MOON −2
彼を抱え上げられる腕が、支えられる身体が欲しい。せめて、今だけでも。 自分が、サクモさんと同じくらいの大人になったところを想像する。 「変化!」 身体に軽い衝撃が走った。 目線が高くなったのがわかる。自分の手足を見るに、術は成功。 ―――よし! サクモさんが何か言う前に、さっさと彼の身体に手を回して抱え上げた。 何か、不思議な感じ。チャクラの力を借りているとはいえ、サクモさんを抱っこしていることが。 「ミ、ミナトちゃん…ちょっと………」 サクモさんがあせったような声を上げた。うん、僕に抱き上げられるとは思ってもいなかっただろうから、驚くよね、そりゃ。 でもチャクラ切れって、本当に動けなくなるものなんだな。 サクモさん、声は上げたけど、僕の手を振りほどこうとするような素振りは見せない。………と言うか、したくても出来ないんだろう。 それに、これはおそらく低体温症を起こしている。早く、温めないと。 「一休みするなら、お湯の中でした方がいいです。そのままじゃ、本当に風邪をひきますから」 あれ、声が低くなっている。 僕ったら、ホントに大人に変化しているみたいだな。 僕の腕の中で固まってしまったサクモさんを、出来るだけ丁寧に湯船の中に降ろす。 「今、生姜湯を作ってきます。そこで温まっていてくださいね」 「あ、ハイ………」 彼はどこかぼんやりとした返事をした後、僕を見上げて微笑んだ。 「………やっぱりミナトちゃんは、大きくなると凄くいい男になるんだねえ」 ―――え。 ふふ、とサクモさんはお湯の中で笑っている。 「もう、からかわないで下さい!」 あ、でも冗談を言う元気があって良かった。 風呂場から出た僕は、脱衣所の洗面台の前を通り過ぎざま、チラリと鏡を見た。 実は、自分を大人にした変化は初めてだったから、見るのが少し怖かったけど、どんな大人になるのだろうという好奇心に負けてしまったのだ。 「……………」 自分の顔には見えなかった。 いや、髪や目の色は変わらないし、顔全体の印象も自分だとは思うけど。 サクモさんは『いい男』って言ってくれたけど、自分では「そうか、こんな顔になるのか」という感想しか浮かばなかった。 『いい男』っていうのはお師さまのような人を言うのだろうし、純粋に顔の美醜で言えば、サクモさんの方が綺麗だと思うし。 ―――まあ、これは単なる変化の術だから、将来僕が本当にこんな顔になるかどうかなんて、どうでもいいけど。 用は済んだのだから、変化はもう解こうかと思ったが、サクモさんに手を貸すならもう少しこのままの方が都合いいだろうと思い直す。 手早く生姜湯を作り、風呂場に戻った。ノックをすると、今度はちゃんと返事が帰ってくる。 「…はい?」 「失礼します」 お風呂で温まった彼の顔色は、さっきよりは良くなっていた。 「はい、生姜湯です。もしもお好きじゃなくても、飲んでくださいね。身体の中から温まりますから」 「…うん。生姜湯は好きだよ。ありがとう」 サクモさんは湯呑を受け取って、口をつけながらチラッと僕を見上げる。 「………ミナトちゃん、変化は解かないの?」 「サクモさんがお風呂から上がって、ちゃんと食卓についてくださったら、解きます」 僕の意図を察したサクモさんは、苦笑した。 「なるほど。…ま、こんな所でヘバッていた僕が悪いんだね。でも本当にもう大丈夫だよ」 「…本当に…ですか?」 「あー疑っている。………まさかミナトちゃん、僕が風呂から出るまでずっと見張っているつもり?」 「………出来れば、そうさせて頂きたいです。…あの、見張るって言うか………良ければ手をお貸ししたい、と思って。…チャクラ切れの時は、無理をしない方がいいです。普通の疲労とは違うってこと、サクモさんの方がよくご存じでしょう?」 つまり、とサクモさんは眼を細めた。 「ここでいくら僕が大丈夫、と言ったところで、君は心配で、気が気じゃないんだね」 「………………すみません」 「何故、君が謝るの? ………わかったよ、降参。遠慮はしないって約束したものね。…じゃあ、湯船から出る時だけ手を貸してもらおうかな。忍者が風呂場で転んでケガでもしたら、いい笑いものだし。つかまる所、無いものね」 「ハイ! 喜んで」 手すりの代わりでも何でもする。………実際、それくらいしか出来ないと思うけど。 サクモさんはますます苦笑して、「参ったな」と呟いた。 「世話の焼ける親子で申し訳ないね。…まさか、カカシだけじゃなくて僕まで君に風呂に入れられてしまうとは思わなかったよ」 「だって…チャクラ切れのところに、冷水なんて浴びて…下手したら風邪どころでは済みません。…命にかかわります。とにかく体温を上げなきゃ…って。………失礼なことをしているのは、わかっていますけど。………でも、僕は………」 そう口にして、そこでやっと僕は自分のしている事が大変無礼なのではないかと気づいた。 忍は、他人の前で『弱さ』を見せる事をよしとはしない。 サクモさんが大丈夫だと言っているのに、僕は出過ぎた真似をして、彼に恥をかかせてしまっているのかな。 ………でも、手を出さずにはいられなかったんだ。あんなに身体が冷たくなっているのに放っておけないじゃないか。 こんな事なら、最初から入浴のお世話をするのだった。僕が、髪や身体を洗うお手伝いをしていれば、サクモさんはここまで疲れたりはしなかっただろうに。 お師様の背中なら何度も流した事があるのだから。