Prelude−1
(注:
『九月の奇跡』で教授がサクモさんを連れてくる直前の話です。
登場人物は、殆どが教授とサクモさんだけです。)
サクモ=アインフェルト氏は、僕の想像以上に多忙な人だった。 彼の公演を追いかけ、ようやくつかまえてアポイントを入れたのが、一昨日の話。 ドレスデンのこのホテルで今夜会う約束を、取り付けたのだ。 約束の時間通りに、銀の髪の音楽家は姿を現した。 彼はホテルのロビーでソファに座っている僕を見つけると、歩み寄ってきて人当たりのいい微笑を浮かべた。 「お久し振りです、ファイアライトさん」 僕は立ち上がって、彼と握手をする。 「どうも。お仕事でお疲れの所、無理を言って申し訳ありません。…先日は、とても素晴しい歌声を聴かせて頂きました」 「こちらこそ。ファイアライト家のパーティにお招き頂き、光栄でした」 そう言って微笑む彼は、見れば見るほどあの子と―――カカシ君と似ていた。 特に、目許がそっくりだ。 極上のラピスラズリのような深い青の瞳。銀のまつげ。 カカシ君も美人さんな子だと思ったが、この人もまた大層な美人さんだ。 彼の公演の女性客の大半は、彼の燕尾服姿を見に来ているともっぱらな評判というのも頷ける。 僕も彼の指揮は見たが、立ち姿がとても美しい人だと思った。 それは、彼の音楽に対する真摯な姿勢が、そのまま反映された姿だからだろう。 この人のステージは、一種侵しがたい厳かな空気で満ちている。 「ちょうど、夕食の時間です。よろしければ、食事をしながらお話をしませんか? …今回は、ビジネスではなく、プライベートな話があるのです」 彼は、不思議そうに首を傾げた。 「…プライベート、ですか?」 僕はわざと囁くように声を低くする。 「…そうです。それも、非常にデリケートなお話ですので」 「…………………」 彼の表情は、訝しげなものになった。 ん、まあ無理も無いね。 一度パーティで会った事のあるだけの相手から、プライベート且つ非常にデリケートな話があるとか言われたら、いったい何事かと思う………よねえ。構えられても当然だな。 だが、一瞬探るような眼で僕を見た彼は、すぐに了承してくれた。 「………わかりました。ともかく、お話を伺いましょう」 良かった。レストランに入れておいた予約が無駄にならずにすんだようだ。 「では、行きましょうか。…このホテルのレストランは評判がいいそうですが。召し上がったことありますか?」 「いいえ。このホテルは初めてです。…ドレスデンでの宿はいつも同じ所を使うので」 「そうですか。僕はこの街は不案内なもので、ここなら手堅いと思ったんですけど。…アタリだといいですね」 「ファイアライト財団の四代目のお眼鏡に適う料理を作らねばならないとは。このレストランの料理長に同情します。かのミシェランよりも厳しそうだ」 僕は肩を竦めてみせた。 「いやあ、僕はそれほど味にうるさい方ではないですよ。屋台のホットドッグだって、好きですもの。…まあ、どうせなら美味しいものが食べたいな、とは思いますが」 「なるほど? それはわかります」 内心ではどう思っているのかわからないが、アインフェルト氏は穏やかな表情で僕に話しを合わせてくれている。…大人だ。 レストランの入り口で予約名を告げ、席まで案内してもらう。 二人で大事な話がしたいので静かで落ち着ける席を、と頼んでおいたのだが、店側は少し勘違いしたのかもしれないな。 壁際奥の、とても落ち着いた雰囲気の席だったが。この花の飾り具合といい、他の席とはちょっと違うテーブルクロスとナプキンといい。 ああ、ここでダイヤの指輪が入った小箱を美しい恋人に贈れば、さぞかし絵になるだろう―――といった感じのムードあるテーブルだったのだ。 そこに座るのが、その雰囲気をブチ壊さない優雅な人だったのは幸いだ。ここでマッチョなオッサンと差し向かいで食事をする事になったら、ちょっと笑える。 「実は、勝手にコースを選んで、頼んでしまったのですが。…一応メニューをご覧になります? 苦手な食材があったら替えてもらえるはずですから」 「…お気遣い、ありがとう。でも、大丈夫です。こんなホテルのコースメニューに、そうユニークな食材を使うはずがありませんし。一般的なものなら、好き嫌いは無いです」 「それは良かった」 やー、雰囲気的にベジタリアンとかもあるかな〜、と思ったけど。そっか、普通に何でも食べる人かー。良かった。好き嫌いが激しい人とゴハンを一緒に食べるのって、大変だからね。 前菜、スープが運ばれてきたところで、僕は自分の近況から話し始めた。 