カーン、カーン、と弔いの鐘が響き渡った。
ひっそりとした葬儀が終わり、死者の血縁者、現役時代に親しかった同僚などが年若い喪主に弔意の礼をして引き上げていく。
少年は、参列した弔問客一人一人に、丁寧に礼を返して見送った。
最後の一人が去った後、彼は喪服のまま独り丘の上に登り、茜色に染まっている夕暮れの風景を見下ろした。
丘の上の桜の木は春には見事な花をつけるが、今はまだ蕾すら見えない。
その木に手をかけ、銀髪の少年は長いこと佇んでいた。
「………風が、冷たくなってきたわ。…いつまでそうしているつもり?」
背後から掛けられた声に、少年は振り向かなかった。
「………お悔やみを…言うべきなのでしょうね」
少年は無言で首を振る。
「………………泣いて……いるの?」
その驚いたような声に、少年はやっと振り返った。
「自分でも………びっくりしている。………僕はね、ずっと独りだと思ってた。同じ家に住みながら、もう長いことバラバラで………あの人が、僕を疎ましく思っていることも、知っていた。………寂しかったけど、どうしようもないものね」
ここね、と少年は呟くように続ける。
「………僕がまだ小さい時に一度だけ、あの人が連れてきてくれた処。………桜の花が、とても綺麗だったんだ………」
ぽろぽろと。
透明な滴が彼の頬を伝い落ちていく。
「あの人はもう、この木が花をつけるところを見ることは出来ないんだなあって…思ったら、涙が出てきたんだよ。………おかしいね。お葬式でも、泣かなかったのに」
「………………そう」
「………今までも、自分は独りだと思ってたんだけど。………やっぱり、違った。…違ったんだ」
黒い喪服の袖先で滴り落ちる涙を抑えながら、少年は心の内を声にした。
「………どんなにあの人に疎まれていたとしても……僕は、おじい様が逝ってしまったことが、悲しい。………………僕は………僕は…これで、本当に……独りになってしまった……………」
哀しみの涙を素直にこぼす友人を、黒髪の少年は複雑そうな顔で見ていた。
そうして、ため息交じりの小声で呟く。
「………そう。………毒でも害でも、アンタにとっては無いよりマシだったって…わけね………」
ぽつり。
ぽつりと。
薄曇の空から、涙雨がふってきた。
1
火の国では、夏に向かうこの季節は雨が多く、気温に湿度が加わって毎年人々を苦しめる。
何日も陽のささない長雨。そして時折訪れる豪雨が、各地に被害をもたらす。
日照りの時は恋しくなる雨だが、こうも降水量が多いと辟易するものだ。
現にここ十日ほど、人々は殆ど日の光を拝んでいない。
だが、天候はようやく回復の兆しを見せ始めていた。何日も続いていた激しい雨が、今朝から霧雨に変わったのだ。
その霧雨の中、七〜八人ほどの男達が隊列をなして山道を歩いていた。
彼らは、任務を終えて里に帰還する、木ノ葉の忍達だ。
連日の豪雨で山道はぬかるんでいて、訓練を積んだ忍の足でも歩きにくい。
まとわりつくような霧雨で全身が濡れそぼり、気分まで重くなってくる。誰しもが、熱い風呂と気持ちのいい布団を脳裏に思い描きながら一歩一歩、足を進めていた。
その空気を察したのか、先頭にいた少年が振り返って皆を励ます。
「もう少しですよ、皆さん。麓には宿場町があります。今夜は、乾いた布団で休めますから」
彼の名は、はたけサクモ。
他の男達より十歳以上も年齢が下だったが、階級はこの部隊における最上位の上忍であり、指揮権を持つ隊長である。
男達は思わず笑顔を浮かべた。
「そりゃありがたい。宿に泊まれるんですか」
「はい。あまり、高級な宿は無理ですけど」
「いやいや、風呂と布団がありゃ十分ですよ」
