LONG PATH ECHO −6

(*これは、大学生イルカカの世界と忍者のイルカカ世界がクロスオーバーする話です。舞台は、『旅は道連れ世は情け・日光観光編』でございます)

特訓と言っても要は英会話教室なので、英語での挨拶や数の数え方など、基本的な事のおさらいの後、カカシはひたすら英語でミナトと会話をし続けた。
主に、互いの世界の常識について質問しあい、その違いについて語り合う。
そうして小一時間も会話を続けるうち、カカシの受け答えはどんどん滑らかなものになっていった。
ミナトは感心した様子で頷いた。
「…さすがだね。元々、よく似通っている言語を知っていたとはいえ、こんなに短時間で会話が出来るようになってしまうなんて」
「貴方のおかげですよ。…オレがどこまでわかっているか、すぐに見極めて要点を押さえた指導をしてくれたから」
「………本当に上手くなった。英語が使われている国に行っても、何の不自由も無いくらいに上達したと思うよ。………でも今は、出来るだけサクモさんと二人っきりになるのは避けた方がいいね」
カカシが少し不安そうに首を傾げたのを見て、ミナトは苦笑した。
「………特訓、ちょっとやり過ぎちゃったかも。つまり君は、上手くなり過ぎたんだよ。たぶん、聞いた音を再現する能力が高いんだね。発音が正確で、綺麗だ。その…カカシ君よりも」
え、とカカシは絶句した。
「そ……いや、それは………」
カカシは思わず、左眼に手を当てて考えてしまった。
写輪眼のおかげで『コピー忍者』などと呼ばれるカカシだが、写輪眼に頼らずとも昔から術を会得するスピードは他人より早かった。口頭のみで伝えられる情報を、正確に記憶する訓練も積んでいる。
(………身体能力は肉体と直接関係しているから、カカシ君の身体で忍の真似事は出来ないけど。…技術の習得とか、そういう能力は使えてるってことだな。…それと元々、カカシ君も耳がいい方なんだろう)
「………カカシ君が英語を話すところを見ていれば…いや、聞いていれば真似出来るんですけどねえ………発音のクセとか」
ミナトは腕組みをして考え、やがて首を振って微笑った。
「いや、ごめん。余計なことを言ったかも。発音とか、細かい事はあんまり気にしないでもいいよ。……要はサクモさんに怪しまれない程度に、英語での会話が出来ればOKなんだから。僕も、出来るだけフォローするし」
「………すみません」
「何でそこで謝るの。…僕はね、君達…カカシ君達親子が、好きなんだよね。もちろん、イルカ君も。少しでも役に立てれば嬉しいんだ。だから、気にしないで。………あ、ちょっと失礼」
ミナトは、ポケットから携帯電話を引っ張り出した。着信をチェックした後、顔を上げて微笑う。
「タイムアップ、だね。…さすがに、イルカ君も限界みたいだ。こっちに戻ってくるって」
「わかりました。………あの、ありがとうございました」
「ん、いや…どういたしまして。ああ、僕は今まで所要でホテルの外に出ていたという事にしてあるから。何かあったら、話を合わせてね」
カカシはペコンと頭を下げた。
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
ミナトは素早く部屋から出て行った。
階下から上がってくるイルカ達と鉢合わせをしないルートで、一度ホテルの外に出るつもりだろう。
カカシは、ドアの鍵を閉めるとベッドに戻って腰掛けた。
ミナトが残していった本をペラペラとめくり―――また閉じて息をつく。
「………ハ………やっぱ、ちょいとキツかったね………」
英語が、ではない。
あのミナトと二人きりで顔を突き合わせて話をする事が、だ。
英語での会話で良かった。
でなければ、死んだ彼が蘇って目の前にいるような錯覚を起こしていたところだ。
姿かたちだけではない。『同じ人間』だけあって、声や、話す時の抑揚がソックリで―――ちょっとしたクセまで似ていた。
父親であるサクモが亡くなったのは、まだカカシが幼い頃だったせいか、その思い出も断片的なものでしかない。
だが、四代目が亡くなったのはカカシが既に上忍となってからだ。彼に関する記憶は今も鮮やかで―――………
コンコン、とノックの音が響いた。