物事には順序というものがあるし、いきなりカカシ君のことを言い出すのは躊躇われたからだ。 「………僕は今、アジアの島国、日本というところで仕事をしているんです。…誼のある方に招かれまして。さる大学で教鞭を取っているんですよ」 「………………日本、ですか」 「ご存知ですか?」 「あ、ええ。………私の知人の音楽家にも、何人か日本の方はいますし。行ったことはありませんが、豊かで平和な国だと聞いています。先の世界大戦で大敗したにも拘わらず、すぐに復興して経済大国となったバイタリティのある国でもありますよね」 ここで『サムライとゲイシャの国』という言葉が彼の口から出なくてホッとした。そういう時代錯誤な認識をあの国に持たれていると、説明が面倒だからね。 「ええ。親切な人が多くて、清潔な国ですよ。………近代的なものと、歴史のある古いものが混在している面白い国でもあると思います」 「……そうですか。では、今はご実家のお仕事はなさってないのですか?」 「僕の専門は、言語学なんですよ。時にはフィールドワークも必要でして。あまり実家の事業に首を突っ込むと、自由に動けなくて困るので。…何かあったら、手助けくらいはしますけどね」 「なるほど」 お、このスープの味は合格だ。時々だが、お前の舌は何の為にあるんだ、と文句言いたくなるような塩辛いスープを平気で客に出す料理人もいるからな。 「言語学というと、特定の言語に絞って研究なさるんですか?」 「ああ、僕の場合はですね………」 彼が言語学の方に興味を示したので、僕はつい自分の専門分野について色々と話してしまった。 アインフェルト氏がまた、聞き上手というか、絶妙のタイミングで相槌を打つし、間に挟んでくる質問が的確で………ああ、イカン。こんな事を話す為に来たんじゃないのだが。 気づけば、メインディッシュも終わってしまっていた。 ―――しかし、考えてみればこれで良かったのかもしれない。 カカシ君のことは、フィレ肉ステーキを食べながら話すような問題じゃないし。 クランベリーのシャーベットが出てきたところで、僕は改まった口調で切り出した。 「………アインフェルトさん」 「サクモでいいですよ? ファイアライトさん」 「あ、では僕もミナトでいいです。………ええと、ではサクモさん」 「…はい」 彼は、僕が自分に会いに来た本題に入ると察したらしい。 真面目な眼をこちらに向けた彼に、僕はゆっくりと話し始めた。 「………あのパーティで僕は、失礼ながら貴方に色々と質問をさせて頂きました。…ご記憶でしょうか」 彼は頷いた。 「…ええ。………私が、いい歳をして未婚であることがおかしいと思われたのでしょう?」 僕は微かに首を振る。 「いや、それは…貴方の主義や選択の結果ですから、そういう風に思ったわけではありません。でも、いきなり立ち入った質問をしたのは、不躾でした。ご容赦ください」 「どういたしまして。…もし、それをとても不愉快に感じていたら、今私はここに座ってはいません。どうぞ、気になさらないでください」 彼は首を傾げた。 「………まさか、私にそれを言う為………に、ここにいらしたのではありませんよね?」 「ええ。…でも、無関係ではありません。………貴方の過去の恋愛と、僕が今から話すことは」 「私の過去の…恋愛?」 「…貴方、話してくださったでしょう? ………過去に愛し合われていた東洋人の恋人のこと。そして、その恋人が、ある日突然消えてしまったことを」 僕は懐から手帳を出し、間に挟んでおいた写真を取り出した。 「ご覧になってください」 彼は、写真を手にしてじっと眺めた。 「………この子は?」 「僕が勤めている大学の学生です。年齢は十九歳。名前は………はたけ、カカシ君」 「………はたけ…………」 「貴方によく似ている。…そう、お思いになりませんか?」 「………………確か、に…………」 大学に入学した記念に、校門のところで撮ったというその写真のカカシ君は、桜の花をバックに綺麗に微笑んでいる。その微笑い方すら、僕にはこの人とソックリに見えた。 この二人が他人だなんてあり得ない、と僕の勘は叫んでいる。 カカシ君の為、が一番大きい動機だが、僕は自分の勘が正しかったことを実証したくてここまで来たのかもしれない。 「実は、この子の父親はわからないのだそうです。名前も顔も知らない、と彼は言っていました」 サクモさんは強張った表情で僕を見た。 「この子の………母親は………」 「既に故人ですが。………日本人です。はたけ千鳥さん、と仰るそうです。カカシ君に写真を借りてきました。