さあ、これからゆっくり湯を楽しもう、と思った矢先に自来也に呼び止められたツナデは、今来た廊下を不機嫌に戻った。
ここのお風呂は温泉を引き込んでいるっていうから楽しみにしていたのに、とブツブツぼやく。
だが、医療に携わる者として、病人を放っておくわけにはいかない。
それが同じ里の忍ならば、尚更だ。
「熱があるって? この雨で風邪でもひいたのかしらね。まったく、体調管理くらいしろってのよ」
「………ワシにはよーわからんかったが。…大蛇が、血相変えてお前を呼べと言うんじゃ。………ただの風邪ではないのかもしれん」
ツナデはぴた、と足を止めた。
「………大蛇丸が?」
一瞬考え込むように眉を顰めたツナデは、くるりと踵を返した。
「おい、ドコへ行くんじゃ! 病人は二階の端の部屋だぞ」
「荷物を取ってくる! チャクラだけじゃ治せないかもしれない。アンタは先に行ってて」
その頃。
布団に寝かせる前にサクモを着替えさせようとしたソマとナユタは、少年の身体を見てぎょっとしていた。
「……………何だ、これは………!」
少年の身体のあちらこちらに、真っ赤な紅斑が浮かび上がっている。その肌の白さ故か、まるで紅斑が色鮮やかな刺青のようだ。
それを見たソマは思わず「………水疱瘡……いや、蕁麻疹か…?」と呟いた。
ナユタは首を振った。紅斑で思いつく一般的な病名だったが、これは違う。
「そのどちらでもなさそうです。色も形状も違いますから。………これは、まずい………」
本当に水疱瘡やただの蕁麻疹なら、その方がどれだけ良かったか。ナユタは顔を上げた。
「女将さん!」
女将は、部屋の外で若い仲居に指示を出しているところだった。
「何でございましょう?」
「申し訳ない! ………すぐに、この宿にいる人達全員に確認を取ってください! 紅薊熱の予防接種を受けているかどうか! そして、紅薊熱に罹った事がなくて、予防接種も受けていない人は、この部屋から遠ざけてください!」
え、と女将が瞬いた。
「まさか、そんな………」
女将は、廊下の中居達をくるりと振り返った。
「アンタ達、紅薊熱の予防接種は?」
中居達は顔を見合わせる。
「…大丈夫です。受けています」
「アタシも。…予防注射の後、ちょっと熱出したから覚えてます」
ほ、と女将は息を吐いた。
「そ。良かった。じゃあ、今いるお客さん達全員に確認してちょうだい。それから、念の為に玄関からここの部屋まで消毒して。…大丈夫、予防接種さえしていれば紅薊熱は怖くない病気だから」
そこへ、年若い少女の声がかかった。
「…今、紅薊熱って言った?」
女将は頷いた。
「そこの、忍者の方が………」
少女はずかずかと部屋に入っていった。
「紅薊熱だって? ホント?」
ナユタは、入ってきた少女が初代火影の孫娘であることに気づく。
「これはツナデ姫。…おいで頂き、ありがとうございます。………二時間ほど前に、発熱に気づきました。もしかしたら、もっと前から熱は出ていたのかもしれません。…それと、今……着替えをさせようとして、紅斑に気づいた所です」
「どれ?」
素早く病人の状態をチェックしたツナデは、顔を顰めた。
「………この子、木ノ葉の生まれじゃないの?」
「いえ。…確か、生まれも育ちも木ノ葉だと聞いていますが………」
「なら、子供の頃に紅薊熱の予防接種は受けているはずじゃない! いえ、木ノ葉では全員が受けているはずなのに、何で………」
ナユタは首を振った。
「わかりません。………今わかっているのは、明らかに発病しているという事だけです」
「………しかも、重症化しかかっている。…まずいわね。……とにかく、アンタ達はその子のずぶ濡れの服、早く脱がせて! 女将さん、悪いけど浴衣、たくさん用意してもらえますか」
「はい、ただいま」
女将はすぐに浴衣を取りに出て行った。
ツナデは、自分の荷物を引っ掻き回して薬を捜した。
「………この薬、効くかしら。………とにかく、少しでも熱を下げないと………」
「どうなるの?」
ツナデはチラッと声の主に視線を動かした。
「………アンタだって、この病気の知識くらいあるでしょう?」
大蛇丸は肩を竦めた。
「紅薊熱。………高い熱と、身体中に出来る赤い薊のような紅斑が特徴の伝染病。罹患者の致死率は五割から六割。………そのうち、咽喉が腫れ上がって気道を塞ぎ、窒息する患者が半数。残りは、脳の指令系統か、心臓をやられてアウト。…って、本には書いてあったわね。……でも、予防接種の徹底で、今では過去の病気扱いになっているはずでしょ」
「そうよ! 私だって、この病気の患者は初めて見るわ。ここ十年くらい、木ノ葉での発症者はいないもの」
