛情に変わる前に突然断ち切られてしまった。 彼女を失った秋水には、もう他の女性を愛することが出来ない。 「………もしも生まれ変わることが出来たら……もう一度逢って……またお前と……恋を したいけど……」 秋水はもう一度自分に変化しなおした。 「……なんてな。…案外、お前もうとっくに生まれ変わってたりしてな〜……」 だったらいいのに、と秋水はため息をついた。 早く逝かなければならなかった人は、他の人よりも早く生まれ変わって、また新たな人生 を送るべきだ。 ―――そう、思う。 彼女が自分以外の誰かと恋をして、愛しあうのだとしても。 今度こそ、長生きをして幸せになって欲しいと思うから。 「……オレの人生は…いつケリがつくんだろうな……」 身体がもう死んでいるのに等しい状態で、意識だけが自我を保っているこの半端な状態は。 秋水は苦笑して、もう一度妻の墓を撫でた。 秋水は足の向くまま、里の中を歩いた。 覚えのある通りに、全く見知らぬ店が立ち並ぶ。 たまに、おカルのように昔の面影を残した老人に出会うこともあったが、秋水はもう声を 掛けたりはしなかった。 そんな事をしても、自分が時の狭間に取り残されていると思い知らされるだけだ。 あの当時の仲間は、大方もうあの世に逝っているだろう。 ただでさえ長生きがしにくい生業だが、イルカから両親を奪ったという『九尾の災厄』の 所為で木ノ葉の忍は激減したのだと聞いている。十数年前の災厄の時、秋水の同期はもう 引退した者の方が多かったが、若い者に命を捨てさせるよりは、と皆自分の命を盾にして 里を守り、散ってしまったのだと三代目が語ってくれた。 秋水は四つになった火影岩を見上げる。 そう語るのは三代目にとって、辛い事だっただろう。 自分よりも遥かに若い四代目火影が命を張って里を守り、逝ってしまったのだから。その 若い火影ではなく、自分が代わりに逝くべきだったと彼の横顔が語っていた。 「……自分より…若い奴を見送るのは…辛いよな……」 先に逝く者、この世に取り残される者。 そのどちらでもない、半端な自分。 秋水自身、死ぬには若い時に『死んだ』のだ。まだまだ、やりたい事もたくさんあった。 任務で死んだのならまだ諦めもついたが、友人の誤解が原因で殺された秋水は無念がつの る。 死にたくなかった。死にたくなんかなかったのに。 こうして思考できる自我が存在している所為で、余計にそう思ってしまう。 人生を達観できるような歳ではなかったのだ。 秋水は『自分の』手を見つめる。 このイルカの手足は自分のもののように自在に動く。ものを食えば、味もわかる。 だが、これは自分の肉体ではない。 正直に言えば、イルカの身体の奥底で眠るより、こうして外の風を肌で感じていたい。 ふと、このままこの身体を自分のものにしてしまいたい誘惑にかられる。 秋水の姿のまま里の外に出て、遠くに行ってしまえばいい。 そうして、突然断ち切られた人生をもう一度やり直すのだ。 秋水は物見台の手すりを握り締め、目を固く閉じる。 考えたそばから、実際にはあり得ない事だとわかってはいた。 この身体は、イルカのものだ。 どんなに秋水が頑張ったところで、元の持ち主の方が強いに決まっている。 「……イルカ………」 顔どころか、存在も知らなかったひ孫は、優しい子だった。 造作は自分に似ていたが、心の在り様は妻に似ている、と思った。優しいが毅然としてい て、芯が強い。 そんな女だから惚れたのだ。 彼女なら、秋水と同じ立場になってもさっきの様な事は欠片も考えるまい。 「…………イル…カ……」 一瞬でもひ孫を裏切る様な事を考えた自分が恥ずかしかった。 秋水は顔を上げ、大きく膨らんで沈み始めた太陽を見つめる。 理由もわからぬまま、永劫に続くかと思われた苦しみから解放され、こうしてまた夕陽を 眺めることが出来ただけでも幸せではないか。 ひ孫が立派な青年に成長した姿をこの眼で見られるなど、考えたこともなかったではない か。 秋水は静かに微笑んだ。 「…さて……帰るか…な」 宿舎の建物に入りながら変化を解き、イルカの姿で部屋に戻った秋水を、不機嫌な声が出 迎えた。 「……おかえり」 「………ただいま」 部屋の中には、声そのままの不機嫌な顔の上忍が胡坐をかいていた。 机の上に広げたまま置いてあったノートを見たのだろう。今帰ってきたのはイルカではな く、秋水だと承知している顔だ。 「早かったな。今日は任務だったんだろ? 上忍」 まだ外はようやく暗くなってきたところ。夕方と夜の間のような時間だ。 「……任務は早めに終わったんだ。…久々に、イルカ先生とメシでも食いに行こうと楽し みにして帰ってきたのによ」 ぶは、と秋水は笑った。 「なのにイルカがいなくて、フテ腐れてたわけ? かーわいいなあ、アンタ」 「ジジイに可愛いとか言われても嬉しくねえっ! それより、イルカ先生に迷惑かけるよ うな真似しなかっただろうな」 隻眼でねめつけてくる銀髪の男をからかうように、秋水は小さく舌を出す。 「イルカに迷惑? どっかの誰かさんじゃあるまいし。変化を解いたのもここに戻ってか らだし、ひ孫に迷惑なんか掛けるわけなかろう?」 