BIRD −5
白銀の狼犬を従えたサクモが、黒髪の少年と共に闇の山中に消えてから戻ってくるまで、およそ二十分とかからなかっただろう。 だが、『その場を動くな』とサクモに命じられ、彼について行く事が出来なかった中忍達には、その短い待機時間が二倍にも三倍にも感じられた。 サクモが強いことはわかっている。 問題はあの黒髪の少年、大蛇丸だ。 こんな山中で闇にまぎれていったい何をして―――しようとしていたのか。 動物達が怯えるのも道理の、あの背筋が凍るようなチャクラ。 あんなチャクラの持ち主と、隊長を二人で行かせて良かったのだろうかと、誰しもが不安な心持ちで彼らが消えた闇を見つめていた時。 その闇の中から、ぬぅっと狼犬が姿を現した。サクモが召喚した忍犬だとわかっていても心臓に悪い。 狼犬に続いて、少年達が戻ってきた。 サクモは、男達に軽く頷き、微笑ってみせる。 「…お待たせしました。話はつきましたので。…戻りましょう、皆さん」 どうやら何事も無く無事に戻ってきた隊長の姿に、一同は内心ホッと息をつく。 取り越し苦労だったかと思うには、やはり黒髪の少年の持つチャクラは不穏過ぎるものであったけれど。 やーれやれ、とソマは歩きながら腕を突き上げて伸びをした。 「…結局、正体見たり枯れ尾花、ですかい? …って言い方はちょっと違うか。…ま、でもマジもんの妖怪とやり合うハメにならなくて良かったっちゃ、良かったですが」 クスクスとサクモは笑った。 「拍子抜けですか? ソマさん」 「いや…そういうワケじゃ…ないんですが」 件の『妖怪』の正体がわからなかったのだから、仕方ないのだが。 こんな顛末なら、疲れの溜まっているサクモにわざわざ深夜の山登りをさせる必要などなかったのに、とつい思ってしまう。 だが、大蛇丸という少年が特に抗わなかったのは、やはりサクモの存在あってこそなのだろうという事もソマにはわかっていた。 (………イセキ隊長には悪いが、このちっこい隊長さんでなきゃ、こう上手く事は収まらなかった…な、たぶん) ソマ達だけならば、相当な抵抗を受けたのではなかろうか。 のみならず、もしかすると本当に邪魔者として排除されてしまったかもしれない。 それだけの力がこの少年にはおそらくある。歳若くして天才的な能力を有しているという点で、大蛇丸とサクモは同類の少年だ。 ただ、決定的に違う部分がある。 チャクラの質、とでも言うのだろうか。サクモのチャクラには、畏怖と共に畏敬とも言うべき純粋な感嘆を覚えるのに対し、大蛇丸のチャクラには畏怖と何か言いようの無い心地の悪さを覚える。言い換えれば、生理的な嫌悪感というものかもしれない。 ソマはチラリと今回の事件の『犯人』を見る。 手首に縄付きの手枷をはめられ、前後左右を中忍達で囲まれた大蛇丸は、大人しく連行されている。その縄の先はソマの手に握られていた。 手枷をはめる時、サクモは「一応のけじめだから、我慢して」と言い、大蛇丸は特に逆らわず、「仕方ないわね」とそれを受け入れた。 もしも、大蛇丸が多少なりとも抵抗していたら、こんな手ぬるい枷の掛け方はしなかっただろう。もっと身動きができないやり方で拘束するはずだ。 それがわかっているから、大蛇丸も大人しくしているのだろうとは思う。 本当に、『形だけ』なのだ。こんな手枷、彼がその気になれば何の意味も無いだろう。 ゼンという狼犬は、まだ還らない。サクモの前を歩きながら、ピクピクと耳を動かしている。 彼は、自分の役目が終わったとは思っていないのだろう。 主人を―――サクモを護る、という役目が。 何だかなあ、とソマは内心ため息をつく。 つまり、自分達は犬にすら信用されていないのだ。何事かがあった時、サクモを護る役には立たないと。 (そりゃまあ実際、あの子は俺達に護られなくたって、十分身を護れるだろうけどな。