黄昏の異邦人-14

*ご注意:『間』および『分岐点』設定のお話です。

 

イルカさんが連れて行ってくれた店での晩メシは美味かったし、オレはすごく気分が浮上していた。
この木ノ葉に飛ばされてきてから、早数日。
その間、オレの気分は少し浮いてはずどーんと落ち込み、と文字通り浮き沈みが激しかった。
今、自分の機嫌がいい理由はわかっている。
こっちに来てから、オレは自分がすごくダメな奴みたいに思えて、自信がなくなっていたんだと思う。
木ノ葉の里は忍者が殆どで。その中で、自分と『同じ存在』のはずのお兄さんが、群を抜く物凄い忍者だという事実がオレを落ち込ませた。
オレは忍者でも何でも無い一般人なんだから仕方ないし、それで当然なんだけど―――里の内外で有名で、畏れられているっていうお兄さんとは雲泥の差。
オレは、ここでは何も出来ない、役立たずだ、と。
でも、オレにも出来ることがあった。
イルカさんが助かったと言ってくれて、ジイ様がよくやったとご褒美くれて。
特に誰かの命を救ったとか、そんな大層な事ではなかったけれど、この世界で、オレが丸っきりの役立たずではないと、そう思う事が出来て―――それがとても嬉しかったんだ。
オレは忍者じゃない。
でも、この世界でもやっていける事がある。そう思ったら、すごく気が楽になったし。
そうだよ、オレにだって色々とやれる事はあるんだ。
イルカさんは、お客なんだから気を遣わなくていいんだと言ってくれたけど、ずっとお客さんでいるのも居心地悪いよね。
お風呂掃除くらい、出来ます。させてください。
イルカさんの部屋を覗くと、彼は机に向かって何か書き物をしていた。先生だからね、ああいう書類作成が多いらしい。
さすがにノートパソコンとかは使ってないのね。
ああ、ああして髪をおろして、うなじで括っていると、イルカにマジソックリだなあ………思わず、胸がきゅうっとしてしまう。
あ、いや、風呂掃除だ。風呂掃除!
彼に見つかると、やる前に仕事を取り上げられちゃうから、そっとね、そっと。
音を立てないように風呂のふたを外して、栓を抜く。
えっと、洗剤は………コレかな。それで、こっちのブラシがきっと掃除用だな。…これで身体擦ったら、いくら忍者でも痛いよね?
あ、袖が濡れちゃった。洗濯物増やしたくないな。脱いじゃえ。
ゴッシャ、ゴッシャと気分良く洗っていたら、背後に人の気配。
むう、もう見つかってしまったか。
オレ的には、お湯を張って準備万端にしてから、イルカ先生に「お疲れ様〜、お風呂用意できましたよ〜」って言いに行きたかったのに。クソ。
「………カカシ君…そんな事、しなくてもいいんですよ?」
ホラきた、やっぱり!
ンだけど、今日は譲らねーぞ! オレは気合を入れて、掃除ブラシを握りしめる。
「いいの! 今日はオレが風呂の支度をするの!」
「………いや、そんな…構えなくても………」
「構えないと、ブラシ取られるもん」
イルカさんはプッと噴き出した。
「取りゃしませんよ。…わかりました。では、お願いしていいですか?」
「うん! 任せて!」
やーった! やらせてもらえる! もうサプラ〜イズ! は出来ないけど、取りあえず仕事を確保だ。
そうだ、風呂掃除を『俺の仕事』にしちゃおう。それくらいはしないとね。居候なんだから。
ごっしゅ、ごっしゅと風呂洗いを再開。
「すみませんね」と、風呂場から出て行きかけたイルカさんは、ひょいと戻ってきてオレに問いかけた。
「………そうだ。カカシ君は、幽霊とかは信じる方ですか?」
ナニをいきなり。
「え〜? いや、オレ霊感無いから見たことも無いし…」
「ああ、そういう所もカカシ先生と同じなんですね。あの人も霊感無いんですよ」
へえ、お兄さんと新たな共通点発見。………じゃなくて。何でいきなり幽霊?
「………イルカさんは?」
「う〜ん、信じる信じない以前で…オレは見ちゃう方なんですよ」
へえ、そうなんだ。ウチのイルカはどうなんだろ。そんな話はしたコトなかったなあ。
「でも、見ない人が信じないというのは理解出来ますし、別に信じろと強制する気もないです。……見えないなら、問題ありませんし」
―――すみません。何が仰りたいんでしょう。
「………イルカさん………?」
イルカさんはコリコリ、と鼻の脇を指先でかく。
「え〜、…そのうち、誰かから聞くかもしれないんで先に言っておきますね。…俺の住んでいるこの部屋ね、以前は幽霊が出るので有名で、誰も借り手がなかったんですよ。おかげで家賃が安いんです」
イルカさんはアッハッハ、と笑った。………笑ってる場合じゃねえって!
「幽霊アパートだったの? ここ!」
「最初は凄かったですよ。ラップ音は鳴るわ、風呂場のふたは勝手に倒れるわ、そこの水道はいきなり蛇口が外れて水はあふれるわ、………」
「ひえっ」
そこ、と指差されてオレは思わず後ずさってしまった。その拍子に、グラリとバランスが崩れる。
「おっと、危ない」
イルカさんはガッシとオレを支えてくれた。
「すみません。…脅かすつもりじゃなかったんですが……大丈夫ですよ、何も悪いものはいません。…前によくいらしていた方も、今はもう来ませんし」
―――って言われても、今まで何気なく使っていた洗面台が、俄かに不気味っぽく見えるんですが!
ああ、ホラー映画なんて見るもんじゃない……思い出しちゃうよ、アレとかコレとかサダコとか!
いや、ありそうじゃん、この世界、マジでテレビ画面から何か出てくるとか、呪いのナントカとか。
………だって、妖怪がいるんでしょ? この世界はさ! なら、幽霊だってオレの世界よりリアルで凄いのかもしれない。
途端にまた、此処がわけのわからない異世界に思えて、急に不安がこみあげてきて―――オレは思わずブルッと震えて、イルカさんにしがみついてしまった。
「…ごめんなさい、変な話をしてしまったようですね。…大丈夫、大丈夫ですよ。…もしも何か出ても、俺が祓います。やり方を知っていますから。…だから、安心して」
イルカさんは「大丈夫です」と繰り返しながら、オレの背中を撫でてくれた。
き、気持ちいい………この間は、ブ厚いベスト越しだったけど、今はイルカさんの手が直にオレの背中に当てられている。
思わず顔を上げると、心配そうな黒い瞳と視線があった。
ドキン、と胸が跳ねる。
「何も怖いことなんかないですよ。…俺がいます。俺が貴方を守ると言ったでしょう…?」
―――ああ、ああ。
何だろう、これ。
ダメだよ、オレ。
この人は、オレのものじゃないの。お兄さんの恋人なんだから。
でも、胸が痛い。
きゅうって、切ない。
切ない。痛い。苦しい。
………今だけ、いいかな、お兄さん。
ちょっと、この人を貸して。ちょっとだけでいいから。
目の前に、イルカとそっくりな唇。
オレはとうとう、誘惑に勝てなかった。
―――この唇は、イルカと同じなのかな―――と思った、その時だった。

