MOON −1
日が暮れてきた。 お師様も、サクモさんも任務でいない。 今日はもう、お二人とも戻らないかな。予定では、サクモさんの方はとっくに帰還してもいいはずなのに、延びているようだ。 お師様が任務で留守なのはよくあることなので、僕は一人で留守番するのは慣れている。 時々、少し寂しくなることはあったけれど。 でも、今はカカシ君がいるから寂しくない。カカシ君はまだ赤ちゃんだから、おしゃべりは出来ないけど、僕はカカシ君にいっぱい話しかけるんだ。 「カカシ君、あそこに猫がいるよ」とか、「お父さん早く帰ってくるといいね」とか。 そうしたら、カカシ君はサクモさんにそっくりな色の眼でこっちを見てくれるから。 ちゃんと、眼でお話ししている。この子はきっと、綺麗で賢い子になるに違いない。 そう、綺麗で、可愛くて、賢くて―――サクモさんに似た優しい子になる。 『白い牙』の息子なら、きっと強い忍になる、と大人は皆言うけれど。 ………僕も、カカシ君が忍者を志すというのならば、同じ事を言うと思う。………でも、そういうのを今から決め付けたら、いけないような気がするんだ。 だって、もしもカカシ君が忍者はイヤだって言ったら? 忍者以外の才能を持っていたら? 無理矢理に忍には出来ないでしょう? 僕の考えは間違っているわけじゃないと思う。何故なら、サクモさんは一度もそういう事は言わないから。 「僕の息子なら、きっと強い忍になる」なんて、言ったことが無いから。 僕を見ながら、「カカシも、ミナトちゃんみたいに元気ないい子に育って欲しいな」って言ったことはあるけれど。(…嬉しかったけど、とっても恥ずかしかった) サクモさんは、この子が病気やケガをせず、健康に育ってくれることだけを祈っている。 彼が、カカシ君を忍者にはしないって言ったら、どうなるのだろう。 みんなが、当然のように優秀な忍となることを期待している、この子を。 カカシ君は、可愛らしい口でポッカリとあくびをした。 ああ、赤ちゃんって、何をしても可愛いなあ。…うん、今僕がそんなことを考えても仕方ないよね。 まずは、カカシ君がすくすくと丈夫に育つ方が大事だ。たくさんミルクを飲んで、たくさん眠って。 「眠い? じゃあ、ねんねしようねー」 カカシ君を寝かしつけていると、玄関の鍵を開ける音がした。 あの静かな戸の開け方は、サクモさんだ。僕は、玄関まで迎えに走り出た。 「お帰りなさい、サクモさん」 良かった。ケガは、無いみたいだ。 「ただいま。いつもごめんね、ミナトちゃん。カカシの面倒見てもらってしまって………」 「いいえ。サクモさんこそ。………任務、長引いたんですね。お疲れ様でした」 ―――サクモさん、顔色が悪い。 これ、玄関が暗いって所為だけじゃないと思う。 きっと、疲れているんだ。 「うん………ひとつ終わったと思ったら、帰還しなくていいから次の任地へ行けって、僕だけ飛ばされてしまったよ。…里も、人使い荒いよねえ…」 おかげで、帰還する仲間から少しずつ分けてもらって、忍具や薬の補充をするハメになった、とサクモさんは苦笑した。 僕は笑えない。瞬間わき上がった憤りのまま、思わず口走ってしまう。 「………それは、規定違反でしょう! …里外任務終了後は、定められた日数の休養をとる義務と権利があるって…僕、そう聞いていますが」 「まあ、前からよくあった事だよ。………その代わり、今回は少し長めの休養が認められるはずだから」 「そんな………」 僕は唇を噛む。 そういう事が『よくある』のは、一部の人達だけだ。 その人がいれば戦いに勝てる、と皆が思ってしまうような突出した能力を持った上忍。 そんな人は、ほんの一握りしかいないから、こうして里に帰還する事も許されずに任地から任地へ、戦場から戦場へと渡り歩くハメになる。 実の所、サクモさんだけではなく、お師様も一度任務に出るとなかなか戻ってこられない。 (お師様の場合は、他にも理由があって自主的に戻らない事もあるようだけど) 「でもね、カカシが生まれてからは、結構マメに里へ帰らせてくれている気がするんだよね。…少しは気を遣ってくれているのかな?」 