WIND −1

 

「あー、重いな…チクショウ」
黙って立っていれば、誰もがその美しさを認めるであろう亜麻色の髪の美少女は、うずたかく積み重ねた重い本と、その上に危ういバランスで載っている巻物を両腕で抱え持ちながら悪態をついた。
彼女とて、幼い頃から訓練を積んだくノ一。
腕の力は一般人の少女よりはあるし、瞬間的にならチャクラコントロールで岩をも砕く怪力を発揮する。
ただし、瞬発力はあっても、持続力は無い。
ツナデは、重い本を支えながらヨロヨロと外階段を降りていた。
あともう少し降りれば地上なのだが、手が痛くなったツナデは一休みすることにする。
「ふー、休憩」
二階と一階の中間にある踊り場についたツナデは石造りのベンチに本をおろし、息をついた。
広々としたテラス状になっているこの踊り場は休憩所も兼ねており、ベンチの他に観葉植物の鉢なども設えてある。
中庭に植えられた木々の葉が風に揺れ、キラキラと美しい木漏れ日を辺りに振りまいている。ツナデは、しばしその平和な光景を楽しんだ。
薄っすらと汗をかいていた額に、風が心地いい。
春から夏に差し掛かるこの季節が、ツナデは好きだった。
雨季に入る前に一時訪れる、爽やかな季節。木々は新緑に輝き、寒くも暑くも無い。
「いい風………」
テラスの端では、ツナデと同じような年頃のくノ一達が三人程、手すりにもたれて中庭を見下ろしながらおしゃべりに興じている。
「ねえ、あそこの木陰にいる人ってさあ、男…だよね?」
「え? あー…ああ、あの髪の長い? へえ、銀髪だ、珍しい。…んー、男…じゃない…かな? たぶん」
彼女達の会話を聞くとはなしに聞いていたツナデは、ひょいと首を伸ばして中庭を覗いてみた。銀髪で、遠目では男か女か判然としない人物に、心あたりがあったのだ。
果たして、中庭の木の下に見知った顔を見つけたツナデは、そっと微笑む。
(やっぱり、サクモさんか。相変わらずだねぇ、無防備そうにボーっとしちゃって………)
三人のうちの一人が、得意そうに顎を持ち上げる。
「あら、アンタ達知らないの? あの人が白い牙だよ。れっきとした男の子だって!」
「え、え、白い牙?! 噂、聞いたことある! なんか、すっごい強いんだってね。……へえ、あんなに若いなんて知らなかったなー…アタシらとそんな変わらないよね? たぶん。凄いねー、もう二つ名があるなんて」
「もしかして、上忍?」
「………じゃない?」
「凄い、エリートじゃん」
ツナデは小さくウンウン、と頷いていた。
彼女達が噂している人物、はたけサクモはツナデよりもほんの少し年上の上忍だ。
上忍の数自体が少ない中、十代で上忍となる者は更に希少な存在である。
その中でも、『はたけサクモ』という少年は頭抜けて強い。
ツナデと、スリーマンセルを組む時の仲間、自来也と大蛇丸も十代で上忍となったが、天才と称される彼らが、同世代の忍の中で唯一力量を認めている存在であった。
サクモは、己の強さを鼻にかけることもない、万事控えめで優しい少年だ。
その控えめ過ぎる態度が気になることもあったが、ツナデは彼が好きだった。友人として好意を持っているだけで、恋心とは違う感情だったが。
自来也などはよく、『忍としては尊敬に値するが、何故普段のあの人はあんなに危なっかしいんだ』とため息まじりにこぼすが、これにはツナデも同感だ。
彼を見るとつい、あれこれと手や口を出してかまいたくなってしまう。
里で見かけるサクモは、彼らにそう思わせても仕方ない程のん気で―――良く言えば落ち着いていて穏やか、悪く言えば無防備でトロくさくすら見える少年だった。
十代の半ばにも達しないうちに上忍になるほどの実力の持ち主でなかったら、先ずは確実にイジメの対象になるタイプだろう。
顔が女の子みたいで華奢、頭はいいが大人しいとくれば、同年代の男の子達には恰好の標的だ。
