優しいカッコウ−6
大門で自来也が確かめた帰里予定日よりも、一日早く。 彼は、帰ってきた。 大門からまっすぐに自来也の家に来たらしい。 朝早く、遠慮がちに叩かれる戸の音に、自来也は目覚めた。無言で玄関に出ると、そこに はバツの悪そうな顔をしたサクモが立っていた。 「お、おはよう………自来也」 「………………おう」 寝巻きのままの自来也は、欠伸をかみ殺しながら首筋をガリガリとかく。 「あの………朝早く、ごめん………」 「………………………うむ」 「その………」 「…入れ」 自来也はサクモの首に手を伸ばし、家の中に引っ張り込む。 「………どーせ、朝飯もまだじゃろ。………大したモンはねーがの、一緒に食おう」 「いや、その………」 台所から、ひょっこりと金髪の少年が顔をのぞかせた。 「あ、サクモさん。おはようございます!」 「…お、おはよう、ミナトちゃん」 よく出来た自来也の弟子は、朝早くから厨房に立って朝食の用意をしているらしい。 「コイツの育った寺ではな、朝は粥、と決まっておったらしくての。…それでウチの朝飯 は粥なんじゃが………ま、腹に優しくて起き抜けにはちょうどいい。飲んだ次の日は余計 にのぉ。…ミナトぉ、サクモさんの分くらいあるじゃろう?」 「もちろんです、お師様! 昨日煮た里芋もありますし、この間頂いた佃煮もいっぱいあ ります。…あ、今卵を焼くところなんですけど、サクモさんは砂糖と塩とどっちの味付け がお好きですか?」 「あの…お、おかまいなく………何でも食べるから、僕………」 「サクモさんは甘い卵焼きは食わんのじゃなかったか? 確か、前に仕出し弁当に入って いたのをみんな下忍の子にやっちまってただろ」 サクモは苦笑した。 「ああ、去年の城の式典警備の時のこと? よく覚えているねぇ、自来也。………あれは、 僕が嫌いだからあげたんじゃないよ。…あの子が甘い卵焼きが大好物だって言うから、あ げたんだ。…とても美味しそうに食べるから、僕も嬉しくて。………だからミナトちゃん が好きな方でいいんだよ。僕は卵焼きに好き嫌いはないから」 わかりました、と少年は頷き、台所に引っ込む。 「サクモさん」 自来也は顎をしゃくり、居間の方へあがれとサクモを促す。サクモは素直にそれに従い、 サンダルを脱いだ。 ちゃぶ台をはさんで向かい合ったところで、サクモは自来也に頭を下げる。 「自来也。…今回は本当に世話になった。ありがとう。………そして、勝手なことをして ごめん。………謝る」 自来也はすぐに応えず、自分に頭を下げたままの男のつむじを見ていた。 ややあって、自来也は口を開く。 「…………で?」 自来也の短い問い掛けに、ようやくサクモは顔を上げた。 「………………一人になって、頭を冷やしてね。…考えた。………色々、考えた」 「………答えは、出たんじゃな?」 サクモは真っ直ぐに自来也の眼を見た。その眼にはもう、動揺や迷いは無い。 「うん。………子供は、僕が育てる。…僕の子だ。………誰の好きにも、させない」 ほうっと、自来也は息をついた。 「…そうか。………アンタが、そう決めたのなら、ワシは何も言わん」 にこ、とサクモは笑った。 「…心配かけたんだね。…本当に、ごめんね。………ね、子供は? 寝ている?」 「ああ、向こうの部屋だ」 「………顔見て、いいかな」 「いいも悪いも無いわい。…アンタの子じゃろうが」 サクモは頷いて立ち上がり、間仕切り戸を開けた。 「抱くなら、気をつけぃよ。…首がまだ、据わっておらん」 「うん」 ふとんの上で、赤ん坊は眠っていた。 何かを握りこんでいるような、小さな小さなこぶし。 血管が青く透けて見える白く薄いまぶた。 サクモはそっと手を伸ばし、指先で赤ん坊の頬に触れた。 その、信じられないほどの柔らかさとほのかな温かさに涙がでそうになる。 まだ何も知らない、無垢な魂。 愛しい、生命。 頬を撫で、小さな唇に触れ、柔らかな頭を撫で。 サクモは小さな声で囁くように子供の名前を呼んだ。 「………カカシ。………君は、はたけカカシ、だよ。……僕は、はたけサクモ。…君の、 お父さんだ。…よろしくね」 「お師様、お待たせしました。朝御飯、出来ましたー。…あれ? サクモさんは?」 自来也は「しぃっ」と唇の前に人差し指を立てて見せた。 「?」 少年が師匠の視線を追うと、赤ん坊のふとんの横で、サクモが眠り込んでいた。 「どうせ、昨夜ろくに寝ておらんのだろう。…バカじゃのう、本当に」 よいしょ、と立ち上がった自来也は、寝ている男に毛布をかけてやる。 「バカは寝かせておけ。…さ、朝飯にするかの」 「はい、お師様」 自来也は後ろ手に仕切り戸を閉め、これからのことを思う。 