旅は道連れ世は情け

〜日光観光編〜

 

最近、すっかり恒例化してきた『金曜日はカレーの日』。
………ウチは海上自衛隊かよ。
イルカ曰く、金曜はカレー、と決まっていると献立考えなくていいから楽なんだそうだが………なんか、すっかり主婦なお言葉に落涙しそう。
そして、そのカレー晩餐会の席に客を一人お招きするのも、もはや恒例となっている。
客―――金髪碧眼の美形、最上階の住人にしてオレの雇い主、ミナト・W・ファイアライト教授だ。
実を言うと、オレは彼を先生、と呼んでいるが大学で彼の講義は受けていない。
彼はK大では仏文科の教授をしているので、法学部のオレとは接点が無いからだ。(イルカは英文科なのでやはり接点は無い)
だが、ひょんな出会いと成り行きで、オレはバイトで彼の個人的なアシスタントをすることになり。
そして偶然にも彼がオレ達と同じマンションに引っ越してきたご縁で、オレ達とプライベートでも親しくなった。
更に、なんと彼がオレの(それまで名前も顔も知らなかった)父親を見つけてくるという青天の霹靂的な出来事を経た今では、文字通り遠くの親戚よりも近くの他人。
日常生活において、深く密接に彼と関わるのが当然のようになっている今日この頃なのである。
教授は、カレー二皿をきれいにたいらげて、満足そうにスプーンを皿に置いた。
「ごちそうさまでした。美味しかったよ、イルカ君」
「お粗末さまでした。………ちょっと、イカが硬かったですかね?」
今日は、イルカにしては珍しくシーフードカレーだったのだ。海老とかイカリングとかホタテの貝柱とか入っていて、美味かった。
「いや? 僕は歯応えがある方が好きだから、あれでOKだったけど」
オレもスプーンを置いて「ごちそう様」と言った後、教授に賛同した。
「うん、オレも。イカもホタテも美味かった。…イルカ、最近凝ってるよなあ、カレー」
イルカは笑った。
「金曜日はカレーって決めといたら楽かな、とは思ったんだけど、いつも同じカレーじゃ芸が無いじゃないか? だから、色んなカレーに挑戦してるんだよ」
あー、それで今日はシーフード。先週はキーマだったな。
メシもなんか黄色いな、と思ったらサフランライスって言うのだそうだ。おでんに茶飯的に、カレーにサフランライスという組み合わせは一般的なものらしい。
イルカが時々やらかすチャレンジャーな料理じゃなくて、良かった。
まあ、教授を呼ぶのがわかっていて、いつぞや作った鍋物の残りリサイクルカレーみたいなものは出さないだろうけど。………あれも美味いことは美味いんだが、糸蒟蒻や焼き豆腐入りのカレーってのは微妙だと思う。
食後のデザートは、教授のおみやげのアメリカンチェリーだ。彼はいつも律儀に何かしら差し入れてくれる。
そのチェリーを口に入れながら、ねえ、と教授は切りだした。
「そういう事ならさ。……百年前のレシピでカレーを作っているホテルがあるんだけど。イルカ君、興味無い? …みんなで味を見に行ってみるってどう?」
イルカは、興味深そうな顔で訊いた。
「へえ、面白そうですねえ。何処なんですか?」
教授はにーっこりと微笑を浮かべる。
「…日光だよ」
え? てっきり、都内のホテルかと思ったのに、日光だって? 確か、栃木だったよな。………と、遠くね?
そういや、あそこは外国人に人気の観光スポットだと聞いた事がある。東照宮とか、華厳の滝で有名で。猿軍団がいるのも日光だっけか?
教授はアメリカンチェリーで遊びながら、ちょいと唇を尖らせた。
「………この間、他の教授達と話をしていてね、『日本にいるのに、まだ日光を見に行っていないのか?』って言われたんだよね。…一度は見ておくものみたいだね、日光って」
イルカとオレは顔を見合わせた。
「………そう言えば、俺達も日光方面は行った事が無かった……よな?」
「あ、うん。…ガッコの奴らの話だと、コッチの小学生は修学旅行で日光に行くもんらしいけど………オレとイルカは小学校、関東じゃなかったからなあ」
何かやたらに遠い処、みたいなイメージあったしね。
それはオレ個人の印象であり、実際はムッチャ遠いってわけじゃないんだけど。(小学生が修学旅行に行くところだもんな)
東京に出て来てからも行こう、と思った事はなかった。
「修学旅行?」
「学校を卒業する前に行われる、校外学習です。小学生の場合は大抵は一泊で、名所旧跡を見学したりしますね。住んでいる地域によって、行く所は様々かと」
なるほどねえ、と教授は頷いた。
「そういう場所なんだー。で、君達もまだ行った事無いんだよね。じゃあ、ちょうどいいから夏休みになったら、みんなで行こうよ。そこいらの小学生がみんな行っている所を知らないなんて、何だか悔しいじゃない。どうせなら、ゆっくりと泊りがけで行こう? ……温泉とかもあるんでしょ? どう?」
オレより先にイルカが頷いた。
「ええ、俺はいいですよ。東照宮は一度、見てみたいと思っていましたし、そのカレーにも興味がありますから」
この野郎。カレーと温泉に釣られたな。
イルカは温泉好きだから、日光・鬼怒川っつうのはたぶん、そのうちに行くつもりの場所だったんだろうけど。
まーでも、イルカがそう言うなら、オレに否やはない。
里帰りに比べたら、ずっと近いものな。
「あ、オレもオッケーです」
「わかった。じゃあ、そのつもりしてて。…ちょっと遅い修学旅行に、みんなで行こう」


