続・孔雀草の花言葉−5

(注:カカシさんが バリバリのくノ一『Nightmare』設定です)

 

メインの食事が済み、イルカの持ってきたフルーツパイが切り分けられ、デザートとしてテーブルに並べられる。
「イルカ先生、コーヒーでいい?」
「はい。ありがとうございます」
カカシを手伝おうとして席を立とうとする度に、「いいから座っていて」と言われるイルカは、大人しくテーブルについたまま、コーヒーを待った。
イルカがこの部屋に来るのは初めてではない。
このテーブルで、カカシと共に食事をするのも。
しかし、そうした時には感じた事の無い、妙な感覚をイルカは味わっていた。
彼女の父親が同じテーブルについているだけで、見知っているはずのこの部屋がまるで違う空間に思えてくる。
―――九尾の事件さえ、無ければ。
カカシはとっくに四代目の妻になっており、彼女の隣には自分ではなくミナトがいたはずなのだ。
カカシとサクモの話を聞いていてわかったのは、四代目は少年の頃から彼ら親子と親しくしており、彼女を娶るまでも無く既に家族同然だったという事である。
そうなると、余計にこのカカシの隣の椅子は自分の席ではないような、そんな気がしてきて仕方が無い。
カカシの隣にいる自分を見る、周囲の男達の視線が思い出される。
羨望よりも、疑問を多く含む、あの視線。
あの視線は、『お前など彼女には似合わない』と言っているのだ。
カカシが人待ち顔で座っていたあの店先に、現れたのがイルカではなく四代目だったなら。
男達は皆、諸手を挙げて降参し、「やっぱり」と納得するのだろう。
イルカが特に劣っているわけではない。
比べる対象が悪過ぎるだけなのだという事も、イルカにはわかっていた。
相手は、四代目火影。
歴代火影最強と謳われた抜きん出た実力と、カリスマ性のある人望で木ノ葉の忍を男女問わず魅了した男だ。比べること自体が馬鹿げていた。
それに、彼はカカシにとって、婚約者であった以上に、『師』であった面が強かったように思える。異性として以前に、庇護者だったのだ。当時幼かった彼女が、彼に本当の恋をしていたかすらあやしい。
だが、彼が亡くなるまでずっと、彼と結婚する事に些かの疑問も持っていなかったのもまた事実だろう。
カカシは、ミナト先生の事は今でも好きだ、と言う。
でも、今自分の傍で肩を抱く男はイルカだけだ、とも言ってくれた。
だから、自分のこの感情は間違いなのだ。
そうわかっていても、どこか複雑なイルカだった。


