君ノ面影ニ心ハ開ク −6
by 最阿流さま
こんなにも汚れた手の中でも、雪は白くて、綺麗だ。 カカシは公園の時計台の下に腰を降ろし、思った。 さっきまで血塗れてどす黒かった手も、今は医療部員の尽力で、体と同じように綺麗に洗われている。傷はやはり痛いけど、しっかりと縫合され、包帯で巻かれ、保護されていた。命の危険は急速に遠のいたのだ。 降りしきる雪の中、もう辺りは誰もいない。細かな雪が、さわさわと音を立てて積もる他は、白く暮れ行く闇が支配するばかりだった。 自分しかいない世界。 自分がいない世界。 幸せなのは、どっちだろう。 どう考えても、後者だ。一人ぼっちの世界なら、もう知っている。養い親は二人とも目の前で死んだ。幼い自分を育てた老人。その自分を拾って、忍に仕上げた四代目。他の人たちは、いないも同然だった、あの頃。上忍になって、里の守りとして一人前になって、やっと皆についていけるようになった。 自分がいなくても、あの人が幸せなら、大丈夫。自分も幸せになれるから。 おれがあの人を好きなだけだから。あの人が、誰といても、あの人の自由だから。 その筈なのに。 どうして、こんなにも涙が出るのか。 感情をコントロールしろ。損も得も考えるな。体制にとってのベストを模索し、最善を尽くせ。 そうして生きてきたはずなのに。 たった一人の人のために、こんなにも苦しい。虚ろのはずの心の中が、ドロドロに渦巻いて、血を流している。あの人が欲しい、あの人の総てになりたい。 あの人の傍には、もう自分の居場所はないのに。 あの人は、ちゃんと理想の女性を見つけて、急にいなくなったおれの空白を埋めたのだから。 また自分が戻っても、あの人とその彼女に迷惑がかかるだけ。 今ごろ、あの人は、可愛い人を抱いているのだろうか。 それを考えると、涙も止まる。気が遠くなり、吐き気がこみ上げる。このまま雪の中で埋もれていたいと思う。 遠くへ行きたかった。 でもどこへも行けなかった。里は、‘写輪眼のカカシ‘を手放さない。 行く場所もなく、帰る処も無くし、カカシは途方に暮れていた。 「・・・何してるんですか、あなたは」 カカシは顔を上げた。 真っ白な世界に、男が立っていた。 全身雪塗れで、荒い息を吐き、赤い顔をして、怒りも露わにカカシを睨み据える。 「・・・イルカ先生」 「俺はあなたの先生じゃありません」 呆然とつぶやくカカシを、強引に引き立たせ、イルカは言い捨てた。 「さ、帰りますよ。全く、こんな雪の中で、上忍てのは感覚まで人とは違うんですか!? こんなに冷え切って、凍死寸前じゃないですか!!」 「あ、あの・・・」 カカシは戸惑って、イルカの腕に抵抗する。 「困ります・・・て、いうか、あなたが困るでしょ!?おれ、自分の家に帰りますから!! そっちは、イルカさんの家・・・」 「・・・判りました。その方がいいなら。」 あっさりとイルカは言い、方向を変え、一緒に歩き始める。 「・・・おれ、一人で帰ります」 カカシが言うと、きっ とイルカの眉がきつくなった。 「では、そうして下さい。」 腕が離される。 突き離された寂しさに、カカシは愕然とする。 「・・・後でお邪魔しますから。家にいて、逃げないで下さい」 イルカはそう言い、ぺこんと頭を下げる。 「意地悪」 カカシは思わずののしった。イルカの行動が、全く理解できない。 「どっちがですか」 イルカも負けてはくれない。「・・・来てくださいと言ったじゃないですか。今何時だと思ってるんです! どれだけ待っても来ないから、こうして探しに来たんです。」 「そんなの・・・」 カカシは答えに詰まる。 どちらも、忍装束に雪を積もらせて。 膝まで埋もれながら、しばしにらみ合う。 「・・・行けるわけ・・・」 「はい?」 「行けるわけ、ないじゃないですか。・・・行って、あなたが恋人といちゃいちゃするのを、温かく見守っていろって言うんですか!? おれはそんな、出来た人間じゃあ、ありませんっ!!」 カカシが全身で叫んだ。 廻りに誰もいないことを確信していたわけではないが、自分でも止められなかった。 「あなたは簡単に言うけど、おれにとってはあなたの家に行く、てことは、結構な決心なんです!! あなたの家は特別なんです! おれには、あの家は、とても大切な、秘密の宝物みたいなもので、・・・そこに、別の人も出入りするんなら、おれはもう行きません!! あのサエって人を呼べばいいじゃないですか! あの家には、もうおれの居場所なんてないんだから!! おれは死んだも同然なんだから!!」 イルカは黙って聞いていた。 カカシが一頻り叫び終わったと見てとると、ようやく手を伸ばし、カカシに向ける。 しかし、自分から手を取ろうとはしない。 