カカシは顔を上げる。
ドアの外にいるのがイルカだけではない、と気づいたカカシは、ゆっくりと時間をかけてドアを開けに行き、わざと寝ぼけた声を出す。
「…イルカぁ? 今、あけるから………」
鍵を開けると、心配顔のイルカが立っていた。
「悪い。寝てたか?」
「ん? へーき。うとうとしてただけ」
イルカのすぐ後ろに、イルカに負けず劣らず心配顔のサクモがいた。
「カカシ? 夕食も食べないで、大丈夫ですか…?」
カカシは笑顔を作り、早速英語で答えてみる。
「……大丈夫ですよ、父さん。本当に単なる寝不足ですから。寝れば回復します。すみません、ご心配掛けて」
まだまだ他人行儀な親子だと聞いた。
これぐらいは『カカシ君』も言うだろう、と思われるセリフを選んだつもりだったが、不自然ではなかっただろうか。イルカが黙ったまま口を挟んでこないところを見ると、この調子でOKだな、とカカシは判断した。
「お腹は空いていませんか? もし空腹になったら、遠慮せずにルームサービスを頼むのですよ?」
「あ…はい。わかりました」
そこへ、ミナトが外から帰った風を装って戻って来た。
「ただいま。あれ、皆さんお揃いで」
三人は口々に「お帰りなさい」を言う。
ミナトは軽く首を傾げた。
「…カカシ君、起きてて大丈夫なの?」
「もう大丈夫ですよ、先生。病気じゃないんですから」
「でもま、無理はしないでね。……明日の午前中は、ゆっくりしよう。…ねえ、サクモさん」
「そうですね。休暇とは、ゆっくりとするものです」
ミナトはポン、とカカシの肩を叩いた。
「好きなだけ寝なさい、カカシ君。起きる時間は気にしないでいいから。明日の朝食は別にダイニングで取らなくても構わないじゃない。ダイニングの朝食に間に合わなくても、他に幾らでも方法はあるんだから。…ね?」
「は、はい」
「じゃ、そういう事で。おやすみ、二人とも。我々も休みましょう、サクモさん」
ミナトに促されたサクモは、まだ心配そうな眼でカカシを見る。
「おやすみなさい、カカシ」
サクモは一歩踏み出し、当然のようにカカシの頬に軽くキスをした。
「良い夢を。……イルカ君も」
カカシはイルカの注意を思い出して努めて平静を保ち、さりげなく彼の頬にキスを返した。
「おやすみなさい、父さん。それから、先生」
イルカも、そんな親子のスキンシップは当然の事と受け流し、挨拶を返す。
「おやすみなさい、サクモさん、教授。明日の朝、起きたらメールします」
「ん、わかった」
扉を閉めたカカシは、ふーっと息をついた。
「………大丈夫ですか?」
カカシは苦笑しながら首を振った。
「いやあ、緊張するねえ。………ねえ、オレ不自然じゃなかった?」
「ええ。やっぱり凄いですね。短時間であんなに話せるほど、英語を覚えてしまうなんて。サクモさんに不審に思われるような事は全然なかったと思いますよ。……というか、あんな短時間のやりとりで違和感を覚えるほど、カカシとサクモさんは…その…親しくないというか………」
「馴染んではいないワケだ」
「………はい」
それは今のカカシにとっては悪い状況ではないのだが。
実の親子なのに言動でいつもとの違いを感じられないほど互いをよく知らない、というのは何となく気の毒な気がした。事情が事情なので仕方ない事なのはわかっているが。
「………可哀想にねえ……あのサクモさん」
「カカシさん?」
「いや…物凄くカカシ君を心配してるでしょ? 彼。普通、寝不足で気分が悪かっただけのこんなデカイ息子、あんなに心配しないでしょ、男親って。…なんかね、親としての立ち位置がわからなくてオロオロしているようにも見える。…オレの父親も、親としてはどーなんだろうと思う部分のある人だったけど……子供との距離を計りかねていた風には見えなかったからねえ」
「あの…カカシさんのお父さんって、やっぱりサクモさん…なんですよね?」
「そうだよ。はたけサクモ。見た目も彼にソックリ。もんの凄く強い忍だったんだ。オレは、未だに父さんに追いつけた気がしない」
イルカは眼を丸くする。カカシ自身がとんでもなく強い忍者だと聞いているのに、更にその上をいく忍者だったというのだろうか。
「そ、そんなに………?」