…むしろ、護られてしまうのは俺達の方だろう………) 峠に出ると噂されていた妖怪の正体が、なんと自分達の里の忍だったというのは苦々しく、また肩透かしな結末ではあったが、結果的に何者とも戦わずに済んだのは幸いだったと言うべきかも知れない。 戦いになった場合、おそらくサクモは自分が矢面に立つことを選ぶタイプの隊長だ。 部下の命を盾にして後方に身を置くことなどせず、先陣を切って敵に挑み、相手の戦力を削れるだけ削ろうとするだろう。 (………本心を言えば、このちっこい隊長さんのマジな戦いってヤツを近くで拝みたいってェ気持ちもあるけどな。…今はダメだ。……帰還して、報告書出したら即、医療棟に引っぱって行く。…栄養をちゃんと摂らせてたっぷりと寝かしてやんないと、本当に身体が壊れちまう) そこでソマは唇を噛んだ。 サクモは、前隊長のイセキと交代して正式に隊長になったわけではない。イセキが回復して隊に復帰するまで、という話でもなかった。 もう延期するわけにもいかず、他の班にまわす事も出来なかった今夜の任務の為に、臨時で隊長の代行を命じられただけだろう。 ソマ達は、イセキを隊長として結構長いこと同じメンバーで任務についてきた。それだけに息も合っているし、イセキは決して無能ではなく、部下に対する思いやりも責任感も持っているいい隊長だ。 だから、本当ならばイセキが早く復帰してくるのが最良のはずなのだ。自分達にとっては。 だが、あの膝に乗せた身体のあまりにも頼りない軽さを思い出すと、何だか彼を放っておいてはいけない気がしてたまらない。 周囲の人間は、サクモの強さしか見えていないのではあるまいか。 いや、彼が年齢的、身体的に大人になってはいないという事実を、見て見ぬ振りをしているのではないかとソマは思う。 サクモが、平気な顔を装い、無理をしてでも課せられた任務をこなしてしまうから。 そしてその『強さ』が今の木ノ葉には必要だから。 自分が副長としてずっと傍についていられればいいのに。そうしたら、そんな無理はさせないように気を配ってやれるのに。 ソマはやるせなさにそっとため息をついた。 空は、ようやく薄っすらと明るくなってきていた。 時間が時間だったので、大門は閉まっている。 その大門が見えたところで、狼犬は一言、二言サクモに何事か囁いてから姿を消した。 「…ゼンったら、心配性なんだから」 ボソッとサクモが呟いた。 狼犬の囁き声を聞き取ったらしい大蛇丸が、押し殺した笑い声を漏らす。 「………笑わないでよ、大蛇丸」 「だって、おかしいわよ。…アレは、アンタの忍犬でしょ? アンタに隷属する生きた忍具じゃないの。その忍具に、ちゃんと食えだの、早く寝ろだのと口うるさい母親みたいなコト言われて。…もっとビシッと躾けたら?」 サクモはほんわりと笑った。 「んー、でも別に僕に逆らうわけじゃないし。いいんだ、彼は僕の保護者のつもりでいるんだよ、きっと。小さい頃からの付き合いだし」 「………小さい頃?」 「契約したの、僕が六歳の時だから。もう十年近く傍にいるんだ」 え、と大蛇丸は一瞬足を止めた。 「………………どうしたの? 大蛇丸」 大蛇丸はサクモの顔をマジマジと見て―――そして首を振った。 「いいえ。………単に、私より年上だったのかと思っただけよ。同じくらいかと思ってたから」 「え? 大蛇丸って幾つ?」 「私は、今年で十四よ」 サクモは「そう」と気落ちした口調で呟いた。 「………僕も、君は僕と同じくらいなんだと思ってたよ………」 一方、少年達の会話を聞いていた男達は、各々心の中で突っ込んだり、感心したりしていた。 (………このガキ、十四だと? マジにガキだったんかっ………末恐ろしい) (…六歳で口寄せ契約したのかー! あんな狼犬と! やっぱすげえな隊長ってば) (十四でも十六でも同じよーなモンだろーに。…あー、微妙なお年頃ってヤツ? 可愛いなー) (…オレらから見りゃガキに変わりねえよ。