君ノ面影ニ心ハ開ク −1

by 最阿流さま

 

 
冬の風も冷たさを増してきた、11月の終わり。
周囲に混じって、特に珍しくもない忍装束の二人連れが、肩を寄せ合うようにして歩いていく。商店街の混雑の中では幅を取って歩くわけにはいかないので、男同士とはいえ、体が触れ合うのを気にする余裕はないから仕方ない。それにしては、むしろその距離の近さをむしろ好ましげに満喫している風が、心なしか見て取れる気もするが。
そんな微妙な、そこだけ温度が違うような違和感を除いても、彼らは周囲からそこはかとない注目を集めていた。
二人連れの、一人はごく当たり前の男。黒い艶やかな髪を高く縛り上げ、背筋を伸ばしたきれいな姿勢で歩くその男は、誠実そうな好感の持てる顔立ちをしている。しかしその鼻筋を横切る一文字の傷跡が、彼が決して凡庸な男ではないことを偲ばせる。里の者なら、誰もが知っている忍という生き物の一人だということが己事と伺える。
だが、周りを行き交う里人たちの中には、この男を見知っている者が多いらしい。通りすがりに彼に気づくと、にこやかに躊躇いなく挨拶をよこす。一般の主婦や勤め人、老人も幼い子供までも、親しげに慕わしげに彼の視界に入り、笑顔を見せる。彼もごく当たり前にその一人一人に頭を下げ、言葉を交わし挨拶を返す。その様子に、煩わしいとか面倒だという気配は微塵もなく、次々変わる相手の一人一人の顔と名前が一致しているのは見事だった。
そして、今一人の男。
周囲が密かに注目していた理由は、こちらの男にあった。
黒や茶色の暗色系の毛髪が当たり前のこの里にあって、他に類を見ない淡い豊かな銀髪。その髪が無造作に掛かる面差しは、忍の身分証ともいうべき額当てで左の半分を覆い隠し、さらに鼻筋から顔の下半分を装束の襟に付随する面隠しで覆い、容易に伺わせることをしない。だが僅かに覗く右の瞳とそれに続く頬の稜線は、一見しただけで心騒がすに十分な秀麗さだった。
どちらかというと小柄で、両手をポケットにいれ心持ち猫背に歩くため、その姿からは人目を好まず成るべく周囲の注目を避けたい様子が伝わるようだった。だが本人の意思はさて置いて、ほのかな光を放つような髪も白い頬も、良く鍛えられたらしいしなやかながら華奢な体躯も、一般人のみならず同じ忍にさえ、ふと目を惹かれ心に残る何かをもたらさずには措かなかった。
彼は連れが声を掛けられ、挨拶のため足を止めると一歩離れたところで待ち、まるでただの通りすがりのような様子で佇む。そして連れが丁寧に頭を下げ、相手を見送るとまた一緒に歩き出す。途中で途切れていた会話を、連れが再び始めるまで、黙ったまま。
 「・・・すみません、カカシさん。やはりこの時間は避けるべきでした。」
 「でも、お店が開いてるうちに、て考えたら、どうしてもこの時間になっちゃうでしょ?顔が広いのは先生として誇れることなんですから、仕方ないですよ、イルカ先生」
申し訳なさそうに囁くイルカに、カカシは目顔で笑ってみせる。
二人が出会ったのは、夏の終わり。
里の外の森に仕掛けられていた罠をカカシが見つけ、その解除にイルカの助けを借りたのが、始まりだった。元より、里の周囲の警戒と捜敵が任務のカカシと、里の中心ともいうべきアカデミーの教員というイルカには、本来出会う機会どころか、接点すらない。正しく運命の仕組んだ偶然が、この二人を引き合わせたのだ。
しかし。
例え出会いが偶然でも、そこから芽生えた感情の流れは、間違いなく二人の意思。今二人が肩を並べ、微笑みを交わして互いの体温を感じることに胸を弾ませているのは、‘たまたま‘でも‘何となく‘でもなく、‘この人だから‘。
 「俺は仕方ないでもいいんですけど。でもカカシさんは、やはりご迷惑だったでしょう?」
イルカは成るべく小声で話せるように、頭を傾けてカカシの耳元に唇を寄せる。
 「・・・さっきから、あなた注目集めちゃってます。ただでも美人なのに、こんな風に俺なんかと連れ立って歩いてるから・・・明日になったら、噂になってるでしょうねぇ。あなた、本来あまり目立っちゃいけない職務のはずでしょ?」
イルカの唇が耳元を掠める。偶然ともわざとともつかないその接触に、カカシは面隠しの下でクスクス笑う。
