「んで、どーだい…その後、例のお小姓クンは」
縄のれんの安居酒屋。
アサギは久しぶりに一人で飲みに来ていた。
さすがに、飲み屋にまだ未成年のイルカは連れて来ない。
「……その呼び方やめい。アイツはイルカっての」
「じゃあ、そのイルカ君はその後どうだ? 使えそうか? お前、まだ任務の時はあの子を置いて行ってるようだが」
アサギはコップを傾け、煤けた天井を見上げた。
「うん…まあ、な。体力もついてきたし…カンのいい子だから…やる気さえあればちゃんと伸びるんだ。……アカデミーの先公は何やってたんだかな。あの子の卒業成績がドンくせえのは、指導する方にも問題ありと見たね」
声を掛けてきた中忍は、苦笑する。
「言ってやるなよ、アカデミーじゃ一人ずつ丁寧になんか見てやれねえんだから。一人の先公が、大勢の子を受け持つんだからな」
「わかってるよ。…本来、放っておかれても伸びてくる子を忍にする。…わかってるけどな……」
「で、使えそうか?」
アサギは片眉をあげた。
「………イナミ……何が言いたい?」
「俺は、使えるかどうかを訊いているんだよ、アサギ」
アサギは首を振った。
「そりゃあ、任務内容によるさ」
イナミはアサギのコップに酒を注ぎ足す。
「それもそうだ。……う〜ん、難度はBくらいかねえ……あの子も、足が速いんだろう? 各中継点に使い走りをしてくれる子が欲しいんだよ。無線とか使えねえトコでさ……物を運んでもらう時もあるし……」
「その任務、俺はまだ聞いてねえぞ。しかも居酒屋で話すか、フツー…」
イナミは周囲を見回して悪戯っぽく笑う。
「誰も聞いてねえよ」
アサギはコップの酒を飲み干し、首を振った。
「………任務内容をきちっと聞いてからだな。イルカを連れて行くかどうかは。……まだあの子には早いと判断したら、連れて行かない」
「過保護じゃねえ? ちょっと。…下忍なんざ、力が無きゃ使い捨てられても仕方ねーだろう?」
「俺は火影様からあの子を頼まれた。……早いとわかりきっている任務に連れて行ったら、俺の判断能力が疑われる」
イナミはクツクツと笑い、アサギの長い黒髪をちょいと引っ張った。
「ま、そういう事にしといてやるよ。……でも、あまり肩入れし過ぎんなよ」
「…わかって、いる。……俺は、責任があると言っているだけだ。…アイツがダメだった時は俺が走ってやるから、任務編成は変えなくていいぞ。誰か上忍はつくのか?」
「ああ。今回は中忍の部隊が中心だが、指揮官は上忍だ。……ちなみに、お前の部隊の隊長は俺」
イナミは相変わらず悪戯っぽい笑みを浮かべている。
自分よりも早く中忍になり、キャリアも積んでいるこの年上の友人は、アサギが最初にスリーマンセルを組んだ時の仲間だった。
彼ともう一人の仲間が中忍試験に受かり、自分は下忍のままだった時の悔しさと寂しさは忘れようとしても忘れられない。
彼は追いついて来たアサギを昔と変わらない笑顔で歓迎してくれた。
だから、忍としての格付けが同じになった今、友人付き合いが出来るのだが。
「お前には副長を頼みたいんだけどなあ…副長自ら使いっぱってのはまずくねえ?」
けっとアサギは舌を出した。
「どーせ、脚だけが取り柄と言われた男だしな。今更…」
「あー、お前『韋駄天』って呼ばれんの、嫌いだったもんなあ」
「今でも好きじゃない。……なんか、馬鹿にされてるみたいでさ」
イナミは笑いを引っ込めて、真面目な顔でアサギを見た。
「…俺は、本気で凄いと思っているぞ…お前の脚は。……忍にとって、脚が速いという事が、どんなに有利な事か。……あのな、昔さ、事ある毎にお前をけなして、自信を奪っていったあのクソ上忍な。あいつも、脚の速さが自慢だったのさ。…でも、お前の方が速かった。……だから、あの野郎はお前をいじめたんだよ。……お前は知らなかっただろう…俺も、中忍になるまでは気づけなかった」