「・・・」 カカシは涙の残る眼で、じっとその手を見る。 「・・・で、どうしたいんです?」 イルカは冷静に問いただす。 「来たいんですか、来たく無いんですか?早く決めてください、俺、もう寒いです。」 カカシは脱力した。 ・・・なんなんだ、この男は。 自分がこの手を取ると確信してるんじゃないのか?人の足元を見てないか? その手を無視して、背を向けるのは簡単だった。非情は必須の忍道に身を置く者としては、例え心が壊れても取るべき行動を選ぶのに躊躇しないのが常なのだ。 おれが、泣いて縋ると確信してるのか。自信あるのか。 確かに、イルカの手は魅力的だった。大きくて、いつも温かく、包み込んでくれる安心感がある。 でも、今は。 カカシは目を逸らした。せっかく、決心したのに。 イルカの幸せの邪魔にはなるまいと、身を引こうと決めたのに。ずるい。 「・・・おれ、行けません。」 囁くように、カカシは言った。 「おれ・・イルカさんの、好みじゃないから。」 「・・・はい?」 今度はイルカが面食らった。「・・・何ですか、そりゃ?」 「前に言ってたでしょ? 好みのタイプはどんなのか、て・・ サエさんて、イルカさんの好みのど真ん中じゃないですか。おれ・・・全然ダメだから。」 ・・・話が見えない。 雲行きが変わったのを感じ、作戦は変更。イルカが手を伸ばす。カカシの手を取ると、それは氷のようだった。 「とにかく、何処かに入りましょう。雪だるまみたいです、俺たち」 誰のせいだ、とカカシは思った。 イルカの家の中は、温かかった。ストーブが赤々と燃え、その上に置かれた薬缶が蒸気を立てている。雪にびっしょりと濡れた二人は、とにかく着替えようと、風呂場に向かう。 イルカがジャケットを脱いで衣文掛けに掛け、カカシのジャケットも同じく干す。インナーを引き剥がすように脱ぐと洗濯機の中に投げ込んだ。カカシは背中を向けていた。 「・・・カカシさん?」 髪を解き、タオルで体を拭きながら、イルカは問い掛けた。 「・・・脱がないと、風邪ひきますよ?」 「おれ・・」 カカシが、泣きそうな声で言う。 深く息をし、イルカは自分を落ち着かせる。けだものにはならない。絶対、ならない。 そして思いきって、カカシの背から、強引に服を脱がせに掛かった。 「ちょ!!・・・」 カカシが叫ぶ。 濡れて重くなった忍装束が剥がれる。 カカシが躊躇った理由がわかった。 胸と脇腹の傷は、思いのほか酷かった。 数々の戦歴を示す多くの傷。およそ女性らしからぬ、引きつった肌。 その上にさらなる傷が刻まれていた。一生消えない、忍の歴史。命のやり取りをした代償。 いつもの晒しの下に、真新しい包帯が巻かれていた。肌を晒すことより、その傷を見られることを、カカシは恥じたのだ。 「・・・ごめんなさい・・・」 両腕で体を庇って、カカシが囁いた。 イルカは黙って、大きめのタオルでカカシを包んだ。 乾いた衣服に着替え、台所に立ってお茶を入れる。カカシが後ろに来たのが判る。 「・・・おれ・・何か出来ます?」 「いいですよ、座ってて」 イルカは答え、ふと息を呑む。 カカシが、洗い桶の中のイルカ模様の茶碗に気づいた。 そして、食器棚の中に、小梅の湯のみが無いことも。 諦めが、青い瞳に瞬く。 イルカのパジャマを借りたため、大きな服の中に埋もれてしまいそうな肩が、より小さく見えた。 以前カカシに出していた、亡母の湯のみでお茶をいれる。ちゃぶ台におくと、カカシは微笑んだ。 「ありがとう・・イルカさんのお茶、美味しいです。」 「・・・飲んでから言って下さいよ」 カカシが黙って湯のみを啜る。 「・・・さっきの話なんですけど」 イルカはカカシの左に座っていた。長く梳き下ろした銀の髪が、傷と左目を隠している。 「なんの事です? 俺、さっぱり判らないんですけど。」 カカシは暫く考えていたが、顔を上げてイルカを見上げたのは、爽やかな笑顔だった。 「イルカさんが覚えていないんなら、いいんです。おれの勘違いかも」 そんなカカシを見下ろして、イルカはため息をつく。 「・・・俺にまでそんな顔しないでください。」 カカシな笑顔が趣を変える。 「・・・素人じゃないんですから。そんな顔しても、すぐバレます。」 イルカの言葉に、カカシの笑顔がすっ、 と消えた。 代わって真剣な、切り込むような眼差しがイルカを捕らえる。 湯のみを持つ手が、震えていた。こぼさないうちに、そっと取り上げてちゃぶ台の上に戻す。 「・・・おれ、汚いんです。」 カカシが小さな声で話始めた。 「・・・人がおれのこと、何て噂してるかは、知ってます。別にそんな事、気にはしないし、もう慣れたし。本当の情報を知られるほうが困る、て判ってるし。でも、ほんとのおれは、人が言ってるより、もっと汚れてるんです。」 