宵の寄り路迷い路−1
闇の濃さと空気でまだ深夜なのだと知れた。 浮かび上がるように彼の『表層』に現れた男は、夜の空気を吸う。 男の名は、秋水。 彼の本来の肉体は今、さる洞窟の奥深く氷塊に閉じ込められて『死んで』いる。 施された術のおかげで一応仮死状態と呼べるかもしれないが、蘇生の可能性は多く見ても 3パーセントといったところだと彼自身が思っていた。 そして、彼の精神体が間借りしている肉体は、彼のひ孫にあたるイルカのものである。 もちろんイルカはちゃんと生きているので、秋水がその肉体を通じて外の世界に触れられ るのは、イルカが意識的に交代してくれるか、深く眠っている時に限られていた。 もっとも、イルカが眠る度に『出てくる』ような真似はしない。そんな事をしたら、肉体 を休める暇がなくてイルカの身体が壊れてしまうからだ。 ベッドの上で身を起こす。 隣には誰もいなかった。 「……ふぅん、今日は独り寝かい…」 秋水はそっと笑った。イルカに同性の恋人がいるのを知っているのだ。 「まー、毎晩一緒に寝ているワケじゃねえよな。いくらなんでも」 ベッドから降りて、窓際の机に足を向ける。 イルカと秋水は直に話をする事が出来ないから、交換日記よろしく文字でお互いに情報を 交換し、話をしているのである。そのノートは机の上に置いてあった。 イルカが何か書き記していないかと、ノートのページをめくりながらスタンドの明かりを つける。 「……おや…これはこれは……おじいちゃん想いの子だねえ。…お言葉に甘えちゃっても いいかな…?」 自分が彼の睡眠中に出てこられた理由を知り、秋水は苦笑した。イルカは、意識的に身体 を譲ってくれたのだ。 『秋水じい様へ 明日の日曜日、俺は休養日です。持ち帰りの仕事も、予定もありません。 カカシ先生は任務で今出ていますし、良かったら明日一日身体をお使いください。 行ってみたい所とか、おありなのではないかと思っていたのです。 ただし、無用な混乱を避ける為、外に出かけるならばご自分の姿に変化していって ください。 あと、金は使ってもかまいませんが、財布に入っている金のうち半分は残してくだ さいね。生活費ですので。 では、お出かけになる際はどうぞお気をつけて。 イルカ』 秋水はパタンとノートを閉じる。 「ふふふ…オレを誰だと思ってやがる。財布の中身、倍にして返してやるぜ。楽しみにし てな」 可愛いひ孫にお小遣いをあげようと思ってしまうあたり、彼も立派に『お祖父ちゃん』で あった。 せっかくのイルカの心遣いをムダにする気はない。 簡単な朝食を済ませてから自分本来の姿に変化し、秋水は外に出た。 「おー、久々の朝の空気! いいねえ…やっぱ!」 ひ孫の身体を使う事に違和感は無い。自分の身体と同じ様に動かせたし、身長が然程変わ らないので視点に変化もなかったからだ。 この身体で生前と同じ様に戦えと言われても何ら支障はなかろう。 秋水は足の向くまま歩き出した。 彼が生きていたのは、今より四十年前。眼に映る街の景色は、だいぶ様変わりしていた。 そういう意味では、此処は既に彼の故郷ではなかった。 街を眺めながら、自分が異邦人になってしまった事に苦笑を浮かべる。 (ま、仕方ないやね……四十年も経ってんだもんなー……四十年も経ちゃあ赤ん坊もオッ サンだし) 彼も、もし生きていたら七十過ぎの老人である。生前の知り合いも捜せばいるかもしれな い。現に、三代目火影は秋水の後輩で彼の事もよく知る人物だ。ご意見番のホムラとコハ ルとも顔見知りである。 だが今彼等と旧交を温めたいとは思わない。 自分自身が子供と言ってもいいほどの年齢で子供を持ってしまい、殺された時には孫まで いた秋水だったが、彼の感覚は三十を過ぎたばかりの青年のものなのだ。 茶をすすりながらの昔話などごめんである。 「……別に知り合いに会いたい…ワケじゃねえよな…」 そこでふと、足を止める。この風景には見覚えがあった。 「…ウッソみてえ…この店まだやってやがるよ…」 考えてみれば、老舗と呼ばれるような店は店舗の場所を簡単に変えたりはしない。