優しいカッコウ−5

 

サクモと彼の子供の事が気になり、自来也の家を訪れた三代目が目にしたのは、あまりに
も意外な光景だった。
「………何でお前が?」
「そんなの私が聞きたいわよ、先生」
大蛇丸が、赤ん坊を膝に抱いてミルクを飲ませている。
「…ミナトとツナデはどうしたのだ?」
「おチビさんとツナデは、この子の着物やら何やら、当座要りそうな物を買いに行ってし
まったのよ。…まったく、この私に子守りをやらせるなんて、いい度胸だわ」
ため息混じりに答えた大蛇丸は、そう言いながらも哺乳瓶を慎重に傾けている。
んく、んく、と飲んでいた赤ん坊は、突然哺乳瓶から顔をそむけた。
「………もういいの? 半分しか飲んでないじゃない。ちゃんと飲まないと大きくなれな
い………ってちょっと!」
がぼん、と赤ん坊はミルクを吐く。
「ちょっと何で吐くのっ………先生っ見てないで何とかして!」
大蛇丸に助けを求められた三代目は、やれやれ、と赤ん坊を抱き取った。
「あ〜、よしよし。大丈夫、赤子が乳を吐き出すのは珍しいことではない。…この子はわ
しが見ていてやるから、お前は服を洗っておいで」
あ、と大蛇丸は自分を見下ろした。
赤ん坊が吐いたミルクは殆ど大蛇丸にかかっていたのだ。
「…だからキライなのよ、子供なんて」
「そう言うな、大蛇丸。誰でも最初は赤子だろうが。……どういう経緯かは知らんが、ツ
ナデはお前を信頼して赤子を預けたのだよ。…お前なら、この子を守ってくれるとな」
大蛇丸は無表情に赤ん坊を見下ろした。
「…この子に妙な真似をしたら殺すって言われたけどね。別にこんなやせっぽちの赤ん坊
なんか、マンダの餌にもなりゃしないのに。………白い牙の子供って話が本当なら、興味
深い子ではあるけど」
三代目は目を上げた。
「………聞いたのか」
「大門で偶然、自来也に出くわしたのよ。…里に戻る途中で、サクモさんを見たかって訊
かれて。………あのバカが珍しく余裕の無い顔しているもんで、何事かと思うじゃない。
シメて事情を吐かせたわ。………自来也のバカはサクモさんを捜しに外に行ったわよ。…
……あの白い牙が本気で逃げたら、自来也ごときに捕まえられるわけが無いのにねえ……」
やはり里の外に出たか、と三代目は重い息を吐いた。
「………………戻ってくるわよ」
ポツンと大蛇丸は呟いた。
「……あの人に木ノ葉の里が捨てられるものですか。頭が冷えたら戻ってくるわ。今は放
っておいてやりゃいいのよ」
「そう、だな………」
三代目は改めて赤ん坊を見た。
ふわふわと頼りなげに頭部を覆う髪は淡い白銀。真っ白な肌、瑠璃の瞳。まだ赤ん坊だが、
鼻筋が通っていて端正さを伺わせる顔立ちだ。
(………こりゃ、間違い無くサクモの子だわい………)
里では両親を失う子供は少なくない。夫を無くした女が、妻を亡くした男が一人で子供を
育てられなくなる例も多い。
故に、孤児となった子供を育成する保護施設は、里の外よりも充実していた。
子供は皆、等しく『里の子供』だからだ。
サクモが親となることを拒否しても、この子供が路頭に迷う心配は無い。
無いのだが。
この子が生まれた経緯を考えても、早い段階で『根』が出てくる。はたけサクモの血を引
いた男児を放っておくわけがない。
この子は、幼児のうちから忍としての教育を受け、人並みの幸福を知らぬまま、ただ里の
駒、道具となるだろう。
個人としては不憫だと思っても、火影の立場ではそれを止める言葉は吐けないのだ。
(………サクモ………お前は不本意だろう。………これ以上の無理強いは出来ん。だが、
出来れば………出来ればこの子をお前の手で育ててやっておくれ………)



 
 