「でも、里に戻るまでは任務中ですから、お酒はダメですよ?」
少年に釘を刺された男達は、後ろめたそうに笑った。宿に泊まるなら、少しくらい飲めるだろうと考えた者が少なからずいた証拠だ。
「温かい汁物が口に出来るだけでも、ありがたいってもんです」
そう言いながら、医療忍者であるナユタはさりげなく少年に近づいた。
先刻から、サクモの歩き方が普段とは少し違うことに気づいていたのだ。もしかしたら具合が悪いのでは、と思っていたが、彼の声を聞いてその懸念は確信に変わった。
「それより隊長、体の調子があまり良くないのではありませんか?」
「………え………いいえ、大丈夫です………」
サクモは首を振って、ナユタと距離を置こうとした。これでは、具合が悪い事を白状しているようなものだ。
先の隊長が病に倒れ、この年若い隊長に交代してから半年近くになる。少年のクセをだいぶ呑み込んできていた副長のソマは、医療忍者の手から逃げようとしたその肩を捕まえた。
「大丈夫なら、逃げない。…失礼、隊長」
ソマはサクモのマントの襟から素早く手を差し込み、首筋に触れる。
体温の高いソマの指先よりも、更にその肌は熱かった。
歩いていたから体温が上がっている、というような熱さではない。明らかに発熱している。
「…熱、ありますね。結構高いですよ。…この感じ、三十九度はある。…本当は、歩くのも辛いでしょう」
サクモが何か答える前に、ソマはさっさと彼の手を引きながら自分の身体を反転させて屈む。
次の瞬間には、サクモはソマに背負われていた。
「………ソマさん! 歩けます」
「具合が悪い時は無理しないって、約束したでしょう? チャクラを使い過ぎたんですよ、隊長。いいから、おとなしく背負われていなさい」
「………はい。すみません………」
サクモは小さな声で謝り、ソマの背に身体を預けた。
そんな少年の姿を笑う者は、この隊にはいない。
皆、心配そうな顔でその小さな背中を見ている。
彼が体調を崩しても仕方の無い状態であることを、知っているからだ。
サクモはこの任務で何度も難度の高い術を使った上、山に入る前に鉄砲水に襲われかけた村を護る為、雷遁を使って巨大な岩を砕き、土遁で地形を変えた。
村が危険な状態にさらされているのが分かっていて、見過ごすわけにはいかなかったのだ。
おかげで、村を襲った濁流は間一髪、逸れて荒地の方へ流れていった。
この部隊の中で、あれだけの威力がある雷遁を放てる者がサクモしかいなかったとはいえ。
本来の任務で疲弊していた身体が回復しないうちに立て続けに術を使い、想定外のチャクラを大量消費した彼の体力は、限界に近かっただろう。
それでもサクモは、そこで休もうとせずに夜を徹しての山越えを選んだ。
通りすがりの忍に助けられた村人達は感謝し、サクモ達に泊まっていくように言ってくれたのだが、村があまり豊かではないのを見て取ったサクモは、「先を急ぐから」と謝絶したのである。
彼の判断に異を唱える者はいなかった。
長雨のこの時期は、どこの村も辛い。突然の客人をもてなす余裕など無いと、彼らにもわかっていたからだ。
だがこの雨は、疲弊したサクモの身体から更に体力を奪ってしまったに違いない。
サクモの淡い銀色の髪が雨ですっかり濡れて、服や肌に貼り付いている。
その髪の水気を拭い、マントのフードを被せ直してやりながら、ナユタは内心首を傾げていた。
サクモは今までにも時々、術やチャクラ刀を使い過ぎてチャクラ切れの症状を見せることがあった。
だが、そういった時は体温が低下するのが常だ。こんな風に高熱を出したことはない。
(…もしかして、チャクラ切れだけじゃない……?)
