黄昏の異邦人-13

*ご注意:『間』および『分岐点』設定のお話です。

 

―――予想はしていたけどね。
コイツら、激弱………ッ………絵に描いたハエを叩くのと同じだった。ストレス解消にもなりゃしない。
「………内臓と骨が無事なら問題ナイ………よね?」
気絶して伸びている野郎共をちょいちょい、と指で突っつきながら、オレはイルカ君を振り返った。
「気絶させただけですか?」
「うん、もちろん。…たぶん、打撲痕も残ってないよ。そのうち気がつくんじゃないかな」
「じゃ、長居は無用ですね。手当てが必要ないなら、放っていきましょう。凍死するような季節でも無いし」
人が来る前に退散だ。オレ達はさっさとその場を去った。
電車に乗ってから、そっと聞く。
「………あれって、逆恨みでしょ?」
「…そうですね。…カカシ…あいつは、女の子とか、子供に優しいから……女の子もちょっと勘違いするんでしょうね。実際、彼女がいた時期もあるし。…でも、あいつは彼氏持ちの子に手を出したりはしませんよ」
「………キミも?」
「……ええ、まあ………俺も女の子と付き合ったことはありますが、断りきれなくて付き合っていただけなので、どうも気詰まりになってしまって。……彼女には悪いことをしました。進学で郷里を離れてからは、疎遠になって、自然消滅です。………今は、あいつがいるから………そんな気になれないし」
そんな気。………女の子と付き合う気、という事か。
この子も『イルカ』だもんね。二股かけるような不誠実さとは無縁だろう。
イルカ君は、独り言のように小さく呟く。
「いや…今は、というのは嘘かな………俺は、ずっと…いつでも…彼女とつきあっていた時でさえ、あいつが一番大事だった………」
ソレ、彼が聞いたら感涙ものだわな。…オレでさえ恥ずかしくなるような『告白』だ。
イルカ君は、ハッと我に返ったように赤くなった。
「い、今の、また夢とかであいつに会っても言わないでくださいね!」
うはは〜、さすがに照れくさいか。
「わかったわかった。言わないから」
この子達は、幼馴染みだという。…ただ傍にいただけの『友達』が、特別な意味を持つ『大事な相手』に変わったのはいつ、どういうキッカケがあったんだろう。
オレとイルカ先生も、もしもこの子達みたいに子供の頃から友達だったら。いったいどうなっていたんだろうね。
そういう『もしも』を考えていくと、『平行世界』は無尽蔵にあるという仮説はあながち間違っていない気がする。
そんな中で、オレ達とこの子達の度重なる邂逅は、もはや奇跡を通り越しているのではなかろうか。
「……えにしっていうのは……不思議、だねえ………」
 ポツンと呟いたオレの言葉の意味を、イルカ君はきちんと汲み取ってくれたようだった。
「………本当に」


