君ノ面影ニ心ハ開ク −4
by 最阿流さま
血が噴出すのも構わず、カカシは体をひねってくないを抜く。 木の幹に同化していた霧忍に裏拳を叩き込み、同時にその場から飛び退く。 再び地面に降り立った時、カカシは気づいた。地面に染み込むのは、先の水発破のために、チャクラを練り込んだ水。この水は、術者の意思の通りに変化する。 と、言う事は、次は・・・ どさ、と傍らにハヤテが落ちてきた。同じように腹から血を流しているが、カカシよりはるかに傷は深い。 「ハヤテ、大丈夫か!?」 「ああ、問題ない」 カカシの言葉に、ハヤテは答えた。その声は常から苦しそうなので、判断がつかない。 ゆら、と空気が震えた。 辺りを濡らす水の総てが、ジョウロの姿を撮って立ちあがる。水分身。カカシとハヤテは背を合わせ、態勢を整える。 「−−−ハヤテ」 「ああ」 カカシは武器としていたくないをホルダーに戻した。 「持ちこたえろ」 ハヤテは喉の奥でこほこほと咳き込みながら、頷く。その口の端から、血が流れていた。 カカシは刀印を組み、右目を閉じる。 どん、と大気が振動した。 紅い邪眼が、廻り始める。 ハヤテは忍刀を取り戻しており、攻撃してくるジョウロの出方に備えて刀を構えた。 ジョウロの水分身たちが動く。放たれた指先から氷の千本が万の単位で木の葉忍たちに襲いかかる。 刃が達する直前、ハヤテの体が三つに分かれた。 自分とカカシを守るための戦いが始まった。 攻防は凄絶さを極めた。ゆらゆらと水面に映る影のように掴み所の無いジョウロの分身たちは距離と取ったまま攻撃してくる。手負いとはいえ剣豪として名高いハヤテの間合いに入れば、気合だけで切り裂かれることを知っているのだ。一瞬の間もない連続攻撃と、防御。技の冴えは元より、スタミナの勝負となる。敵は肺病の発作を抱えるハヤテを狙っていた。 嵐のように叩きつける千本の脅威、それを弾き返し、なぎ払うハヤテの刀。すでに忍の目を以ってしても、その動きを捉えることは難しかった。ハヤテの動きに限界が見えてくる。避けきれない氷の千本が、一筋防御陣を貫いて、カカシの肩に刺さった。 カカシの視界は歪み、色彩を変えていた。 体内ではチャクラが燃えていた。凄まじい勢いで力を食い荒らし、消費し失っていく。写輪眼が映し出す、現実の裏側。見えないもの、隠されていたものが見え、意味を示す。周囲を取り囲む霧忍の影には、チャクラが巴の形で核となり、燃えている。どれも同じ、総て分身。 術者本体を見つけ出せ。 油映のように虹色にぼやける光景をカカシは分析する。本体は、ない。術者が存在しない。 そんな事は有り得ない。チャクラを寄り処とする分身の術は、攻撃を持続させるためには、術者が一定の距離にいて気を送りつづけないと、分身は攻撃に力を使ってしまうため形を維持できなくなる。こんな連続した攻撃を仕掛けるためには、術者が近くにいなくてはならない。 新手の術法か。 それとも。 カカシの手が動いた。 ジャケットのホルダーから巻物を二本一度に取り出す。一本を手に持ち、今一本は口に咥える。 印を切り再び巻物を両方掴むと、気合もろとも地面に叩き込んだ。 地割れが辺りを引き裂いた。 背を合わせて防御する木の葉忍たちを中心に、放射線状の亀裂が走り、さらにその亀裂の上を波紋上の地割れが広がり、互いを結んで行く。ジョウロの水分身たちがはっとよろめいた時には、もう遅かった。 割れた大地の中から、炎が上がった。 青い炎だった。通常の炎とは、温度も威力も段違いに違う。水を拠り所とする水分身たちは瞬時に蒸発し、消えうせる。地面に描かれた文様はまるで蜘蛛の巣。土遁と火遁の併せ技、猛火土蜘蛛焔爆。 多勢に囲まれた際に突破口を開くための荒業。範囲が限られるので、よほど近距離まで囲まれた時でなくては使えない技だが。当然、炎に巻かれるのは術者も一緒なので、危険な技でもある。 炎が収まるまで、カカシもハヤテも口を聞くどころか息もできない。辺りを包む熱風は、気管を焼き肌を焦がす。やがて術の余韻が去ると、ハヤテはがくりと膝を付いた。 カカシはそれに構わず、目指した物を探す。 術者がいないのは、この攻撃もまた、フェイクだからだ。あおジョウロはすでに脱出したのだ。 見つけたのは、人型の式符。 囮用として、あたかもそこに術者がいるかのように術者の思念を代行し、力を送りつづける中継点となる妖術の道具だった。 符を拾い上げる。あれほどの炎に晒されても、焦げてもいない。 それだけ強いチャクラが込められているということだ。 ならば。 再び、写輪眼で追う。符に繋がり、チャクラの糸がはっきりと伸びているのがわかる。 「・・・ハヤテ、大丈夫か」 ようやく、カカシは言った。 「構うな。