優しいカッコウ−3
「お師さま……あの、本当に赤ちゃんいまし………た」 慣れない手つきでおっかなびっくり赤ん坊を抱えている弟子を、自来也はマジマジと見た。 「…………………何処に?」 「…………………サクモさんち……です」 自来也は立ち上がり、少年の腕の中を覗きこむ。 「………赤ん坊……じゃな、確かに」 赤ん坊の唇は乾き、衰弱しているように見えた。この子が何処の誰の子供でも、放ってお くわけにはいかない。 自来也はおろおろしているミナトから赤ん坊を抱き取った。 まだ、生後二ヶ月にもなるまい。首は据わっておらず、痛々しいまでに軽い赤ん坊だった。 秋も終わりのこの季節に、火の気の無い部屋で世話をする者も無く、放置されていたので あろう。小さな手足の指先は、変色して氷のように冷たくなっている。 (………マズイのう。泣く元気も無いようじゃ。呼吸…は大丈夫じゃな。脈拍…赤ん坊な らこんなもんか? うむ、即病院に駆け込むような状態ではなさそうだな。……ええと、 とにかく、暖めてやらねば) 自来也が赤ん坊の身体を調べているのを、心配そうに見ていた少年がおずおずと口を開く。 「………どうしましょう、お師さま。赤ちゃん、お腹空いてますよね。あの…ツ…ツナデ 様をお呼びしましょうか。ツナデ様ならこの子にお乳をくださるのでは………」 弟子の無邪気かつ無知な発言に、自来也は思わず半眼になる。 「………あのな、ミナト。いくらツナデのオッパイがでかくても、乳なんか出ねーっつの。 アイツはガキなんざ産んだことはねえんだから」 「………で…出ないんですか……? …あんなに大きいのに…………」 少年は納得しかねるといったように首を傾げている。 「人間の女は、普通子供を産まなければ乳が出るようにはならんのだ。あれはムダにデカ イだけ……って、ええい、今そんな事を講義している場合ではない。ちょいと時間が遅い がの、まだ開いている薬屋くらいあるだろう。粉ミルクと哺乳瓶……それと、紙おむつを 調達して来い。急げ、ミナト」 「はいっ」 少年は、自来也の放った財布を受け取り、駆け出して行った。 「…………さて」 この赤ん坊は、サクモの何なのか。 ふわふわと薄く白い産毛のような頭髪と、透けるような真っ白な肌の色は、サクモの血縁 者に見えなくもない。だが。 (まさか、サクモさんの…………ってコトはねえよな?) 「………ねえ、ジラ君……その子ねえ………僕の、子供………なんだって」 サクモが、まるで自来也の心を読んだかのように、掠れた声でポツリと呟いた。 「はあ?」 自来也は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。 「アンタの子供ォ?」 「やっぱり………夢……なんかじゃなかったんだ…………」 いつの間にか起き上がってきていたサクモは、両手で柱にすがり、身体を支えている。 サクモは自来也の腕の中の赤ん坊を見つめ、悲しそうな微笑を浮かべた。 「………可哀想な………子供…………」 柱にもたれていたサクモの身体から力が抜け、その場にくずおれる。 「サクモさん!」 片手で赤ん坊を抱いたまま自来也は慌ててもう片方の手を伸ばし、彼が床で頭を打つ前に その身体を支えた。 (………何がどーなっておるんじゃ。…この超オクテ男に何故いきなり子供………?) 右腕には泣く元気も無い赤ん坊。 左腕には意識朦朧とした年上の男。 自来也は両腕に『親子かもしれない二人のグッタリした人間』を抱え、彼らしくもなく途 方にくれていた。 衰弱しきっているように見えた赤ん坊は、それでも生命としての本能を失ってはいなかっ た。哺乳瓶を口元にあてがってやると、懸命にそれを吸おうとしたのである。 「お師さま………飲んでます………」 赤ん坊を膝に乗せ、哺乳瓶をあてがった少年は感極まったような声を出した。 「うむ。……自力で飲めるようなら、それ程心配はいらんかもな。……まあ、明日、一応 ツナデに診てもらおう」 弟子が嬉しそうに赤ん坊にミルクを飲ませている微笑ましい光景を眼に収め、自来也はそ の赤ん坊の父親らしい男に向き直った。 サクモはようやく薬が抜けたのか、酷い顔色ながらもきちんと覚醒した目つきに戻ってい た。 「………ごめん、自来也。…迷惑かけて。………よく覚えていないのだけど、もしかして 僕は君に助けてもらった………のかな」 自来也はバリバリと頭をかいた。 