サクモが誰に強制されるまでもなく、自分自身であの子を育てると決意したのはいい事だ。 経緯が経緯だったので、彼が育児放棄しても仕方の無いことだと思っていたのだが。 ただ、そうなった時には、実の親に厭わしい存在として扱われる赤子が不憫なので、自来 也は己の出来る限りのことをしてやるつもりだった。 (………どういう心境の変化で、サクモさんがあの子を自分の子だと認める気になったの かは、わからんが………あれは優しい男だ。責任感もある。…一度、自分で育てると口に したのだから、何があっても育てる気じゃろうて。………母親がおらんのは不憫だが、そ れは仕方の無いことじゃ。………この里では片親なぞ珍しくもないしの) フ、と自来也は苦笑を漏らす。 「………乗りかかった舟、か。………まあ、ええ。………こういうめぐり合わせなんじゃ ろう。…アンタと、ワシは」 サクモはそのまま眠り続けた。 もしかしたら昨夜どころか、里の外へ出てからずっと寝ていなかったのかと思うほど熟睡 している。 自来也が赤ん坊を抱き上げて乳を飲ませたり、おむつを替えてやったりしても目覚めない。 (………ホントにこの男に赤ん坊の面倒が見られるのか………?) 他人事ながら、自来也は不安になってくる。この調子では、子供が腹をすかして泣いても 気づかないかもしれない。 「………お師様。…もう夕方ですけど………サクモさん、まだ…?」 少年が心配そうに、サクモが寝ている部屋を見る。 「そーさのー………昼寝というには長いわなぁ………しかし、あれは身体の異常で昏睡状 態になっとるわけじゃない。マジに寝ておるだけじゃから、心配はいらんだろ」 「晩御飯、どうしましょう?」 「ふむ。…腹が減ったら起きてくるかもしれんから、何か食えるものを残しておいてやり ゃーええじゃろう。…そうだ、そろそろチビすけのミルクの時間じゃなかったかの?」 少年はぬかりなく哺乳瓶を手にしていた。 「ハイ、お師様! 僕、ミルク作るの慣れてきました。おむつ替えも覚えましたし。サク モさんが任務に出る時は、ウチであの子を預かってもいいですよ」 どうやら少年は、小さくてぽよぽよの赤ん坊がいたく気に入ったようである。 誰かがついて面倒を見なければ、すぐに死んでしまうような幼い命に対して、本能的に庇 護欲を抱いたのかもしれない。 「…お前にも任務が入っていたら、どうするんじゃ?」 「ん〜、その時は…仕方ないですね。…信頼できるところに預けるしか………でも」 何とかなります、と少年は微笑んだ。 「みんなで育ててあげればいいんですよ。…僕も、そうして大きくなったんだと思います。 …三代目様も仰っていました。子供は、全部等しく里の子であり、大切な宝だと」 その楽観的で前向きな言葉に、自来也は思わず笑みをこぼした。 「そうじゃの。………その通りじゃ、ミナト」 その時、赤ん坊が「ふにゃあぁぁああん」と猫の子のような泣き声をあげた。 「あ、ミルクかな、おむつかな」 世の母親のように、「泣き声で赤ん坊の言いたいことがわかる」程に子育てに熟練していな い男達には、声だけではどちらか判別がつかない。指を赤ん坊の唇に当ててみたり、おむ つの上から臭いを嗅いでみたりして、ようやく「腹」か「尻」かわかるのである。 少年がそっと戸を開けると、サクモが赤ん坊を抱いておろおろしていた。 「…な、泣いてるよ………どうしよう、ミナトちゃん」 サクモが起きたと知った自来也は、ガラリと大きく戸を開け放った。 「な〜にオタオタしておるんじゃ。赤ん坊は、寝て飲んで泣くのが商売じゃろーがよ。… ええか? 赤ん坊が泣いておる時はじゃなあ、腹が減っておるか、尻が汚れておるか、眠 くてぐずって…まあ、つまり機嫌が悪いか、後は身体の具合が悪いか…それくらいじゃろ う。……まあ、大抵は、ミルクか、おむつだと思うぞ?」 サクモは尊敬の眼差しを大男に向けた。 「すごいね、ジラ君は。…さすがだ」 「…いや、こんくらいは常識の範囲だっつーの………」 少年は暖めたミルクをサクモに手渡す。 「そろそろ、ミルクの時間ですから。はい、あげてみてください。…あ、急に傾け過ぎな いように…」 「う、うん…」 サクモが哺乳瓶の乳首を唇に当ててやると、赤ん坊は素直に口に含んで吸い出した。 「の…飲んでる………」 初めて子供に乳を飲ませた父親が思わずあげた声に、少年はウンウン、と頷いた。 「わかります〜。なんか、感動しますよね〜。…ああ、生きてるんだなーっていうか」 生きている、とサクモは口の中で繰り返した。 「そ…だね。