 「注目集めてるのは、あなたのほうでしょ?さっきから、みんな何事かって顔で見てますよ。あの真面目なイルカ先生が、何でおれみたいな優男と引っ付いて歩いてるのか、て・・・噂で困るのは、間違いなくあなたですよ。」
カカシの言葉にイルカは何とも複雑な顔をした。
即座に否定したいような、カカシの言葉に怒ったような顔。当のカカシはそんなイルカの様子を知ってか知らずか、目線を前に据えたままだった。
 「・・・困りませんから、いいです。」
ふ、と息をついて、イルカは苦笑した。本当に言いたかった言葉を飲み込んで、別の言葉で言いたかったことを表現する。
 「ホモでもゲイでも、相手が、あなたなら。どんどん噂になればいいんです。」
思っていたのとは違う反応に、カカシは少し動揺した。
 「・・・そんな、人生簡単に捨てるようなことを言ってはいけませんよぉ。」
そう言いながら、実はカカシは嬉しかった。
この男は。
沢山の大切なものを抱えて、多くの人々に必要とされて。
今しも、自分には縁遠い善良な里人たちから声を掛けられて、周囲と暖かな関係を築いてきた実績があるにも関わらず。
こんな事をあっさりと言ってのけるのだ。
美辞と賞賛に値するその人格を、一言のもとに否定されるような、自分との危うい交際。
 「やっぱも少し、離れたほうがいいですかねぇ? 男同士が、こんなにくっついてるのは、見場が悪いでしょ」
カカシが頭を掻いて、言葉の通り少し身を離す。
しかし、イルカは手を伸ばして、離れようとするカカシを断固として引き寄せた。
 「通行の邪魔です、ちゃんと間を空けずにいてください。」
教師の口調で、イルカは言う。「・・・なんなら、肩組んで歩きましょうか」
 「いえ!!・・・いいです」
白磁の頬に血の気を昇らせて、カカシは慌てて首を振った。本気のイルカは、こちらの方が戸惑うような事を簡単にやってのける。 カカシの動揺を察して、イルカはほんのりと微笑んだ。人一倍甘えたがりで、何時も構って欲しい気持ちを匂わせて見つめてくるくせに、人目や周りの反応ばかり気にして素直になれないこの恋人は、普段は能面を被ったようにクールで不可解と評判だった。その同じ人物が、自分の前の自分の言動に対してだけは、本来の顔を覗かせる。それが愛しくてたまらない。
もっと甘えてもいいのだと伝えたい。誰が見ていようと、何が噂になろうと。ただ、それが許されない事情が、この人にはある。
心無い噂や勘繰りが、この人にとって致命傷に成りかねない隙に繋がる。たとえ自分にとっては詰まらない噂にすぎなくても、この人にとっては正に生死に関わる大事にもなるのだ。それがわかっているから、イルカはそれ以上の無理は言わない。カカシが本当はもっと強い接触を望んでいることも、それを必死に押さえていることも察しながら、何も言わない。カカシに、そんな葛藤を強いることのきっかけを、自分の言動が作ってしまったことの後悔が、胸をかすめる。
 「そんなことしたら、益々縁遠くなりますよ、勿体無い」
誤魔化すようにカカシが言い、イルカはそれに乗ってやる。罪滅ぼしの気持ちに、気づいてくれることを願いながら。
 「それは困りますねぇ・・・俺、カカシさんと違って、もてる自信ないですから」
 「なぁに言ってるんですか、このいい男さんは!・・・あなた、自分のこと知らなすぎですよ。たとえば・・・ほら」
カカシは、何となく通りの向こうに固まっている見知らぬ女性たちを示した。
 「・・・あそこの女の子たち。あの中に、好みのタイプっています? あなた、自分の好みもはっきり自覚してなさそうだから」
 「え・・・?」
好みのタイプ・・・目の前にいるんですけど。モロ好きな人が。
しかし、カカシは男として、ごく当たり前の会話として話し掛けている。男同士が集まれば、女の好みで与太を飛ばすのはありがちな展開だ。気楽な付き合いの、普通の話題。
 「そうですね・・・真ん中の、髪の長い人。あんな感じかなあ・・」
考えた末、イルカは答えた。ごく普通そうな、清楚で化粧ッ気のなさそうなタイプだ。無難な好みと言えるだろう。
 「ふうん」
カカシは目顔で笑って答える。
 
