朝食には遅く、昼食には少し早い。
所謂、ブランチと呼ばれる時間帯に、カカシ達はホテルの外にあるカフェで食事をとっていた。
変な感じだ、とカカシは一人胸の内で呟いた。
自分の時を少し巻き戻したような『カカシ』と、二人の『イルカ』の四人で食卓を囲んでいた時も、それは奇妙な気分だったが。
父親と四代目火影ソックリの彼らが目の前におり、尚且つイルカが隣にいるという状態で食事をするのは、とんでもなく奇妙なことに思える。
(………昔は、父さんと先生と三人で一緒にメシを食うのはいつもの事だったけど………)
それは、料理が苦手なサクモを心配して、しょっちゅうミナトがカカシの家に食事の世話をしに来てくれていたからだ。
カカシはチラ、と眼を上げてサクモを見た。
サクモはナイフとフォークを使って、きれいにパンケーキを食べている。皿にナイフが当たって音を立てるようなことも殆ど無い。
(………こっちの父さんの方が、器用そうだな………ウチの父さんは、ゆで卵の殻も上手く剥けない不器用な人だったけど………)
今まで独り身だったという話だし、もしかしたら料理くらい作れる人なのかもしれない。
ミナトがパンケーキの最後の一切れをぱくんと口に入れた。
「カカシ君、イルカ君。もう少し焼いてもらう? パンケーキ」
イルカは首を振った。
「俺は、もうこれで結構です」
ミナトは、パンケーキの他にも人数分のサラダやスープ、ハッシュドポテトやソーセージを注文してくれていた。
体調管理の為に、カカシはそれらを努めてバランスよく食べたつもりである。
身体が若いだけに、結構な量を摂取しても満腹まではいかなかったが、苦しくなるまで食べる必要も無いだろう。
「えっと…オレも、もういいです。パンケーキ四枚も食べたし」
「そう? …サクモさんは?」
サクモはフォークを置いた。
「私も、もうこれで十分です。……でも、ミナトはどうぞ、好きなだけ注文してください。皆に合わせる必要はありませんよ」
ミナトは、少し恥ずかしそうに微笑った。
「ありがとうございます。でも、僕もやめておきますよ。結構たくさん食べたし。………さて、午後はどうしましょうか」
イルカが軽く手を挙げて提案した。
「いつでも行けると思って、ホテル内の見学をしていなかったでしょう。ホテルの方に頼めば、案内人が一緒に回ってくれて、ホテルについて色々と説明してもらえるみたいですよ。如何ですか?」
ミナトはうん、と頷いた。
「そうだね。…ホテル内なら、またカカシ君が眠くなっても大丈夫だしね! ねー、カカシ君」
「せ、先生……もう、大丈夫ですよ。でも、ホテル内の見学ってのはいいですね。面白そうです」
カカシは心の中で御礼を言った。
(イルカ君、ありがとう。オレとサクモさんが、なるべく会話をしなくても済むように、考えてくれたんだな。……ホテル側の案内人が説明をしてくれるなら、こちらは黙って後をついて行けばいいものな………)
「父さんはどう思いますか?」
カカシが意見を求めると、サクモはゆったりと微笑した。
「ええ。いいと思いますよ。聞けば、色々と由緒のあるホテルなのだとか。先人達の軌跡を知るのは、いいことです。……それに、ミナトの言う通り。カカシの体調を考えても、遠出は避けた方がいいでしょうし」
「父さんまで………」
あはは、とミナトが笑った。
「当分言われるかもね? カカシ君。だって君が自分から調子悪いなんて言いだして、昼間から横になるって、珍しいことだもの。………若いからってね、いつでも身体に無理が利くなんて思い込んだらダメだよ。疲労ってのは、たまるんだ」
同じ顔の人から昔、似たような説教をよくされたものだ。カカシはほろ苦くも懐かしく思いながら素直に「はい」と返事をした。
「よろしい。…では、ホテルに戻りましょうかね、皆さん。午後からは、ホテル内見学ツアーということで」
ホテルに戻ってすぐに、ミナトはフロントに見学を申し入れに行った。
ロビーの椅子に座って待っていたカカシ達の所に戻ってきたミナトは、ピッと親指を立てる。
「OK。午後の一時から、案内してくれるそうだよ。それまで、しばらく休憩にしよう。食休みも大事だからね!」
カカシは椅子から腰を浮かせる。
「わかりました。じゃあ、部屋に戻りましょう。……先生の言う通り、食休みしますよ」
サクモが何か言いたそうにカカシを見たが、カカシは敢えて気づかぬフリをした。
必要以上にこの人と接触してはいけない。
それは、サクモの為であり―――自分の為でもあった。
英語が堪能な男性従業員は、ホテル内を丁寧に案内してくれた。
ホテルの成り立ちに始まり、過去にこのホテルに宿泊した著名人の紹介、古くから使われている食器や、建物内部の装飾についても詳しく説明してくれる。