…ちゃんと、生きている………」 やーれやれ、と自来也は頭をかいた。 「アンタ、ちゃんとその子の面倒が見られるンじゃろうなあ………」 サクモは自信なさげに首を傾げた。 「やー………そう言われると………胸張って『大丈夫』って言えないけど………」 大丈夫どころか、おおいに不安である。 自分の面倒すらロクに見ていない独身男が、いきなり乳児の世話。 「…アンタ、下忍時代に子守任務とか無かったんか?」 「ん〜そうだねえ。………覚え、無いなあ………僕、割とすぐに中忍になったから……… Dランクって殆ど経験無いんだ………」 時代が求めるのか、激しい動乱期には必ず『神童』のような子供が何人か輩出される。 まだ子供といってもいい年齢で才能を開花させたのは、自来也達だけではなかった。サク モもまた、そういった早熟な天才の忍だ。 早いうちから難度の高い任務に投入され、戦うことを強いられてきた。子守や畑仕事など、 易しい仕事をさせてもらえるヒマなど無かったのが実情である。 「そうか………じゃあ、仕方ないのぅ………」 やっぱり子育てなんぞ無理かの〜、と呟いている自来也に、サクモは慌てた。 「こ、これから、覚えるよ! 大丈夫だって! …世の中のお母さん達がやっている事だ もの。やれなきゃウソだよね、上忍として! 出来るよ。……………………たぶん」 何とも頼りない語尾に、自来也は半眼でため息をつく。 「まあ、とりあえずだな、ミルクを飲ませたら、おむつの替え方を教えるからの」 「…はい。よろしくお願いします」 ホッとしたようにサクモはぺこんと頭を下げた。 この上忍らしくない腰の低さと素直さは、この青年の美点であり欠点でもあった。 上の者や同格の上忍からは威厳がないと眉を顰められ、下の者達からは気さくで威張らな いと慕われる。 自来也は忍としては同格だが、彼の素直さは好ましく思っていた。年上の彼が可愛くさえ 見えてしまうのはマズイと思いつつも、つい手を貸してやりたくなってしまう。 「サクモさん、ミルクを飲ませ終えたら、赤ちゃんにげっぷをさせるんですって。ミルク と一緒に空気を飲んじゃってるから、それを吐き出させてあげないといけないんだそうで す」 「そ、そうなんだ。…えーと、どうやるのかな?」 少年は、ツナデに教えてもらった『乳児のげっぷのやり方』を新米の父親に丁寧に伝授し た。 「そう、そうして支えながら、背中を優しく擦ってあげるんです。…あの、ミルクは少し くらい吐いても慌てないでいいそうですから」 「…わかった。ありがとう」 自来也はぷっと噴き出した。 「そーいや、大蛇のヤツがその子に盛大に乳を吐きかけられたっつーて怒っておったな」 え? とサクモが振り向いた。 「………大蛇丸………が?」 「ああ、ケッサクじゃろ。…あの大蛇丸が赤子に乳を飲ませて、それを吐かれてオタつい てたってぇんだから。ワシも見たかったわ」 自来也はその光景を想像して、グフグフと笑った。 「………………なんか………この子を放っぽっておいた僕が悪いんだけど………お、大蛇 丸にまで………」 「ああ、アレに子供を預けたのはアンタじゃないんだから、別に世話かけたとか気にする 事はないじゃろう。…まあ、大蛇のヤツは性格が性格じゃから、子供を預けたと聞いちゃ あ、心穏やかじゃないだろうがの」 サクモは首を振った。 「…いや…この子にミルク………僕より大蛇丸が先だったって………何というか………自 来也やミナトちゃんが飲ませてくれたのは、ありがたいとは思っただけだったけど……… その………」 自来也は眼を丸くした。 ―――それは、つまり。 「ぶわっははははっはっ………」 思わず自来也は声をあげて笑ってしまった。 「………自来也………っ!」 「いや、スマン………しかしな………」 クックック、と笑い続ける自来也を、赤くなったサクモが横目で睨む。 いい事だ、と自来也は思った。 サクモは、赤ん坊にミルクをやるという作業を大蛇丸にまで『先を越された』のがショッ クだったらしい。 父親のくせに、だいぶ出遅れてしまったのが悔しいのだろう。 それは、この赤ん坊に対する関心の現われだ。 その関心が育っていって、やがては親としての自覚に繋がる。 「ま、親父としてちょっぴり面白くないってのはわかるけどな? 仕方ねえだろうが」 「………う……ん………」 サクモは複雑そうな表情で、赤ん坊の背中をそろそろと擦ってやっている。 やがて、赤ん坊は父親の肩で小さなげっぷを吐き出した。 |
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(2007/12/16 UP)