(………ああでも、もしもサクモさんがごく普通の力しかない男の子だったとしても、大丈夫だったかもね。…イジメる奴はいたかもしれないけど、それより庇ってくれる奴の方が多そう。………何か、護ってやんなきゃって思わせるタイプだもん………ってゆーか、イジメた方に罪悪感抱かせるタイプだわよね。………あの顔で泣かれたら、すっごい気まずいよね。………いや、それとも案外………)
子供の頃のサクモなら、泣いていても可愛かっただろう。わざと泣かせようとするイジメッ子に、あくまでも彼を護ろうとする正義感の強い子の対決。―――ありそうだ。
想像してみて、ツナデはこっそり笑った。
(………そうだよね。私だったら、彼を泣かせたヤツなんか絶対にボコってやるもの)
実際は、そんな事はあるはずが無かったが。
サクモは確か、十に満たない年齢で今のアカデミーの前身である忍養成所を出てしまっている。そして、すぐに中忍となり、実戦を重ね、養成所を出てから5年と経ずして上忍に昇格したはずだ。
同年代の子達との友達づきあいで悩むような、ある意味平和な学校生活など送っていないのだから。
今でも、里にいるより戦場にいる事の方が多いだろう。
(…あんな、血なまぐささとは無縁そうな顔して………もう、何人敵を殺ったかなんて、本人にもわかんないだろうね………)
ツナデの見るところ、彼の中には『切替スイッチ』が存在しているようであった。
そのスイッチを入れる事によって、サクモは任務遂行中、誰よりも忍らしい忍となる。
優しさや理性を失うわけでも、冷酷非情な鬼になるわけでもない。
だが、確実に変わる。
それでいい、とツナデは思っていた。
普段の大人しくて穏やかなサクモは、彼女の目には好ましく映ったが、任務中もそのままでは死にに行くようなものだ。
女の子達は、彼をネタにまだおしゃべりを続けている。
「………ってことは、アカデミーに入っていたとしても飛び級卒業組だよね。それじゃアタシが知ってるわけ無いよ。アタシらがまだ教室で巻物とにらめっこしている時には、とっくに任務についてたってわけでしょ? それに、そういう人達の任務はBランク以上じゃない。………CやDランク任務ばっかのアタシらとは接点無いの、当たり前っしょ」
仲間に「知らないの?」と自慢げに言った女の子もペロッと舌を出した。
「アハ、そーだね。……実は、あたしも偶然彼が白い牙だって知っただけでさ。…名前まで知らないんだ。…任務だってのに兄ちゃんが忘れ物してさ、それ届けに行った時に待機所で見かけただけ。…そん時、みんなが噂していたの」
「なーんだー。………でもさ、あの人ってなんか、そんなに強そうに見えないねー………なんか、女の子みたいだし。…あたし、さっきから男女どっちかなーって思ってたくらいだもん」
ツナデは噴き出しそうになった。
そんな事を言うのは、戦っているサクモを見た事が無い人間だけだ。
ため息混じりに女の子は呟いた。
「それはちょっと同感かなー………あたし、近くで見ちゃったんだけど、すっごく色が白くってさー、男のお前にそんなに睫毛いらんだろって思っちゃうくらい長いの、睫毛。あたしもスッピンであれだけ綺麗だったらいいよなーってサ、羨ましかったわ、マジ」
「髪も綺麗だモンねー…いいなあ、あの色。あたしなんか、こんなくすんだ色なのに」
彼女達には、彼が『強い』ことよりも『綺麗』なことの方が羨ましいらしい。
「そーだねー、あの人なら、簡単に男も誘惑できそう」
そこで彼女達の声に、明らかに好奇の色が混じり始めた。
「ねぇね………もしかして、そういう任務もあるんじゃない? 彼!」
「うんうん、あの顔だと目ぇつけられやすいよね。………そういう趣味のお大尽もいるしね、実際………」
「相手が依頼人だけとは限らないよ〜? ………美少年好みの上司、とかさ!」
「うんうん、あり得る〜………なんか、顔がいいのも考えモノねー…カワイソー」