早く追え」 忍刀に身を預け、血の混じる咳きを繰り返しながら、ハヤテは言った。 答えることもせず。 カカシは姿を消した。その足元に、血溜まりができていた。 逃げる霧忍は、覚悟を決めた。 追いついてきた、木の葉の精鋭と噂される男。 生か、死か。 決戦が始まった。 ◆ 朝、イルカは食器棚を開けて、朝食の準備を始めた。 今度は湯のみが割れていた。 寒気は増すばかりだった。 世話しなく白い息を吐き、サエはイルカに話し掛ける。 忍の仕事のこと。アカデミーのこと。イルカが今までに請け負った依頼のこと。イルカの話は、どれも御伽噺のようだった。自分と同じ里に住む人の話とは思えなかった。 サエの質問に、イルカは一つ一つ丁寧に答える。時に真剣に、時に冗談を挟んで。サエは素直に反応し、頷いたり笑ったりする。仕事場までの道は、日々短く感じられていくようになった。 「じゃあ、お仕事、頑張って下さい。」 イルカはサエを仕事場に送り届けると、すでに出勤しているサエの同僚たちにも軽く会釈する。堂々たるエスコートぶりに、サエを取り囲む女性たちは、きゃあきゃあと騒ぐ。 「・・・サエぇ、どぉいうことぉ、これはぁ!!」 「すっごくカッコイイの見つけたじゃん、どうしたの!?」 お針子だけあって、まわりは皆女性である。恋愛沙汰の噂には目が無い。サエはイルカに言われた通り、キチンと事情を話したのだが、周りは納得しなかった。 「サエ、ご指名したんでしょ?すっごい、大胆じゃないよ!!」 親しい同僚に指摘され、サエは真っ赤になる。 「だって、忍者の人って、全然知らないし・・・助けてもらう事があるなんて、思いもしなかったんだもの。それが、イルカさんてほんっとに優しくて・・私、こんなに人を頼ったのって、初めてかも」 「うわぁ、いいんだぁ」 同僚はうっとりと天を見つめる。 「・・・これは絶対!!恋よね! サエの運命の人なのよ、あの一文字傷のハンサムさんは!! イルカさんに助けられたのは、神様がサエに引き合わせてくれたのよ。ぜぇったい!!離しちゃだめよ、サエ!! 私たち、応援してるからね!!」 「・・・はぁ」 サエは同僚の言葉がくすぐったかった。 イルカは優しく、誠実で、誰に聞いても評判が良かった。近所の、子供をアカデミーに通わせている親に聞いても、悪い噂は一つも出てこない。背も高く、とてもいい顔立ちをしているのに、本人はまるでその自覚が無かった。それがなんとも無邪気で、好感が持てた。そのイルカが毎日付き添ってくれて、友達たちの前でも態度を変えず、気を使ってくれて、笑ってくれる。 サエは胸が膨らむのを、幸せな思いで感じていた。今日も、明日も。イルカが迎えに来てくれて、一緒に帰る。抱き抱えてくれる腕の逞しさ。胸の広さ。 誠実な男性って、まさにこの人のことを言う言葉だ、とサエは思った。理想の男性。その人が、こんなにも近くにいてくれる喜び。 「あ・・・」 帰り道。イルカがふと立ち止まった。 「どうかしました?」 「いえ・・・ちょっと、買い物をしなくてはいけない用事がありまして。急ぎなので、店が閉まるまえに」 いつものように、サエをかばいながら歩く商店街。瀬戸物の店の前で、イルカは躊躇した。 「だったら、私のことは気にせず、どうぞ・・・私、待ってますから」 サエは素直に言い、イルカはその好意に甘えることにする。 「すみません、すぐですから」 もう自力で少しなら歩くことのできるサエと共に、イルカはかつて小梅の茶碗を買った店に入った。 処狭しと並ぶ瀬戸物の中に、白地に小梅の柄を探す。 見つからないことはすぐ知れた。忍者は目がいいのだ。 服の下が汗ばんだ。カカシの茶碗が見つからないことが、痛みとも恐怖ともとれる不安となった。 見つからない。帰ってこない。 カカシのいる場所が、壊れてしまった。 「・・・イルカさん、女もののお茶碗ですか?」 サエが覗き込んできた。 イルカは少しぎょっとした。サエがいることを忘れていたのだ。 「ええ・・まあ」 自分でも何を答えているのか。動揺が収まらず、ボンヤリしていた。 「うちに・・よく来るお客の分なんですが・・やはり、ちゃんと用意しておかなくちゃあ、その方が来づらいでしょ?」 サエはイルカの顔を覗き込んだ。じっと探る目。 「・・・はい?」 はたと、イルカは正気に返った。俺、なにか不味いこと言ったかな、と首を捻る。 カカシのことを考えると、どうも正気でいられなくなる。このところは、特に。 「・・・じゃあ、これがいいです」 真っ赤な顔になったサエが、一つの茶碗を選ぶ。 見たててくれるのか、とイルカは思った。 「ほら、これ・・イルカ模様。とってもかわいいです。」 サエが手にしたのは、青地に白抜きの、イルカが跳ねまわっているさまを描いた、子供向けの茶碗だった。 「あ。