しかし。

イルカは答えを間違えていた。

この場合、イルカは答えてはいけなかったのだ。太古の昔から、恋人の前では他の女性に興味があるような素振りはしてはならないという おおいなる不文律があることを、イルカは失念していたのだ。

たとえその恋人が、男として振舞っているとしても。

はたけカカシは、女だった。
かつて、出自の知れぬ孤児だった子供が、今は亡き四代目火影によって見出された。発見された当初から類稀な忍の才と修練の跡を併せ持ったその子供は、女児という事実をうやむやにされたまま木の葉の里に即戦力として受け入れられ、四代目の庇護のもと英才教育を施され、天才忍者として頭角を現した。
戦えるのなら、男も女も別は無い。
確かに、カカシという忍は言葉も覚束ぬ童子の頃から無類と呼ばれ、知る者たちの心胆凍らしめた。その苛烈な戦歴故に、後にカカシという名のみが一人歩きして、その者の性別や出自がぼやけていったのは いた仕方ないことではあったのだ。しかし、一時は彼女を女性として受け入れ、本来の性を許そうという方針がないわけでもなかった。
発案したのは、彼女の里親でもある、四代目火影。
このまま曖昧な扱いをしていたのでは、人間として不幸になる。強い忍としてのカカシであれば、男であろうと女であろうと関係ないではないか。カカシが中忍から上忍になり、思春期を迎えるころ、四代目は里の忍に向けて事実を公表することを半ば決定していた。
しかし、不幸な事件が起こった。
事の仔細は、今だ封印されており、真実を知る者は少ない。だが里の中心であった四代目火影の突然の死という現実は、木の葉の里全忍たちにとって決して拭えぬ傷となった。失われたものは其れのみに留まらず、里は全勢力をもって事件からの立ち直りに邁進するしかなかった。
たかが一忍の人格など、ものの数ではなかった。
しかも、それと前後して、カカシには新たな役目が加わった。
写輪眼と呼ばれる、異能の目。
使えば無限の方術と技を体得することが可能である代わりに、命すら食い荒らされる邪眼。
その異能をどうしてカカシが継承することになったのかは、最高機密。
木の葉の里のみならず、あらゆる忍の者たちが恐れ、羨望するであろうこの体質を得ることとなった時、カカシの女としての人生は封印されたのだ。
異能はその特異性と機密性の高さによって、奪い合いの対象になる。然るべき方法を以ってすれば、他人がその能力を盗むことも可能なのだ。
相手が男ならば、殺して奪う。死体を手に入れることができればいい。そして、女の場合は。
今だ根拠の乏しい研究ではあるのだが、血継限界と呼ばれる様々な特異体質は、発現したのが女子の場合、ほぼ100%その子供に受け継がれるのだ。
カカシの写輪眼が遺伝によるものか否かが伏せられた理由も、其処に端を発しているらしい。
が、例えそれが外部から植付けられ能力だとしても、現にカカシがその力を使いこなしている以上、この異能はカカシの遺伝子に根をおろした能力である。つまり。
カカシにもし子供が生まれたとしたら。
その子には、間違い無く、写輪眼が発現することになるのだ。
異能を持つ女性。
それは世界を傾ける宝となる。
後に、日向の一族の後継ぎの少女が誘拐されるという事件があったときも、少女は生きたまま連れ攫われたため、事無きを得た。代わりにと差し出された身代わりの男は、死んで渡されたのだが。
故に、『写輪眼のカカシ』は男となった。
男ならば、万が一の時、ただ死ぬだけでいい。
しかし、女であると知れたなら。
その身は生きたまま敵の手に委ねられ、汚れた欲望のまま弄ばれ、辱められ、意に染まぬ妊娠を強いられ、異能を生み出すための産卵機械にされるだろう。
誰にも知られてはならぬ。
四代目火影が望んだのは、カカシの女としての幸福。今となっては、もう叶わない。四代目が生きていた時とは、事情が違うのだ。 少し心が痛みはしたが、それでいいのだ、とカカシは思っていた。
恩師の意にかなうことは出来ないけれど。里の守りとして、ただ1個の忍として。
男でもなく、女でもなく、ただ孤独のみを友として。
欲しいものもなく、求められることもなく、このままいつかどこかの戦いの中で、果てるまで。
生まれてきたことや、生きていくことに、意味を求めるな。その名の通り、‘案山子‘として、里という畑の番人に徹すればいい。 それがカカシという人物だった。
そして。