アサギは目を丸くした。
「嘘…」
「嘘じゃねえよ。……俺、気づいた時にお前に話したかったんだけどな…お前にはもうそれは必要なかったから。…いい先生に教えてもらっていて、お前の才能は正しく伸ばされていたから……」
「…イナミ……」
イナミはバン、とアサギの背中を叩いた。
「お前にとってはしんどい思い出だろうけどな。……いつまでも引きずってんじゃねえよ、バカ」
アサギは苦笑いを浮かべた。
イナミが知らない事がある。
『脚の速さ』と『中忍試験』にまつわるアサギの嫌な記憶は、あの時の事だけではないのだ。
「…とにかくな、お前を副長にするってのはほぼ決定事項だ。俺だって、気心が知れたお前がいてくれた方がやりやすい。……イルカがまだ使えねえんなら、お前だけ来い。わかったな?」
「了解、隊長。……明日にでもそっち行って任務の詳細伺います」
アサギは気安い言葉を改め、上司であるイナミに軽く敬礼した。
「…任務ですか?」
イルカは、驚いたように目を瞠った。
まだまだ訓練が続くと思っていたので、正直驚いたのである。
アサギはアカデミーの中庭にあるベンチに腰掛けたまま頷いた。
「そう。これで訓練期間終了……ってワケじゃねえけどな。…お前は本来俺の任務の補佐が仕事だ。一緒に来い」
イルカは背筋を伸ばした。
「はい! 俺、頑張ります!!」
アサギは苦笑して少年の頭をぽんと軽く叩く。
「まあ、気負うなよ。…お前は、俺の言う事をやってりゃあいいから。……今回の任務の隊長はイナミという男だ。俺は副長をやる。…お前はその隊長と、俺の言う事だけ聞いてろ。…状況にもよるが、俺達二人の命令が最優先だ」
「わかりました」
「たぶん、十日くらいはかかる。そのつもりで準備しろ」
「はい。……あの、装備は…?」
「…んー…あそこは森が多いからなあ…B装備くらいじゃねえかな」
「わかりました」
頭の中で装備の内容を並べているらしいイルカの横顔を眺めて、アサギは胸から不安を追い出そうと努めていた。
実際のところ、今回の任務にイルカを同行させるのは気が乗らない。
今までイルカがスリーマンセルで行ってきた任務内容もアサギは掌握している。
今回の任務は、新人の下忍に回される類の『任務』とは、根本的に異なるのだ。
民間人が自分の手に余った事を依頼してきたような『任務』は、大抵Dランク。
一応任務という事になるが、言ってみれば『何でも屋』である。
少々難度が高くてもCランクだ。
今度の任務はランク付けこそBだが、里本来の役割である『軍事』であった。
今、木の葉には表立って戦争をしている敵国は無い。
だが、裏では常にどこかしらの国との小競り合いがある。『同盟国』に頼まれて力を貸す事も日常茶飯事。今回の任務も、そういう類の血生臭い、忍らしいものだ。
イルカにはまだ早い気がした。
戦場で仲間の命を見捨てなければならないような事態になった時、あの子にそれが出来るだろうか。
出来なければ死ぬ。
何より、そんな任務では、格の低い、大勢いる下忍は『使い捨て』にされる事も多いのだ。
「アサギさん?」
アサギはハッと物思いから引き戻された。
「あの、食料は?」
アサギは首を振った。
「非常用の携帯食と水筒は持っていた方がいいけど、糧食は担当がいるから心配しなくていい」
「そうなんですか」
イルカは少し緊張しているものの、初めてのアサギとの任務に張り切っているように見える。
もう少し。
アサギは、イルカにはもう少し実戦用の訓練を積ませてから任務に同行させるつもりだったのだ。
「………予定通りにゃいかないか……」
