X−DAY 4
いつもと同じ時間に仕掛けた目覚ましが鳴る。 定位置に置いた時計に手を伸ばしてアラームを止め、カカシはようやっと眼を開けた。 夕べはちゃんとそれぞれ自分のベッドで寝たので隣にイルカはいない。 だが、頭を起こしてイルカのスペースを覗くと、そちらのベッドの上にも彼の姿は無かっ た。 「……イルカ?」 ドアを隔てた向こう側、キッチンから物音がする。 もう起きているのか、とカカシはベッドから降りた。 ドアを開けた途端、いい匂いがカカシの鼻をくすぐった。 「…おはよ……」 「おう、おはよう。起きたか、カカシ」 「………何してんの……? って、わあ、お前弁当作ってんの?」 すげえ、とカカシはテーブルの上を見た。 「んー? 何となくな。行楽といったら弁当、とインプットされているみたいでさあ、俺」 ハハハ、と笑いながらイルカは綺麗に焼けた卵を切っている。 食事など向こうで適当な店に入ればいい、と思っていたカカシは目の前に並んでいる弁当 に感動する。 「すんげえなあ……美味そう。お前ってば本当にマメだよなあ……」 「俺がやりたくてやってんだから、いいんだよ。それに、特にご馳走は無いしな。ほら、 さくさく着替えて顔洗えよ。朝飯食ったら、出るぞ」 うん、とカカシは返事をして慌てて自分の部屋に戻った。 「いけね…俺、仕度もしてなかった……」 だが、たかが一泊の小旅行だ。荷物など知れている。 「シティホテルとかだったら身一つでもOKだろーけど…旅館ってアメニティグッズ今い っちょ揃ってないトコあるしな…」 高校の頃使っていたスポーツバッグに下着などの着替えを詰め、イルカへのプレゼントも 忘れずにジャケットにそっと忍ばせる。 「これでよし、と。…さて、顔洗ってメシだ!」 車は海沿いのビーチラインをひた走る。 窓から見える海の景色にカカシはご機嫌だったし、イルカも満更では無さそうな顔でハン ドルを握っていた。 特に休憩を取らねばならない程の距離でも無いので、ここまでずっとイルカが運転した。 「思ったより早く着きそうだな」 「だって、家出たのが早かったじゃない」 イルカが割りあい早く家を出たのは、週末の行楽客で道路が混む前に目的地に着いてしま いたいというのと、グズグズしているうちに『お客』が来るかもしれないという憂慮故で あった。 昨年の例を考えると、家まで徒党を組んでチョコレートを持って来るありがたいのか迷惑 なのかわからないような女の子達が絶対に来ないとは言いきれない。 もしもそんなお客さんに捕まってしまったら、出掛ける時間がどんどん遅れてしまう。 「………ま、バチ当たりな事言ってるよなあ」 カカシは思わず呟いた。 「何?」 「何でもないない。えっとー、入園料は無料か。あ、でも駐車料金はかかるみたい。2時 間600円だって」 サイトで集めた情報をプリントして持っていたカカシは、地図と一緒にその情報を見直し ていた。 「ふうん。結構良心的な値段なんじゃないか? 高いところは高いもんなー、駐車代。俺 とお前の入園料だと思ったら、安いもんだ」 「そうねー。あ、でもこれ入園時間が書いてねえなあ。……もう入れるかな」 首を傾げるカカシに、イルカはちらっと腕時計を見た。 「そろそろ9時半か…大丈夫なんじゃないか? あ、ほらお前の調べたサイトで梅祭りの があったろ。あれに、カラオケ大会受付が8時半からだって書いてあったぞ」 「お前、変なコト覚えているよねー。…あ、でもそういえばそうだったかな。じゃ、OK だよね」 「おー、さすがに一番開花が早いってだけあるねえ……すっげえや。梅って大人しい花っ て感じがしてたけど……たくさん咲いているとそれなりにいいじゃん」 「ああ。綺麗だな」 白梅に紅梅。 園の中には小川が流れて朱塗りの橋がかかっており、情緒たっぷりである。 やはり見頃とあって、結構な人出であった。 その見物客に混じって足の向くままそぞろ歩く。 