イルカという男がいた。
彼は忍としてはごく普通の家庭に生まれ、両親の影響を色濃く受けて至極自然に忍を志した。
凡庸とまではいかなくとも、目立った才能もない少年だった彼は、これもまたごく普通にアカデミーで忍術を学び、心身ともに健やかに成長していった。
そして、あの事件。
イルカの両親は殉職し、彼は天涯孤独の身となった。もっとも、同じ境遇になった子供たちは、決して少なくは無かったのだが。イルカは四代目亡き後復職した三代目火影の後見を得た。
生来の素直な気性のせいか、その血に潜む才能か。
多くの孤児たちが、自分の悲しみに囚われてあれて荒んでいくのに比して、イルカは誰にたいしても明るく、ひょうきんで分け隔てのない態度で接していた。暗くなりがちな場の雰囲気を、自らの失敗や馬鹿騒ぎで盛り上げ、緩和していくことに躊躇いを見せなかった。
そのことで、虐めにもあっていたらしい。
うざいとか、わざとらしいとか。
それでも、アカデミー在籍中は、決して態度を変えなかった。
変わったのは、下忍になってから。
それまでお調子者の落ちこぼれと言われていた少年が、めきめきと実力を発揮していった。
苛酷を以って知られる中忍試験に、スリーマンセルの仲間三人揃って合格したのも、イルカ少年のチームただ一つだったという。その事実は、後に密かな伝説となっている。 いくつもの任務をこなし、着実に実力を付けていく彼を、親代わりの三代目火影がアカデミー教員に抜擢したのは、意図のあってのこと。
復興叶い、里に活気が戻ってきたとはいえ、あの大惨事からはまだたった12年。ようやくあの頃少年少女だった子供たちが、大人となり立ち直って里の力となってくれようとしている。
あの悲しみ、あの痛みに打ち勝ったものたちが、次の世代と向き合う時にきていた。その力を、教師として生かして欲しい。
どんな時も自分を見失わなかったイルカの強さを、三代目は見ていたのだ。
そして、イルカの力は発揮された。
未来に繋がる力を。
過去を乗り越え、その先にあるものを、真っ直ぐに求めるために。
誰にでも強さがあることを信じる心を、守り、育むために。
そして、誰にでも、両手を広げて待っていてくれる人がいることを、信じるために。
教師としてのイルカもまた、アカデミーの人気者となった。
誰にでも優しく、平等で、明るく。
特定を作らず、贔屓をせず。
保護者からも評判が良かった。ただ、妙齢にもかかわらず、今だ恋人の噂を聞かないのが、不思議といえば不思議だった。こんなにいい人なのに、まったくこんなとこまで。そういう特定なら作ってもいいのに。ねえ。