「ふん。………ま、そんな事はどーでもエエんじゃ。アンタがあんな連中にオモチャにさ れるのはワシが面白くなかった。それだけだからな」 「……………オモチャ………オモチャ? 僕が?………」 サクモは茫然とした口調で繰り返した。 はあ、と自来也はため息をつく。 「アンタなあ……もう少し気ィつけろよ。こんなにボーッとしてて、よく今まで無事だっ たもんじゃ。………アンタ、もう少しでケダモノ連中にまわされるところだったんだぞ」 グゥ、とサクモの咽喉が奇妙な音を立てた。 「………まわ………………………」 「安心しろ、未遂じゃ」 サクモはガックリと項垂れた。 「………あり……がとう………。何か、すっごい借りを作ったような…………」 「だから、それはいーっての。何もされずに済んだわけだしな。………それより、もっと でっかい問題があるだろうが。…アレは、どういうワケじゃ」 自来也は、弟子と赤ん坊の方を顎でしゃくる。 その動作につられて視線を動かしたサクモは、何とも言えない眼で赤ん坊を見た。 そのまましばらく赤ん坊を見つめていたが、やがてポツリと呟く。 「……………ハメられたんだ…………」 小さな声でボソボソと語られる経緯を聞いた自来也は、憤ったらいいのか、呆れたらいい のかわからなくなってしまった。 「………えーと、つまるところアレだ。……アンタ………所謂、『貴方の子よ』ってのをや られたワケ…じゃな」 ある日いきなり玄関先に赤ん坊を抱いた女が現われ、そう一言告げて赤ん坊を置いて去っ て行ってしまう。 男にとって、まさに悪夢。 「ベタじゃなー………まさか、現実にソレをやられるヤツがおったとは………」 そんなものは、安っぽい小説かテレビドラマのシチュエーションだと思っていた自来也は、 思わず呆れた声を出してしまった。 「…………身に覚えはあったわけ………じゃなあ?」 サクモは力なく頷いた。 「…………………………うん」 たぶん、随分前に噂で聞いた女だろう。自来也はヤレヤレ、と肩を竦めた。 「………やられたな」 「…………………………………………うん」 おそらくは、『上の連中』の誰かが仕組んだ罠に、まんまとサクモは嵌められてしまったの だろう。 「…………僕は、彼女と……きちんとつきあっていた…つもりだった。………こ、子供が 生まれたんなら………結婚…しようって、言った………のに」 彼女は憐れむような眼で彼を見たのだ。 『それは困るわ。………貴方は素敵な人だけど。結婚は出来ないのよ、私。…私は貴方を 本気で愛してはいけないの。………だって、これは私の『任務』だったのだから』 愛しあっていると思い込んでいた女性の『裏切り』は、恋愛に関して免疫が無かったサク モを打ちのめすに充分だった。 彼がショックを受けて茫然自失となっている間に、女は消えてしまった。 結局、サクモは女の本名も素性も知ることは出来なかったのだ。 彼の手に残されたのは、『貴方の子』だと言われた乳児のみ。 「………その後の事はあんまりよく覚えていなくて………彼女を追って外に出たのかな… ………僕は。何だか頭の中、グラグラで………まともに物を考えられなくて………どれだ けフラフラしてたんだろ………赤ん坊、ほったらかしで…………」 そして正常な判断能力を失ってフラフラしているところを、例の上忍仲間につかまって、 一服盛られた挙句、遊郭に連れ込まれてしまったのだろう。 「……………アホ………」 「………うん…………バカだ、僕は」 自来也は再びため息をついた。 正直、裏から手を回して純情なこの男を騙し、『子供を作らせた』事自体には怒りを覚える。 現にサクモは、酷く傷ついている。 信じていた女性の裏切り。 他人の思惑と陰謀によって、生を受けてしまった我が子に対する罪悪感。 だが、サクモにまったく非が無いわけではない。―――女の言動に騙されて、真実を見抜 けなかったのは彼の過失だ。里内でも屈指の上忍にしては、あまりにもお粗末である。 そう言いきってしまうには、気の毒な状態ではあるのだが。 ウブにも程があるだろう、と自来也は思わずにいられない。 「………だぁからな、ちっとはお花ちゃん達と遊ぶことも大事だっつーの………ったく、 女を見る眼が無さ過ぎだ、アンタは。………つーか耐性が無さ過ぎって言うか………」 「…………うん…………」 これ以上言っては、サクモを落ち込ませるだけだ。 