:::


オレのバイトに、決まった時間は無い。
一応、時給計算でバイト料をもらっているのだけれど、どれだけ働いたかは申告制だ。
教授はオレの申告を信用してくれているし、仕事量によってはバイト料に色をつけてくれることもある。オレにとっては、今まで経験した中で一番いいバイト先だ。
明日までにデータ化しなきゃならんテキストがあるので、オレは夕飯の後(毎度毎度、教授と一緒に食っているわけではないのだ)、仕事をしに教授の部屋へ向かった。
教授の携帯に、今から行きますメールをして。
オレは、イルカが作った肉ジャガをお供に、エレベーターに乗った。
これも、今のバイト先のいい所だ。同じ建物の中なので、時間や天候がまるで気にならないものな。
エレベーターが最上階のフロアに着く。
そこのフロアはまるで別世界。同じマンション内とは思えないくらいだ。
ま、オレ達が住んでいる部屋とは家賃からして違うからな。同じ建物内でも、フロアによって格差が生じるのも致し方あるまい。
教授とオレ達は、基本的な経済力に雲泥の差がある。
オレ達がまだ学生で、彼が立派な社会人、ということを差し引いても、だ。
実家がアメリカ有数の財団で、その四代目である彼はまだ家業を本格的に継いでおらず。(おじいちゃんとお父さんが、まだまだ元気いっぱいだからだそうだが)何故か日本の大学で教鞭を取っているという酔狂な御仁だ。
地球上のあらゆる国の人間と会話が可能という噂の言語学の天才で、もちろん日本語もぺらぺら。
もしも今いきなり地球外生命体がやってきたとしても、たちどころにそのエイリアン達とおしゃべりを始めるに違いない。
実の父親との会話も時々ままならない(だってサクモさんの母国語はドイツ語だから)オレには、何とも羨ましい限りなのだな。
でもその教授に鍛えられ、オレの英会話能力は随分と上がった。英語がもっと上達したら、今度は実践的なドイツ語を教えてもらうつもりだ。
エレベーターの中で『どうぞ。待っています』と彼からの返事を受け取っていたオレは、合鍵でドアを開けて中に入った。(そうしていい、との許可は貰っている)
「カカシです。お邪魔し………」
―――と、いつも通り挨拶しかけたオレは慌てて自分の口を塞いだ。教授が、リビングで誰かと電話をしていたからだ。
………あれ? これ、ドイツ語だ。もしかしたら、サクモさんだろうか。
教授は、オレの様子を定期的にサクモさんに報告しているみたいなんだよなあ。…まったく、オレは子供じゃないんだけど。
オレだって、時々メールでサクモさんに近況報告くらいはしているのに。
教授は受話器を持ったままオレを振り返り、にこ、と笑った。
クソ。いい男だな、相変わらず。
教授はそれから二言三言相手に告げ、受話器を置いた。
あっさり切ってしまったところを見ると、電話の相手はサクモさんじゃなかったみたいだな。
サクモさんだったら、教授は絶対にオレに受話器を渡してくれたはずだから。
「いらっしゃい、カカシ君」
「すみません、お電話の邪魔をして………」
「ん? いや、大丈夫。もう切るところだったから。…あ、イイ匂い。ん〜、これは肉ジャガだ!」
ハハハ、さすがです先生。いい鼻。
いいとこのボンボンなのに、素朴な料理とかジャンクフードも大好きなんだよ、この人。
「正解。イルカからの差し入れっす。先生この間、美味しいって仰ってたでしょ?」
うん、と金髪美形は大きく頷いた。
「イルカ君の作る料理は何でも美味いけどね。肉ジャガって、初めて食べたのにどこか懐かしい感じがしたんだよねえ………」
「……先生の前世って、日本人だったのかもしれませんね」
日本の食い物、結構好きなんだよね、この人。
かもね〜、と教授は笑った。
「ありがとう。イルカ君にもお礼言わなきゃね」
教授は、肉ジャガの器を嬉しそうに受け取って、キッチンへ置きに行く。
「ノド渇いたな。…仕事の前にちょっとお茶でも飲もうか」
「あ、先生。お茶ならオレが淹れます」
「いいよ。僕、目玉焼きはヘタだけど紅茶なら結構自信あるから。座ってて、カカシ君」
「………はあ………」
フンフーン、と鼻歌なぞ歌いながら、教授はお茶の支度をしている。
何かいい事でもあったんだろうか。
教授は、また誰かにもらったらしいマドレーヌとフィナンシエの詰め合わせを箱ごとテーブルの上に出し、オレが仕事中にいつも使っているマグカップにたっぷりと紅茶を注いでくれた。
………あ、そういやここんち、ソーサーつきのティカップセットとか無いよな? 確か。
マグカップなら、教授が気に入ったものを買い込んでくるので結構棚に並んでいるけど。
来客とかあった時、困らないかな。
つか、サクモさんが来ていた時、どうしていたんだろう。
