旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

 

ホテルのコーヒーラウンジで、オレ達は少し遅めの昼食にした。
そのラウンジで、百年近く前の古いレシピを再現したカレーが味わえるというのである。
老舗ホテルのラウンジにしては赴きもへったくれもなく、デパートのイートインか? みたいな雰囲気でちょいガッカリだったが、まあそれはそれだ。明るくて清潔感はあったからよしとしよう。
メニューを睨んでいた教授は、顔を上げて提案した。
「………やっぱり、チキン、ビーフ、鴨の三種類全部頼んでみて、それぞれの味を見るのが正解だと思うんだけど」
イルカは頷いた。
「そうですね。一皿は重複しますが……サクモさん、どれになさいますか?」
サクモさんは、眺めていたメニューを閉じてパタ、とテーブルに置いた。
「私はその……それほどお腹がすいていないので、サンドウィッチにしておきます」
あー………なるほど。
サンドイッチなら、食べ切れなくても誰か(たぶん主に教授)が片付けてくれる、と。そういう事ですね?
教授はサッと振り向いてウエイトレスさんを呼んだ。
「この三種類のカレーを一皿ずつ。それと、サンドウィッチを三皿お願いします」
反射的にオレは復唱してしまった。
「サンドイッチ三皿?」
教授はにっこり微笑んだ。
「だって君とイルカ君は、育ち盛りじゃない。カレー一皿じゃ物足りないでしょ? サンドウィッチなら、皆で適当に手が出せると思って」
いや、一皿で物足りないのはアンタだろう、この万年育ち盛り。………と、オレは心の中で呟いた。そりゃあオレとイルカも、まだまだ食い気盛りではあるけれど。
もうそろそろ縦方向には伸びないんだから、気をつけないと横方向に伸びてしまう。
教授はいくら食っても太らない体質なのだろうか。よく食う割にスレンダーだ。密かに筋トレしているのかもしれない。
そういやサクモさんも、ほっそりとした体型だ。きちんとコントロールしているのかな。
実はここだけの話、オレは父親がビールっ腹のハゲ親父では無かったことにホッとしたんである。だってああいうのって、遺伝じゃないか。
自分の父親がどこの誰だかわからなかった頃は、時々不安になったものさ。だってオレの見てくれが父親似だってのは明白だったものな。オレ全然母さんに似てなかったから。
ま、隔世遺伝とか、そういう事もあるけれど。何はともあれ、サクモさんが樽体型でなくて良かった。背も高いし。
………そう、今のところサクモさんの方がオレよりも少し背が高いんだよなあ。
教授の視線はオレより少し高いけど、サクモさんと並んで立っているところを見ると彼よりは若干低く見える。イルカはオレより少しだけ高くて、あまり教授と変わらない―――てことは、一番背が高いのがサクモさんで、僅差とはいえ一番低いのがオレ?
しかし、全員が180センチ前後なんだから、日本人の眼から見たらデカイ野郎の集団だろうな。
数分後、運ばれてきたカレーを見て、オレは教授の判断が正しい事を知った。女の子ならこれでいいかもしれないが、デカイ野郎には量が少々お上品。(値段は都内のカレーショップの二〜三倍はするくせに)
オレ達は、グレイビーボート(あの、カレーが入っているアラジンと魔法のランプ的フォルムの器のことだ)を回して、三種類のカレーの味見をした。
カレーの味は、普段食い慣れているのと違う所為か、『美味い』というより『面白い』って感じ。あんまり辛くねーな、と思ったら後でじわっと辛くなるタイプ。
イルカは、カレーソースを一口一口吟味しながら何やら頷いている。
このレシピを作った人には悪いけど、オレはイルカのカレーの方が好きだな。
口直しにハムとチーズのサンドイッチをかじりながら、オレはフロントでの教授とホテル側のやり取りを思い出した。
「………そういえば先生、さっきフロントで一昨日と昨日がどーのと言ってませんでした? あれって何です?」
教授は、最後の鴨カレーを掬い取ると、グレイビーボートにレードルを戻した。
「うん。……実は予約、一昨日からこっち十日間分入れてあるんだ」
はあ? と一同は同じ反応をした。(つまり、サクモさんも知らなかったんだな)
「十日間? ちょ………っ…先生、この旅行って二泊三日くらいじゃなかったんですか?」
あ…いや、日光と聞いて、オレ(とイルカ)が勝手にそう思っていただけなのだが。『修学旅行』って言ってたし。
だって、と教授は唇を尖らせる。
「夏の観光シーズンじゃない。予約入れておかなかったら、泊まりたい部屋に泊まれないでしょう? 僕はね、その必要も無いのに何日もホテル丸ごと占領するなんて、他の人に迷惑な事やりたくないんだ。だから、大体の予測でここら辺りだよねーって、二部屋十日間分、早めに押さえといたの」
………ホテル丸ごと予約とか、バカセレブな真似しない人で本当に良かった。(でもその必要があると貴方が判断したら、やるんですね? やるんでしょう)
しかし、一泊の料金が結構(庶民感覚では)高い老舗ホテルの部屋を四人分×十日間もかぁ。オレらの大学の日程はわかっていたけど、サクモさんの来日スケジュールがはっきりとわからなかったから、だな。
こういうトコロがオレらと違うんだよなあ、教授の感覚って。オレだったらもったいなくて出来ないよ。泊まってもいないホテルの室料を払うなんて。