彼の知 っている店がまだあっても不思議ではないのだが、今眼にしている店は単なる甘味処だ。 庶民的な饅頭や団子を食べさせてくれる気軽な店。 (ええと…確か、おカルちゃんっていったかなあ…看板娘。生きてたら六十くらいかな? 元気だといいけどなー…) 十二年前の『化け狐九尾』による災厄では、忍者以外の一般人にも結構な被害者が出たと 聞いている。可愛い笑顔で若い忍達の癒しになっていた彼女が無事に生きていたらいいと 思いながら、見るとはなしに閉じられている店の戸を見ていると、その扉がふいに開いた。 店の前を掃除するつもりで出てきたらしい初老の女性は、立ち止まっている秋水に気づい て軽く会釈した。 その女性の顔に、秋水は彼女の若い頃の面影を見い出す。 「…おカルちゃん……」 思わず彼女を呼んでしまった秋水は慌てて口を押さえた。 一方、驚いたのはいきなり名を呼ばれたおカルの方である。 「はい?」 こんな若い忍に『おカルちゃん』などと呼ばれる謂われは無い。 「いや、すみません…何でもないから……」 秋水はぎこちなく頭を下げると、彼女の前から逃げ出した。 「待って!」 去ろうとする彼の腕を、おカルは小走りに追いかけて捕らえる。 「待って……貴方…しゅ…秋水さん……?」 小柄なおカルは、秋水の腕をつかんで必死な表情で見上げてきた。 「………おカルちゃん……」 彼女の眼から、いきなり涙が溢れ出す。 「…やっぱり…そうだ……秋水さんだぁ……生きてたんだぁ…」 ぼろぼろと涙をこぼして泣き出してしまった彼女の肩に、秋水は困ったように手を掛ける。 「いやあの…生きてたつーか…おカルちゃん、落ち着いて。オレ、おカルちゃんよか年上 よ? 生きてたら…」 「だって、秋水さん忍者じゃないの! 若返りの術くらい知ってたっておかしくないでし ょう!」 ああ、そういうのもアリか…と思った秋水だったが、ここで誤解を与えるのも良くないと 思い直す。 「いや。…オレは死んでるよ、おカルちゃん。四十年前に死んだ。…ここにいるのは亡霊 みたいなもんさ」 おカルは思いきり不審げに眉を寄せる。 「……こんな朝っぱらから?」 秋水は噴き出した。 「ぶははははは……か、変わってねえっ…おカルちゃんのそのズレ方っ!」 おカルは真っ赤になる。 「だって! 触れるし! 足もあるじゃないの秋水さん!」 「だから『みたいなもの』っつったろー? 幽霊じゃないんだよね。コレ、オレの身体じ ゃないからさー。今日一日、身体を貸してもらっているんだ」 ふうん、とおカルは首を傾げながらもそれで納得してくれたようだ。忍者ならば、自分達 には理解できない事も出来てしまうのだろうと思ってくれたらしい。 「よく…わかんないけど……お帰りなさい、秋水さん…」 涙を拭いたおカルはにっこりと笑う。 その言葉と笑顔に、思わず胸の中がじわりと熱くなるのを秋水は感じた。 「ありがと…そう言ってくれたの、おカルちゃんくらいだなあ…」 「……だって…幽霊でもなんでも…もう一度会えて嬉しい…秋水さん。…貴方から見たら、 あの時の私なんてただの小娘だったでしょうけど……今だから言えるけど、私、貴方に憧 れてた。…好きだったの。……死んだって聞いた時は悲しくて悲しくて御飯も食べられな くて、泣いて泣いて……」 秋水は思わぬ告白に目を見開いていた。 「そ…そうだったの…そりゃ…何つうか…ごめんね、うっかり死んじゃって」 「そうよ……おかげで私、もうどうでも良くなっちゃって、お父さんの持ってきたお見合 いの相手と一緒になっちゃったじゃない……」 ふふ、と彼女は笑った。 「こんなおばあちゃんになっちゃっても……あの頃の事を思い出すと気持ちが小娘に戻っ てしまうわね。……だって、秋水さんは変わらないんだもの」 秋水も微笑む。 「おカルちゃんもね。相変わらず美人だよ。…だってオレ、すぐにわかったもん」 「……ありがと。どこかへ行くところだったのでしょう? 引き止めてしまってごめんな さい。