旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

 

「お部屋はこちらと、向かい側のこちらになります。お荷物は右側のお部屋に入れさせて頂きました」
と、部屋に案内された時、オレ(とイルカ)は思わず絶句した。だって、これは高い部屋だ、とオレにも一目でわかる部屋だったんだもの。
ビジネスホテルなんかとは趣きが全然違う。
大きな窓からはいっぱいに広がる緑が眺められ、応接セットのような椅子とテーブルが置かれた床も広くて、空間的にとっても優雅。ベッド二つ置いてもなおこれだけ余裕があるってスゲエや。
教授のことだ。どっちか片方の部屋だけランクが高いってことはない………はず。
こんなお高そうな部屋、十日間ご宿泊の予約を入れちゃったのですか、先生。で、泊まらなかった分も室料はお支払いになる、と。ご自分の目的に適うなら、それは『無駄なこと』じゃないというわけなんですね。
………オレ、やっぱ根っから庶民だわ。『もったいねー』しか出てこない。
サクモさんは割と涼しい顔をしているなあ。教授のやることにオレ達以上に慣れているのか、はたまた彼も似たような感性を持っているのかはわからんが。
部屋に案内してくれたホテルマンは、一通り部屋の説明をして立ち去った。
それを見送った教授は、レトロな鍵を二つ手に持ちチャリンと鳴らす。さすが古くさ……いや老舗。カードキーなんて無粋なものは使わないんだね。
「さて、と。…では、どう分かれます?」
あー………そうか。
サクモさんがこっちに来ている時は、当たり前のように教授が彼を泊めてくれているけど。
それは、オレ(とイルカ)の住まいがもうキャパぎりぎりで、客を泊める環境に無いからだ。
イルカの親父さんが来た時は、オレのベッドをおじさんに提供して、オレは教授んとこに泊まりに行って―――それを不自然だとは思わなかったけれど。
サクモさんが来ている時にイルカが同じことをやったら、何か妙な感じになるだろう。
それは、オレ達と教授の関わりが、オレと彼の出会いで始まっているからだ。
そもそも、彼がオレをバイトとして雇わなければ、こんな濃いお付き合いをするようにはならなかったはず。
だから、オレが(仕事場でもある)教授の部屋に泊まるのは不自然ではないけど、イルカが泊まりに行くのはどこかがおかしいという感覚になるのだ。
だが、ここ観光地のホテルでは、その法則が少し崩れる。
とはいえ、オレ達親子を一緒の部屋にすれば、教授とイルカが同室になる―――というのも妙な感じがするのも事実。………と言うか、そうなったらイルカが妙に教授に気を遣いそう。
むぅん。…仕方ない。やっぱ、いつもみたく学生組と社会人組に分かれるのが一番無難かも。
サクモさんも同じように考えたらしい。
「いつもと同じでいいのではないでしょうか。カカシとイルカ君、私とミナトで。…部屋が分かれるのは眠る時だけでしょう? 日中殆どは四人一緒に行動するのでしょうし。………ねえ、カカシ?」
「は、はいっ! そうですね!」
一人、気遣わしげな顔をしたのはイルカだ。
「いいんですか? サクモさん。カカシと一緒でなくて」
サクモさんは微笑む。
「ありがとう。カカシと一緒にいられるのがこの旅の間だけなら、我がままを言ったところでしょうけど。そうではありませんから」
つまり、おとーさんの頭の中では着々と日本移住計画が進んでいるわけですね。
あのマンションの最上階。教授のお隣の空き部屋に越してくるという…!
そこでオレははた、と考えた。
………あれ? もしかしてサクモさん、上に引っ越してきたらオレと一緒に住む気?? いや、世間一般的に考えてもそれは至極当然………かな?
何せ、今のイルカとのルームシェアは『オレが転がり込んで』始まったものだ。
元々はイルカが一人で借りた部屋なのだから、同じマンションに親が越してきたら、オレはそっちに移るものだって普通は思うよな? 最上階、部屋数多いし。
法律的には親子では無いにしろ、見た目はクリソツ親子なオレ達だ。オレが親無しっ子だと知れ渡っていた田舎ならともかく、ここは東京。いきなり親と同居を始めても、誰ひとり奇異には思わないだろう。
彼は、「君の保護者になりたい」と言った。
あれは、今後オレが大学を出て社会人になるまで経済的な援助をする、という意味だと思う。
事実、あれからサクモさんは毎月のようにオレの銀行口座に送金してくれている。そんなに送ってくれなくてもいい、と言ったんだけど、君が生まれてから今までに必要だったはずの養育費に比べたら僅かなものだ、と押し切られてしまった。