お対のマグもある! ね、私、これがいいです!!」 嬉しそうに店内を見まわし、サエはイルカに青い食器を差し出した。「・・・これ、私、自分で買いますから。持って行って下さいな」 「は・・いえ」 イルカは訳が判らない。 ・・・どうしてサエが、カカシの茶碗を買ってくれるのだろう? 「そんな・・・俺が買う、て決めたんですから、俺が出します」 「そうですか」 サエの顔は幸せに輝いていた。 イルカはサエが差し出した茶碗とマグカップを見下ろした。 男女兼用の柄の、子供らしい可愛いイルカ模様。自分と同じ名前の動物。子供のころ、親が散々買い与えてくれたので、いまでは余り見たくない意匠だった。 カカシは喜ぶだろうか? 否、とイルカは思った。冗談だったら受けるだろうが、こういうベタな語路合わせは、自分もカカシもあまり好まない。サエはカカシの事を知らないから、きっと自分に受けると思って選んだのだろうけど、これはちょっと・・ 「え・・と、サエさん?」 「はい。あ、そうだ、イルカさん、お好きなものは何ですか?」 両手を打ち合わせて、サエが聞く。 「私、あまり料理は得意ではないんですけど、イルカさんの好きなもの、頑張って作りますね!! これからだったら・・・お鍋とか?いいですよね」 サエのいつものお喋りに圧倒され、イルカは言い出せなくなってしまった。 仕方なく、イルカ模様の食器を買い、サエと一緒に帰った。擦り寄ってくるサエの体が熱い。 風邪でも引いたのだろうか。 別れ際、一応大事を取るよう忠告した。大切にして下さいと言うと、サエの目に涙が浮かんだ。やはり体調が良くないらしい。 重い足取りで、家に帰った。 食器棚に、イルカ模様のマグを入れるのは忍びず、流しに置きっぱなしにした。 ちゃぶ台の前に座り、イルカは初めて祈った。 カカシが帰ってきますように。 会いたい。ただひたすら会いたいです。 カカシを偲ぶものを求めて、イルカは辺りを見まわした。何もなかった。いつもの自宅。木目の筋も見慣れた天井と、少しくたびれてきた畳。灯油のストーブの、斜め上に竿を渡して洗濯物が干してある。大きいものは外に干すが、服やタオルは家の中に干しっぱなしにしている。 なんと言っても、男の一人暮らしだ。朝早く出掛けて、帰宅のころはもう日が暮れている。いちいち取込む手間が馬鹿らしい。色気のないことで、と自分でも呆れた。 カカシのいない家。カカシのいない自分。 多分、こんな風に過ぎていくのだろう。 職場と家とを往復し、時々は友人と飲みに行き、女性とデートもして。話が噛み合わないのを我慢しつつ、相手に話を合わせて、お互い気まずくならないよう気を使い続けて、一日を終える。 およそ忍とは思えない平和な人生じゃないか。 以前の生活に戻っただけだ。誰の邪魔にもされず、誰にでも合わせられる。友達、生徒、上司、火影さま、里の人々。良い人という評判を大事にし、真面目に仕事をこなし、求められれば任務にも就く。いつか、誰かと普通に結婚もして、子供も作って、年老いていく。 大好きな人が傍に居なくても。 死んでいった両親とともに、思い出にして。 ・・・そんな簡単なことなら、好きにならなければ良かったのに。 どんなに愛しても求めても、いつか失って痛みすら忘れられるのなら、好きになるってどういう事だ? 立ちあがり、冷蔵庫の中を確認する。もう作り置きの食材はとうに無くなっていた。朝炊いた白飯があるので、漬物を出してのりをまぶし、お茶をかけて適当に流し込む。 持ちかえりの仕事を片付けて、風呂に入り、洗濯をして明日の用意をする。帰ってから一言も口を訊いていないことを思う。 誰でもいいから、話ができる相手が欲しい、と思うかと考えたが、誰でもいいとは思っていない自分に気づいた。 カカシがいい。カカシでなくては嫌だ。 他の誰も考えられなかった。 カカシがいないなら、このまま一人がいい。 何もない空間に向けて、イルカはほ、と息を吐いた。そういう事だったか。 ベッドに潜り込むと、目を閉じて眠気が訪れるのを待つ。 枕に顔を埋めて、どきりとした。 残り香があった。カカシを偲ぶ、唯一のもの。忍の常として、体臭も気配もないカカシの香り。シーツを換えても、布団を干しても消えなくなった、恋人の存在を示す空気の色。 「・・・カカシさん?」 声に出して囁いた。冷え切ったベッドの半分の空間に手を伸ばしてみる。 そこにいて欲しい人を想像する。顔の見えない誰かではなく、確かな温もりのある体を、思考の中で甦らせる。その人の微笑みを、潤んだ瞳を、しなやかな姿態を思う。 ズキリと痛みが走った。 痛みの中心に手を添えると、熱かった。
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