翌日、自来也は浮かぬ顔のまま里に戻ってきた。
彼の顔を一目見たツナデは、ハナに皺を寄せてため息をついた。
「そのカオじゃ、どーやら収穫ナシだね」
「あー? ああ。………大蛇のヤツが見かけたっていう茶屋から先、いっかな足取りがつ
かめん。………闇雲に捜しまわっても捕まるような人じゃないしの。帰って来ると…信じ
るしかない」
自来也はどかりと上がり口に腰を下ろした。
「…赤ん坊の様子はどうじゃ?」
「ああ。見かけよりも丈夫な子だよ。ミルクもよく飲むようになった」
そうか、と自来也は微笑を浮かべた。
「何だかのう………ワシもお前も、自分の子でもないのに子供の面倒を見るってぇめぐり
合わせになるんかの」
ツナデは眼を吊り上げる。
「…まさかあんた、サクモさんがあの子を手放したら、自分が育ててやろうってんじゃな
いだろうね。…ミナトは、あんたが連れてきた時はもうある程度育っていたじゃないか。
乳呑み児の面倒なんざ、見られるのかい。……それに、さりげなく私を巻き込むんじゃな
いよ」
「だがなあ………現実問題として、あのサクモさんに赤ん坊が育てられると思うか?」
ウッとツナデは声を詰まらせた。
忍としての能力は突出しているくせに、あの青年の家事能力は恐ろしく低い。やる気が無
いとしか思えない。
実際、やる気が無いのだろう。なまじ稼ぎがいいものだから、払うものを払えば何とかな
る事柄に関しては、金で解決しているフシがある。食事は定食屋や弁当屋を利用すればい
いし、洗濯物はクリーニングに出せばいい。部屋の掃除も専門にやってくれる業者がいる
はずだから、そういう所に頼んでいるのかもしれない。
実はサクモに限らず、里にはそういう人間が多かった。
だから、彼一人ならばそれで何の問題も無いのだが。
「………子守りを雇う………とか………」
「昼間はそれでいいとして、夜はどうするんじゃ」
ツナデは腰に手を当てて、座っている男を見下ろした。
「だからと言って、私はあんたにもあんな乳呑み児が育てられるとは思わないんだけどね。
…それに、あんたにもミナト坊にも任務があるだろう」
はーっと自来也は息をついた。
「そーさのぉ………」
「まあ、今私らがグダグダ言ってても仕方ないさ。………サクモさんがどういう判断をす
るか。悩むのはそれからじゃないか? 私だってさ、一晩でも面倒見れば他人の子でも情
は移ったよ。………だまし討ちみたいに出来ちまった子でも、あれだけ似ている自分の子
供だ。…サクモさんが、そんなに情の無い人だとは思わないんだけどね……」
「………そーじゃな………」
自来也は居間の戸を開けて、ふとんの上で眠っている赤ん坊と、赤ん坊に寄り添うように
してこれまた眠ってしまっている少年を見る。
淡い金色の髪の少年は、忍として稀有の才能を持っていた。
そして、赤ん坊の父親である青年もまた、滅多に現われることの無い逸材だ。
その血を引く赤ん坊は、生まれる前から既に忍となることを期待されている。父親と同じ
く、優秀な忍に。生まれ落ちたのが男児ならば尚更であった。
「………白い牙の子供ならば、優れた忍となろうのぉ。…誰だって……ワシだって、そう
思うわい。………だが、そうして長じた後は、里の駒となって当然、か? …ハっ…どい
つもこいつも勝手なものじゃの………」
自来也の独り言を、ツナデはやりきれない気持ちで聞いていた。


 
 