そういえば、カカシ君が生まれて、サクモさんがこのお師様の家に同居(サクモさんの育児能力に危惧を抱いたお師様が、同居を勧めたのだ)するようになるまでは、里の中でサクモさんを見かける事は少なかったように思う。 彼は、任務で里を空けている方が多かったんだ、と今更ながらに気づいた。 「………でも………身体を壊してしまいます」 いくらサクモさんが二つ名を持つような上忍だって、人間だ。 どんなにコントロールしたって、任地にいる間は心身ともに休まらず、疲労はたまっていく。現に今、彼の顔色は酷く悪い。 「心配してくれて、ありがとう。…大丈夫だよ、こう見えて結構体力はあるから」 サクモさんは、にっこりと優しい笑みを浮かべる。 僕は、サクモさんの笑顔が好きだ。すごく、綺麗で。それに、胸の中がぽわっとあったかくなる様な、そんな気がして。 ………でも、今の笑顔は、何だか悲しくなった。 サクモさんは、無理して笑っている。 「すみません。…生意気なことを。…あの…お風呂、沸いてます。どうぞ、汗を流してきてください。食事の支度、これからなんです。何か食べたいものがあったら、言ってください」 「………君は、いつもそうやって自来也の世話を焼いているんだね。…でも、僕にまで気を遣わなくてもいいんだよ? 僕は居候なんだから」 カカシの世話を頼んでいるだけでも悪いのに、とサクモさんは申し訳なさそうな顔をする。 違う。そんな顔、して欲しくない。 僕は、サクモさんに喜んでもらいたいだけ。この家では、笑っていて欲しいだけ。 この人が、任務の時にどれだけ気を張って、神経を使っているか知っているから。 家にいる時くらいは、ゆっくりと心も身体も休めて欲しい。 「僕…がサクモさんに何かしたい、と思うのは…ご迷惑ですか?」 サクモさんは、驚いた眼で僕を見た。 「い、いや………迷惑だなんて! そんな事!」 「じゃあ、お願いです。遠慮はなさらないでください。…僕、サクモさんのお役に立ちたいと…立てればいいなって、思うから。大した事なんて出来ないですけど………お風呂とか、ご飯とか。それくらいしか………だって………」 ん? とサクモさんは首を傾げた。僕の、「だって」の続きを待っているんだ。 「………図々しい…とは思うのですけど………サクモさんがウチにいて下さるようになって………僕、お兄さんが出来たみたいで………嬉しくて。…あ、あの…カカシ君も、何か弟みたいな感じで…可愛くて………」 だから。 「サクモさんに遠慮されると、僕、寂しいです」 サクモさんは、僕の生い立ちを知っている。親兄弟、家族がいない事を。 優しいこの人に、こんな言い方をするのは少しずるいって、自分でも思うけど。 でも、本当に遠慮なんかして欲しくないんだもの。 「ミナトちゃん………」 サクモさんは僕に手を伸ばしかけ、その指が僕の髪に触れる前に手を下ろしてしまった。 そして、少し屈んで、僕の顔を覗き込んで笑った。 「…わかった。…ありがとう、ミナトちゃん。僕も、兄弟はいないから。君が弟になってくれるんなら、嬉しいな。………じゃあ、君が弟として僕に甘えてくれるなら、僕も君に甘えよう。………了解?」 僕は、思いっきり頷いた。 「はいっ!」 僕達は、顔を見合わせて笑った。 考えてみれば、木ノ葉の誇る『白い牙』にお兄さんになって欲しいだなんて、僕も本当に図々しい。 でも、これでサクモさんが僕に世話をさせてくれるなら、よしとしよう。 お兄さんの子供なら、カカシ君は僕の甥っこって事になるのかな? いや、やっぱり弟だ。弟だと思っていていいよね。 「………せっかくだから、お風呂を先にもらうね。…お腹は…何か、軽いものをもらえると嬉しいな。…お粥でもいいし、お茶漬けでもいい。…あ、君は僕につきあわないで、ちゃんとしたものを食べなさい。育ち盛りなんだからね」 「はい」 咽喉の通りがよくて消化のいいもの、かな。…たぶん、ここ数日きちんとした食事はしていないのだろう。急に重いものは、胃が受け付けないんだ。僕にも、それくらいはわかる。 お粥をゆるめて、卵を落としておじやにしよう。お茶漬けよりは栄養があるから。 台所へ行こうとした時、仕切り戸の向こうでカカシ君が泣き声をあげた。 僕が行くべきか、父親であるサクモさんに任せるべきなのか。 