サクモさんが帰って来た時にそう申し出れば良かったんだ。 ………サクモさんの性格を考えると、断られる可能性の方が高かったとは思うけど。 「ミナトちゃん」 サクモさんは、ゆっくりと手をあげて僕の頬に触れた。 「失礼だとかね、そういう風には思っていないよ。…君が、純粋に僕を心配してくれているだけだというのはわかるから」 「………嫌、じゃないですか?」 自分でも、驚くほど情けない声だ。 「嫌じゃないよ。……うん、まあ…君にこんな様を晒しているのは恥ずかしいと思うけど。それって僕が悪いのだし」 また、先刻の憤りが僕の中で頭を擡げた。 「あ、貴方の所為じゃ………! いけないのは、サクモさんがこんなになるまで超過任務を課した上の方々です。貴方が、こんなギリギリの状態になるまで力を使っているのを…」 「ミナトちゃん」 サクモさんの指が僕の頬をすべって唇に触れ、僕の言葉を遮った。 「………それ以上、言ってはいけないよ?」 あ、と僕は口を押さえた。 「僕だって、自分の状態を確認して、やれると判断したから連続の任務でも請けた。…だから、責任は僕にあるんだ。………わかるね?」 僕は、頷くことしか出来なかった。 「いい子だね」 と言ってから、サクモさんはふいに笑った。 「………その姿の君に、『いい子』って言うのも………何かおかしな感じだね」 僕は急に恥ずかしくなってしまって、おろおろと自分の身体を見下ろした。 「あ、あの………やっぱりおかしいですか。その………」 いやいや、とサクモさんは首を振る。 「そういう『おかしい』じゃないって。…変化自体は完璧だよ。後、十年もすればきっと君はそういう姿の青年になるのだろうね。自然に、そう思える」 「………そう、ですか?」 「ん…いや……たぶん、表情はもっと違う感じになるかな? ………男の顔には、内面も出るから。これからの十年で、君の中味がどれだけ成長するか。どれだけのものを蓄えて、どんなものの考え方をするようになるか。それによって、眼が違ってくる。………楽しみだな」 僕は、恐ろしい宿題を目の前に積まれた気分になった。 「………怖い…ですね」 サクモさんは、ただ唇に微笑をのせて眼を細めるだけ。 十年後。 僕は、どんな大人に―――どんな忍になっているのだろう。 この人の傍らで、肩を並べられるくらいには、なれているだろうか。 サクモさんが、ス、と手を出した。 「あまり長く浸かっていても湯疲れするから、もう出るよ。…悪いけど、手を貸してくれる?」 「あ、ハイ。…あったまりました?」 「うん。おかげ様でね」 右手でサクモさんの手を取り、左腕を彼の腋に入れる。彼が立ち上がるタイミングに合わせて腕に力を入れ、引き上げた。 「眩暈はしませんか?」 「…少し。………あ、おさまった。もう、大丈夫」 でも、サクモさんの動き方を見ると、まだどこか辛そうだ。 もうここまでやってしまったのだから、あと少し無礼を重ねても同じ事だろう、と思い切って手を伸ばす。 「サクモさん、もう一度失礼します」 「え? あ、ちょっと…ミナトちゃん! うわっ」 僕は、大きなバスタオルで彼の身体をくるみ、そのまま抱え上げて風呂場から出た。 「居間の方が、ストーブがついていて暖かいです。身体を拭くなら、あっちで」 「………もう、ミナトちゃんには敵わないなあ………」 サクモさんはため息混じりにそう呟き、諦めたように僕に体重を預けてくれた。 せっかく温まった身体を冷やさないように、バスタオルで拭った後、すぐに浴衣と丹前を着てもらう。 座椅子があって、良かった。背もたれがあった方が、今のサクモさんにはいい。 座椅子に座ったサクモさんの髪を、僕が背中に回って拭いても、もう彼は何も言わなかった。僕の好きにさせてくれている。 もしかすると、本当にもう何か言うのも億劫なのかもしれない。―――と、サクモさんは小さな声で呟いた。 「………気持ちい………」 「…はい?」 「………人に髪を拭いてもらうのって…気持ちいいねえ………」 ふわん、とした口調。………もしかして、サクモさん眠くなってる? 「そうですか? これくらい、いつでもしますよ」 「………ミナトちゃん」 「はい」 「………変化、解いてくれないかな」 あ、そうだ。忘れていた。 「すみません。もう必要無いですよね」 「………謝ること、無いけど。…大きくても、小さくても、君は君だけどね。………満月でも、新月でも、月は月………」 ―――??? 何を言ってるんだろ? サクモさん。えーと、それよりも先に術を解かなければ。 印を組み、変化を解く。 ………やっぱり、元の姿の方が落ち着く。大きいと、踏み台に乗らなくても上の方の棚に手が届いて便利だったけど。 「………カカシは?」 「カカシ君ですか? よく眠ってます。…今日は、ミルクもたくさん飲んだんですよ」 「………そう………ありがとう。………ねえ………ミナト、ちゃん」 「はい?」 「こっち。………僕の前に、来て」 ―――? 「…はい」 サクモさんに言われた通り、彼の前に回る。 「何か? サクモさん」 「…ミナト………ちゃん」 彼は顔を上げると同時に、僕に向かって手を伸ばした。 「………ちょっとだけ。………ごめん」 その言葉の意味を聞き返す間も無く、気づくと僕は彼の腕の中にいた。
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やはり忍者は便利です。もーなんでもアリですね。 |