「そう。忍としての戦闘能力は人間離れしていたらしいんだわ。オレはガキだったから、その強さを本当には知らないんだけど。すっごく強かったのは確か。…誰も彼を殺せなかったんだから。………そう、彼自身以外は」
イルカの表情が強張った。
カカシの言葉の意味が、わかったからだ。
「忍としては物凄く強かったけど。心はとても繊細で、傷つきやすい人だったんだよ。……もっとガサツと言うか、タフな神経の持ち主だったらね、今も生きていたかもしれないけれど。……ある事件があって、精神的に参っちゃってね。結局、身体も悪くして………とうとう、生きていられなくなってしまった。………ねえ、オレが『彼』を心配する理由が、わかるだろう?」
イルカは強張った顔のまま、ぎこちなく頷いた。
「………そうだった…のですか。………俺…俺も、サクモさんって、どこか危なっかしい感じのする方だと思ったことがあるので…それで、心配だったんですけど。…カカシさん…カカシさんは………」
そう言いながら、イルカの眼からポロリと涙がこぼれた。
「そりゃ、心配してし過ぎる事はないってくらい、心配しちゃいます……よね………」
カカシは指をスッと伸ばして、イルカの涙を掬い取った。
「ごめんね。…君を泣かせてしまって。でも、父がただの殉職をしたわけじゃなかったという事は知っておいて貰った方がいいと思ったから、話した。……君が思った通り、たぶんあのサクモさんもそう頑丈な神経はしていないんじゃないかと思うんだよ。……父が亡くなった時。…あの時のオレは、まだ本当に子供で。父の心を護る事も救う事も出来なかったから。…せめて、あのサクモさんの心は、護りたいんだ」
既にもう、かなり心配させてしまった。これ以上、彼の顔を曇らせたくはない。
「カカシさん………」
「ん?」
「………あ、いえ………何でもない、です………」
カカシは微笑み、イルカの肩に手を置いた。
「オレを、心配してくれているの? 優しいね、君は。……大丈夫だよ。オレは、忍だ。…忍の術の中には、相手の弱点をつく精神攻撃もあるからね。その手の術に対抗する訓練受けているから。…ま、ちょっとは揺れ動くけど、それでどうにかなる事は無い。そんな顔、しなくてもいいんだよ」
「………でも………」
「平気だって。……むしろ、もう会えないはずの父さんや先生に会えたみたいで、嬉しいって気持ちもあるから。いやもう、驚くほどソックリよ。特に先生」
「そ…そうなんですか………」
「うん。さっき英語の特訓受けたじゃない。何かもう、厳しいトコもソックリ同じ。参ったわ、ハハハ。………あ、そうだ。さっきまで、どうやってサクモさんを引き止めていたの?」
カカシの事をあんなに心配していたサクモのことだ。
食事が終わった途端に、息子の様子を見に行こうとしたに違いないのに。
イルカはコリコリ、と鼻の傷を指先でかいた。
「それはですね……カカシは今寝ているだけだし、ヤツがいたら絶対に恥ずかしがって話すなと止められそうな昔話を教えてあげますって言って、引き止めました。……それと、俺にもちょっとビリヤードの手ほどきをしてくださいって、お願いしたんです」
うんうん、トカカシは頷いた。
「あー、なるほどね。そりゃ上手い。………ところで」
「はい?」
「…ビリヤードって、何?」
「あの…ゲームです。玉突きですよ。そっちの世界にはありませんか? こう…これくらいのボールを、台の上で棒で撞いて穴に落とす………」
と、イルカは身振りを加えて説明したが、カカシは首を傾げた。
「………よく、わからないな」
イルカは「そうですか…」と肩を落とした。
「では、覚えておいて頂く事がもう一つ増えました」
「…もうひとつ?」
「あ、いえ…明日までに、携帯電話の使い方を覚えて頂かなきゃ、と思っていたんです。メールでの連絡なんかは、既に生活の一部ですから。……それに加えてビリヤードも覚えてください。…この旅行において、ビリヤードというゲームは、カカシとサクモさんの間では特別なものになったんです」
カカシの頬が引き攣った。
「…………うは……何か、任務並みに大変そう………」
 

 



 

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