LONG PATH ECHO −5

(*これは、大学生イルカカの世界と忍者のイルカカ世界がクロスオーバーする話です。舞台は、『旅は道連れ世は情け・日光観光編』でございます)

イルカとミナトから聞いた話を頭の中で反芻しつつ、カカシはこの世界における『はたけカカシ』の人間関係を整理していた。
(………母親とは幼い頃に死別。イルカ君とはその頃からの腐れ縁的幼馴染み。父親はつい最近まで名前や所在どころか生死すら不明だった、と。…在籍している学校に、あのミナト先生が赴任してきて彼らと知り合いになって、その先生が実家の宴席で父…いや、サクモさんと出会った時、あまりにも彼がカカシ君に似ていたので、もしやと思って調べた結果、父親だと判明。それまで彼は、自分に息子がいたことすら知らずにいて、そこへいきなりデカく育った息子が現れた事に驚きつつも、その存在を喜んで受け入れ、今現在カカシ君を溺愛中、と)
カカシは、このホテルの売店で売っていたというパンをかじった。
今一緒に食事をしたら(サクモに対して)ボロが出そうなので、まだ眠いから夕食はいらない、と部屋に引っ込んだカカシに、イルカがこっそりと差し入れてくれたものだ。
(………あのサクモさんは約二十年前、消えた恋人………つまり、カカシ君の母親を追いかけずに諦めてしまった事をとても後悔していて……今までカカシ君を育てられなかった償いをしたいという気持ちがとても強いみたいだ、とイルカ君は言っていたな。…ウ〜ン、ウチの父さんが同じ立場だったとしても、消えた女、追いかけたりはしなかったろうなー………嫌われちゃったんだー、と暗くいじけて終わりそうだ………)
カカシ自身の父は、この世界のカカシが母親を失ったのと同じ年頃の時に死んだし、ミナトもカカシがまだ少年の頃に死んでしまったけれど。それでも、二人ともカカシが生まれた時から傍にいてくれた人達だ。
その点、あのサクモはこの国の生まれですらないらしいし、ミナトも外国人である。
つまりこの世界の彼らは、此処のカカシの人生の出発点では遠く海を隔てた異国にいて、カカシとは全く接点を持っていなかったのだ。
だが今、彼らは此処のカカシにとって親しい者として、傍にいる。
凄い『縁』だな、とカカシは感心していた。
(それでもって、ええと……先生は波風、じゃなくてミナト=W=ファイアライト。言語学者にして名門の御曹司で財団の後継者か。……すげえな。父さんもはたけ姓じゃなくて、サクモ=アインフェルト。音楽家、と………)
この世界のサクモのフルネームを聞いて首を傾げたカカシに、ミナトは「アインフェルトって『畑』って意味だよ」と教えてくれた。
ミナトが聞いたところによると、こちらのサクモとカカシの母親の馴れ初めにその名前が一役買ったらしい。彼女も音楽をやっていて、留学先でサクモと出会い。そこで彼女の名前を聞いたサクモが、どういう意味なのか訊ね、姓の意味が偶然同じだったことがきっかけで、親しく話をするようになったということだ。
(………子供が胎にいることを告げずに恋人の前から姿を消したカカシ君の母親と、恋人が知らないうちに黙って生んだ子供を相手に押し付けてとんずらしたらしいオレの母親と……どっちが酷い女かね?)
どう考えても、無責任度では自分の母親が勝るな、とカカシはため息をついた。
サクモの立場で考えると、どっちもどっちなくらい気の毒な話だ。とことん女運が無い人(達)である。
(音楽家かあ………そういや、父さんも歌、上手だった気がするなあ。……子守唄みたいなのを歌ってくれた記憶が薄っすらと………父さんも、忍の里なんかに生まれないで平和な国で楽士にでもなっていたら、あんな死に方せずに済んだろうにな………)
心配そうな彼の顔を思い出し、カカシは眉根を寄せた。
心無い中傷に心身を損ない、結果的に死に至った父。
忍としての能力は恐ろしく高く、闘う為の胆力は十分に備えていたが、プライベートな部分ではひどく繊細で脆い人だった。
そんな父よりも、この世界で生きているサクモが精神的に強いとは思えない。
彼に余計な心痛を与えたくはない、とカカシは思った。
その為には、自分がこの世界のカカシに―――彼の息子に、なりきらねば。
当面の問題は、言葉だった。明日の朝までに、古代語によく似た英語と言う言葉を覚えねばならない。
(………その前に、この身体でチャクラを練る事が可能かどうか試しておかなきゃな……)
いざと言う時、忍術が使えるかどうかで対処の仕方が全く違ってくる。
カカシは床の上に座り、座禅を組んだ。
この世界には、カカシ達のような忍者はいない。
忍者ではなくても、同様の能力を持つ存在はいるか、とイルカに訊いたが、キッパリと「いません」と言われてしまった。一見、超能力のように見える芸を見せる手品師はいるが、それには必ずタネや仕掛けがある。