彼が、特定の作り方を知らないことに、誰も気づいていなかった。

幼い頃のトラウマは、誰しも持っている。成長の段階で、人は精神的な強さや社会との関わりを学んで、自身の中で折り合いをつけていくものだ。イルカが少年の頃、周りには傷を抱える同年代の子供達で一杯だった。その中にあって、自分一人を守ってくれる者を失った少年は、せめて周囲から遅れないよう、取り残されないよう必死にもがき、苦しんでいた。
周囲から忘れられないためには、周囲を忘れないこと。誰からも振り向いてもらうためには、誰にも振り向くこと。皆に平等に、皆から好かれるように。特定の相手に執着すれば、他の誰かから嫌われる。
表面的には、大層良い子だった。だから誰も気づかなかった。彼を虐め、誰にでも優しいことを偽善と咎めた者は、実は彼にとって大切な問題と向き合うチャンスを提示していたのだ。
傷つくことを受け入れなくては、本当の大切に巡り合うこともできない。しかし彼は、虐めを跳ね返し、少年のまま大人になった。
彼が子供たちに人気があるのは当然のこと。彼もまた、子供だったから。
強く信じ、精進することの喜びを教えるのが上手いのも然り。彼もまた、信じたいのだ。
誰かが何処かで、自分一人を抱きしめるため、待っていてくれることを。
しかし、誰か一人を選ぶということは、怖かった。そのたった一人に、自分の総てを委ねてしまうなど、考えられなかった。
でも、逆に。
誰かが、自分一人を選んでくれたとしたら。
 
カカシという女性が、その秘密を打ち明けてくれた時、イルカの中で何かが動いた。
己れの生死にも関わる秘密を淡々と話し、口止めするでもなく、決して多くの者が知るわけではない、その素顔を見せて。
静かな決意と強い意思を湛えた美しい顔。この素顔を見れば、多分この人が男だと思う者はいないだろう。だからこそ、隠し続けなくてはならない、白磁の肌と薄紅色の唇。何もかもをも遮断して生きてきたこの人が、自分にだけ見せてくれた、彼女の意思。
胸が震えた。
彼女にとって、自分は特別なのだと思った。選ばれたのだと知った。
その思いが理性を凌駕した。気がついたら、唇を重ね、抱きしめていた。
そして、肌を知った。
幸せだった。
一人の人を大切に思い、その人のことだけを考えて一日を過ごし、会えば微笑みを交わし口付けを重ね、互いの体温が溶け合うのを味わう。その人がいかに自分を思い、自分の言葉に一喜一憂するか。その瞳の中に映っているのが、自分ひとりであることを知る喜び。初恋というわけではないし、女を抱いたのも初めてではない。しかし、こんな風に誰か一人にのめり込んだのは、確かに初めてのことだった。
カカシが他の一般的な女性と同じとまでは言わない。しかし、イルカの目には、多少複雑な境遇なだけの、普通より美しい女性。異能も出自も、何の特典とも欠点とも思えなかった。生きる痛みを知り、戦いの苛酷な現実に身をおきながら、魂の清らかさを失わずにいた、そのことこそがカカシをカカシたらしめている最大の理由。忍として、忍界にその人ありと囁かれる『写輪眼のカカシ』でありながら、はたけカカシという優しい女性で有り続けた強い意思の輝きを映す、その姿、顔、形。
彼女を独り占めにし、自分の側から離したくなかった。
特別な相手、というものに、初めて出会えた。
今まで付き合ってきた女性は、側にいてくれればいいと思いこそすれ、離れていくとしても止めることはしなかった。相手を惹きつけたものが何だったのか解らなかったから、冷めていく理由も解らなかった。失恋というにはあまりに曖昧な恋愛で、体の関係すら付き合いの上の義務のように思っていた気がする。相手に求められて、断る理由が無かった、というのが本音か。誰にでも優しいイルカ少年は、求められることに弱いのだ。
カカシも、自分を求めたのだろうか?
何度考えても、そんな覚えがない。疑問が確信に変わり、カカシが女性であることを知っしまった時、もしカカシが望んだなら、自分の命を取ることは容易かった。上忍と、アカデミー教員の中忍。実力の差は明らかだった。実際、彼女の素性を知っていることは、今だに周囲の目や耳から隠すため日夜警戒している。里の最重要機密扱いの写輪眼の秘密を、自分ごときが知っていていいわけないのだ。口を封じるのに、躊躇う理由は何も無い。何故、自分は生かされているのか。
誰に許されて?
  