…ね、もしも時間があったら、後でまた寄ってちょうだい。今はまだ準備中だから。 …秋水さんの好きだったもの、覚えてる。…食べて欲しいの」 「うん、わかった。……後でね、また来るよ」 秋水は彼女の肩を軽く叩いて、手を振った。 「じゃあね、おカルちゃん」 彼の後姿を見送りながら、彼女の眼にまた新たな涙がこぼれた。 覚えている。 四十年前、やはり彼は『また来るよ』と言って、そして二度と姿を現さなかった。 『じゃあね、おカルちゃん』 あの時と同じ彼の言葉に、胸が締めつけられる。切なさに涙が止まらない。 ――― 十九の自分が泣いているのだ。 成就しなかった淡い恋の相手。 切なかったが、嬉しかった。 「……今度は…ちゃんと来てね……秋…水さん……」 思わぬ知己と再会してしまった秋水は、複雑な気持ちで歩いていた。 (……おカルちゃん、オレが子持ちなの知らなかったんだろーなあ……はは…惜しいなあ。 おカルちゃんならデートくらいしたのになー。あ、でもオレが若い女の子とデートしたら 娘がな…イヤがるかもな。アイツ結構そういうのうるさかったから。自分はさっさと彼氏 作った上、さっさと結婚しやがったくせに。そりゃあ年がら年中オレは仕事で留守でさ、 寂しい思いさせたのは悪かったよ。でも、何もオレの同期と恋仲になる事ないだろー? …おかげでオレは同い年の息子が出来ちまったい。……ああ、ヤツと寝なくて良かった… もーちょっとで笑えない親子どんぶりになるトコだったな。オソロシイ。…父娘で男の好 みが似てるってどうよ?) 思考の芋蔓でそこに辿り着いてしまった秋水はため息をついた。娘の夫になった男は彼の 同期で、何度か同じ部隊で任務に就いた事があった。よく飲みにも行っていて、酔ったは ずみでキスしてしまった事があったのだ。二人きりではなかったから、それ以上の事態に は発展しなかった事だけが救いだ。 娘に『この人と結婚したい』と彼を紹介された時、こちらも驚いたがそれ以上に衝撃を受 けていたのは向こうの方だった。無理もない。 あのキスを仕掛けてきたのはあちらの方だったのだ。娘のいない所で、彼は真っ青になっ てあの事はどうか内緒にしてくれと縋りついてきた。こちらも娘に知られて嬉しい事では なかったからお互い様だったが。その件についてはお互いに忘却するという事で手を打っ た。今となっては、滑稽で懐かしい思い出。 (……イルカに…親戚らしい親戚がいねえって事は…アイツももうとっくにあの世に行っ ちまってんだろーな……) 辛夷の狂った想いの所為で中途半端にこの世にとどまっている自分。 (オレは……生きているのかな…死んでいるのかな……) もう、妻や娘、彼や辛夷のいる処に行くべきなのだろう。だが、自分自身でもその方法が わからない。 秋水は頭を振った。 (ええい、世の中なるようにしかならんっ! 考えてもしょーがねえっ! せっかくイル カが身体貸してくれたんだから、今日はシャバの空気を楽しめばいいんだ!) 気を取り直した秋水はまた里の中を歩き出す。 と、道の角から勢い良く飛び出してきた子供にぶつかりそうになり、彼は咄嗟に身体を捻 った。 「危ないぞー、コラ」 「ゴメンってばよ! イルカ先生!」 そう叫んだ子供はその勢いのまま走り去ろうとしたが、秋水の姿に眼を真ん円にして急ブ レーキをかけた。 「……せんせじゃない?!」 |
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オリキャラ投票で『秋水じいちゃんに投票してくれてありがとう』企画SSでございます。 じいちゃん、とんだドタバタの生前だった模様。(笑) ホントは娘の亭主と昔ナニなコトがあったっていう裏設定が『秋水』書いている時はあったんですが。 それじゃあんまりにも各人が(イルカ先生含め)可哀相なのでキス止まりに。特定のカレシが出来るまで、じいちゃんのオトコ遊びは結構なものでしたから・・・(爆) でも娘の亭主、絶対に一発殴ってますね・・・父として。(身勝手な男・・・TT) |