………ま、普通のガキじゃねえけどなあ…二人とも) 同じ『天才のガキ』でも、白銀の少年の方が隊長で良かったと、心の底から思う大人達であった。 大門の脇にある詰め所に帰還報告をすると、片方の門が半ばまで開いた。 門衛当番の者が顔を出し、任務から帰還したサクモ達を労う。 それに形式通りに応えて、全員が門の中に入った。その後ろでまた門が閉じる。まだ、通常の開門時間ではないのだ。 サクモは、一同に向かって微笑んだ。 「ここで解散にします。…今回は急な隊長の交代で、色々と勝手が狂って大変だったのではないかと思います。皆さん、お疲れ様でした。…今度また、任務でご一緒する事がありましたら、その時はよろしくお願いします」 男達は、一斉に少年に向かって頭を下げた。 「お疲れ様でした、隊長!」 「またご一緒出来ましたら光栄っす!」 サクモは面食らったように瞬きをする。 「………あの…じゃあ、皆さんよく休んでくださいね。………あ、すみませんが、ソマさんは一緒に来てください」 ソマは、大蛇丸の縄をしっかりつかんだまま頷いた。 「了解、隊長」 サクモとソマは、大蛇丸を中に挟んで歩き出した。 大蛇丸はチラ、と大男に視線を投げてからサクモを横目で見る。 「…アンタ、元々この人達の隊長じゃないの?」 「うん。…元々の隊長さんが急病でね。僕の他にすぐ行ける上忍がいなかったんだよ」 「アンタだって暇だったワケじゃないんでしょうに」 まあね、とサクモは苦笑した。 「任務から帰ったとこ、待機所で捕まっちゃって。いいからすぐに行けって……」 そう言ってしまってから、「あ」とサクモは小さく声を漏らしてソマをそっと見上げた。 ソマは渋面を作り、微かに首を振る。 「………やっぱり。そんな所だと思ってましたよ。…まったく………」 「…ソマさん達にはご迷惑かけてしまってすみませんでした。イセキさんの代わりが、僕じゃなかったら………」 「そんな話じゃありませんや、隊長。迷惑だなんてとんでもない。そりゃ、確かに最初は少々若過ぎるとは思いましたがね。…お世辞抜きでアンタはいい隊長だと思っていますよ。俺だけじゃなくてね、他の連中もそう思っているはずです。…いや、そうじゃなくて……」 その時、ソマの言葉を遮るように鳥が一羽飛んできて、サクモの肩に舞い降りた。 鳥の足環を確認したサクモは、大蛇丸に向かって微笑んで見せる。 「執務室に来いってさ、大蛇丸。…二代目と、猿飛先生がお待ちだよ」 「…火影様の執務室ですか? 隊長。直に?」 驚くソマに、サクモは頷いた。 「…さっき、もう一匹忍犬を呼んで、扉間様に事の次第をお知らせする書簡を届けさせたんです。…扉間様のご判断を仰ぎかったから。…報告する場所と人の順によっては、事が荒立ってしまうでしょう?」 「………そうですな」 ソマは納得し、大蛇丸の頭をちょいと小突く。 「助かったな、小僧。…隊長の配慮に感謝しろよ」 この事件の犯人は、木ノ葉の者だった。 木ノ葉の面子を考えたら、あまり外部に漏らしたくはない顛末である。 四角四面に『犯人』を処罰し、表沙汰にしてしまう事を果たして火影が望むかどうか。 そこを考えたサクモは、大蛇丸を警務部隊の取調べ室に引き渡す前に、扉間の判断を仰いだ。 どこも通さず直に火影の元に呼ばれたという事は、内々に収める気なのだ。 大蛇丸がまだ十五未満だという事を理由に、事件を子供の悪戯レベルにまで落としてしまえば、どうとでも処理出来る。 まさか無罪放免とはいくまいが、『外』に真実が公表されることは無いと見ていい。 事実、峠を通る者達への脅威は取り除いたのだから、結果的に依頼は果たした事になる。問題は無い、と二代目は判断したのだろう。 はあっと大蛇丸は憂鬱そうにため息をついた。 「………つまり、猿飛先生にこってりしぼられるって事ね………」 |
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………ああ、終わらせられませんでした。 |