「じゃあ、そろそろ帰るよ」
サクモはそう言うと腰を上げた。
反射的にイルカは『帰るって、どこにだ?』と思ってしまった。
サクモはここに泊まっているものだと思い込んでいたのだ。
「別にいいのよ? 父様。ここに泊まっても」
「…いいよ。荷物はウチに置いてきちゃったし。…カカシこそ、お父さんと一緒に帰らないかい?」
「あっちの家のおふとん、父様の分しか干しておかなかったもん。…それに明日はオレ任務あるし」
そこでやっと、サクモの言っている『ウチ』とはカカシの生家の事だとイルカにもわかった。
カカシはその生家に住まず、こうして別に部屋を借りていたという事になる。
「…任務、長くかかるのかい?」
ううん、とカカシは首を振った。
「別に難しくないヤツだから、たぶん夜までには戻れる」
「じゃあ、ウチの方に戻っておいで。…お父さんが晩御飯作っておいてあげる」
カカシはくすぐったそうに微笑んだ。
「あは。父様のご飯も久し振りだね。…嬉しいな」
「ああ、楽しみにしておいで」
サクモはさっさと玄関に向かってしまった。
「じゃ、おやすみ。…二人とも」
慌ててイルカは後を追い、挨拶した。
「あ、はい、おやすみなさい! お気をつけて」
カカシもついてきて、のんびり手を振る。
「おやすみなさーい、父様」
バタン、と扉が閉じ、一瞬の静寂が訪れる。
カカシはイルカを見上げて、にこ、と笑った。
「………疲れた?」
「…あ、いいえ。………少し、緊張はしましたが」
「………ありがとうね、父に会ってくれて。………父が白い牙だって事、言っちゃってからしまったかなって思ったんだ。………会うのを億劫がられても無理ないかもって」
イルカは苦笑した。
「そりゃ、お会いする相手が白い牙じゃなくったって、カカシさんのお父上ってだけで緊張はしますって。…でも、ご挨拶出来て良かったです」
「うん。…また出てっちゃったら、今度いつ戻ってくるかわかんないから、あの人。…イルカ先生を紹介する機会があって、ホント良かった。………あ、イルカ先生、今夜どうする? ここ泊まる?」
まさか、とイルカは微笑んで首を振った。
彼女の父親が近くにいるとわかっていて、それは出来ない。
「今日は遠慮しましょう。…ご馳走様でした、カカシさん。本当に美味しかったです」
「…ありがとう。イルカ先生がそう言ってくれるなら、また作るね」
おやすみのキスを交わし、イルカもカカシの部屋を後にした。
路地に出て、角を曲がったところでイルカは足を止める。
街灯の下にサクモが立っていた。
「………帰るの?」
「…はい」
(―――うお、ヤバかった………)
サクモのイルカに対する『検分』は、まだ終わってなどいなかったのだ。
さっさとカカシの部屋を出てきて正解だった、とイルカは胸を撫で下ろした。
「…良かったら、これからウチに来ないか? イルカ君」
ニッコリと微笑む白い牙。
ここで逆らうほどイルカも愚かではなかった。



