続・孔雀草の花言葉−6

(注:カカシさんが バリバリのくノ一『Nightmare』設定です)

 

イルカは眼を見開いた。
「………は? お、俺ですか?」
サクモの指先が、グラスの縁をなぞった。
その指の動きに眼を惹かれたイルカは、またひとつ彼とカカシの相似点を発見する。
男と女の違いはあるが、指と爪の形が、とてもよく似ていた。
遺伝子というものは凄いな、とイルカはあらためて感心する。
もしもカカシが男に生まれていたら、この人にそっくりになっていたのではあるまいか。
「………そう。昨日あの子に再会した時にね、思った。あれ、雰囲気が変わったな、と。……年齢を重ねたから、とかそういう事ではないと思ったよ。………親の勘、と言うのだろうか。ああ、何かあったな、とね。…そうしたら、『紹介したい人がいる』って言い出されてねえ。………あー、ビンゴか。とうとうこの日が来たかってさ、まあ昨日は少々ショックだったのだけど」
イルカは返す言葉が見つからず、黙って畏まっていた。
「………でもね、実を言うと少し安心もしたんだ。………あの子、もう恋が出来なくなってしまったのかもしれない、と案じていたのでね。………何せ、前の男がアレだろう。…もうこの世にいないくせに…いや、いないからこそ余計に、かな。カカシが新しい恋をするのを邪魔していたよねえ、アレは」
これにもまた、何と言っていいのかわからなくてイルカは困ってしまった。
その通りかも、と思わなくは無いが、迂闊に相槌も打てない。
「だからね、キミと会ってみる気になった。………四代目の亡霊に勝ったのは、どんな男だろう、と」
いや、勝ったわけではないだろう、とイルカは思った。
カカシ自身がどう思っているかは関係なく。
現にイルカはその『亡霊』に悩まされているのだから。今、この時も。
「…ミナトとの婚約はね。………いつも遊んでくれる大好きなお兄ちゃんに『お嫁さんになって』と言われて、コトの意味もわからず『うん』って言っちゃった〜って、オママゴトの延長線上みたいなもんだったからね。………ミナトは大真面目だったし、あの二人の間には、確かな絆も愛情もあったと思うけど。…四歳の時のカカシなら、オレが『大きくなったら、お父さんのお嫁さんになりなさい』って言っても絶対『うん』って言ったよね」
―――それは想像に難くない。
「そう…ですね」
「………でね。キミはそういう『オママゴト』的なもんじゃない、初めての相手なんじゃないかな、とオレは思うわけだ」
「そ………それは………」
どうだろう、と思う。
カカシはあの通りの美人だ。イルカと出逢った時はフリーだったようだが、それまでに恋人の一人や二人いたとしても、おかしくはない。
そのイルカの表情を読んだのか、サクモは苦笑した。
「…あの子はね、見かけで誤解されがちなんだけど。…あれで結構オクテでねえ………恋愛に対して臆病と言うのか。…だからまあ、その主な原因はミナトがいなくなった事だろうとは思うんだが。…元々、淡白なところもあるみたいなんだよ」
「あ…それは、その。………感じた事は、あります。カカシさんは外見は華やかですが、とても純情で可愛らしい……あ、いえその、失礼しました。つまり、異性交遊に関して奔放とは真逆の方だと」
「…良かった。キミがそこをわかってくれているなら、いい。………カカシが前にチラッと言っていたことがあってね。…今、自分の周囲にいる男は大体三種類だと。…まず、単なる同僚。それから、自分を男と寝る事を遊びと割り切れる女と思い込み、落とし甲斐のある標的だと思って口説こうとする男。…そして、元暗部の雌豹などと言って、やみくもに恐れ、近づかない男。………おそらくキミは、それのどれでもなかった。…違う?」
イルカは微かに首を振る。
「…かも、しれませんが。………カカシさんは、お忘れです。彼女を高嶺の花とただ憧れ、自分には手の届かない女性だと思って見ているだけの男も、いるんです。…前の、俺みたいに」
サクモは卓に頬杖をついて、面白そうにイルカを眺めた。
「………へえ、そうだったの?」
今度はイルカが苦笑する番だった。
「銀幕の女優や、テレビの中のアイドルに憧れるのと大差無かったですよ。…彼女が美人だとか、それ以前に忍としての階級差がありましたし。………偶然に口をきくことはあっても、俺とは縁のない方だと思っていました。………だから、最初は自分にセーブをかけていたんですよ。………本気で惚れたら、辛いだけだと思いましたので」
サクモは二杯目の酒に口をつけた。
「………最初はセーブを…って事は、今は惚れてるって意味かな?」
ス、とサクモの視線がイルカを捉える。
「………………あの子を、愛している?」
(………あ…………)
ここに到って、イルカはようやく気づいたのである。
彼は、今日の会食を拒否する事も出来たのだ。
カカシも、嫌がる父親に無理にイルカを紹介したりはしなかっただろう。
サクモは、イルカに会ってくれた。
そして、会った上で更にこうしてイルカに『機会』をくれている。
お前など娘にふさわしくない、さっさと別れて消え失せろと言うことも出来ただろうに。
ここはもう、駆け引きなしだ、とイルカはハラを括った。
サクモの眼を正面から見据え、キッパリと言い切る。
「愛しています」
「………………あ」
グラスを卓に戻したサクモは眼を逸らし、手でパタパタ、と顔を仰いだ。
「………一瞬、自分が告白されたみたいな気がしちゃったよ。…あはは、ドキッとした。…キミの眼、結構威力あるなあ」
「え………」
くすくすくす、とサクモは笑った。
「………なんて、ね。…ま、今のは冗談として。………じゃあ、そろそろ聞かせてもらおうかな。キミの、答えを。………オレの質問、覚えているよね?」
残照の中、里を眺めながらサクモが口にした問い。