ナユタの世話焼きに、いつもなら律義に礼を言うサクモが反応しない。
ソマに背負われたことで力が抜けてしまったのだろう。意識が朦朧としているようだ。
「………副長、急ぎましょう。…隊長の様子が変です。おそらく、今まで相当無理をして歩いていたのでしょう。早く、ちゃんと診なければ」
ナユタのささやき声に、ソマはぎゅっと眉間に皺を寄せ、頷いた。
「わかった」
眼のいいヤマネが、宿場町に入ってすぐ、一軒の宿に木ノ葉の忍が逗留しているしるしを見つけた。他の里の者や一般人にはわからない、目立たぬしるしだ。
同じ木ノ葉の忍同士、異郷での情報交換や相互の助力がその目的である。
普通なら、そのしるしがある宿を迷わず選ぶところだが。
「副長。どうします?」
ヤマネは、気遣わしげな視線をソマの背中に向けた。
出来れば、同郷の忍にも今のサクモをなるべく見せたくない、という思いが彼らにはある。
任務の途中で熱を出して倒れるなど、隊長としてあまり外聞が良くない。
ごく一部だが、年の若いサクモが上忍であり、もしも同じ任務につけば上官になってしまう事を面白く思わない者が、里の中にはいるのだ。
サクモは稀に見る天才忍者だ。その戦闘能力は、並外れて高い。
だが、実年齢はまだ子供であり、発育不良気味の身体にはそれ相応の体力しかなく、また、見た目通りの繊細な少年だった。
部下としては、そんな彼を放ってはおけない。
彼らは、この幼い隊長を出来る限り護ってやりたいのである。里の狭量な連中に、皮肉や当てこすりの材料を提供したくはなかった。
だが、サクモの容態は明らかに悪化している。熱が上がってきたようで、呼吸も苦しげだ。
体面よりも大事なものが失われては、話にならない。
「……そうだな。…ヤマネ。すまんが、ちょっと行って宿の様子を見て来てくれるか」
「了解です」
口寄せで山猫を召喚するヤマネは、彼自身も身が軽い。すぐに件の宿まで走って行く。
そして五分後、複雑な表情で戻ってきた。
「どうした?」
「部屋はありました。小人数用の部屋が二つ。グズグズしていたら埋まっちまいそうだったんで、一応押さえてきました。………ただ、先に逗留しているヤツらの中に、どうやら例の蛇小僧がいるみたいで………」
それを聞いた仲間達は、僅かに顔を曇らせる。
蛇小僧とは、サクモが初めてこの小隊の指揮を執るきっかけになった『峠の妖怪事件』の犯人だった、大蛇丸のことだ。人を喰った態度に、薄気味悪いチャクラの少年。
彼らは大蛇丸を好くは思っていなかった。ソマも同様だったが、ここで避けるべき相手でも無いと判断する。
大蛇丸のことよりも、今はサクモの身体の方が大事だ。
「別に、彼は我々の敵ではない。同じ里の忍だ。…確かに、いい印象は無いがな。………こちらに病人がいる事は宿側に伝えたか?」
「はい。…はじめ応対に出たモンはあまりいい顔はしませんでしたが、女将が構わない、と」
大方の宿は、病人を嫌がる。他の客に迷惑がかかることがあるからだろう。
ソマは、チラリとナユタを窺った。
ナユタは、眉間に皺を刻み、難しい顔をしている。
「………ここは女将の厚意に甘えて、宿に入れてもらいましょう。隊長をいつまでもこんな雨の中に置いておけません。………早く、手当てをしなければ」
「ああ。…皆、あの宿で休むぞ。行こう」
宿の女将は、愛想よく彼らを迎えてくれた。
「雨の中お疲れ様でございます、木ノ葉の方々。私がこの宿の女将でございます。どうぞ、ご入用なものは遠慮なく仰ってくださいませ。………ご病人がおいでになるというお話でしたが………」
ソマの背でぐったりしているサクモを見て、女将は「まあ!」と眉根を寄せた。
「まだ子供じゃないですか! ああ、こんなに濡れて………」
いかにも具合の悪そうな少年の姿は、彼女の母性本能に訴えるものがあったのだろう。
女将は急にせかせかと従業員達に指示を出し始めた。
「二階の端、一番静かな部屋に床の用意をして! それから、熱いお湯と、盥を。タオルは多めに用意してね。それと、飲み水も。ちゃんと吸い飲みを用意するのよ」
女将は、「ちょっと失礼」とサクモの額にそっと手を当て、顔を顰める。
「随分と熱が高いですね。……お医者、呼びましょうか?」
ソマは首を振った。
「一応、部隊の中に医術の心得のある者がいる。そいつの手に負えなかったら、呼んでもらうことになると思うが」