「こちらの建物は新館になります。…とは言っても、建てられたのは明治時代ですが」
そこで笑ったのは、イルカだけだった。
イルカは、ガイドに代わってサクモとミナトに説明する。
「あ、明治っていうのは百年以上前に使われていた元号です。日本では今でも、グレゴリオ暦の他に元号を併用するんですよ。江戸時代は何かって言うと元号が変わっていたようですが、今では天皇陛下が代替わりすると元号も変わることになっています。ちなみに、今は平成っていう元号です」
カカシは内心しまった、と思った。
この国では、その元号とやらで歴史を表現するのが普通らしい。カカシも、『明治という古い時代に建てられたものを未だに新館と呼んでいること』に対して、イルカと一緒に笑うべきだったのかもしれない。
(い…いやいや、これくらいはセーフだろう。笑いのツボなんて、それぞれ違うものだものな………)
「ああ……確か、こちらに来てすぐに見学に行った田母沢御用邸も、当時の皇太子の静養地として明治時代に建てられたと説明されたような気がするね。すると、その明治っていうのは………」
ミナトの、おそらくはカカシに対するフォローに、イルカが頷いた。
「はい、今から四代前の天皇陛下が、明治天皇です。次が大正、それから昭和、今の平成に続きます。大正は天皇陛下の在位が短くて、確か十五年くらいで昭和に変わったんです。昭和は元号の中では一番長くて、六十年以上続いたんですよ。今の天皇陛下は確か…百二十五代目の天皇です」
サクモとミナトがこの国では外国人で良かった、とカカシは思った。イルカは、彼らに説明するついでに、カカシにもこの国の常識を教えてくれている。
日本語が堪能だというミナトも、そこまでは知らなかったらしい。
「そうなんだ。……凄いねえ、ひとつの皇室がそこまで続いているって言うのは」
サクモも感心したような表情を浮かべている。
「……日本のエンペラーは、歴史が長いのですね」
ホテルのガイドは、にっこりと微笑んだ。
「お客様、田母沢の御用邸をもう見学なさったのですか」
ミナトはええ、と頷いた。
「とても綺麗な御邸ですね。……西洋の建築物とは違った趣きがあって」
「海外からのお客様にああいう建築物に興味を持って頂けるのは、この国の者として嬉しいです。…ヨーロッパの格式あるお城や宮殿と比べると、華やかさや規模の点で見劣りするかもしれませんが」
「そんなこと、ないですよ。国によって文化が違うんですから美しさの方向性も違うものです。………それに、建物なんて大きければいいというものでもないですしね。特に住むとなると」
サクモが微笑んだ。
「ミナトが言うと、真実味がありますね」
「………ウチはそんなに大きくないですよ、サクモさん」
「そうですか? 敷地だけならシェーンブルンより広いんじゃ………」
ミナトはため息をついた。
「世界遺産と比べないでくださいよ。ウチは部屋数、千もないですから。……ああでもウチもシェーンブルンみたいに、一部を一般住宅として貸し出せばいいのに。部屋、余ってるんだから」
え? とイルカが声をあげた。
「シェーンブルン宮殿って、一般向け賃貸なんてやってるんですか? 世界遺産なのに?」
「うん、確か公務員っていうのが条件だったかな?」
サクモが苦笑をこぼす。
「………でも、やはり宮殿ですから。住むには少し不便らしいですよ」
「あんまりリフォームしちゃいけないのでしょ? うーん…ウチは交通の便がちょっと悪いかな。一般向け賃貸住宅にするには」
ミナトの口調が真面目なので、サクモも真面目に応じる。
「……そうですねえ。あのお屋敷から市街地に通勤って……普通の人はちょっと不便でしょうね。それに、セキュリティはどうするのです」
「そうか。…結構問題ありますね」
カカシは口を挟まず、大人しくそれらの話を聞いていた。
質問したいことは山のようにあるが、ヘタに口を挟めばボロが出る。
この世界の住人になりきるには、もっと長い準備期間が必要だ。英会話の特訓時にミナトから聞いた話、イルカの説明、加えて以前『神隠し』で身体ごとスリップしてこちらの世界に来ていた時のカカシ自身の経験を合わせても、まだ足りない。
ましてや、外国の話などまったくわからなかった。
この世界のカカシが生まれてきて、二十年近く生きてきた時間の中で培われたはずの常識や、得てきた知識だ。
一晩でフォローすることなど不可能である。
取りあえずカカシは黙ったまま、質問項目を心のメモに書きとめた。後でイルカに聞くために。
不用意な発言をするくらいいなら、黙っている方がいいだろうとカカシは思っていたのだが。