イルカ君がおみやげだと言って買ってくれた写真集は、図鑑と言うよりは観賞用のものだったらしい。
青い青い水の中を気持ちよさげに泳ぐ巨大なエイや、楽しげに海上でジャンプするイルカの姿やら。見ているだけで和む本だった。
オレは前回、界を越えて武装・忍服一式を呼び寄せることに成功していた『口寄せの術式』の呪陣の中に、その本も加えた。こうしておけば、いつ揺り返しが来ても忘れ物をする心配はない。
さて、居候しているだけなのも悪いし、風呂掃除くらいはするか。
やっぱりイルカ君、いつもより気を遣っているだろうしね。
イルカ先生の遠慮や気遣いとは、また違う気の遣い方をさせてしまっている。あれでは疲れるだろう。
オレの世話を焼くことで、彼自身の不安を紛らわせているのだろうという事も、察しはつくのだけど。
風呂場に行くには居間を横切らねばならない。居間に入ると、イルカ君は、電話をしていた。
「………え? 何? ………いや、悪いけど今はダメなんだ。…だからそういう事じゃなくて……あのな、男二人の家に泊まろうって方が非常識………いや、姉ちゃんにナニかしようなんて思わないけどさ………」
姉ちゃん? こっちのイルカ君にはお姉さんがいるのかね? ああ、そういや前にもそんな事言ってたな…あの時は突っ込んで聞かなかったけど、オレが女体変化した時に借りたサンダルは『姉ちゃん』に買わされたとか何とか。
「…ホテル代わりにウチ使うなって。仕事なら、宿泊費は会社持ちだろうが。………え? そんなん知らねえよ。私用で延泊って、どーせコッチの彼氏とデートなんだろ? 彼氏の家に行けって」
………えーと、彼のお姉さんが此処に泊まりたいと言ってきたけど、オレがいるもんで断ってんだな、イルカ君。そりゃ申し訳ない。一晩二晩の話なら、オレが何処か別の場所に泊まればいいんだから。こっちの世界は、二十四時間営業とやらの便利な店もいっぱいあるしな。行き場に困ることは無い。
オレは電話の邪魔をしないように、メモにその事を書いて彼に渡し、そのまま風呂場に向かった。
勝手知ったるナンとやら、だ。この間お邪魔したのが、そう前の話じゃないので台所や風呂場の使い方は覚えている。元々、驚くほどの文化的差は無いし。
こっちのイルカ君も、マメなんだろうな。風呂場やトイレが男所帯の割に綺麗だ。
これなら、浴槽を普通に洗うだけでいい。水を抜き、風呂場用洗剤とブラシで浴槽をガッショガッショと洗っていると、背後に彼の気配がした。
「…すみません、カカシさん。いいんですよ、そんな事なさらなくて」
オレは振り返らずに掃除を続ける。
「え? いいのいいの。タダ飯食わせてもらってるからね。これくらいさせてよ」
「………いや、ウチのカカシの奴だって、貴方のイルカさんの所にいるんでしょう? ウチのは貴方よりガキだから、あっちのイルカさんに余計な手間……かけさせてると思うんで…」
よし、綺麗になったぞ。後はシャワーで流せばいい。オレはブラシを持ったまま振り返った。
「いや〜あ、ソレはそれこそお互い様だろーと思うよ。……ところで、イルカ君、お姉さんいるの? イルカ先生は一人っ子だけど」
「あ…今の電話ですか………姉ちゃん、と言っても従姉です。従姉は郷里の方で就職したから、今は滅多に会わないんですが…こっちに出てくる度に、ウチで宿代浮かそうとするんですよ。……今回は仕事で出て来るくるついでに、こっちにいる彼氏とそのままデートする気なんですよ」
イルカ君は、オレの書いたメモをピラ、と振った。
「だから、こんなお気遣いは無用です。姉ちゃんだって、オレが断ったら寝る所が無いってわけじゃないんですから。…むしろ、オレに断られたのを口実に、彼氏の家に押しかけるくらいはする女です。心配要りません。…貴方は、この家にいてください」
「……断っちゃったの? 本当にいいの? 従姉さん」
「………会ってみたいですか? ちなみに彼女の名前は紅ですが」
……………あ?
「―――夕日…紅?」
「ああ、やっぱり向こうのイルカさんも彼女と同じ従姉がいるんですね」
オレは思いっきり首を横に振っていた。
「いや、他人! アレはオレの同僚というか年上の後輩というか……イルカ先生と血縁関係なんてオソロシイ事はないから!」
んじゃ、その従姉さんの彼氏とやらは、もしかせんでもあのヒゲクマ煙草男だ! もう確信。絶対。
「………恐ろしい……?」
「あ、ごめん。……いや、オレんとこの紅は、幻術使いの化粧の濃い怖いもの無しのくノ一だもんで………」
イルカ君はちょっと想像してみたらしい。
「………それは怖いかも………ウチの姉ちゃんも化粧濃くて人使いの荒い怖いもの無しな女ですけど………」
そうか、アレのこっちバージョンか。なら、宿くらい断っても気に病む必要はないな。(オレも酷え)
オレはフッと笑った。
「でもま、情は深くてイイ女だ。………デショ?」
「………はい」
さて、洗剤を流しちゃわないとな。シャワーのヘッドに手を伸ばすと、何故かイルカ君も同時に手を伸ばしていた。
「いいよ、もう流すだけ………」
「え、でも…」
「あ」
あまり広くない風呂場でデカイ野郎が二人、そういう些細だが真面目な攻防を瞬間的にでもすると、どうなるか。
いきなり二人の頭上から、シャワーの冷たい水が降ってきた。
―――此処のは、わざわざ蛇口を捻らなくても小さな取っ手みたいな所を上下させるだけで水や湯が出てくる方式なんだが、攻防のはずみで身体の何処かがその取っ手に引っ掛かったらしい。
「うわ、すみませんっ」
イルカ君は慌ててシャワーを止めた。
お互いの髪からポタポタと滴が落ちる。
自然に笑いがこみ上げてきた。おかしい。
…何でこう、似た様な事になるんだろうね。イルカ先生ともやったよ、こういうの。
あの時はお茶だったな。結局、お茶ッ葉を床にぶちまけるハメになったっけ。
「濡れちゃいましたね、タオルを………」
「あ、いいよ。シャツも濡れたし、ついでに拭くから」
オレはさっさとTシャツを脱いで、それで髪を拭った。
「イルカ君も濡れたでしょ? 脱いじゃえば〜?」
なんてね、冗談。
………あれ? イルカ君の反応が無い。
「…イルカ君?」
見れば、イルカ君は赤くなって眼を逸らしていた。
おいおい。女の子が脱いだんじゃないんだから―――って、ああ、そうだった。オレは、この子の想い人と同じ顔をしているんだ。(でも、見慣れてるだろ? 赤くなるか?)
イルカ君は躊躇いがちにオレに視線を戻すと、ちょっと紅潮したまま、今度は観察するような眼を向けてきた。
あのね、そんなに見つめられるとコッチが恥ずかしくなっちゃうんですけど。
「………凄い…身体ですね………」
―――へ?
「…あ、そっか。…いくら顔が似てても、カカシ君にはこんな傷、無いよねえ」
「傷跡は……そうですね、あいつの方が少ないですが。…いえ、それよりやっぱり筋肉のつき方が……凄く、綺麗だ」
「…綺麗…?」
「綺麗です。ムダがなくて引き締まっていて………描きたくなるくらいに」
ああ、そういえばこの子は絵を描くんだったな。…前にスケッチを見たことがある。結構上手いんだ、これが。
「真に実用的な筋肉って、こういう風につくんですね……本当に凄い………」
やー、気持ちはなんとなくわかるけど〜…オレもイルカ先生の腕の筋肉が大好物…いや、大好きだし。
イルカ君は、ごく自然にオレの腕に触れてきた。指を滑らせ、そっと脇腹にも触れる。
「………あいつと、違う………」
うん、あの子はまだ身体が出来上がっていないからね。オレよりも細いし。
イルカ君の手は、オレが拒まない事で更に肌の上を滑る。何かを、確かめるように。
オレはといえば、すぐ目の前にある彼の唇を見ながら、この唇はどうだろう。イルカ先生と同じななんだろうかと考えていた。
ああ、まずいな―――この、感じ。空気。
肌の上の、彼の指。
誘惑に―――勝てない。

オレは、引き寄せられるように彼の唇に自分の唇を寄せ………そして―――
 



 

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