ツナデはムッと眉間にシワを寄せた。
(………勝手な憶測で安い同情してんじゃないわよ、このスズメどもッ)
確かに、サクモのあの容姿はその手の趣味の男に目をつけられやすいとは思う。
だが、ツナデは彼がそんな任務に就いた事があるなどと、噂にも聞いたことが無い。
ツナデはツカツカと手すりに寄り、中庭に向かって声をあげた。
「―――サクモさん!」
女の子達は、一様にぎょっとした顔でツナデの方を見た。噂話に夢中で、テラスに自分達以外の人間がいる事に注意を払っていなかったのである。
サクモはテラスの方を振り仰いで、にこっと笑った。
「………や、ツナデちゃん」
こちらを見上げたサクモの顔をまともに見た女の子達は、それぞれ小さく息を呑む。そして赤くなって、「も、もう行かなきゃ」「あたしも」と言い合いながら、そそくさと屋内に走って行ってしまった。
ツナデは彼女らの背中に向かって小さく舌を出す。
本を抱えなおして下まで降りたツナデに、サクモがゆっくりと歩み寄ってきた。
「………重そうだね、ツナデちゃん。手伝おうか?」
「いいの?」
「うん、召集まで時間があるし………暇でぼーっとしていただけだから」
サクモはそう言うと、ツナデの手から本を取り上げる。
見かけが女のようだと言われても、そこは男だ。サクモは、ツナデが両腕でやっと抱えていた重量の本を片腕で支えた。もう片方の手は、重ねている本のバランスを崩さない為に添えてあるだけのようだ。
「巻物はツナデちゃんが持ってくれる?」
「もちろんよ! 助かるわ」
「これくらいはお安い御用。…何処に持っていくの?」
「東棟の研究室。新薬の実験中なんだけど、いちいち要る文献取りに行くのも面倒だから」
「ふうん、忙しそうだねー…ツナデちゃんも」
「サクモさんだって、これから任務なんでしょう?」
そう言いながら、ツナデは横に並んで歩きだしたサクモをチラッと見た。
(…あのコ達がわいわい言うのもわかる気がするわね。………男のクセに何でこんなに綺麗なんだか………あれ? でも………)
少し、顔つきが変わってきた気がする。
自来也が初対面の折にサクモを少女と見間違えたのは、彼の面立ちが幼く、中性的なものだったからだ。
成長に伴って、その幼さが抜けてきている。
相変わらず『美人』ではあったが、男の顔になってきたな、とツナデは興味深げに彼の顔を観察した。
ツナデの視線に気づき、サクモは首を傾げる。
「何?」
ツナデは慌てて視線を逸らし、「何でもないよ」ととぼけた。
数歩、黙ってツナデの横を歩いていたサクモは、だしぬけに小さな声で礼を言った。聞き間違えかと思ったツナデは聞き返す。
「………え?」
「だから、ありがとう。………ツナデちゃん、わざとあそこから僕に声を掛けただろう」
ツナデは眼を丸くしてサクモを見上げた。
「え………もしかして………聞こえてた? あの子達の話」
あの距離では、彼の耳までは届いていないと思ったのに。
サクモは曖昧に微笑む。
「………う〜ん、まあ、ね。…何となく視線は感じていたけど、別に敵意は無かったから気にしてなかったんだ。…………でも、彼女達途中からテンション上がったでしょう」
うわ、とツナデは口元を歪めた。では、サクモは自分が強いと噂されていたのは聞いていなくて、その後の興味と好奇心丸出しの会話だけ聞き取ってしまったのか。
「もしかして僕のこと話しているのかなって、気がついて………でも、やっぱりあんな風に思われるんだねえ、僕って………何だかいたたまれなくなって、あそこから離れようと思った時にツナデちゃんが声を掛けてくれたんだよ」
ツナデは再びムッと眉間にシワを寄せる。
「あんな勝手な噂話、私が聞いていられなかっただけよ! …あのまま放っておいたら、どんどんエスカレートしていきそうだったし」
