揚羽蝶

 

季節はずれの黒い揚羽蝶が、ゆらゆらと舞うように飛んでいる。
古来、揚羽蝶は、亡くなった人の魂が宿っているとか、魂の化身なのだと言われている。
話を聞いた時は、ただの迷信だと思っていたのだが、祖父の葬儀が終わったその日。
いつもは見かけない黒い揚羽蝶が、家の庭先に舞っていた。
それを見た時、あの話は本当だったのだと思ってしまったのだ。
ただの偶然なのかもしれない。
けれど。
黒い揚羽蝶を見かけるたび思う。
―――あれは、誰の魂なのだろう、と。


 




カカシは家族のことを語らない。
彼の師匠であった四代目火影のことは、時折言葉少なに語られたが、彼の父親や母親の話は聞いたことが無かった。
イルカもあまり親のことについては話さなかったが、彼の両親が九尾の事件で亡くなったことは既にカカシも知っていた様だったので、改めて話すまでもないと思ったのだ。
彼が自分の両親について語らないのは、既に両親を失っているイルカへの気遣いかとも思われたが、どうもそれだけではなさそうだ。
人にはそれぞれ事情があるものだ。親兄弟が存命していたとしても疎遠になっていたり、絶縁状態の場合もある。
もしかしたらカカシにも親や兄弟がいて、どこかの空の下で元気に暮らしているのかもしれない。
だがその可能性は希薄だとイルカは感じていた。イルカ同様、独りの生活が長そうなカカシの部屋。
カカシの持っている空気。
あの孤独感はイルカには馴染みのものだったから。
ああ、この人も『独り』なのだと―――イルカの胸は刺されたように切なく痛んだのだ。

 

 

 


「………あ!」
乱雑に重ねられた資料や本を整理していたイルカは、思わず声を上げた。
忍の俊敏さを持ってしても、崩れていくそれらを止めることは出来ず。絶妙のバランスで塔を成していた書類と書籍の山の一つが崩れ、周囲を巻き込んで崩壊していく。
紙が床に散らばっていく様子を諦めたように眺めながら、彼はため息をついた。
「………やれやれ………」
この執務室の主であるツナデ姫は、最近五代目火影になったばかり。
この木ノ葉の里の、初代火影の孫娘であるが、それだけで火影の称号を継いだわけではない。第一、『火影』は世襲制ではないのだ。相応の実力と人望が不可欠なのである。
彼女は『木ノ葉の三忍』と称される伝説的なくノ一であり、医療忍者としては右に出る者がいない優秀な人物だ。
現時点で火影の名を名乗るにふさわしい忍者は、彼女と、同じく『三忍』である自来也くらいなものだと―――誰もが認めるところだった。
だが、そんな彼女にも欠点はある。
まず、病的な博打好き。しかも強いならともかく『伝説のカモ』と呼ばれてしまう程、賭け事には弱い。挙句、多額の借金まで抱えている有様だった。借金取りから逃げて逃げて、仕舞いには完全な放浪生活になり、彼女に火影就任の要請が出た時もわざわざ自来也が里の外に捜しに行かねばならなかったのだ。
そして、所謂『片付けられない女』であった。
長年の放浪生活で里を留守にしていたツナデは、今現在のシステムを今ひとつ把握していなかった。
故に火影として何か決定を下さねばならない時や、知りたい事があった時、『参考資料』を探す為に彼女は執務室中をひっくり返すのである。まさに目的の為には手段を選ばず、手当たり次第に資料をかき回す。
そして机の上のスペースを空けるためにそれらの資料は適当に重ねられ、机の脇に積み上げられて乱雑としか言いようのない山になっていた。
アカデミーの書類に決裁をしてもらう為に執務室に来たイルカは、その惨状に目を剥き。
そして悲しいため息をつきながら、主が留守の部屋を片付け始めた。
イルカも神経質な方ではなかったが、ものには限度があるのだ。
第一、この状態では仕事の効率が悪い。
女性というものに抱いていた幻想がまた一つ、五代目火影によって壊されたイルカは、ふうっと息を吐いた。
実生活においてはものぐさなカカシだって、ここまで酷くはない。
シズネがいたら恐縮しながら手伝ってくれただろうが、彼女は今、医療棟に詰めている。ツナデの一番弟子である彼女の医療忍者としての腕は相当なもので、怪我人が多い今の医療棟では救いの神であったのだ。
ふと、本を選り分けていたイルカの手が止まった。
「……あれ………?」
見たことのない本。いや、それはアルバムだった。イルカは何気なくパラパラ、とそれをめくる。
彼がまだ生まれる前の古い写真だ。
「これ……三代目……かな? うわあ、お若いなあ……あは、ツナデ様だ。やっぱり可愛いかったんだなー……今でも美人だものなぁ。……こっちは…自来也様か。うう、小さいのに印象が変わらない………」
きっと、資料を探している時にツナデはこの―――おそらくは三代目の私物のはずのアルバムを見つけたのだろう。そして、彼女も今は亡き師匠を懐かしみ、悼んでいたのだとイルカは思った。
更にページをめくっていたイルカは、ある写真に目を引かれる。
「………え?」
まだ若い自来也の横に、カカシがいた。
青年の、カカシが。
「………カカシ…先生………?」
「…それは、カカシの親父様だよ」
ふいに掛けられた声に、イルカは振り向く。
いつの間に帰ってきたのか、背後にツナデが立っていた。
「………ツナデ様………」
ツナデは、屈んでアルバムを覗き込んだ。
「……はたけサクモ。……カカシの、実の父親さ。…よく似ているだろう?」
イルカはその古い写真を見直した。
よく見れば、カカシとは別人だ。
写真の青年の髪は背の半ばまで届くほど長いように見えたし、服装もカカシのものとは違っていた。
だが、カカシと同じ白銀の髪、紺碧の海のような瞳なのだということは、少々退色している古い写真からも見て取れる。
何より、面立ちが酷似していた。
「カカシ先生の……お父上…ですか……」
「…久し振りにカカシに会って、驚いたねー。……父親似だとは思っていたけど、まァ見た目はそっくりになってきちゃって………」
ふふっとツナデは笑った。
「………サクモさんはねえ…いい男だったよ。カカシよりももっと繊細な感じの人かな。穏やかで、優しい人でね……それでいて、戦場じゃあそりゃもう鬼みたいに強くて。……私ら三忍よりも強かったんじゃないかな。…強さで彼に張り合えるとしたら、ミナト………四代目くらいかもね。……いや、あんな亡くなり方をしなければ…四代目になっていたのは、サクモさんだっただろうよ」
イルカは遠慮がちに訊いた。
「…あの…もう亡くなって…いるんですか?」
ツナデは一瞬目を見開いた。
「……お前………カカシから何も聞いていないのかい…」
胸に嫌な痛みが走った。イルカは黙って首を横に振る。
「そう…お前たち、結構仲が良さそうだったから…もしかしたら、と思ったんだけど。……あの子、お前にもまだ話せないでいるのか……やっぱり……相当心の傷が深いんだね…」
ツナデは指先でそっと古い写真を撫でた。
「………彼は、カカシがまだ小さい時に亡くなったんだよ。………『白い牙』って、知っているか?」
イルカは頷いた。過去、そういう二つ名で呼ばれた『英雄』が木ノ葉にいたという話は聞いたことがある。
「あ……ええ。何となく」
「…それが、カカシの父親、はたけサクモだ。サクモさんの得意のエモノが、白く光るチャクラ刀でね。本人の綺麗な銀髪のイメージも重なって、そう呼ばれた。………強かった。本当に、強い忍だった。でも………」
ツナデは悲しそうな顔で微笑んだ。
「………彼は、優秀過ぎて………そして、優し過ぎたんだ………」