教授は、ケロッとしてこう言い放った。
「十日くらい押さえておけば、少しくらい予定がズレても大丈夫でしょ? せっかくのバカンスなのに、泊まりたい所に泊まれなかったら楽しみが半減するじゃない。……前にね、迂闊にもホテルの予約を入れるのを忘れたばかりに、もう少しで泊まるホテルがなくなるところだったんだよ」
ねえサクモさん、と同意を求められた父さんは苦笑した。
「もしかして、ボストンでのことですか? あの時期、飛び込みで部屋があったのはラッキーだったと後から人に聞きました」
オレは首を傾げた。
「ボストン?」
サクモさんは、頷いた。
「………君と私の、DNA鑑定の時のことです。ボストンの研究所にミナトの知り合いの方がいて、鑑定を依頼したんですよ。…で、その結果を聞きに行った時、私は泊まる所まで気が回らなくて。…一緒に行ってくれたミナトが、ホテルを探してくれたんですけど。そこももう残り一部屋だったんです」
教授はパタパタ、と否定するように手を振った。
「……あれは、僕のミスです。ボストンがまだ野球シーズンだったのに、迂闊でした。貴方は、僕がファックスを送るまで研究所の場所も知らなかったんですから。僕がホテルの手配くらいしておくべきだったんです。………おかげで、キングサイズだったとはいえ、僕と同じベッドで寝るハメになってしまって。……申し訳なかったです」
へー…………初耳。
そんなことがあったんだ。
なーんか、サクモさんと教授って知り合ったばかりにしては親しげだよなーって、思っていたんだけど。
………つまり、オレの知らんとこ…つーか知る前に、色々とあったんだな。そういう体験を一緒にしていれば、僅かの間に親しくなることもあるだろう。
サクモさんは微笑って首を振る。
「謝ることは無いです。昔、ホテルの予約がダブルブッキングして、本当に寝るところがなくなった事もあったんですよ。その時のことを思えば、ちゃんとしたベッドで眠れただけでもありがたい」
「ダブルブッキング? じゃあその時はどうしたんですか? 父さん」
「駅で夜明かしです。もう夜で、他のホテルを探すことも出来なくて。真冬じゃなかったので助かりました」
「た、大変でしたね………」
ホテルのダブルブッキングなんて、本当にあるんだなあ。
「いいえ。別に物盗りにも遭いませんでしたし。朝方、親切な人が通りかかって家に招待してくださって。朝食をごちそうになったりしてね。思い返せば貴重な体験でした。………それより」
サクモさんは横目で教授を見た。
「日本での滞在日数をギリギリまで長めに設定してこい、と言ったのはそういうことだったんですね? ミナト」
はい、と教授は悪びれずに笑っている。
「サマーバケーション…と呼ぶには短いですけどね。せっかくいらっしゃるんです。出来るだけ、カカシ君と一緒に過ごせた方がいいでしょう?」
「それはそうですが」
オレはちょっと心配になった。サクモさん、無理してないか?
「父さん、仕事の方は大丈夫なんですか?」
「あ、はい。それは大丈夫。…夏の演奏会はもうウィーンのを一つ終わらせて来ましたし。次の野外のは日本から帰ってからで準備は間に合います。一般的な認知度の高い、馴染みのある曲目ばかりですから」
「夏は観光客が多いからですか?」と、イルカ。
「そうですね。そういう配慮もあります。クラシックもね、やはり皆さん知っている曲目の方が喜ばれますので」
あー………何だかんだ言っても商売だもんなあ。ウケって大事よね。
「あの…それじゃ、今回はいつまでこっちにいられるんですか?」
オレの質問に、サクモさんは微笑んだ。
「後、十日間くらいならいられます。…せっかくミナトが部屋を押さえてくれたのですから、ゆっくりと日光を楽しみましょうか」
教授が、芝居がかった仕草で胸に手を当てる。
「そう言って頂けて、良かった」
サクモさんは微笑んだまま続けた。
「その代わり」
「その代わり?」
「滞在費は、ホテルの室料含めて、私と貴方で折半です。…ミナト貴方、全部自分で持つつもりだったでしょう」
当たり前です、と教授はあごを上げる。
「日光に行こうと言い出したのも、このホテルに泊まりたいと言ったのも、僕です。旅費を全部負担するのは当然ではないですか」
当然ってそんな。
オレだって、少しは出すつもりでいたのに。
オレは救いを求めるようにイルカを見た。……と、イルカも困惑の表情だ。
「あの………先生。オレ達だって、自分の旅費くらいは………」
このセリフは、サクモさんによって遮られてしまった。
「カカシもイルカ君もまだ学生ですから、いいんですよ。家族旅行で子供に旅費を出させる親がいますか。同じです。………ミナト、貴方の言い分もわからないではないですが、私まで貴方の厚意に甘えるわけにはいかないという事も、理解してください」
ん〜、と教授は唸った。
「………でも、自分が全部持つと思うから、僕も色々わがまま放題が言えるんですけどぉ」
サクモさんは苦笑した。
「だから、わからなくはない、と言ったんです。……まあ、この件はまた後で話をするとしましょう」
さて、この一件はどちらに軍配が上がるのだろう。
サクモさんも、大人しそうだけどああいう主張はキッパリするみたいだし。
………教授が折れる、に一口ってところかな、オレは。
 