―――『キミは、オレの娘と、どういうつもりで付き合っているんだい?』

娘を案じ、幸せを願う父親として、これは当然の質問だ。
イルカは、眼を閉じた。
今まで一度も、結婚を意識しなかったというわけではない。だが、彼女と自分の立場の差が、イルカの気持ちに歯止めをかけ、もう一歩先に進ませなかった。
カカシがイルカを、つきあっている相手として父親に紹介してくれたというのに、自信を持って『お嬢さんには近々求婚するつもりです』とは言えない自分が不甲斐無く思える。
だが、ここで無駄に自分を大きく見せようと足掻くのも滑稽だ。
イルカは、静かに伏せた眼を上げた。
「…まだ、カカシさんとハッキリとした将来的な話をしたわけではありませんので、これはあくまでも俺の気持ちですが。………カカシさんが望み、許してくれる限り。彼女の傍にあって、同じ時を生きたい。…そう、思っております。その繋がりが、どういう形であっても。…もしもこの先、男と女ではなく、上司と部下という関係でしかなくなったとしても、その立場から愛することは可能だと考えます」
その『答え』を聞いたサクモもまた、眼を伏せた。
ややあって、低く笑い声をもらす。
「………………そうか。………うん、よくわかったよ。………なるほどね。…面白い」
自分としては、精一杯の正直な気持ちを語ったつもりだ。イルカの眼は、訝しげに細められた。
「………面白い、ですか?」
「うん? ああ、悪い意味じゃない。………ミナトがね、キミと同じ様なことを言ったんだよ。………この先成長したカカシが、お前への想いは幼さゆえの錯覚だったとして他の男に恋をしたらどうするのか、とオレが意地の悪い質問をした時だ。でも、あり得ない話じゃないだろう? ………そうしたら、カカシが望む関係で、その立場で出来る限り愛していく、と答えた。…あの子を愛し、慈しむ気持ちは変わらないから、と」
ふ、とサクモは息をつく。
「………ま、いっか。………キミ、一応ごーかく」
「ありがとうございます! ………って…え?」
イルカはぱちぱち、と瞬きをした。
合格と言われたので、反射的に礼を言ってしまったが、聞き捨てならない…いや、聞き流してはいけない言葉があったような。
「す、すみません。……あの…一応、というのは………」
サクモの眼がスッと細められる。
「そ。…一応、合格点はあげる。…まあ、何だかんだ言ってもね、大事なのはキミの人柄でしょ。………カカシの眼を信用しないわけじゃないんだけど、やっぱり父としては、イケ好かん男に娘の傍にいて欲しくはないじゃないか? だから、オレが個人的にキミに好意を持てるかどーかっていうのも、大事な要素だったわけで」
イルカは眼を見開いた。
―――それって、つまり。
『おとーさまに気に入って頂けた』というコトなのだろうか。
「………カカシと付き合うのを妨害したりはしないから、安心したまえ」
つまり、交際そのものは認めてもらえた、ということか。
もしも、サクモが『この男じゃダメだ』と判断を下したら、どうなる所だったのだろう。
グラグラ揺れる綱渡りを終えて、目標地点の土を踏めたような安堵感に、イルカは思わず息をついた。
「あ…ありがとう…ございます」
「………ただ、ね。………まだ課題は残ってるよ?」
もう一度綱の上に戻されたイルカは、再び緊張した。
「………カカシが欲しかったらせめて上忍になれ、とかね。…ま、そんな事はもう言わないけど。………キミ、まだ覚悟が足りないね。…と言うか、もーちょっと自分に自信が持てるように頑張りなさい」
「………は………」
サクモは指で卓をコツコツコツ、と突いた。
「…キミ、さっき自分の気持ちにセーブをかけていたと言ったでしょ? ………過去形で言ったけど、あれ、実はまだやってるよね」
イルカはギクッとした。
「………カカシは、キミが中忍だとか、そんな事は気にしていない。現状のキミでいいと思っているんだと思うよ? ………でもね、キミはこのままじゃダメでしょ。………オレが推測するに、キミは自分に自信が持てないでいるんじゃないのか? だから、カカシに対してまだ遠慮している。…『高嶺の花とお付合いして頂いている』っていう気持ちが抜けていないように見えるよ」
サクモの言う通りだ。イルカは、反論することが出来なかった。
「………だから。キミはもう少し頑張らなきゃいけない。頑張って、自信をつけなきゃ。……でないと、いつまでたってもキミはあの子にプロポーズすら出来ないと思うんだけど」
がくーん、とイルカは項垂れた。
「………お、仰る通り………です」
カカシを愛しているという気持ちには自信があるが、彼女にふさわしいかどうかという点では自信が持てないでいる。それは、イルカ本人が一番よく知っていた。
サクモは腕を伸ばし、ポンポン、とイルカの肩を叩いた。
「ま、そういうことで。………キミが何らかのハードルを越えて、自信が持てた時。本当の合格点をあげるから。…あ、言っておくけど『プロポーズが出来た』イコール合格、じゃないからね?」
イルカはコクコク、と頷いた。
「はいっ! ………俺、頑張ります!」
「うん、いい子だねー。………オレをお父さんと呼びたかったら、頑張りなさい」
「………………は…はい」
そうだった。
カカシと結婚したら、『白い牙』が義理の父。
嬉しいのか怖いのか、何とも複雑な気分だ。
「じゃあ、取りあえず今夜は飲むと言う事で。…ほら、空けて空けて。飲めるんだろう?」
「はいっ」
サクモに言われるまま、杯を飲み干し。
酒の口当たりの良さも手伝って、イルカは随分過ごしてしまった。
また、飲酒の習慣が無いと言っていたサクモも、『飲めない』のではなく、単に『好みじゃない酒は飲まない』だけであったらしく、ザルと同僚にからかわれるイルカよりも酒に強かった。
気づけば、夜半過ぎまで取り留めのない話をしながら杯を重ね―――そのまま、朝を迎えてしまったのである。