『お金で愛情が示せるとは思えない。親として何も出来なかったことへの償いになるとも思えない。でも、今はそれぐらいしか君に与えてあげられるものを思いつけない』と彼が苦しそうに言うのを聞かされて、オレは何も言えなくなってしまったんだ。
………実際、オレは今まで学費と生活費を捻出するので精一杯で、そうそう貯蓄にまで金は回らず。オレの通帳の残高が五万を超えることは滅多にない状態(教授のところで割りのいいバイトを始めてからは少しは楽になってたんだけど)だったので、助かると言えば助かるんだけどね。
「ん、サクモさんがそれでいいと仰るなら、そうしましょう。カカシ君達、こっちでいい?」
と、荷物が全部運び込まれていた方の部屋の鍵を指に引っ掛け、ひょいとオレの目の前に突き出す。
「あ、はい。どちらでも」
オレが鍵を受け取ったのと、イルカが教授達の荷物を持ち上げたのが同時だった。
「では、サクモさんと教授は向かい側ですね」
「いや、イルカ君いいよ。鞄くらい自分で………」
教授の手を、イルカはやんわりと断った。
「旅行に連れて来てもらった子供は、お手伝いくらいするものなんですよ、教授。少なくとも、俺んちはそういう教育方針でした」
あ、うん。イルカの親父さんはそういう人だね。そんで、言うこと聞かないと鉄拳制裁(つまり、ゲンコでゴッツン)という厳しいご家庭でした、うみのさんちは。
教授が感心したようにふぅむ、と唸った。
「なるほど。…いや、それはわかる。ウチも結構そんな感じだったから。働かざるもの食うべからず、みたいな」
「ではそういうことで。失礼してお荷物を運ばせてもらいます。…と言っても、たいした距離じゃないですけど」
ム。ポーター役はイルカに取られたか。んじゃ、オレは何しよう。
あ、湯沸しポットがある。お茶のセットも一式あるな。
「じゃあ、オレはお茶を淹れますから。部屋を確かめたら、こっち戻って来てください」
ふっふっふ。
実はさっき、ホテルの売店覗いた時に美味しそうなお菓子があったから、お茶請けにしようと思ってこっそり買っておいたのだよね。
教授は微笑って頷いた。
「ん、じゃあカカシ君お願い。すぐ戻るよ」
鍵を持った教授と、鞄を持ったイルカが廊下に出て行っても、サクモさんは動かなかった。
バタン、と部屋のドアがしまり、オレは彼と二人部屋に残される。
さーて、じゃあお茶を淹れるか。
オレはいそいそと冷蔵庫(これもむき出しじゃなくてキャビネットの中に収納されていた。排出された熱がキャビネット内にこもっているこの状態は、冷蔵庫に悪そうな気もする)を確認し、その上のガラス戸を開けて棚から湯呑を取り出した。きっちり二人分ではなく余分に湯呑があるのはありがたい。
あ、さすが。もうお湯がちゃんと沸いてる。でも、お茶はティバッグかあ。………うーん。安ホテルの備え付けのティバッグは普通マズイのだが、ここはこのホテルのランクを信用するとしよう。
「………カカシ」
急須に緑茶のティバッグをセットしながら、オレは振り返りもせずに返事をした。
「はい?」
「日本での演奏会の話、ミナトに聞いていると思いますが………」
「あ、はい。オレも楽しみにしているんです。…父さんが指揮しているところ、ナマで見たことないから」
DVDは見たけどね。
「そうですか? カカシ、聴きに来てくれますか?」
眼を上げると、サクモさんは心配そうな眼でオレを見ていた。何故、そんな事を訊くのだろう。
「もちろんですよ! どうしてです?」
「……君が、私を気遣って無理してないか、と思いまして」
―――は?
「いいえ、無理なんてしていませんよ。何でそんな事……」
サクモさんは、まだ不安げな眼をしている。
「……………日本人は慎み深く、思いやりのある民族性を持つから、相手の事を考えてしまうと嫌なことでもあまりハッキリと嫌と言えないのだと聞きました」
「…父さん………」
あー……そりゃまあ、一部仰る通りではありますけど。
でもオレはそんな『NOとは言えない日本人』じゃないもんな。
「やだな、父さん。……正直言いますと、オレ今までクラシックのコンサートとか自分から聴きに行った事無いし……よく聞く曲でもタイトルや作曲が誰かとかわからないくらい不勉強で、恥ずかしいんですけど。…それでも、貴方の作り出す音は聴きたいんです。演奏しているところを見たいと思っています。…無理なんか、絶対にしていません」
サクモさんは、オレの肩にそっと手を掛け、「なら、いいのですが………」と呟いた。
でもその表情は、まだ晴々としたものではなく。
オレは、自分の言葉が彼の中にきちんと届いていないような、そんな心地になったのだった。
 

 



 

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