カカシに。それをばらされたならば、たちまち嵐のような闘争の渦中に落とされるであろう、
当の本人に。
何の為に?
・・・多分、カカシは、秤にかけたのだ。自分の命と、カカシの命。どちらがより重いか。
どちらが大切か。
そして、自分を選んでくれたのだ。
自らは死ぬことになるとしても、イルカが生きていくことを望んだのだ。命を預けてくれたのだ。
あの時見た、美しい静かな顔。左目に走る一生消えない傷跡も、その美貌を損なうことは無かった。まるで末期の伝言のように晒されたその素顔に、どうしようもなく惹かれた。
求めたのは、どう考えても自分の方だ。
初めて人と争ってでも手に入れたいものを見つけた。誰にも譲れないものを得て、守りたいと思った。誰かに執着するのは、見っとも無く苦しいことだとずっと思っていた。失った時の苦しさを思い遣り、その痛みに怯え、ならばそんな執着は知らないほうがいいと思っていた。
でも今は、その痛みに打ち勝つことばかりを考えている自分がいた。
カカシの為に強くなる。
決して失わないための力が欲しいと思った。カカシを失いたくない。恋人が何時までも自分の側で安心していられるように、盾になり、刀になる。この人が自分を選んでくれた理由を、無くさない。
居心地のよい曖昧さの中でまどろんでいた少年が、自覚のある大人に脱皮するための決意をした。
人当たりの良さはそのままに、一本芯の通った強さが加わったのだから、イルカの密やかな人気は最近とみに増してきていた。そんな下馬評のことなど、イルカは知りもしなかったが。
愛しい人と過ごす時間は、何時も短く、物足りない。もっとたくさん言いたいことがある。
伝えたい熱がある。総てを伝えきるためには、一生分の時間が掛かるだろう。その一生を、この人と共にすごせたなら。
考えると、胸が一杯になる。
この美しい人の。里一番の技師と歌われる天才忍の。心を。
独り占めすることは、多分許されない。そんな事は解っている。許されないのなら、奪い取る。
誰にも知られないように、密かに。カカシにすら、打ち明けることなく。
イルカはある決心をしていた。恋人を守り、自分のものにする口実のために、男がとる方法。
カカシが知ったら、怒るだろうか?それとも共に受け入れて、喜んでくれるだろうか。
例え結果がどうであれ。イルカに迷いは無かった。イルカは幸せだった。カカシが傍らにいてくれる。周囲が男同志で手を繋がんばかりに歩く自分たちに奇異に目を向けていても、その中に顔見知りの同僚や、生徒の保護者がいても。気にはならなかった。
この人を愛している。その自覚がイルカを支えていた。
この人だけが、特別。
 
