LONG PATH ECHO −10
(*これは、大学生イルカカの世界と忍者のイルカカ世界がクロスオーバーする話です。舞台は、『旅は道連れ世は情け・日光観光編』でございます) |
*
眠り猫の下を通り過ぎ、奥社拝殿に向かう長い石段を登りながら、カカシはサクモに話をねだってみた。 「父さんの話を聞かせてください。………何でもいいです。子供の頃の話とか…どんな勉強が好きだったとか……今の仕事のことだとか」 先手必勝―――というわけではないが、サクモに何か質問をされたりする前に手を打ったのである。 サクモは石段を一段一段、踏みしめるようにゆっくりと登りつつ、空を見上げた。 「………そうですねえ。………私は内向的で…外で友達と遊ぶより、家の中で本を読んでいる方が好きな子供でしたね。…小さな頃から音楽も好きでした。聴くのも、自分で演奏するのも。…あの頃は自分が将来、音楽で食べて行くようになるのだとは思ってもみませんでしたけど。………そう、あの頃は…世の中は美しく、私に優しいもの、私の好きなものしか世界には存在しないような気がしていました。幸せなことですね。……今から思えば、おめでたいの一言ですが」 「………小さいうちは、それでいいのではないですか? ……理想的です」 そうですね、とサクモは微笑った。 「幼い頃は、世の中には顔は笑っていても心では何を考えているのかわからない人や、物語に登場するような悪者が本当に存在するのだとか、そういう事がまるでわかっていなかった。……人の悪意というものを初めて知った時は、ショックでした。………何故神様は善人だけをお創りにならなかったのだろう、と。…諍い、罵り、他者を平気で傷つけ、殺す。……人間の醜い部分を知り、そして自分もそういう人間の一人に過ぎないのだと悟り、絶望しました」 「………それって、幾つの時…ですか?」 「…そうですね……八つか、九つくらいだったと思います」 それは、この世界の子供にしては随分と早熟なことのようにカカシには思えた。 「…八つで人生に絶望したんですか?」 いいえ、とサクモは首を振った。 「人生ではありません。人間を含め、人類が造りだした世界の在り方に絶望したのです。絶望というと、オーバーですね。気落ちした、というべきでしょうか。………でも、それすらぬるま湯の中で生きている人間の、傲慢な考えだと思い至ったのは、もう少し後でした。……色々なことを勉強していくうち、気づいたのです。……人間の善悪などを賢しげに語るのは、衣食住足りていて、今日のパンの心配をしなくてもいい暇な人間のやる事なのだと」 カカシは唸った。 「…きっ…厳しいですね………」 サクモは苦笑を浮かべる。 「十四前後の、思春期の子供の考える事ですからね。時々極端に走るんですよ。自分が手に出来た僅かな情報を頼りに、ぐるぐると思考の迷宮を彷徨っていただけなんですが。………彷徨い疲れると言いますか、もう少し大きくなって肩の力が抜けると、幾分世の中が冷静に見られるようになりました。………そうすると、不思議と子供の頃に美しいと感じていた景色がまた光り輝いて見えるようになったんです。子供の頃と違って、世の中には醜いものも悪いものもたくさん存在していると承知していましたし、人間は弱く堕落しやすい生き物であると悟ってはいましたが。……だからこそ、清く美しいものは素晴しい存在なのだと、改めて気づいたのですよ。……そして、そんな世界で生きる者として、美しいものを美しいと感じられるのは幸福な事であると、そう思えるようになったのです」 カカシは、サクモの横顔を見た。 この世界にも戦争があり、生まれた国や時代によって、運悪くそういう戦いに巻き込まれてしまう人々もいるのだということは、カカシも知っていた。 だが、この国を含め、彼の住む海の向こうの国が最後に大規模な戦争をしたのは、六十年以上前の事だと聞いている。 この人は生死をかけて戦い、人を殺したことなど無いはずだ。 