ちー、ちゅんちゅん、と小鳥が鳴いている。
白銀の髪の青年は、土手に座ってぼーっと青空を眺めていた。
(………僕は、何をやっているんだろう………)
いや、自分の取っているこれが、逃避行動だということはわかっているのだ。
逃げてもどうにもならない事から逃げている。
あれは、まぎれもなく自分の子供だろう。
彼女がよその男と子供を作り、その子を身に覚えのあるサクモに押し付けて逃げる。
―――などという可能性は低い。
子供が邪魔だというだけなら、何もわざわざサクモに押し付ける必要は無いのだ。どこか
乳児院の前にでも捨てておけばいい。
(………そうだ。………何故、わざわざ僕のところへ連れてきたんだろう………)
『白い牙』の遺伝子を受け継いだ子供が要るだけなら、生まれた赤ん坊をサクモの所に置
きに来なくてもよさそうなものだ。
サクモの預かり知らない所で勝手に産んで、里の都合のいいように勝手に育てても良かっ
たのではないだろうか?
今まで、彼女が計算づくで恋愛を仕掛け、自分に黙って妊娠出産した挙句、子供を置いて
去って行ったことにショックを受けていて、そこまで考えなかったが。
(………何故だろう………)
サクモは急にそこが気になりだした。
彼女は、笑顔が魅力的な美しい女性だった。
他人を包み込むような優しさと思いやりがあって―――それでいて一本筋が通った、凛と
した潔さに彼は惹かれたのだ。
あれが全て演技だったとは思えない。思いたくない。
彼女は『これは任務だった』と言った。
(………任務………?)
―――それは、誰に命じられた………何処に命じられた任務だったのか。
自来也も自分も、単純に木ノ葉の上層部が仕掛けた事だと思っていた。
それは、以前からしつこく『子供を作れ、子孫を残せ』と上からせっつかれていた事実が
あったからだ。とうとう業を煮やした上層部が、強硬手段に出たのだと。
だがそもそも、彼女は木ノ葉の人間だったのか―――?
サクモは、一度バラバラにしたジグゾーパズルを頭の中でもう一度嵌め直し始めた。
彼女との出逢いから、もう一度丁寧に。
―――よく考えて………―――
「あーっ!」
すぐ近くから聞こえた女性の叫び声に、サクモは思考を中断させられた。
見れば、風に飛ばされたと思しきストールが宙を舞っている。
軽い布なのだろう。ふわふわと風に煽られ、更に高く舞い上がって、とうとう高い木の枝
に引っ掛かってしまった。
「………ああ………あんな所に………」
その悲しそうな声の方を振り向けば、彼女は乳母車に手を掛けたまま呆然と木を見上げて
いた。
サクモは枝に引っ掛かっているストールを見た。
金糸が織り込まれているのか、風になびきながら所々きらきらと光をはじいている。綺麗
なストールだ。
サクモは腰を上げ、トンと地面を蹴った。
身軽に枝を蹴って上まで登ると、慎重な手つきでストールを取る。思った通り、柔らかく
て軽い。とてもいい品物だった。
木から飛び降りたサクモは、微笑んでストールを女性に差し出した。
「はい、どうぞ」
女性は、顔いっぱいに喜色を浮かべる。
「あ、ありがとうございますっ! ああ、助かりました。どうしようかと思っ……」
そこで顔を上げた女性は、サクモを見て一瞬絶句し――そして、真っ赤になった。
「どういたしまして。…綺麗なストールですね」
こくこくこく、と女性は真っ赤な顔で頷いた。
「……あ、ハイ。………あの、しゅ、主人からの贈り物で………とても大事だったんです。
ほ、本当にありがとうございました………」
「それは良かった。優しいご主人なのでしょうね」
そこでサクモは、乳母車の中で自分を見上げている赤ん坊に目を移す。
「…お子さんも、可愛いですね」
途端に女性は、母親の顔になって微笑んだ。
「ありがとうございます。今日はお天気がいいから、散歩に来たのよね、アーちゃん。…
……そうだ。…あ、あの……失礼ですが、忍者さんですよね? 何か御礼を………」
サクモは微笑んだまま首を振った。
「…そんな、御礼をもらうような事はしていませんから。木登りしただけで御礼を頂いた
ら笑われてしまいます。………あの、でもちょっとお願いしてもいいですか?」
女性は小首を傾げた。
「…何でしょう?」