この人にとって、自分は特別なんだろうか。
カカシは血の気が引いた頭でぼんやりと考えていた。
イルカが『好み』と言った女性は、自分とは全く正反対のタイプだった。髪は黒く、大人しやかな顔立ちで、ごく普通の‘女の子‘。いかにも何も裏暗いもののない、お日様のような笑顔。
大体、未だに自分のどこがイルカを惹き付けているのか、良く解らない。イルカは「美人だ」と言ってくれるけれど、自分では決して見場の良い顔立ちだとは思えない。悪目立ちする、銀髪に碧眼。珍しい動物でも見るような、周囲の目にはもう慣れた。人目に晒されることが成るべくないようにと、火影の心遣いもあって里外の任務を与えられたのは、僥倖であった。目立ってはいけないにも関わらず、否応なしに人目を引いてしまう自分が嫌だった。
 こうしてただ買い物しているだけでも、周囲が自分たちを振り向くのが、どうにも居心地悪い。早くイルカの家に行って寛ぎたい。自分の素性を知っているほんの数名の前でしか素顔を晒せないカカシは、本音を言うのもごく一部の知人に対してのみ。その知人にすら、すべてを話せる訳ではない。
 今、カカシの中では一つの葛藤だけが渦巻いていた。イルカの本心は、何処にあるのか?
 本当は、今この場で、イルカの襟首を締め上げて先程の発言の真意を問い正したい。しかしそんなことはできない。当然だ、自分は男で、そもそもこの話題も自分が振ったのだから。自分も一緒に、「おれの好みとしては・・・」と、話題を膨らませるくらいのことをすべきなのだ。
そのくらいの度量があっても良いはずなのだ。もしこれが、いつも世話になっている兄貴分のアスマや、火影付き特別上忍エビス相手なら、冗談の延長としてそのくらいの会話を楽しむことに抵抗も無かったのだが。
しかし、相手がイルカだから。冗談では済ませられない気がした。
イルカの好みの女性。自分ではない、典型的な木の葉美人。
大抵の男が、無難に選ぶタイプの女性だ。理屈では解っている。その言葉が、イルカの口から、自分の前で、言われたのでなければ、気にするほどのことではない。
 (・・・おれって馬鹿・・・こんな事で、すぐうじうじするなんて、見っとも無い)
カカシは密かにため息を付いた。
 「カカシさん?」
 「はい?」
気が付くと、イルカが間近に覗き込んでいた。知的で優しい黒い目が、心配そうに探る。
 「・・・どうかしましたか?疲れましたか? もうすぐ目的の店なんで、早く済ませて帰りましょう・・・すみません、やっぱり先にうちに行っていて待っていてもらえば良かったですね。」
 「いえ、いっしょに来たかったのはおれだから。」
カカシは慌てて手を振った。言いたいことが喉に引っかかった感じで、息が苦しかった。
 「・・・やっぱり手くらい繋ぎましょうか」
にっと笑って、イルカは言う。
 「この先は、結構人出が少ない通りに出ますから、気にしなくてもいいですよ。久しぶりの里の中だから、気が疲れたのかも。無理しないでくださいね。」
 「・・・嬉しいけど、嫌です」
カカシは自分が赤くなっているのを感じながら、それでも何気ない風を装って答える。
 「疲れてるわけじゃないし、そんな、恥ずかしいこと、人前じゃできません」
ただ手を繋ぐだけのことが、どうしてそんなにも恥ずかしいのか。
冷めた態度の下の本音のカカシが、意外な程古風で、真面目な性格をしていることを知っているイルカは、内心やれやれとため息をついた。例えいくら対外的に男として振舞っていても、人目のない所では、カカシを女性として扱うことに違和感のないイルカは、その切り替えの難しさを実感する。
演技の延長なのか、照れなのか。
とにかく、無理強いはしない。
 「もうすぐですから。早く帰りましょう。随分と寒くなってきた」
人ごみを抜けて、静かになった通りを、音も無く歩く二人連れは、足を速めた。