「………あー………どんな風にエスカレートするのか、考えただけでも怖いねえ………」
ツナデはため息をついた。
「のん気ね。…ああいうの放っておいたら、憶測の噂話がそのうちにあたかも事実のように語られて、広まっていくもんなんだよ? ちょいと睨んで、聞こえてるぞコラ! …ってビシッとやって、口を閉じさせなきゃ!」
うーん、とサクモは小さく唸った。
「そうだね………本当だと思われて、また男に迫られるのは面倒だしねえ………」
ツナデは驚いて顔を上げた。
「………えっ………マジにあったの? そういう事」
『白い牙』相手に、大胆な輩もいたものだ。
「ん? ………うん、まあ………何でか、僕をそういう眼で見る人はいるんだよ。まあ、それはお断りすればいいだけの話なんだけど………」
ただ、とサクモは淡々と続けた。
「任務で、という話になるとね。………本当は、彼女達が言っていたみたいに、このあんまり男らしくない見かけを利用して、上手いことお稚児さん趣味の人達をたぶらかす事が出来た方がいいんだろうけど………どうも僕は、かなり不器用らしくて。…見た目以前に、中身が向いていなかったらどうにもならないっていう見本みたいな事になってしまってねえ。………その…前に、そういう任務の修行をつけてくれようとした先生も、サジ投げた。曰く、お前はこっちの才能ゼロだから、もうクナイでも持って暴れてろって」
ヒクッとツナデは口元を引き攣らせた。
「………無理しないで、笑ってもいいよ? ツナデちゃん」
「笑ってないッ!」
怒っているんだ、とツナデは内心で呟いた。
何故かは自分でもわからなかったが、サクモにそういう『修行』をさせようとした大人が実際にいた、というのがむやみに腹立たしく思える。
ツナデ自身は、色の修行はしていない。初代の孫娘である『姫』にそんな真似をさせるわけにはいかないからだろう。
「…そお? まあ実際、そういった駆け引き的なものが必要な任務より、クナイを振り回して暴れる任務の方が圧倒的に多いからね。…今のところ、不都合は無いんだけど。………情けない話でしょう?」
ツナデは驚いてサクモの顔を見直してしまった。
彼が『いたたまれない』気分になったのは、自分がそういう眼で見られた事そのものではなく、忍として自分に望まれた結果が出せなかった事を恥じてのことだったのだ、とツナデは気づく。
(………妙な所でホントに忍らしいね、この人は………)
その先生とやらが、サクモの『才能』にさっさと見切りをつけてくれて良かった。
性別が男だからこそ、その稀に見る美貌に余計に価値があるのはわかる。だが、その価値に固執する愚を犯し、性格的に不向きな任務を無理強いして、身体を損なわせてしまっては元も子も無い。
それよりも、彼の生まれながらに持つ強大なチャクラと、それを操る戦闘能力を生かす任務につける方が、木ノ葉にとっての益となるだろう。
ツナデは、端正な少年の横顔をちらっと盗み見た。
皮肉な事に、他人(特に女性)が羨むほどの美貌は、この少年に何の意味も益ももたらしてくれないのだ。
見事なまでに宝の持ち腐れだな、とツナデは嘆息した。
風になぶられるたびに彼の髪は木漏れ日を受け、光を弾いて輝く。さっきの女の子達が羨ましがっていた、綺麗な白銀の髪。
(―――本当に、綺麗………)
ツナデは唐突に、ポツンと疑問を口にした。
「―――どうして、それ、伸ばしているの………? 髪」
 

 

 



 

ツナデ姫とサクモさん編です。
この二人は、一応以前からの顔見知り。
仲が良くなったのは、自来也が彼と知り合ってからです。自来也がサクモを構うので、自然にツナデも彼と接する機会が増えたのですね。
この二人の会話ってなんか………女友達同士のようだ………;;


(08/9/7)

 

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