サクモさんを見上げると、彼は苦しそうに眉をしかめてカカシ君の方を見ている。 「………ミナトちゃん」 「は、はい」 「悪いけど、カカシ見てやってくれるかな。………僕は今、あの子を抱けない」 何故、とかは聞けなかった。 僕は小さな声で「はい」と返事をして、泣いているカカシ君を抱き上げる。 サクモさんは、もう一度「悪いね」と言って、風呂場の方へ行ってしまった。 ああ、里外任務から帰って来たばかりで身体が汚れているから、赤ちゃんには触れないって思ったのかな。 さっき、僕に触れようとしてやめたのも、同じ理由だろうか。 濡れたおむつを取り替えてあげると、カカシ君はまたすぐに眠った。 食事の仕度をしながら、彼がお風呂から上がってくるのを待つ。 これがお師様なら、先にお酒を出すんだけど。 サクモさんは、おつきあい程度にしかお酒は飲まないから。熱いお茶の方がいいよね。 お風呂上りはお白湯の方がいいかな。あまり水分も摂ってないはずだし。 ちゃぶ台にお茶碗を並べて、おつゆ物を温めたらすぐに食べられるように準備して。 待っているうちに、僕は少し心配になった。 お風呂、長くないだろうか。 彼は結構お風呂が好きで、特に長期の任務帰りは身体中丁寧に洗ってくるから、時間が掛かるのは知っているけど。それにしても遅い気がする。 そんな事は無いと思うけど、万が一、湯船で眠ってしまったりしていたらいけない。 僕はお風呂場まで様子を見に行った。 脱衣所に、姿は無い。 まだ、中にいるみたいだ。 僕はそっとお風呂場の戸を叩いた。 「………サクモさん? 大丈夫ですか?」 数秒待っても返事が無い。 僕は、失礼します、と断りながら思い切って戸を開けた。 そして、眼にした光景に思わず声をあげる。 「サクモさん!」 頭上からシャワーが降りそそぐ中、彼は床に片膝をついた恰好で蹲り、失神したように動かない。 この家は古いので風呂も旧式だが、シャワーは便利だからお師様が後からつけたのだ。 ただし、長いこと出しているとお湯ではなくて水になってしまう。 サクモさんが今浴びているシャワーは、すっかり冷たくなってしまっていた。 まだ寒いのに、水なんか浴びていたら風邪をひいてしまう。 僕は慌ててシャワーを止めて、湯船から手桶でお湯を汲み、彼の肩からかける。 二、三度お湯をかけると、ようやくサクモさんは身じろいだ。 「………ミ、ナトちゃん………?」 「サクモさん、どうしたんですか! 気分悪いですか? 眩暈は?」 サクモさんは、ゆっくりと頭を振った。 「…大丈夫。………ごめんね、驚かせて。…水を浴びているのが結構気持ちよくてね、つい居眠りしたみたいだ」 その時、僕の中に一瞬、怒りにも似た感情が生まれた。 そんな言い訳、僕が信じるとでも思うんですか? サクモさん。 何故、この人はこんな事を言うのだろう。僕を心配させまいとして? 僕が、子供だから? ―――怒りはすぐに、悲しみに変わった。 独りで無理をする、この人が悲しい。 この人に頼ってもらえない、自分の未熟さが悲しい。 「冷たい水が気持ちよくて眠っちゃうような陽気じゃないでしょう! ケガは無いようですね。………動けますか?」 サクモさんの肩に触れると、すっかり体温が無くなっていた。これは、水を浴びた所為ばかりではないだろう。 サクモさんはゴメン、と呟いて弱々しい笑みを浮かべた。 「ミナトちゃんに嘘ついたらダメだね。………実はちょっとね、チャクラ切れ。入浴って結構体力使うものだね。…さっきまでは何とか動けてたのに、髪と身体を洗っていたら疲れちゃって。………少し休めば動けるから。心配しないで」 そんな事言われても。心配するでしょう、普通。 とにかく、この冷えている身体を温めなきゃ。 ああ、僕がお師様みたいに大きかったら、抱え上げて湯船に入れられるのに。 チャクラを使えばサクモさんみたいな大人を持ち上げる事は可能だろうけど、背が足りないから上手く湯船に………―――いや、待って。………大きかったら? そっか。 大きくなればいいんだ! 僕は、両手で印を結んだ。
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『優しいカッコウ』設定です。 |