 

 

―――なんか、明るい。
ぼんやりとイルカは前を覚ました。………ここは何処だ。
「………やあ、イルカくん、目が覚めた? おはよう」
呑気な男の声に、イルカの意識は一気に覚醒した。
ガバッと身を起こす。
「おおお、おはよう、ゴザイマスッ!」
そして、自分の置かれた状況に眩暈を起こし、再びベッドに伏してしまいそうになる。
(………何で、隣にサクモさんが………どーして一緒に寝てんだ俺達………)
おまけに、服を着ていない。
恐る恐る確かめると、きちんと下穿きは着けていたのでイルカは一安心した。
どうやら、酔った挙句に………などという恐ろしいアヤマチは犯さなかったらしい。
よく覚えてはいないが、帰宅するには遅くなり過ぎ、また結構酔ってしまったので、あのまま寝てしまったのだろう。
「………あの………すみません。…俺………」
「あ? ああ、こっちこそゴメンね。………布団、別に敷くの面倒で。も、いっかーと思ってオレのベッドにキミを寝かせて、オレも一緒に寝ちゃった。…別に寝苦しくは無かったでしょ? このベッド、セミダブルで広いし」
「あ、はい………」
サクモはシーツに手を突いて上半身を起こした。
昨日は項で結っていた長い髪が解けて、剥き出しの肩や胸元にかかっている。
その光景は、嫌でもカカシとの情交の後を思い出してしまい―――イルカは慌てて眼を逸らす。
「………へえ、キミ結構いい身体してるねえ」
イルカの気持ちをよそに、サクモの声は相変わらず呑気だ。
「は? ………いえ、その…それほどでも………」
「触ってもいい?」
言うが早いか、サクモの手がポンポン、とイルカの腹筋を叩いた。
「ん、いい腹筋だ。…このまま維持しなさいね」
「う。…ハ、ハイ」
腹に触れられた拍子に、自然と視線が戻ってしまったイルカは、思わず彼の身体を見てしまっていた。
カカシと同じ、色素が薄い白い肌。だが、同じなのはそこまでだった。
当然の事ながらまろやかな曲線はどこにも無く、キッチリと鍛えられた身体には綺麗に筋肉がついている。加齢によるたるみなど、一切無い。
「…サクモさんも、凄いですね。カカシさんがお小さい頃と、全然体型変わってないんじゃないですか…?」
「んー? まあね。…体重とかも殆ど変わんないね。………さすがに、体力は落ちたような気がするんだけど。…まあ、どう足掻いたって、トシくえば内臓は衰えていくものね。鍛えるにも限界はあるよ」
そうは言うが、彼の身体を見て正確に年齢を当てられる人はいないだろうな、とイルカは思った。
「や………でも、綺麗ですよ」
サクモの身体は、日々、練磨を怠らないで年月を重ねた忍の実例だ。
お世辞ではなく、本当にイルカは感心していた。
(…ずっと現役の忍ってこういう事か。………俺も、見習わなきゃ………)
そこへ。
「………ナニやってんの………?」
地を這うような、物凄く不機嫌そうなカカシの声に、イルカは飛び上がりそうになった。