貴方達のように、体内で作り上げた『力』を使って変身したり、火を噴くような真似は出来ないのだ、と。
(………と、いうことは逆に、多少術を使っても、それはこの世界じゃありえないんだから、気のせいとか錯覚とかいう事で誤魔化せるってわけだぁね)
いつもなら、呼吸をするように無意識レベルでチャクラを練れるのだが、そう上手くはいかない。
カカシは一時間近く集中した。
いくら精神体が忍者でも、一度もチャクラを練ったことがない身体では無理なのかもしれないな、と思い始めた時。
カカシは、馴染みのある感覚が腹の底でゾロリと蠢くのを感じた。思いきって、印を結んでみる。
分身の術。―――成功した。
(よし! この程度の術なら何とかなるか。無理は禁物だけどね。…この身体に負担をかけるわけにはいかないし)
さっき、こっそりと走ってみてわかったのだ。
この身体は、あまり鍛えられていなかった。
カカシの想像以下だ。普段何気なくやっている事―――つまり、高所から飛び降りるような真似をしたら、まず耐え切れなくて壊れてしまうだろう。屋根の上に跳び上がれるような跳躍力も無い。
カカシから見れば無力の一言だが、彼を責めるわけにもいかないのはわかっている。
この世界では、これが普通なのだ。
鍛えられた武道家や、一般人より優れた運動能力を持っている者ならこの世界にもいるらしいが、彼らとて、上忍であるカカシに敵うわけはないのだから。
(だからオレは、跳べるつもりで跳んだりとかね。そういう事をウッカリしないよーに気をつけなきゃイカンつう事ね。ヘタしたらこのカカシ君の身体が死んじゃうからねえ………)
そこでカカシはゾッとした。
もしも、だが。
今この身体が死んでしまったりしたら、自分は―――自分達は、どうなってしまうのだろう。
カカシはしばらく考えてから首を振った。
(……………妙なコトを考えるのはよそう。…精神衛生上、まことによろしくない)
自分に出来るのは、せいぜいこの身体を管理して、健康な状態に保っておくことくらいだ。
パンを食べ終わったカカシは、バスルームに行って歯を磨き、ベッドに戻って寝転がると本を手に取った。
ミナトが寄越した英語の本だ。内容がわかるかどうか、試しに読んでみろ、ということらしい。
パラ、とカカシはページをめくった。
所々、わからない単語があるが、使われている文字が古代語とほぼ同じだ。文法も、己の知っているものによく似ていた。文章の意味は概ね理解できる。
(………よその里の暗号文書よりマシだわ。…ふむ…これは旅行記…ってところかな?)
出てくる地名から、この日光について書かれた本だ、ということがわかった。
カカシは笑みを漏らす。なるほど、一石二鳥というところだ。
(………何処の世界でも、先生は先生って事か)
これなら、何とかなるかもしれない、と思ったところにノックの音が響いた。
「………カカシ君起きている? 僕だよ」
「……ミナト、先生」
すぐにベッドから跳ね起き、扉の鍵を開けに行く。
「先生? お一人ですか。イルカ君は?」
「イルカ君は、下の階でサクモさんを引き止めてる。……どう? その、英語の本。読めるかな」
カカシは、手にしたままだった本を開いた。
「ええ、まあ。………オレの世界でも、似たような言葉はあるので。大体の意味はわかりましたよ。…でも、問題なのは話し言葉でしょう」
「いや、文字が読めるのと読めないのじゃ全然違うよ。…カカシ君もね、近頃はとても上手くなったけど、まだ時々言葉を捜して言いよどんだりしているし、少しくらい間違えても不自然じゃないから、そんなに構えなくても大丈夫だよ。………サクモさんも、英語はご自分の国の言葉じゃないから、然程難しい単語は使わないし」
「あ…そうなんですか」
「うん。カカシ君はサクモさんの母国語は大学で習い始めたばかりだから、話せるようなところまで行ってないのはサクモさんも知っている。そしてサクモさんも一生懸命日本語を勉強しているけど、まだ初級ってところだから。…それで二人は、共通言語として英語を使って話しているんだよ」
カカシは頷いた。
「大体、事情はわかりました。………ま、オレも上忍の端くれ。任務だと思えば、言葉くらい覚えられるでしょう」
「……ジョーニンって、何?」
師の顔をした男の口から発せられた疑問に、カカシは苦笑した。
改めて、この人は『波風ミナト』ではないのだと思い知らされる。忍者のことなど何も知らない、普通の人なのだ。
「上忍というのは、忍の階級です。………上、中、下、と言ってわかりますか」
こっくりとミナトは頷いた。
「うん、わかる」