ソマ達は熱で意識の無いサクモの忍服を脱がせ、湯で絞った手拭で身体を丁寧に拭き、浴衣を着せた。
サクモの呼吸は、だんだん荒くなってきていた。
苦しそうに眉根を寄せ、酸素を求めるように薄い唇が開いている。
ツナデと大蛇丸の会話を聞きながら、ナユタは唇を噛んだ。
ツナデの言う通りだ。
サクモがどこで感染してしまったかはわからないが、部隊中、発病したのは彼一人。
他の者は、予防接種を受けていたので無事だった―――ということになる。
今時この病気に罹るのは、無医村の者や貧しくて医者に行けないような貧困層の者だけだ。
間違っても、木ノ葉の上忍クラスが罹るような病ではない。
「隊長は、任務で作戦上の必要と、想定外のアクシデントに対応する為、チャクラを大量に消費していました。…抵抗力も免疫力も、極端に低くなっている状態でしたので、感染しやすい状態ではあったと思われます」
「………隊長?」
ツナデはきょとんとした顔で振り返った。
「………もしかして、隊長って、この子…?」
大蛇丸が肯定する。
「そうよ。…噂、知らない? …その人が、白銀の阿修羅よ」
ツナデは思わず瞠目した。
「………聞いたこと、ある。………もの凄く強いって………ウソ、こんな小さな子だったの?」
「小さくないわよ。…あんたより年上よ、ツナデ」
それより、と大蛇丸の声が低くなった。
「早く、処置して。…死なせるんじゃないわよ。…その人死なせたら、木ノ葉の大きな損失になるんだからね」
キッとツナデは大蛇丸を睨んだ。
「わかってる! どんな患者だって、最大限の生かす努力をするのが医療忍者よ! 上忍も下忍も関係ないわ!」
そう言う一方、ツナデはひどく驚いてもいた。
大蛇丸がこんなにも関心を寄せ、命を助けようとする人間が存在していたなど、思いもかけなかったからだ。
ヒューヒューと辛そうな呼吸を繰り返している少年は、意識を失っている所為か年齢よりも幼く見えた。噂に聞く、戦闘能力の高い上忍にはとても見えない。
(この子が、白銀の阿修羅。どれだけ強いのか、この眼で見てみたいものだわ。紅薊熱ごとき、私が治してみせるわよッ…と、言いたい所だけれど………)
「………この辺、病院無いかしら。………ある程度の設備がある………」
「ツナデ姫? しかし………」
「わかっているわ。…この雨の中、病人を移動させるわけにはいかないけど、酸素吸入器を都合してもらえないかと思ったのよ。………ワクチンは…無いでしょうね、たぶん」
よほど大きな病院でもなければ、既に過去の病気とされている紅薊熱のワクチンなど無いだろう。
ナユタが立ち上がった。
「私が行きます。酸素吸入器、貸してもらってきます」
「いや、ワシが行く。アンタは医療忍者なんじゃろ? ツナデと一緒に、サクモさんを看ててくれ」
戸口に、タオルと浴衣を抱えた自来也が立っていた。
「…アンタ、先に行ったはずなのにいないと思ってたら、仲居さんのお尻を追っかけてたの?」
ツナデの嫌味を、自来也はしれっと受け流した。
「ワシらの仲間の所為であんまり宿の人に迷惑掛けられんからのぉ。コイツを運ぶ手伝いをしていただけだ。…ま、仲居の姐ちゃん達はみーんな可愛いけどの」
「言ってなさい、まったく。…それより、猿飛先生に一言断って、許可をもらってから行くのよ。いくら、もう任務が終了しているからって、勝手に宿から出たらまずいわ」
「わかってるって。人ひとりの命を救う為だ。先生だって、うるさくは言わんだろ」
それまで黙ってツナデ達の会話を聞いていたソマが、静かに立ち上がった。
「ツナデ様。………木ノ葉には、ワクチンがあるのでしょう?」
「………あるはずよ」
「では、取りに行きます。夜っぴて走れば、明日の昼までには戻って来られます。…それまで、隊長を頼みます」
待ちなさい、と大蛇丸がソマを止めた。
「…アンタは、副長でしょう? 隊長が倒れているのに、アンタまでいなくなってどうするの。………私が行くわよ。たぶん、アンタらの隊の誰よりも私の方が速いわ」
「………だが………」
ソマを無視し、大蛇丸は懐から紙片を出した。
「ツナデ、医局に一筆書きなさい。申請書が無ければ、ワクチンを出してくれないでしょ。アンタの名前で要請した方がいいわ」
ツナデは頷き、急いで筆を走らせる。
大蛇丸は、高熱にうなされるサクモをチラッと見て低く呟いた。
「………こんな死に方、私は許さないわ。……絶対、死ぬんじゃないわよ」
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