「その………お子さんを、ちょっと抱っこさせてもらっていいでしょうか………?」
自分の子供だというあの赤ん坊は、まだろくに抱いてやってもいない。それは赤ん坊が
小さ過ぎて怖かった、というのも理由の一つだった。
だが乳母車の子供を見ているうち、何故かふと抱き上げてみたくなったのである。照れた
ようにふわっと目許を染めた青年に、女性は頷いて見せた。
「いいですよ、もちろん。…アーちゃん、このお兄ちゃんが抱っこしてくれるって。いい
わねー、すっごくカッコイイお兄ちゃんよー」
女性は乳母車から子供を抱き上げ、頬擦りしてからサクモに手渡した。
「ど、どうも………」
サクモはおっかなびっくりといった手つきで、子供を抱いた。
ミルクの甘い匂いと、優しい重み。
「………お嬢さん、ですか?」
「ええ、四ヶ月になります」
女性は、何処にともなく手を合わせた。
「………将来、貴方みたいに素敵で優しい人にめぐり合えますように」
「え? いや………ぼ、僕みたいな男じゃ………お嬢さんが嫌がりますよ」
慌てるサクモを、女性はおかしそうな顔で見た。
「どうしてですか? すごくおモテになるでしょう?」
「…………い、いいえ………だって……その……僕なんて…振られた…ばかりだし………」
自分で言ってから、サクモは落ち込んだ。そうだ。自分は振られたのだ。
彼女がどういう思惑で自分に近づき、始めからその気も何も無かったにしても。袖にされ
た事実は変わらない。
まあ、と女性は大仰に驚いた。
「まさか!」
「あ、いや…本当です。…僕は、相思相愛の恋人だと思っていたんだけど…あっちはそう
じゃなかったみたいで……プロポーズしたら、ものの見事に振られてしまって………」
女性は、自分ならこんないい男に求婚されたら絶対に断らない、と思いながら首を傾げた。
「え……あの、もしかしたら、貴方が何か勘違いなさっているのかもしれませんよ? 相
手の方は、振ったつもりじゃなかったかも………」
いいえ、とサクモは悲しそうに微笑んだ。
「勘違いじゃないです。『結婚は出来ない、私は貴方を本気で愛してはいけないの』って…
……ハッキリそう言われましたから。……あ、すみません。…僕は何を言っているんでし
ょうね。今お会いしたばかりの方に………」
「本気で愛してはいけない………」
サクモの言葉を口の中で小さく繰り返した女性は、躊躇いがちに疑問を口にした。
「………本当に、そう仰ったんですの? 『愛してはいない』ではなくて?」
「え、ええ…………」
ショックを受けていたとはいえ、上忍だ。相手の言った言葉はそのまま覚えている。
「…これは………私の考えですけど。………たぶん、その方は貴方が好きだったのだと…
本当は、愛しているのだと思いますよ…?」
サクモは驚いて女性を見る。
「………え…?」
「『本気で愛してはいけない』というのは、『本当は愛している』というのと同じ意味だと
思います。……その方は、何か理由があって………貴方と一緒になれないのではないでし
ょうか。…ごめんなさい、ご事情も知らないのに勝手な当て推量をして。………でも、少
なくとも私なら………と、思って」
サクモの脳裏に、拒絶と別れの言葉を告げた彼女の顔が甦る。哀れみの表情を浮かべてい
るように見えたが、それは誰に対する『哀れみ』だったのか。
思えば、赤ん坊を自分に手渡した時の彼女は、それは辛そうな眼をしていた。
(………まさか………そんな………)
知らない間に生まれていた子供の存在と、彼女に裏切られた事がショックで。
そういう行動を取った彼女の心の内まで推し量るような余裕が、これまでのサクモには無
かった。
先程浮かんだ疑問と、そして今抱いている赤ん坊の母親が言った言葉。その二つを合わせ
て考えると、出てくる『可能性』は―――
バラバラになっていたジグゾーパズルのピースが、違う形に組みあがっていく。
サクモは、抱いていた子供を母親に返して、礼を言った。
「………ありがとう。………おかげで、疑問がひとつ解けるかもしれません」



      

 



 

(2007/12/15 UP)

 

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