「あっち、なんか店とかもあるみたいだぜ」 カカシが指差すと、イルカは「じゃ、見て来いよ」と微笑った。 「俺、ちょこっとスケッチしているから。お前、探検してくれば?」 イルカがカバンから愛用のスケッチブックを取り出すのを見て、カカシは素直に頷いた。 「ん、わかった。それじゃあオレ、なんか飲み物でも捜しに行くわ」 立ったまま梅を描き始めたイルカにヒラッと手を振り、カカシはその場を離れる。 (……やっぱスケッチブック持って来てやがったか。ま、いいや) カカシはジャケットに忍ばせておいたイルカへの贈り物を服の上からそっと確かめるよう に触れる。 適当にその辺りをぶらぶらして、甘酒を手に入れたカカシはイルカのところへ戻った。 「描けたか〜? ほら、甘酒」 「うん? ああ、さんきゅ」 カカシはひょいっとイルカの手元を覗き込む。 「いい感じじゃん。お前が描くと、何て言うのかな……何の変哲もねえ梅の花がしっかり 芸術っぽくなんだよな」 イルカは苦笑した。 「そりゃどーも。……実はコレ、2枚目。さっき描いてたら知らないお婆ちゃんに見せて って言われてさあ……上手いわね、綺麗ね、お願い1枚頂戴って言われて」 「………あげちゃったわけね」 「…………うん。だって、別にもったいぶる程の絵じゃなし、人に喜んでもらえて何か嬉 しかったし。フキサチーフ忘れないで良かったよ。お婆ちゃんはそんなのわからないから、 何でスプレーなんかかけるのって驚いてたけど。これで鉛筆の線がこすれたりしないよう に紙に定着させるんだって言ったらすっごく感心されてさ……」 イルカは話しながら線をサッサと加える。 「悪い、もーちょっとだから」 「いいよ。ゆっくり描けば? オレ、お前が描くの見てんの好きだし」 カカシが見守る中、イルカは鉛筆を走らせる。 穏やかな陽光。平和な光景。 梅の香りを含んだ風が頬を撫でて、カカシは『春の訪れ』を感じていた。 その時。 「ああ、いたいた。良かったわあ、まだいてくれてぇ」 突然、下の方から声がして、カカシは驚いて声の方を見た。 小柄で、品のいい着物を着た初老の婦人がにこにこと笑っている。 「ああ、さっきの……」 イルカは微笑んで会釈をした。 「さっきはありがとうねえ、大事な絵を頂いてしまって。あれ、ちゃんとして飾るから。 玄関にね。素敵な春の絵で、嬉しいわ。大事に持って帰るからね。…それでね、タダじゃ 悪いと思って……これね、良かったらおうちで召し上がって頂戴。あたしの気持ちだから」 婦人がハイ、と差し出す包みを見て、イルカは慌てて謝絶する。 「そんな…いいんですよ、お気遣い無く」 「あたしの気が済まないの。嬉しかったの。だから、お礼をさせて欲しいの。…受け取っ て頂戴? ああホラ、今日は世間で『ばれんたいん』とかいって、男の子は色々もらえる 日だって言うじゃないの。こんなお婆ちゃんからの贈り物はイヤかしらね?」 茶目っ気たっぷりにそう言う彼女に、イルカは微笑んだ。 「そう言えばそういう日でしたね。では、ありがたく頂戴します」 「そうよ。本当に、ありがとうね」 彼女はお礼を言いながら、カカシにもにっこりと会釈をして満足そうに去って行った。 「……思わぬところでヴァレンタインか…? チョコじゃなくて良かったけど。これ、干 物みたいだ。俺的には菓子よりずっと嬉しいなあ……あれ? どうしたんだ? カカシ」 カカシはどんよりと項垂れていた。 「…………………ババァに先を越された…………」 「はあ?」 カカシは恨みがましそうな眼で干物の包みを睨む。 「…………干物に罪はねえ。確かに焼いて食えば美味かろう。酒にもメシにも合う。…… だがしかしっ!!」 「…しかし?」 拳を震わせる幼馴染みを、イルカは不思議そうに見る。 「ぬわぁんで『ばれんたいん』なんだよっ! イルカが今年受け取るヴァレンタインの第 一号が何でババァから魚の干物、なんだよおぉぉぉ……」 イルカは呆れたようにため息をついた。 「…だから何なんだ? 別にいいじゃないか。