「・・・なにが・・・汚れてるんです?」 カカシの言いたいことが判らなくて、イルカは促した。 「・・・あなたの・・・ことばかり、考えてるんです。」 小さくなって、カカシは言った。 「あなたに、その・・抱かれることばかり。いつも。任務の時以外は。・・・そういう奴なんです、おれって。」 眩暈がした。 「いやらしい、汚い女なんです。自分でも止められないんです。あなたが理想としてるような、可愛い女じゃない。きっといつか、嫌いになります。」 段々声が小さくなる。それにつれて、体も萎んでいってしまうかのようだった。 「・・・あの、サエさんて・・・イルカさんの理想のタイプですよね。髪が長くて、可愛くて。清楚っていうか、可憐っていうか。ああいう人がいるんなら、おれなんか・・・どうせ、おれ、何時か任務で帰って来なくなるんだろうし。イルカさんには、いつも傍にいて、安らげる人のほうがお似合いっていうか・・・少なくとも、おれじゃだめなんだなぁって・・そう思いました」 ほう、 と、カカシはため息をつく。 「・・・もう、おれの茶碗も、処分したんですよね。」 イルカの全身の血が逆流した。 「・・・馬鹿なこと言って・・・」 「え?」 「馬鹿なことを言わないで下さい・・・!!」 拳を握り締めた。そうしていないと、何をしでかすか判らなかった。 「人の理想のタイプなんて、勝手に決めないで下さいよ!! なに馬鹿馬鹿しいこと言ってるンですか、あなたは!!」 「・・馬鹿馬鹿って、あなたこそ それはないでしょ!?」 かっとしてカカシは反論した。 「勝手に決めてなんていません!! あなたが自分で言ったんです!! あなたは忘れたのかもしれないけど、あの日、火影さまのお使いの時・・・!?」 言葉を遮って。 イルカが抱きしめてきた。 思いがけず強い力で抱きしめられて、カカシは息を呑む。 「・・・ああ、もう」 悔しそうに、イルカが唸る。 「どうして・・・いつも、こんな風に・・・我慢できないんだ!?」 黒い髪が、カカシの視界を遮る。 「カカシさん・・・俺は、あなたが好きなんですよ?大好きなあなたが、そんな・・・俺に抱かれることを、考えてるなんて知って・・・我慢できると思いますか?」 カカシの後頭部を抑えて。逃げ場を奪って。 イルカはじっと恋人の顔を覗き込んだ。 「・・・俺だって、同じです・・・いやらしいんです。あなたのことを考えて、一人で、してるんです・・・」 どきり、とカカシの心臓が跳ねた。 「あなたが傍にいないとき、考えました・・・誰か他の人を好きになって、結婚して。でもちっとも欲情しないんです。どんな女性を想像しても、少しも感じない。」 「・・・イルカ・・さん?」 「なのに、あなたの香りを思い出しただけで、いっぺんにイキました。俺、もうあなたにしか役に立たないのかもしれない」 「あの・・・」 余りに露骨な告白に、カカシは真っ赤になりながら聞いた。 「そんな、正直な・・・あ、いえ、だって、サエさんは? 今日、一緒だったんでしょ?」 「ご飯一緒に食べて、すぐ帰ってもらいました。」 イルカはあっさりと言った。「ああ、そう言えばなんか言ってたかな? 正式にお付き合いがどうとか・・・でも、俺、今日ご一緒したのは、任務終了の打ち上げのつもりでしたから。完了承認のハンコもらって、明日から一人で頑張って下さい、てお帰り願いました。カカシさんがいつ来るか、判らなかったから、大急ぎで。」 ・・・本気で言ってる?。この人。 「・・・抱かなかったんですか?」 「誰を?」「・・・ほんとに判らない?」 「サエさんを? まさか!! 依頼人ですよ!? そんなことしたら、俺処刑されます!!・・・第一、この2週間、俺は毎日サエさんを支えて抱っこしてましたが、一度も、一瞬もそんな気が起きませんでしたよ!?」 ・・・それは、本当かも。 「・・・今は?」 赤い頬を、イルカの胸に摺り寄せて、カカシは訊いた。 イルカの手に力が入る。「・・・気が遠くなりそうです」 顔をあげ、イルカの唇を求める。 肉感的な唇が、吸い付いてくる。飢えたように押し開き、舌を求める。歯列をなぞり、上顎を刺激されると、喉の奥がひくついた。 絡まる舌が、口腔のより奥を求める。 「・・・俺が、何を想像してるか、教えましょうか?」 糸を引いて唇を離し、イルカが囁く。「・・・きっと、俺のこと、軽蔑します」 「・・・おれが考えるのより、スゴイこと?」 男物のだぶついたパジャマの隙間から、手を差し入れて。 晒しだけを器用に外して、イルカは言った。「・・・比べてみましょうか」 |
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