 「ほんと、美味しい・・・いいきんつばですね、これ」
 「火影さまのご贔屓なんですよ、小豆が断然いいんです。明日の朝のお茶請けに、是非ここのきんつばを召しあがりたいとのご要望で。」
いつものイルカの家。台所でお茶を入れたイルカが湯のみをちゃぶ台に運ぶ。カカシの前に置いたのは、白地に赤い小梅の柄が散った、女物の湯のみ。イルカの亡母の湯のみでは失礼だろうと、イルカが茶碗とお対で用意したものだった。廉価品だったが、カカシは事の他気に入ったらしく、華奢な手の中に大切そうに抱える。
 「でも、なにもイルカ先生がお使いしなくても良さそうなものですのに。それこそ、下忍の任務の一つとして、お駄賃あげて使い走りさせりゃいいんですよ。」
 「はは・・こんなの、Dランクにもなりませんよ、商店街でお買い物なんて」
頼まれ物と一緒に自宅用にと買ったきんつばを自分も口に入れ、イルカは笑った。
 「突然のことで、せっかく一緒にいられる時間が少なくなってしまいましたが・・すみませんでした、カカシさん」
 「謝らないでください、あなたのせいじゃないんですから。」
 カカシは言い、熱いお茶の上澄みをすする。「美味しい。イルカ先生のお茶、ほんと美味しいです。」
 「そんなものでよければ、いくらでも入れますよ」
寛いで素顔を見せるカカシを、イルカはにこにこしながら見つめる。
いつもは向かい合って座る居間のちゃぶ台だが、今日はくの字に並んでいる。互いの肩が触れ合うのも、もう誰憚ることもない。
カカシの外地任務が明けたのが、つい昨日。その前は2週間の定時巡回でずっと里を出ていたのだ。久しぶりの再開に、お互い心中穏やかなはずがない。
 「甘さ加減が丁度いいです。」
カカシが小さくちぎったきんつばを口に入れて言う。
「・・でもも少し、甘くてもいいかな? 上品なのは良いけど、物足りないかも」
カカシの細い頤を捕らえ、引き寄せた。
素早く唇を重ね、割り開く。舌を指し込み、口内の甘いかけらを探り当て、自らの口中に奪い取り、唾液を絡ませる。
再びそのかけらを、重ねたまま待っている口のなかに戻す。やわらかな熱い舌が、待ちかねたように絡んでくる感触に、しばし陶然としながら。
 「・・今度のはどうです?」
名残惜しげに唇を離し、イルカは訊ねた。
「甘さ、足りましたか?」
カカシは頬を朱に染めて、銀色の髪に半ば顔を隠しながら俯く。
 「・・・せん」
 「え?」
 「まだ・・足りません」
恥ずかしそうに、震える声が精一杯囁く。
突然仕掛けられた口付けに、押さえていた熱が目覚めるのを感じる。
正座した下半身がもじもじするのを必死に押さえながら、カカシはイルカの顔を正視できずにいた。身を硬くし、熱くなっていく体をもてあます。
こんな、キス一つで熱くなるなんて。
自分がこんなにいやらしいなんて。カカシは愕然とした。
夕方の買い物の時のイルカの言葉を思い出す。普通で、清楚な女性が好み。自分は違う。んなのは、自分とは全然違うタイプだ。 冷水を浴びたような気がした。熱が一度に冷めた。
自分は、イルカの望む女性じゃない。
呆然とするカカシの背に、逞しい温もりがのしかかった。
 「カカシさん?・・・」
喉にからんだ、低い声が耳元で囁く。熱い息が耳朶を舐る。
 「あ・・」
混乱した気持ちで、カカシはうろたえた。胸の中は絶望で氷のように冷えきっているのに、体の中心は再び熱を取り戻し、求めてくる。
いやらしい・・・そんな言葉が、心を圧した。
でも、イルカの体温が、息遣いが、理性を吹き飛ばす。
優しいと同時に荒々しいイルカの愛撫に、カカシは抗することを拒否した。

 
 
 



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最阿流さまに頂きました!(ありがとうございますありがとうございます)
なんと、ウチの夫婦イルカカ設定で書いてくださったのです。うわお!
でもやはり最阿流さんトコのイルカカだなー、と。(笑)
微妙にイルカやカカシの反応や行動がウチと違うのが何とも♥面白いです。
(あ、ここでウチのカカシだったらイルカ張り倒して走って逃げるな、とか。イルカもこれは言わないだろうな、とか。夫婦のイルカは基本ラテン男だから(笑))
そこら辺もあわせてお楽しみくださいませvv

実は結構前に見せて頂いていたのですが、結構な長編だったこともあり、掲載させて頂いていいものか迷っていたのです。
んでも、やっぱりせっかくこんな長い御話を書かれたというのにもったいないじゃないかっっ!! もったいないオバケがでるぞっ!
・・・と、この度思いきって最阿流さまにお願いして掲載許可を頂きました。
(すみません。無理なお願いを・・・)

*最阿流さまのコメント*
「女カカシファンの方々、怒らないで下さい。」


・・・だそうでございます。いやその・・・怒る方なんていないと思うんですが・・・
最阿流さんったら控えめなお方・・・

続きます。長いですv うふふ・・・