ホテルのコーヒーラウンジを後にして、オレ達は歩いてすぐだという輪王寺に向かった。
歩きながら、さりげなく保護者組みと距離をとり、オレはイルカに囁いた。
(イルカと二人きりの時は日本語だ)
「……イルカ、どー思うよ。さっきの話」
「………この旅行の費用のことか? そうだなあ、あの人達におんぶに抱っこってのはお前以上に気が引けるんだが、俺は。お前はサクモさんの息子だから、親に出してもらうのも不自然じゃないけど、俺は他人だしな。………しかし、相手が教授とサクモさんじゃ、俺達に勝ち目はないと言うか………」
そーね。小学生や中学生だったら何も考えず、甘えることも出来るんだけどねぇ。
「………やっぱり?」
「ここは、俺達に出来る範囲で頑張るしかないな。………肉体労働。体で返すというやつだ」
「………うん」
だぁよね〜。
やっぱ、それしかないか。
旅先で肉体労働って具体的に何をしたらいいのかは、よくわからんけど。そういう心積もりでいるのといないのとでは、違うだろう。
輪王寺では、入ってくる参拝客を順繰りに誘導しながら、お坊さんが中の案内をしてくれている。
まだ日本語に不慣れなサクモさんには、何を言っているのかあまりわからないだろう。
しかし、あれを英語で正確に伝える自信はオレには無い。
どうしようかな、思っていたら、教授がサクモさんの耳元で何やら小声で囁いていた。たぶん、お坊さんの説明をドイツ語で通訳してくれているんだろう。サクモさんは、興味深げに大きな仏像を見上げて頷いている。
う〜………悔しいなあ。
オレもドイツ語もっと話せたら、こういう時にサクモさんの役に立てるのに。
お坊さんの手慣れたガイドを他の観光客と一緒に聞きながら、オレはそっとため息をついていた。


 

 



※作中のボストンの話は、『Prelude 』のことです。

 

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