「そうですか…? あ、他の皆さんのお食事はどうなさいます?」
「…取りあえず、七人分の食事を頼む。簡単なもので構わんし、酒もいらん。………病人は、食事どころではないだろう。熱が下がったら、何か喉の通りがいいものを頼んでいいかな」
「承知しました。では、皆さんはお風呂を先にどうぞ。その間にお食事のご用意をさせて頂きます」
そう言いながら、女将はチラッと気遣わしげな眼でソマの背を見る。
「………あの、差し出がましいようですが。………その子の世話、わたくし共が致しましょうか…? 濡れた服を着替えさせないといけませんでしょう? …見たところ、他に女性の方はいらっしゃらないようですし………その………」
ソマは、女将が髪の長いサクモを少女だと勘違いしていることに気づいた。
「い、いや、大丈夫だ、女将! よく見てくれ。女の子じゃない、男の子だ」
え? と女将は眼を見開いた。
「…あらやだ。色が白くて優しい顔立ちだから、女の子かとばかり。…失礼しました」
会話をすれば、話し方や雰囲気で男だとわかるのだが。
今は意識が無いので、間違われても仕方が無い―――のかもしれない。
隊長も難儀なことだ、とソマは内心嘆息した。
そこへ、聞き覚えのある掠れ声が掛かる。
「あら? アンタ達………」
ハッとソマ達が振り返ると、彼らがあまり会いたくないと思っていた少年が立っていた。
「…大蛇丸………」
大蛇丸は、ソマの背中に気づいて、眉を顰める。
「………サクちゃん? どうしたの。…怪我?」
気を失っているサクモの代わりに、ソマが応えた。
「怪我はしていない。たぶん、疲労とチャクラ切れじゃないかと………」
「ふん? それにしちゃ………」
大蛇丸は素早く近寄って、力無く垂れ下がっていたサクモの手を取り、頬に触れる。
途端、大蛇丸の表情が変わった。
「何よ、これ。熱が高過ぎる………」
彼はサッと振り返り、「自来也!」と叫んだ。
その声に応えるように、廊下の角から、のそ、と大柄な少年が顔を出す。
「何じゃ、大蛇。らしくもねぇのお。大声出して」
「ツナデは?」
「アレならちょーど今、風呂に行ったぞ。覗いたらブッ殺すって凄んでから」
「呼んできて」
は? と自来也は眼を丸くした。
「やぶからぼうに、何じゃい」
「女の風呂は長いのよ! 入る前につかまえて、連れてきて! 早く!」
大蛇丸は、ソマの背におぶわれているサクモをスッと指差した。
「急患よ」
ソマの背中を覗き込んだ自来也は、驚いた声をあげる。
「え? サクモさん? 何じゃ、怪我でもしておるんか」
「高熱で意識が無いみたいなの」
自来也は頷いた。
「そりゃ大変じゃ。すぐ、アイツを連れてくる。…アンタらの部屋はどこだ」
話の流れで、この少年達が医師を呼ぶつもりなのだと察した女将が答えた。
「ご病人のお部屋は、二階の南側。一番奥にご用意させて頂いているところです」
「わかった」
急いで湯殿の方へ向かう自来也を見送ったソマは、大蛇丸に「誰を呼んだ?」と訊いた。
「………ツナデ姫よ。私と年齢は変わらないけど、医療忍者としての腕は確かだわ」
ツナデの名に反応したのは、ソマではなくナユタだった。
「やはり、あのツナデ様か! …副長、初代様のお孫様です。確かに、彼女は天才的な医療忍者です。………自分一人で隊長を診るよりも、的確な診断と治療が出来るでしょう」
医療忍者としてのプライドよりも、サクモの治療を優先するナユタの言葉に、そうか、とソマは頷いた。
仲居が急いで階段を駆け下りてくる。
「女将さん、二階の部屋、お支度整いました! お湯もすぐ来ます」
女将は仲居に「ご苦労さん」と応えてからソマを促した。
「さ、どうぞ。こちらです」
先に立って階段を上がる女将の後について、階段に足を掛けながらソマは部下達を振り返った。
「お前達は交替で先に風呂とメシを済ませとけ。…ナユタは一緒に来てくれるか」
「はい」
階下に残されたヤマネ達は、不安そうな顔でサクモを見送る。
サクモのことは心配だが、自分達には今、何も出来ない。
ソマの次に古株のタカオが、パン、と手を打った。
「副長の言われた通り、交代で風呂を使わせてもらおう。…俺達まで風邪なんぞ引いたら、目も当てられん」
頷きあった彼らは、様子を伺いながら控えていた仲居に案内されて、湯殿へ向かった。
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