アサギはそっと唇を噛んだ。
木ノ葉の国境すれすれで展開される他国同士の諍いの飛び火を防ぎ、尚且つ片方に力を貸して『商売』にするという何とも逞しい作戦で、広範囲に渡って布陣されたそれぞれの部隊の間をイルカはよく走った。
初めての土地でも殆ど迷わない方向感覚の良さは天性のものかもしれない。
「あの子、頑張るなあ。期待以上だ」
部隊長のイナミは感心したようにアサギを見て微笑う。
「……森の移動訓練は、吐いて倒れるまでやらせたからな。…成果が出て良かったよ」
良かった、と言いながらもアサギは仏頂面でそっぽを向いている。
「…何不機嫌なツラしてんだよ。…ま、お前がまだあの子を戦場に連れて来たくは無かったってのはわかるけどな。……どこも人手不足なんだよ。…あの災厄からまだ二年だ。……あの時、使える忍を失い過ぎた。……木
ノ葉が戦力を半減させたあの時、他の国につけいられなかったのは、三代目が踏ん張ったからだ。木ノ葉は力を失ってはいない、忍五大国にふさわしい力を保持していると。……今回のこの作戦だって、その延長線上にある。15歳未満の下忍だって、使えりゃ使う。それが実情だ」
「ああ。わかっている。……今はまだ無理をしなきゃいけない時期だってのは。……でも、だからこそ若い忍をちゃんと育てなきゃいけないんじゃないか?
木ノ葉の見栄の為に命を安売りさせちゃ本末転倒……」
アサギは口を押さえた。
「……独り言だ。気にするな」
そんな事、アサギに言われなくても、イナミは十分承知しているはずなのだ。
彼だって、若手を―――少年達を死なせてもいいなどと本気で思っているわけが無い。
明日の打ち合わせの為にイナミの天幕に来ていたアサギは、腰を浮かせた。
「アサギ」
「……もう、イルカが戻る頃だ。…あれの上司は俺だから…ちゃんとあいつが戻る所にいてやらねえと…」
天幕から出て行くアサギの背中を、イナミは複雑な思いで見送った。
「……まったく…あんまりガキの頃と変わってねえなあ、あいつも……」
その作戦任務はアサギが言った通り十日かけて展開され、木ノ葉は国境を無事に守り抜き、手を貸した国の部隊を勝利に導いて、成功で幕を閉じる。
それは中忍を中心とした部隊が十も投入された、大規模な作戦であった。
殉職した忍は六名。負傷者は五十名を越した。
イルカも伝令に走っている最中に敵襲を受け、何とか振り切ったものの、腕に切り傷を負った。
血塗れになった腕で、それでも巻物を血で汚さずに届けたイルカ。
「よく、やったな」
他の忍達の眼があるので控えめではあったが、アサギはイルカの腕を診てやりながら、そっと労い、褒めてやった。
「ありがとうございます」
イルカは、はにかみながらも誇らしげな、嬉しそうな表情を見せる。
「……怖かったか?」
アサギの問いに、イルカは素直に頷いた。
「他国の忍に攻撃されたのは初めてでしたから、ものすごく緊張しました。…俺、失敗したらアサギさんに恥かかせる事になると思って……夢中で………逃げきって、巻物を届けてから怖くなってちょっと膝が震えちゃいましたけど。……あは、情けなくてごめんなさい」
アサギは微笑って、イルカの頭を抱いた。
「……上出来だ。よくやった…本当に」
「皆アサギさんに比べれば遅いですもん……アサギさんのおかげです」
アサギは肩を竦め、抱いたイルカの頭を軽くポンポンと叩く。
―――コイツは案外、思ったより逞しい子なのかもな……
イナミが言った通り、少々過保護だったかと、アサギは苦笑いを浮かべた。
それ以来、アサギはいつもイルカを任務に連れて行くようになったのである。
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