ババァだなんて失礼だぞ?」 カカシはキッと顔を上げた。 「良くねえんだよ! ああもうオレがせっかく……オレが一番に……あげようと……」 カカシの声は「ああもう」から先どんどん小さくなっていってしまった。 それでもイルカは聞き取ったらしい。 カカシの耳に口を寄せて、そっと囁く。 「……お前が? 俺に…?」 カカシはカァ、と赤くなった。 ジャケットのポケットをまさぐると、金のリボンで口を結んだ紺色の袋をソッポを向いた ままイルカの胸元に押しつけた。 「……だって! 今日は気持ちを贈る日なんだよ!」 イルカは少なからず驚いた様子で胸元に押しつけられた袋を受け取った。 スケッチブックと干物を下に置いたカバンの上に乗せて、カカシの贈り物だけを手に持つ。 「……ありがとう。見ていいか?」 自分が甘いチョコを歓迎しないのをよく知るカカシがくれるものだ。菓子などではあるま い、と思ったイルカは赤くなったままのカカシを伺う。 「…うん。って言うか、見てよ。でなきゃ、ここで渡した甲斐がないし」 カカシの返事に、イルカは金色のリボンを解く。 「?」 中には、壊れ物を守るパッキングで包まれた物が入っていた。 パッキングをとめたセロテープを剥がし、出てきた物にイルカは驚いてカカシを見る。 「お前これ……」 カカシはゆっくりと視線を戻して微笑う。 「………使えるだろう? お前はスケッチして見たものを残せるけど、描いている時間が 無い時だって…あるじゃないか」 「…………いや、だってこれ…高かったんじゃ……」 最近出たばかりの軽量デジタルカメラだった。小さくても機能は最新。 「外箱は邪魔になるかと思って家に置いてきちゃった。要る物だけセッティングして包装 し直したから……今すぐに使えるぜ」 へへっとカカシは笑う。 イルカは改めて綺麗なメタリックシルバーのカメラを眺める。 イルカの大きな手の中で、その小さなデジカメはとても可愛らしく見えた。 これが、カカシの気持ちか。 誕生日でもなく、クリスマスでもなく。 愛しあう恋人達が結ばれるという人としての自然な行為を助ける為に尽力し、命さえ落と したと言う聖ヴァレンタインにちなんだこの日に贈り物をしたかったというカカシの気持 ち。値段なんか関係なく、イルカが喜ぶ顔が見たくて贈ってくれたカカシの気持ち。 イルカは、納得した。 自分の幼馴染みで親友で大事な恋人は、そういう事にこだわる男だ。 「…………ありがとう。大事に、するよ」 イルカが極上の笑顔を向けると、カカシも輝くような笑顔を浮かべた。 「お、もらいっ」 いつの間にか起動していたカメラをカカシに向けてシャッターボタンを押す。 「最初の一枚、お前の笑顔な」 ニンマリと笑うイルカに、うひゃあ、とカカシは片手で顔を隠す。 「やめろよなー、急に撮るの〜」 「ウン、確かにああいう笑顔を持続させてスケッチってのは難しい。瞬間だもんな」 イルカはうんうん、と頷いている。 「………気に入った?」 指の間から右目を覗かせ、伺うカカシにイルカは「もちろん」と微笑んだ。 「これからどんどん使い道ありそうだよ」 液晶モニターには、満開の白梅をバックに笑うカカシが綺麗に映っていた。 |
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熱海梅園をよくご存知の方もいらっしゃるでしょう。 ・・・すみません。青菜、行った事ありません・・・TT ネット情報、テレビの旅番組で何とか取材(?)して書きました。 本当は、ちゃんと現場を取材してから書きたかったんですが・・・ (マジで見に行く気で新幹線の切符料金まで調べたりして) やっぱり実際に行ったことあるのとないのじゃリアリティが違いますものねえ・・・「現実」が舞台の場合の落とし穴。 さて、バレンタインのプレゼントは済みましたけど、これから一泊してイチャパラして帰ってチョコの山を片付けなくちゃ、なので続きまっすV |