この女性です」 サクモさんは、躊躇いがちに手を伸ばして彼女の写真を受け取り、食い入るように見つめる。そして、押し殺したような声を漏らした。 「………チドリ……………」 ああ、と僕は胸の中で確信した。 やはり、彼の昔の恋人は―――カカシ君の母上だったのだ。 「今、故人と言いましたか。………彼女は、死んでしまったのですか………いつ………」 「………カカシ君が幼い時に、病気で他界されたそうです。……お気の毒です……」 彼の眼から突然、ぽろぽろ、と涙の粒が零れ落ちた。 「………………そんな………私は………彼女が何処かで幸せになっていてくれていれば、と………それだけを願って………ああ、何故君は………」 僕は、彼の気持ちが落ち着くまで待った。 この人は、このチドリさんという女性をずっと愛していたのだろう。その愛する人の死を知って、動揺しない方がおかしい。 彼は、沈痛な面持ちでテーブルの上の二枚の写真を見ている。 だがやがて、すうっと息を吸って呼吸を整えると、真っ直ぐに僕の眼を見た。 「………貴方は………この子は、私の子ではないかと思って確かめに来た。…そうですね?」 僕は素直に頷く。 「………はい。…この子と僕は、教師と学生というよりも、個人的に契約を交わした雇用主とアルバイトという関係なのですが。………それ以上に、僕は彼を親しい友人だと思っているのです。………大変お節介だとは思いましたが、もしも。………もしも、貴方と彼の間に血縁関係があるのなら、確かめたいと思ったのです。……これは、彼の希望でもあります」 サクモさんはもう一度写真に眼を落とし―――唇に微かな笑みを浮かべた。 「………可能性は、あります。………この子は…私の息子かも、しれない」 そう。彼の言う通りだ。これはまだ、可能性の話。 カカシ君の容姿が彼に似ていて、母親が彼の昔の恋人だった。 それだけでは、親子関係を立証することにはならない。 「サクモさん。………ご迷惑なようでしたら、この話はここで終わりにします。彼も、貴方に迷惑を掛けることは望まないでしょう。…優しくて思いやりのある子ですから」 サクモさんははじかれたように顔を上げた。 「とんでもない! この子はチドリの子供なのでしょう? やっとチドリの消息を知ることが出来たのに。………迷惑だなんて、思いません。よく、知らせてくださいました。………この子が私の息子だったら、どんなに嬉しいことか」 ―――あ。 僕は今まで、この人がカカシ君の父親だと、確信めいたものを持っていた。 ところが、彼が『我が子の存在』を喜んでいると知った途端、その自信が急になくなってきてしまった。 もしも。 もしも、カカシ君が全くの他人だったら? 今僕の目の前にいる人は、どんなに落胆することだろうか。―――そう思った途端、怖くなってしまったのだ。 彼女の貞操を疑うわけではないけれど。出来心、もしくは不可抗力でサクモさん以外の男性と関係を持ってしまい、罪悪感で彼の前から逃げた。 ―――という可能性も………皆無ではない……わけで。 どうしよう。ここまできて、僕の方が及び腰になってしまった。 「………ええと………で、では………どうしましょう。………詳しく調べることも出来ますが………DNA鑑定ですとか」 サクモさんはキッパリと頷いた。 「ええ! 是非。…息子だとはっきりしたら嬉しいですし、たとえそうでなかったとしても、これだけ私に似ている子を、他人だなんて思えません。………会いたいです」 そうか。 この短時間で、この人はここまで覚悟を固めていたんだ。 僕は、思わずホッと息を吐いた。 ―――ドレスデンまで、この人を追いかけてきた甲斐があった。 「わかりました。…では、DNA鑑定をしましょう。僕に任せて頂けますか?」 「はい。よろしくお願いします」 ………神様。 願わくば、この人とカカシ君にとって、いい結果となりますように。 日頃不信心者の僕だが、この時ばかりは神に祈りたい気持ちになったのだった。
(09/11/28) |
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はたけ親子の証明、DNA鑑定編。 ………特に書かなくても支障は無い話ですが、私が書きたくなったので書きます。(笑) 『九月の奇跡』はカカシ君の視点で描いている一人称ものなので、この鑑定の話は全く出せなかったんですもん。^^; 次回、とても珍しい人が出ます。 ―――そしてカカシ君たちが出てくる機会は果たしてあるのか。 微妙なところです;;
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