自来也は、サクモの肩を励ますように軽く叩き、立ち上がった。 「………ミナト、赤ん坊はどうだ?」 「はい、お師様。ミルクは半分以上飲みました。…ええと、おむつ……は、どう取り替え るんでしょう?」 「ああ、おむつ替えなら後で教えてやる。…その前に、風呂を沸かし返し…いや、新しく 湯を沸かしてくれ。やかんで沸かしてもいい。大きなたらいがあっただろう。それをキレ イに洗って、その子の風呂にしてやるのじゃ。…体を湯できれいにして、温めてやって。 おむつはそれからじゃな」 「はい」 自来也の指示に従って、てきぱきと動く少年に、サクモは謝る。 「ごめんね………ミナトちゃんにまで迷惑掛けて………」 少年は首を横に振り、にっこり笑った。 「いいえ。こんな小さな赤ちゃんって抱っこしたの初めてで、何だか新鮮な感じです。迷 惑なんかじゃないですよ」 もっと正直に言えば、『楽しい』のだが、口には出来なかった。大人達の会話を聞くとはな しに聞いてしまっていた少年は、サクモにとってこの事態が決して『楽しい』ものでも『嬉 しい』ものでもないのだと悟っていたから。 (………サクモさん、騙されて子供作らされちゃったなんて……可哀相なんだけど……… 赤ちゃんはもっと可哀相。いったいこの子はどうなっちゃうのかしら………) 弟子が赤ん坊の風呂の支度をしに行ったのを見送ってから、自来也も厨に向かう。 「サクモさん、今何か作ってやるから、アンタも食え。…その話じゃ、昨日…いや、一昨 日あたりからロクに食っておらんだろう」 「…………いや、せっかくだけど、食欲ないから…………」 自来也はがっしとサクモの胸倉をつかんだ。 「………食え。嫌とは言わせん」 「……………………はい」 圧倒的に立場の弱い今、サクモに『嫌』が言えるわけが無かった。 「それで、胃に何か入れたら、アンタは少し眠るんじゃ。…ここに泊まっていけばええ。 ……赤ん坊の事はワシとミナトがちゃんと面倒をみるから、心配せんで、な」 「………ごめん…………自来也…………ありがとう………」 体が温まり、消化も良いだろうと、自来也は餡かけの卵とじうどんを作ってやる事にした。 その支度をしながら、チラリチラリと横目でサクモの様子を窺う。 サクモは柱にもたれて座ったまま、ぼんやりと目の前の畳を見ている。 彼があまり子供を見ようとしない事、触れようとしない事に自来也は気づいていたが、敢 えてそれについては何も言わなかった。 (………サクモさんが親である事を放棄しても………ワシには何も言えんの………) サクモは自来也の作ったうどんを素直に食べ、促されるままに床についた。 そして翌朝。 自来也が目を覚ました時、既にサクモの姿は無かった。 彼が出て行った事に気づかなかった自来也は、舌打ちをする。 (………こんな時だけ無駄に上忍の力を発揮してんじゃねーっての!) すっかり温もりが消えた彼の布団の上には、一枚の書置きがあった。 『しばらくの間、子供を頼みます。迷惑をかけてすみません。 はたけサクモ』 迷惑料のつもりなのか、書置きの下には結構な金額が包まれて置かれていた。 書置きを読み、自来也は渋面になる。 赤ん坊の世話を押し付けられたことはどうでもいい。弟子の少年が嬉々として世話を焼く だろう。 自来也が心配なのは、サクモの方だった。 この一件、サクモにとって衝撃が強かったことは想像するまでもなく。 自来也の脳裏に、昨夜遊郭で見たサクモの姿が甦る。 弛緩した四肢、焦点の定まらない眼。 「………大丈夫かの………サクモさんは」 襖の向こう側で赤ん坊が弱々しい泣き声を上げ、自来也は我に返った。 赤ん坊がここに連れて来られてから、初めて上げた泣き声だ。 「ま………親は無くとも子は育つ、と言うからの。………のう、ミナト」 ちゃんとした両親がいなかった少年は、それでもあんなにいい子に育っている。 サクモがいらないと言うなら、自分が育ててやってもいい。真実彼の血を引く子供なら、 さぞや優秀な忍になることだろう。 「よしよし………腹が減ったか? お尻もキレイにしてやろうの」 自来也に抱き上げられた赤ん坊は、ぱっちりと目を開けた。 その瞳の色は、サクモに瓜二つの綺麗な瑠璃色だった。 |
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すみません。2話目からほぼ1年ぶりの更新です。 (2007/05/09 UP) |