奪った命の重さに圧し潰されそうになったことも。 良かった、と思った。 カカシ自身もそうだが、父は忍となることが当然の環境に生まれ育ち、また幸か不幸か忍としての才能に恵まれてしまったがゆえに、血みどろの人生を送るはめになってしまった。 もしもこの人が、やはり他人の命を奪わねば生きて行けない環境に生まれていたら、さぞ苦しんだことだろう。 「………なんとなく、わかります。…綺麗なものを素直に綺麗だと、そう思えるのは当然であり何でもないことのようで…きっと、とても幸せで贅沢なことなのだろうな、と」 『カカシ君』ならこう応えるだろう、とか。そういう計算無しに自然に口をついて出た、カカシ自身の言葉だった。 「ええ。……そういう簡単なことに気づくのに、私は随分とかかってしまったんですよ。…そうして、気づいた時に私の隣にあったのは、音楽でした。素晴しい音楽こそ、人類の宝。先達が世界に遺してくれた最大の贈り物だと、私は思っています。………ねえ、君は私の歌う声が好きだ、と言ってくれたことがあるでしょう?」 「え? あ…はい」 「あれは私にとって、とても嬉しい言葉でした。……音楽というものは不思議です。良くも悪くも、人間の感情を揺さぶる。私自身、私の感性に響く音に出会うと、歓喜で震えるほどです。生まれてきて良かった、と思うほどに。………僭越ですが、私にもそういうことが出来ないか、と考えました。私が生み出す音が、誰かにとって意味のあるものになってくれたらいい、と。ほんの一部の方々の、ほんの一時の慰めでもいい。心を潤す音を奏でることが出来ればと―――………そう、思っているのです。………どんなに世界の在り方を憂えたとしても、私という個人に出来ることなど、たかが知れていますから」 雑談の話題が思いつかなかったので、無難な質問したはずが―――カカシが思っていた以上に生真面目な答えが返ってきてしまった。 両親のこととか、どういう家に住んでいた、とか、子供の頃に好きだった遊びとか、そんなことで良かった―――いや、むしろそういう話を聞きたかったのだが。 (あ………でも、親が子供にする話だものな。真面目に人生論語っちゃうのも、無理ないか………) 「それで、音楽家になったんですね」 「運良くなれた、のですよ。…最初のうちは、音楽だけで食べていくのは無理かな、と思うくらい厳しかったです」 「………父さんでも?」 サクモはまた苦笑した。 「それはそうですよ。音楽家を志す人は、たくさんいるのですから」 「……なるほど」 ふう、とサクモは息をついた。 一段先を上がっていたカカシは振り返る。 「あ、疲れました? 一休みします?」 「いや、大丈夫。もう少しで一番上ですよね、確か」 サクモの言う通り、すぐに一番上の奥社拝殿に到着した。 奥社宝塔をぐるりと回ると、今度は降りるコースになる。 宝塔の傍らにある樹齢六百年の神木、叶杉の前でサクモは足を止めた。 「………この木に願い事をすると、何でも叶うのだという事でしたよね。つい先日もお願いしたばかりなのですが。今日もお願いをしたら、神様に怒られるでしょうか」 「いや、別に怒りはしないでしょう。お願いの念押しをしておいたら如何ですか?」 サクモは微笑って頷いた。 「そうですね」 古木の前に設えてある賽銭箱に気づいたカカシは、ポケットから財布を取り出した。 (ゴメン、カカシ君。もう少し使わせてもらうねー) ここの拝観料も、カカシが払った。『カカシ君』なら、遠く外国から来ている父親の分もサッサと拝観券を買ってくるだろう、と思ったからだ。 (ええと………こういう所の賽銭って、どれくらい入れるのが普通だ…? 十円じゃ安いか。…百円くらいかね?) 自動販売機の缶ジュースが、百二十円から百五十円くらいだった。妥当だろう、と判断して硬貨を二枚つかみ出す。 「父さん、良かったら、これお賽銭に」 「ありがとう。では、お借りします。……おや、今日はこれでいいのですか?」 カカシはギクリとした。 (もしかしたら、ここでは小銭ではなく札を入れるものだったのか? それとも、金額に問題があるのか?) 「え? あの………」 「この間は、穴のあいた硬貨でしたが」 穴のあいた硬貨は、五円と五十円だけだ。まさか、五円で済ませたということはあるまい。すると、賽銭は五十円程度が妥当だったのか。 「そ、そうでしたっけ? いや、お賽銭に決まった金額なんて無いものですから! その時の気持ちでいいのです」 願い事をする時は幾ら払え、とは書いていない。たぶん、正解のはずだ。 「そうか。気持ちの問題なのですね。………確かに、神の木と謂われていても、木は木に過ぎません。木が本当に願い事を叶えてくれたら、苦労はしませんね。………でも」 サクモは賽銭を入れ、パンパン、と手を打った。 しばらく瞑目するように眼を閉じた後、一礼して顔を上げる。 「想うことが、大事なのかもしれません」 カカシも賽銭を入れて手を合わせ、心の中で呟く。 (………どうか、ここのサクモさんがウチの父さんみたいに早死にしませんように! それから、早くオレ達の魂が元の身体に戻れますように!) カカシはふぅ、と小さく息をついた。 (……本当に叶えてくれるのなら、この百倍払ってもいいけどね。…なあ、カカシ君) 「さて、と。…少し、暑くなってきましたね。下りましょうか、父さん」 「はい」 下りの階段を、二人はゆっくりと下りた。 途中で、二十歳前後の若い女性の集団とすれ違う。 すれ違いざま、彼女達の足元を見たカカシは、軽く眉を顰めた。 (………こんな所に来るのに、あんな華奢なサンダル? しかもピンヒールか。非常識だこと) ヒソヒソと囁き交わす彼女達の声が、カカシの耳に届く。 「ねえ、今の外人さん達、見た?」 「見た見た! かっこよかったねー、二人とも」 「よく似てたよね。兄弟かなぁ……それとも親子?」 「外人さんって、齢よくわかんないよねー」 「いいわよぉ、イケメンなら幾つでもOKよん」 「やだ、あたし階段ばっか見てて見そこなったっ! 悔しい〜見たかったー」 「大丈夫だよ。急いで上まで行って、すぐに下りれば見失う前に追いつけるよ」 カカシは噴き出しそうになる。 (ど、何処の世界も女の子って変わらんなあ………サクラ並みのミーハーさだわ。あ、サクラはサスケ一筋か。……いや待て、何とかいう映画俳優に眼がハートになってたこともあったような………ま、どうでもいいか。そんな事) 「父さん、足元に気をつけてくださいね」 「…あ、はい」 「下まで下りたら、何処かで休憩しましょう。オレ、咽喉渇きました。父さんも何か飲むでしょう?」 「ええ。…では、この間休憩した店に行きましょうか」 カカシには、サクモが言っているのが何処の店なのかわからない。 上手く情報を聞き出して、店を特定しなければ。 カカシはさりげなさを装って訊いた。 「この間の店、気に入ったんですか?」 「気に入ったと言いますか………ゆっくり座れたので、休憩するにはいい店だと思いました。空調も効いていましたし。グーアンと聞いて、フランス系の店なのかと思いましたが……漢字で書くのですね」 話の流れからいって、サクモが挙げた店はこの近くのはずだ。 カカシは、頭の中でガイドブックの地図を思い返した。 そういう名前の店が、載っていた記憶がある。 (………日光山の中…よし、結構すぐ近くだ。…良かったわ〜…場所がわかって) サクモが店の名前まで覚えていてくれて助かった。 「じゃ、そこにしましょう」 「昼食もそこで済ませてしまいますか?」 「あ、そうか。またどこか捜しに行くのも面倒ですね」 ここまでは何とか凌げた。 問題は午後だな、と思いながらカカシは石段を下りる。 そして中ほどまで下りた時。 カカシはハッと身構えた。 同時に、切羽詰った悲鳴が降ってくる。 「きゃあああぁぁーッ」 咄嗟に振り向くと、もつれ合うように階段を転げ落ちてくる女の子が二人、目に入った。 「危ないッ」 |
◆
◆
◆