カカシの生家は、夜目にも立派な一戸建てだった。
イルカも以前に一度、ここの前を通ったことがあったが、カカシの家だとは知らなかった。
ただ、大きな家があるな、と思っただけだ。
「…イルカ君は、どっちもイケるのかい? 酒も、甘いものも」
「あ、はい。…甘いものは、普段好んで口にするわけではないですが、苦手ではないです。………でも、どちらかと言うと、酒の方が好きですね」
サクモは眼を細める。
「そうか。…ま、酒は飲めるに越したことはない。任務で必要になる事もある」
「………サクモさんは、お酒はお好きではないのですか?」
先刻の食事の時、カカシは酒を出さなかった。つまり、食事の時に酒を飲む習慣は、彼には無いということだ。
「ん? …そうだねえ…美味いヤツなら飲むよ。…でも、無ければ無いで何とも思わない。…これは好きとは言わないかな?」
つまり、下戸では無いが特に酒好きでもないという事か。
「でもまあ、たまには自発的に飲みたいと思う事も皆無ではない。………と、いうわけで付き合いたまえ」
イルカの目の前にドンッと一升瓶が置かれた。
(………あ、この酒確か………)
雪の国の銘酒、雪嶺華。
なるほど、『美味いヤツ』だとイルカは納得した。火の国には殆ど入らない希少な酒だ。
「冷でいいかな? …今、何かツマミを持ってくる」
「はい! …じゃなくて、俺がやりま……」
あたふたと立とうとするイルカを、サクモはほんの少しの手の振りだけで押しとどめた。
「いいよ。キミは今、我が家の客だ。座っていなさい」
「は。………すみません」
イルカは畏まって正座した。
カカシの父であるというだけでなく、格上の上忍であり伝説の白い牙を働かせて、中忍の自分が座っているこの状況は何とも居心地が悪い。
自分が動くべきだとは思うのだが、初めての家でそれこそ勝手がわからない。ただ大人しくしている他はなかった。
サクモが、盆を片手に戻ってきた。
「カカシが気を利かせてくれたみたいだ。…冷蔵庫に、ツマミに出来そうなものが入っていたよ。………時々は、この家の面倒も見に来てくれているようだね、あの子は」
「カカシさんは普段、こちらにお住まいではないのですね」
「………うん。…こんな広い家に、独りでいるのは嫌なんだって。寂しくなるから」
イルカは黙って俯いた。
ただ寂しい、だけではないだろう。
生まれ育ったこの家にいれば、父親と暮らし、師であり庇護者でもあった四代目と過ごした時の事を、嫌でも思い出してしまうから。
それが、辛いのだ。
サクモは、冷酒のグラスに酒を注ぐ。
「………本当はね、あの子に寂しい思いをさせるのは、オレも本意じゃないんだ。………ミナトの葬儀の後、カカシは魂が抜けたみたいになっちゃってね。オレはあの子が心配で心配で、一時も傍を離れられなかったんだ。…でも、木ノ葉に残された数少ない戦力として、オレには課せられた任務があった。…ミナトの命懸けの行為を、無駄には出来ない。………だから、後ろ髪引かれる思いで、カカシを残して里を離れた。………でもね、しばらくして里に戻ってみたら、カカシはちゃんと笑ってオレを迎えてくれたんだ。きちんと、自分自身の力で立っていた。………それで、気づいた。…あの子は、オレがベッタリ傍にいない方がいいんだって。………オレは、一人で立てるあの子に、つい手を貸してしまうからね。…そんな手は、あの子には必要ないのに」
おや、とイルカは思った。
サクモが里にいない理由が、カカシの語ったものと少し違う。
もしかしたら、一介の中忍であるイルカには語れない理由で、サクモは里から離れて任務に就いているのかもしれない。
そこに個人的な理由も複数重なって、結果的にサクモを『里には滅多にいない伝説の人』にしてしまっているのだろう、とイルカは推測した。
「………近しい人を亡くした経験は、俺にもあります。…あの喪失感から立ち直るには、どんな人でも時間が必要なのだと…思います。………カカシさんにも、時間が必要だったのでしょう。………それに、貴方のその手が彼女にとって必要な時期もあったのではないでしょうか。…貴方が手を貸した事が、その時のカカシさんの為にならなかったとは、俺は思えません」
「うん。…そう、だね。…キミの言う通りかもしれない。………」
サクモはグラスを手に取った。
「キミも、どうぞ」
「はい。頂きます」
イルカは冷酒に口をつける。
何とも言えない、品のある香りがした。するん、と液体が咽喉を滑って胃の腑に落ちる。
「………これは凄い。ここまで芳醇なものは、初めて頂きました」
「だろう? これはオレも好きな酒なんだよね。だから、目にする機会があると、つい買ってしまう。これはね、熱燗より冷がいいんだよ」
「何というか………滑らかな酒ですね」
サクモは小さく笑った。
「滑らかな酒、か。上手いことを言う」
ハッとイルカは気を引き締めた。
滑らかな酒の所為で舌まで滑らかになって、余計な事を言ってはマズイ。
サクモが自分をここに呼んだ理由は、考えなくたってわかる。
高台での話の続きだ。
「………オレが木ノ葉に戻るのは、二年ぶりなんだと言っただろう?」
「あ、はい。…貴方が久し振りにお戻りになる、とカカシさんはとても嬉しそうでした」
そう、とサクモは柔らかく眼を細める。
「………………あの子には、ここ十年ほどで数えるくらいしか逢っていないんだが。一度逢うと、次に逢うのに数年置く所為かね、逢う度にあの子は大人になって、綺麗になっていくのがわかる。………だけど今回、二年ぶりに逢ったあの子には、更に大きな変化があった」
「…変化、ですか」
イルカは、二年前のカカシは知らない。彼女がどう変化しているのか、皆目見当がつかなかった。
サクモは指の先で、キン、とグラスを弾く。
「オレが思うに、その変化の原因は、キミだろう」
 

 

(09/05/21)ご…っ5話で終わる予定が………TT;



 

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