震度2。
ちょっと今の地震? それともオレが揺れたのかって感じの微妙な揺れ。
グラついたオレを、イルカさんがまた両手で支えてくれた。………良かった。今の地震だか目眩だかのおかげで、キスするタイミングを逸したのは幸いだろう。
お兄さんを、イルカを、裏切らずに済んだ。
「あ……ありがと、イルカさん。…大丈夫だから……」
オレの腕をつかんだイルカさんの指に、ぎゅっと力が入る。痛いよ、イルカさん。
「………お前、カカシ…?」
はう?
オレはバチバチっと瞬きをして、目の前のイルカさんを改めて見た。
オレを見る眼が、違う。
今さっきと服、違う。
ハッとしたオレは、ぐるっと周囲を眺め回した。
「………ウチ? ここ、ウチの風呂場?」
んでもって。
「お前、イルカ? オレのイルカ??」
イルカはオレの頬を両手で挟むと、いきなりゴン、とおでこを突き合わせた。………イタイ。
涙目になっているオレを、イルカは抱き寄せた。
「……そうだよ………ッ………このバカ! いきなり消えやがって! 俺が、俺がどんなに………」
もうどこへもやらない、とばかりに抱きしめられているのはすっごく嬉しいんだけどっ………痛い痛い痛いって! そんなに力入れるな! 折れる!
ああ、でもこの腕。…これは、オレのイルカの、腕。
「―――帰って………こられたんだ………」
安心感から思わず膝から力が抜け、床にへたり込む。
皮肉なもんだ。『この世界でもやっていけるかも』と思えたその日に、元の世界に帰れるなんて。
イルカも、はあああ〜っと大きなため息をついた。
「良かった…………」
そこで、オレと入れ替わりにここに来ていたはずの人の事を思い出す。
「お、お兄さんは?」
イルカは微笑んだ。
「カカシさん、今までここにいたんだよ。俺の、目の前に。……ちょっと視界がブレて、瞬きした次の瞬間にはお前がいた。………彼も、きっと戻ったんだ」
ああ、そうだったんだ。
「………お兄さんも………ちゃんと戻れているかな」
「…大丈夫だろ。…お前がこうして無事にこっちの世界に帰ってこれたんだから。…あの人も、ちゃんと木ノ葉に帰っているさ」
イルカはオレをマジマジと見た。
「…………で、お前、そんな格好で何してたんだ?」
あ、オレ上半身裸か。
「…あ、コレ? イルカさんちの風呂掃除してたんだよ。何もしないで居候って、心苦しいじゃん? そんで、掃除してたら濡れたから脱いだだけ」
アッとオレは声を上げた。慌てて、ジーンズのポケットを確かめる。
「うおっ良かった〜…ケータイとサイフ、持ってた〜」
ジャケットとTシャツ(あ、靴もだ)置いてきちゃったけど、あれは無くてもそう困らない。携帯電話と財布さえ無事ならいいや。これ無くすとマズイもんな〜。
イルカはぶふっと噴き出した。
「………本当にそうだったとは………」
「…何? 何の話?」
イルカはおかしそうにクスクス笑っている。
「彼………カカシさんもな、お前と同じ様な事を言って、ここの掃除をしてくれてたんだよ。…そっか、風呂掃除か。………きっと、その時お前とカカシさんの思考か行動が、重なったんだな」
「え〜? 何? よくわかんねえよ」
イルカはタオルを取って、オレの頭に乗せてくれた。
「うん、話してやるから、取りあえず先に何か着ろ。風邪ひくぞ」
 



 

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