こうやって普通にマグカップでお茶飲ませていたのかな。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。頂きます」
紅茶を一口、口に含む。あ、美味い。どこの茶葉だろう、これ。
先生もご自分のカップを口に運び、目許を和ませた。
「そうそう、日光旅行の件だけど。調べてみたら、あの古いレシピのカレーのホテルね、宿泊先としても良さそうなんだよね。歴史があって、面白そうなのだけど。…いいかな、そこに決めてしまっても」
「あ、それはもちろん。…先生が発起人ですから。お好みの宿で」
「そう? ありがと。じゃあ、僕が手配しておくね、四人分。…楽しみだな、日光」
「…四人分?」
教授は当然でしょ、と微笑んだ。
「だって、サクモさんだけ仲間はずれなんて可哀相じゃない? ……なーんてね。実は近々、仕事がらみで来日するはずなの。まだ本決まりじゃないから、サクモさんもカカシ君には言ってないと思うけど。………今ね、サクモさんの日本初公演の段取りを調えているところなんだよ。で、ホールの下見や、関係者との打合せで一度こっち来るって。たぶんそれが、こちらの夏休みが始まった頃になるだろうから。…そのついでに、日光に行くのも悪くないんじゃないかな、と」
「公演ですか? 父さんの?」
………それは嬉しいびっくりだ。
教授はテーブルにカップを戻し、膝の上で長い指を組んだ。
「そう。この前、ウチ…つまり、ファイアライト財団の文化事業部門で、国外にもコンサートホールを作ろうっていうプランが持ち上がったんだけど。それじゃ日本なんてどう? …って僕が提案したら、その案が通っちゃってねえ」
「先生のご実家が、日本にコンサートホールを………?」
「そ。…でね、実はね、ウチのじい様もサクモさんのファンなんだよね。日本のホールが完成した暁には、ぜひ彼に演奏して欲しいよねーって話になってさ。…でも、サクモさんってアジア方面で活動していないでしょ。いきなりだと、『誰? その人』みたいになっちゃうから、日本の皆様に名前を知っといてもらった方がいいということで………まあ、それで今あるホールでいいから一度日本公演を、とね。ウチが手を回して、持ちかけたわけ」
オレは、その話を唖然として聞いていた。
「サクモさんの初の日本公演をウチのホールでやるって方がいいんだけどね、僕は。…まあ、その前に日本での彼の知名度を上げておく、という作戦もわからないでもないし。それに、ホールはすぐには完成しないからねえ。…カカシ君も、早く見たいでしょ? お父さんの公演」
「そ…っ………それは………そうですが。でも………っ…」
ふふ、と教授は笑った。
「これは、サクモさんの意向でもあるんだよ。…ほら、彼、日本に移住したがっているでしょう? ヨーロッパでしか仕事が無い、なんて話になったら移住する意味がなくなっちゃうじゃない。アジア地域での公演も出来るようにしておかないと」
オレはちょっと、ゾクッとした。
サクモさん、本気なんだ。
本気で、日本に来ようとしているんだ。
その為に、少しずつ…且つ、確実に準備をして、あの言葉を現実のものにしようとしている。
「………すごい………」
思わず、といった態で漏れたオレの小さな呟きに、教授は頷いた。
「そう。すごい話なんだよ。でも僕も、彼が音楽活動の場を広げるのはいい事だと思ったからね」
「………まさか先生………」
―――父さんの為に…? と言うのが何となく憚られて尻すぼまりになったオレの言葉の先が、教授には察しがついたらしい。
彼は、悪戯をする前の猫のようにキラリと眼を輝かせた。
「そりゃあね、誰しも親しい人の力にはなりたいと思うものじゃないか。公私混同するつもりはないけど、僕の個人的な望みと、ファイアライト財団の利害が一致するなら別に問題は無いだろう? 彼の成功はウチの成功でもあるんだ。元々、文化事業部門は社会に貢献するって言う名目で設立されているから、採算は度外視の傾向はあるけど。ある意味、大切なビジネスだから。…昔の貴族が気まぐれで芸術家のパトロンになったのとはわけが違うからね。………そこの所は、サクモさんだってわかっている。…いや、ギブアンドテイクのビジネスでなければ今回の話は聞いてくれなかっただろうね、たぶん」
そうか。
彼も教授も、立派な大人だ。現実味がまったく無い夢物語を口にしたりはしないのだろう。
ましてやそれが、自分が今携わっている『仕事』に絡むことならば。
ぱん、と教授は掌を打ち合わせた。
「………という話があるってこと。一応覚えておいて、カカシ君。そのうち、サクモさんからも話があると思うけど。………あの人、きちんと決まるまで君には言わないだろうから」
ああ、うん。…そういうトコあるよね、あの人。
「………わかりました。教えてくださって、ありがとうございました」


 

 



NEXT

BACK