このホテル見学ツアーが始まってから一言もしゃべらないでいるカカシに、とうとうサクモが心配そうな眼を向けた。
「………カカシ? どうしたのですか? 先程から随分と大人しいですが。もしかして、やはりまだ調子が悪いのでは……」
カカシは慌てた。
「いや、心配無用です、父さん。…その…そちらの人の案内が素晴しいので、一生懸命、頭の中で翻訳をしていただけです。………オレ、イルカほど英語わかってないから」
イルカは大学の専攻の関係で、『カカシ』よりも英語の語彙が豊富なのだと聞いていたカカシは、もっともらしい言い訳をしてみた。
だが、このカカシの発言に驚いたのは、ガイドだった。
「え? ……あの、英語でのご案内と聞いておりましたのですが………もしかして、失礼申し上げましたでしょうか」
カカシは日本語で答えた。
「いや、実はオレは見てくれこんなですけど、生まれも育ちもこの国なんですよ。………でも、彼らは英語の方がわかりやすいので、引き続き英語でお願いします」
「承知致しました。…ご気分の方は如何ですか?」
「あ、それも平気です。…父は少し心配性でして。…ねえ、先生?」
黙ってないでフォローしてくれ、とカカシはミナトに助けを求める。
「ハハハ。寝不足で倒れるカカシ君も悪いんだけどね。…サクモさん、心配し過ぎですよ。カカシ君は元々、健康な子なんですから」
「………でも………」
と、サクモはカカシの頬に触れる。
「顔色、いつもより悪い気がします。………無理、していませんか」
「していない……と、思うんですが………」
そこへガイドが躊躇いがちに口を挟んだ。
「………そろそろお茶の時間ですし、ご休憩になさいますか? ホテル内のご案内は大方、終了しておりますから。後は、展示資料室にご案内するだけでしたので、そちらはまたお時間のある時にいらっしゃったら如何でしょう」
カカシ達は顔を見合わせた。
「そう………ですね」
「もうそんな時間だったんだ………」
「そういえば、少しのどが渇いたね」
「じゃあ、今日はここまでにしましょうか。…お忙しいところ、ご案内ありがとうございました」
イルカが礼儀正しく礼を言うと、ガイドは慇懃に一礼した。
「とんでもございません。また、いつでも何なりとお申し付けくださいませ」
ガイドが立ち去ると、イルカはパン、とカカシの背中を叩いた。
「ホント、いつもよか大人しかったな、カカシ。本当はまだ寝不足引きずってるんじゃないのか?」
カカシはイルカを軽く睨んだ。
「そんな事ないってば」
「そうかぁ? ま、マジ無理すんなよ。………で、お茶はどこで頂きましょうか、教授」
「そうだねえ……アップルパイでも食べに行こうか。それとも、和菓子っぽい方がいい?」
「和菓子というと、温泉饅頭とかですか?」
ミナトはサクモを振り返った。
「サクモさん、温泉饅頭、挑戦します?」
「………挑戦するような食べ物なのですか? それは。…カカシ、オンセンマンジュウって何です?」
いきなりサクモに質問されたカカシの顔は瞬間強張りかけたが、すぐにその強張りは解けた。温泉饅頭なら木ノ葉にもあるものだ。答えられる。
「ええと…饅頭は甘い餡子を柔らかい薄皮で包んだお菓子です。………温泉の熱を利用してふかすから、温泉饅頭っていうんですよ。…そんな、変な食べ物じゃないですから」
今までの経験からして、二つの世界の間で食べ物の名前が違っていた事は無い。たぶん間違ってはいないはずだ。
チラッとイルカを盗み見ると、小さく頷いてくれたのでカカシは胸を撫で下ろした。
「そうですか。………では、挑戦してみましょう」
イルカは笑って手をパタパタと振った。
「だから、そんな構えなきゃいけないような食べ物じゃないですよ、サクモさん。俺、部屋戻ってガイドブック取ってきます。そういう店の案内も載っていましたから」
カカシも慌ててイルカの後を追う。
「あ、オレも行く。サングラスとか要るものあるから。……先生、ロビーで待っててください」
「ん、わかった。待っているよ」
カカシの背中を見送りながら、サクモはポツンと呟く。
「………ミナト………カカシは………」
「え? カカシ君がなんですか?」
サクモは髪をかきあげ、首を振った。
「………いえ。何でもないです。…私の気のせいでしょう」
ミナトはサクモの肩をポンポン、と宥めるように叩く。
「やだなあ。どうしたんですか? …カカシ君は大丈夫。心配し過ぎって言ったでしょ? さ、ロビーに行って二人を待ってましょう、サクモさん」
「…はい」
ミナトはサクモの横顔をチラッと見上げ―――そっと心の中でため息をついた。
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