 

『里を守って死んだ英雄』
それが、イルカの聞いた『木ノ葉の白い牙』だ。
まだアカデミーに入りたての子供の頃に、歴史の授業で初代火影の伝説に始まる過去の木ノ葉の英雄達を教えてもらった時に出てきた名前。
その時はただ単純に、『白い牙』という二つ名がカッコイイな、などと思っただけだったように思う。
もしかしたらその時、本名も聞いていたのかもしれないが、たとえそうだとしても、そんな細部まで当時幼かったイルカが覚えているわけがなかった。
本の中の英雄は、テレビで見るような作り物のヒーローよりも更に現実感が無かったのだ。
だから、その人達が泣いたり笑ったりする生身の人間で―――当然のことながら家族もいるのだなんて、思った事も無かった気がする。
考えてみれば、当然の事なのに。
ツナデ姫の祖父が初代火影なのだという事を承知していてさえ、カカシの父親が『本の中の英雄』の一人だと聞かされるまで、まるで絵空事のように感じていた。
(………でも………)
何故、カカシはそんな英雄だった父親のことを一言も語ろうとはしないのだろう。
何故、ツナデはカカシの父親の事を語る時にあんなに悲しそうな顔をしたのだろう。
ツナデが言葉少なに語ったところによると、サクモが亡くなったのは、もう二十年も前のこと。
当時カカシはまだ六、七歳だったという。
既に母親はなく、それからのカカシは後に四代目となった青年に引き取られ、育てられた。
『心の傷』とツナデは言ったが、単に父親が殉職しただけでそういう言い方になるとは思えない。
六、七歳ならば、カカシは既に中忍だ。幼くとも忍としての心構えはもう十分持っていたはず。忍である父親が任務で亡くなる事くらいは、覚悟していたに違いない。
それなのに―――
何かあるな、とイルカは思ったが、それをカカシに訊くわけにはいかなかった。
(『木ノ葉の白い牙』、か………)
二つ名とは、誰しもが持つものではない。本名よりも二つ名の方が有名になり、他国にまで知れ渡るような忍は、ごく僅かだ。
カカシの父親は、相当優秀な忍だったのだろう。
四代目といい、彼の父親といい。
カカシを育てたのは、皆火影レベルの忍だったことになる。
(なんか、やっぱ………スゲエよなあ………)
写真の中で穏やかに微笑んでいた青年の顔を思い出し、イルカはそっとため息をついた。
 


 



 

コピー誌『揚羽蝶』より。
サクモさんの死にまつわる話『birdcage』をふまえたイルカカ。
カカシさんの登場は次回からです。

 

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