「我々の里では、忍を志した子供が基礎的な力を身につけた段階で、下忍と呼ばれる忍者になります。それが、平均して十二歳前後。そして下忍として何年か経験を積んだら、昇格試験を受けて中忍となり。その中忍が更に昇格すれば、上忍って呼ばれるようになるんですよ。……オレは、一応上忍です」
ミナトは、しみじみとカカシを見た。
「そっか〜…じゃ、きっと君は強いんだね。…今、ちょっといつもと雰囲気違って見えた。やっぱり中の人間違うと、表情に出るものだね」
カカシは苦笑する。
「貴方の前ではもう、カカシ君のフリをしなくてもいいわけでしょう? 言っていませんでしたけど、オレはこの子より結構年上ですから。…たぶん、貴方とそう年齢変わりませんよ」
「あ、そうなの?」
「ご心配なく。………カカシ君とは、十日くらい一緒に過ごした事があります。彼が、イルカ君とどういう接し方をしていたか、くらいは覚えていますから、彼の振る舞いを真似ることは出来ます。……生まれて育った世界がどんなに違っても、オレと彼は、同じ存在なんですから。…たぶん、根っこのどこかで、繋がっているんだと思います」
ミナトは少し安心したように眼を伏せた。
「…つまり、君が無事だってことは、彼も無事なんだね?」
魂の繋がり、つまりカカシと彼の関係性を考えれば、そういう論法になるのだ、と改めてカカシも気づく。
今回は、今までに無い事例で、自分達の精神が入れ替わってしまったのか、それとも自分が憑依をしているような状態なのかは不明だが。少なくともこの世界のカカシの魂が何らかの形で損なわれたとしたら、自分にはそれがわかるはずだとカカシは思った。
「そうですね。………ええ、そう思います」
ミナトは微笑った。
「そっか。………ちょっと、安心した。………カカシ君、無事なんだ………」
「………すみません」
「? 何故、謝るの?」
「………こんな話を聞けば、貴方だって彼を心配するのがわかっていたのに…………」
ミナトは肩を竦めて見せる。
「僕は、打ち明けてもらって良かったけどね。…信用してもらったわけだし。…とにかく、君達の魂が元の世界の身体に戻れるまで、協力するよ。………サクモさんを騙すのは気が引けるけど、場合が場合だしね」
カカシは俯いて眼を逸らす。
「オレも………そうです。出来れば、あの人に嘘なんかつきたくないですけど」
カカシは、ふと思いついて問い質した。
「あ…そうだ。オレの、先生やサクモさんに対する話し方って、これでおかしくないですか? その、カカシ君は………」
「ああ、全然不自然じゃないよー。カカシ君もまだまだ、サクモさんに対して他人行儀って言うかね、遠慮している部分、あるから。親に対してバリバリ敬語」
「そうなんですか」
ミナトは、ほわんと笑った。
「でも、見ていてわかるんだ。………カカシ君ね、サクモさんのこと、本当に好きだよ。サクモさんが自分の事……つまり、カカシ君の存在を知った時、すぐに日本まで会いに来たっていうのが、凄く嬉しかったみたい」
カカシは、自分に置き換えて想像してみた。
生まれた時から今まで、顔も知らなかった父親など、他人も同然だ。
だが、その不在の責任が本人に無くて。自分に子供がいた事を初めて知った父親が、慌てて遠い国から会いに来たとしたら………―――
(それで、やってきたのがあのサクモさんなワケでしょ? ………ハハ、そりゃあオレでも拒絶なんか出来ないわ)
くす、とカカシは笑った。
「………好きなんだけど、まだ離れていた時の溝が埋めきれていない親子、ですか。…わかりました。そういう感じで振舞いますよ。…すみませんが、オレが変なことやってしまったら、フォローお願いします」
「ん。…わかった、心掛けるよ。……こうなると、ホテルの部屋割りをカカシ君とイルカ君、僕とサクモさんにしておいて良かった。君とサクモさんが二人っきりになる場面は、そう無いはずだ」
「………何でそうなったんです?」
「そりゃあ、僕と一緒の部屋になったら、イルカ君が気を遣い過ぎそうで可哀相だ、とサクモさんが考えたから…だと思うな。こういう部屋割りにしよう、と言ったのはサクモさんだから。…本当は、カカシ君と一緒の部屋で寝たかったんじゃないかと思うけどね」
「………なるほど」
ミナトは、手にしていた本をパン、と叩いた。
「…じゃ、時間も無いし。就寝時間まで、英語の特訓しよう。これから先の会話は、全て英語でいくよ。質問は随時受け付けるから、遠慮なくどうぞ」
『先生』に特訓を受けるなど、十数年ぶりだ。それが、忍術でも体術でも無い外国語だとしても。
カカシは、懐かしい気持ち半分、切ない気持ち半分で一礼した。
「よろしくお願いします、先生」


 

 



 

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