カカシはムッとした顔で赤くなった。 「………一人で一日、何やってたんだよ」 「優しいひ孫のおかげで、数十年ぶりに女房の墓参りに行けた」 カカシは一瞬、不意打ちを受けたように眼を見開いた。 「……あ……そ、そう……そりゃ…良かったね……」 墓参り、と聞いて複雑そうな顔になったカカシに、秋水の眼が和んだ。ひ孫の恋人は、彼 から見ればそれは色々と難があったが、根は気持ちの優しい青年だ。イルカも、そういう 所に惹かれているのだろうと思う。 「…昔馴染みにも会えたしねえ……ああ、アンタのとこの黄色いアタマのガキ。あれに偶 然会ってね、ちょっと一緒に遊んだけど。あの子、ハナがいいな。…変化したオレを見て、 すぐにイルカだとわかったらしい。……もっとも、最初は声だけでそう思ったみたいだが」 カカシは嫌そうに頷いた。 「……アンタら、声はすごくよく似ているからな。…ムリもないわ。…ナルトは野生のカ ンで生きているような子だし。……で、あいつにアンタの事教えたのか?」 「うん。本当の事を教えた。…別に隠すような事じゃないし、イルカの振りをするよりい いだろう? 今日は身体を貸してもらっているだけだと、ちゃんと言ったよ」 そうか、とカカシは呟いた。 そのまま黙って目を伏せている青年の髪を、秋水は軽くかき混ぜた。 「今日は、さっさとイルカ先生を返せって言わないの?」 カカシはチラッと眼を上げる。 「………今日一日は身体を貸すって、イルカ先生が決めたんだろう? まだ一日は終わっ ていない。……オレが口を出せる事じゃない」 イルカがそう決めたのなら、その意思を尊重するとカカシは言うのだ。 「……明日の朝、イルカ先生がちゃんと戻っていれば…いい」 秋水はそのままカカシの頭を抱き込んだ。 「可愛いなあっ! 上忍!」 いきなりヘッドロックされたカカシはもがく。 「だから誰が可愛いって…っ…放せ、この野郎!」 「可愛いよ、アンタ。ははは、イルカの気持ちがわかるよーな」 「わからんでいいわっ! 放しやがれいっジジイ!」 最初はヘッドロックのつもりはなくて、ただ抱き込んだだけだったのだが今や完全に固め 技になっている。体術が得意だったというこの男は、本当に身体の使い方が上手い。上忍 のカカシですら、きっちりと固められてしまうと解けないのだ。 「…まーたジジイって言う〜…傷つくなーも〜……」 ぎりり、と締められてカカシはギブアップした。 「イテテ…ッ…ちょっと……オレ、任務帰りで体力無いんだから……わかった! 放して ください秋水さん! 頼むから!」 秋水はあっさりと手を放した。 「そーかそーか。…アンタ、体力無いんだったよなあ、上忍。ゴメンゴメン」 ははは、と笑いながら秋水は一度脱ぎかけていた胴衣を着直した。 「そこの体力の無い上忍。……メシ食いに行く元気は残っているか?」 カカシは乱れた髪を直す為に額当てを外している最中だった。 「は?」 「オレ、メシまだなんだ。…なんか適当にそこら辺の物を食おうかと思ってたんだけど、 もう作るのも面倒だわ。……イルカじゃなくてご不満だろうけどな。…来るのか? 来な いのか?」 手櫛で髪をざっと梳くと、カカシは額当てを付け直した。 「……行く。オレもハラ減っているしな。イルカ先生じゃないのは残念だけど、たまには いいだろ」 秋水は玄関で振り返った。 「このまま行こうか? それともオレに変化した方がいい?」 カカシは3秒ほど考えた。イルカの顔でイルカらしくない事を言われるよりは、秋水本人 の顔の方がいいかもしれない。たとえ声が同じでも。 「……ど〜もイルカ先生の顔だと微妙に複雑な気分だから、アンタに変わってくれる?」 「了解」 カカシの目の前で、秋水が自分の姿に変わる。 「んじゃ、行くかね、カカシ上忍」 「…あいよ」 相変わらず不機嫌なカカシの顔に、秋水は微笑った。 「んな顔すんな、上忍。……昔話で良かったら、色々教えてやるから」 「昔話ィ?」 秋水の笑みが悪戯っぽく変わる。 「………サルのあんな話とか、ホムラのこんな話とか」 途端にカカシの顔にも人の悪い笑みが浮かぶ。 「…へえ、そりゃあ面白そうだ」 厳めしい顔をした三代目火影もご意見番も形無しだ。若い時分の『弱味』を知っている人 間には敵わない。 (ま、安心しろよ、サル。お前に恥をかかせるような事はこの若造には教えんから) 「で、どこへ行く?」 「…う〜ん、一楽以外にしようや。ゆっくり飲めて、メシも美味いトコがいい」 贅沢者め、とカカシは苦笑した。 秋水はにっこり笑う。 「今日はパチンコで稼いだから、おにーサンが奢ってあげます」 「墓参りにパチンコ? どういう過ごし方したんだよ、一日」 扉を開けると、すっかり日が落ちていた。 今日一日のことは、後でノートに詳しく書いてイルカにも教えよう。 そして、いい贈り物だったと礼を言おう。 「…いい一日だったよ」 秋水は夜の空気を深く胸に吸い込んだ。 |
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惑うおじいちゃんのお話、終了です。ありがとうございました!! 2005/3/6〜3/22(完結) |