サクモは一向に動じず、にこやかに娘に挨拶する。
「やあ、おはようカカシ」
ヒク、とカカシの頬が引き攣る。
イルカは、この『男二人が(上半身)裸で一緒にベッドにいる』光景が第三者の眼にどう映るかを冷静かつ客観的に考えた。
………もしかして、非常にマズイのでは。
果たして、カカシは爆発した。
「おはよー、じゃないでしょ、父様ーッ! せっかく、朝御飯差し入れしようと思って来てみれば、何よこれ! 何ヒトの彼氏、ベッドに引っ張り込んでんのッ!!」
「あー………誤解だよ、カカシ」
「カ、カカシさん、その、これは………」
カカシの矛先はイルカに向かう。
キッとイルカを睨みつけ、一刀両断。
「イルカ先生の、節操なしッ!!」
「ち、違いますっ」
「知らないッ! バカ!」
踵を返して走り去るカカシを、イルカは呆然と見送った。
その背を、つんつん、とサクモがつっつく。
「………早く追いかけた方がいいよ?」
「サ、サクモさん………」
サクモは、ニッコリと微笑んだ。
「それとも、オレに乗り換えるかい?」
イルカは全力で首を振った。
「い、いいえっ! 謹んでご遠慮致しますっ!」
「じゃ、頑張ってねー。………ちゃんと説明すれば、カカシもわかってくれるから。………たぶん」
イルカは急いで床に落ちていた服を拾って身につけ、「失礼します!」と叫ぶや飛びだして行った。
ふわ、とサクモはあくびをする。
「………さて、もうひと眠りするか………」

 

いくら、いい酒だったからと言って、初訪問の家で酔い潰れるまで飲んでしまった自分が悪い。
悪いのだが、これはあんまりな状況だった。
昨日は、彼女の父親に挨拶するのにガチガチに緊張し、『口答試験』を経てやっと交際を認めてもらえたというのに。
今朝は、その父親と浮気をしたと誤解し、カンカンに怒ってしまった彼女を追いかけている。
「待ってください、カカシさん!」
「近寄るな、この浮気者!」
二日酔いを起こして無かった事だけが救いだ。
イルカは必死に走って走って走って………走ったのだが、怒りにまかせて光速の如く走り去る彼女には追いつけず。
どうにか弁解を聞いてもらえ、彼女の怒りと誤解を解いたのは、それから三日後の事であった。


―――そして。
またすぐに任務に出るのかと思っていたサクモは、今回はどういうわけか一向に里を出て行く気配を見せず。
アカデミーにまで顔を出して、イルカにちょっかいを掛けてくる。
「あの…サ…サクモさん、任務の方は………」
「ああ、いいの、いいの。キミは気にしないで、仕事を続けなさい」
周囲の視線が、カカシの時とは別の意味で痛い。

どうやら、イルカの試練はこれからのようであった。
 

 

(09/05/25)



END

OMAKE

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