夕方になって、教授の部屋の片づけが一段落したところでオレとイルカは一度自分達の部屋に戻り、昼間のフライドチキンの残り(結構ある)の他、男四人の飲み食いに必要そうな物を抱えてお隣を訪問した。
「………だ、大丈夫ですか…? 自来也先生………」
締め切り明けのエロ作家は、眼の下にクマを作りながら、ひきつった笑みを浮かべた。
「………おかげ様でのぅ。………なんつーか、頭のネジが一本カッ飛んだというか…妙にハイテンションで眼が冴えておるわい。………ま、ハラがいっぱいになれば、たぶん眠っちまうだろうがな」
「じゃ、原稿はあがったんですね」
「んー、まぁ、の。………コイツがアドバイスしてくれたおかげで、最後の詰まっていた部分が書けたわ」
自来也先生は、コイツ、と教授を親指で指す。
へえ、「終わらせる」を有言実行したんだ。ちょっとカッケー。
「………おめでとうございます。ともあれ、原稿あがって良かったですね。読むの、楽しみにしてますよ」
「おー、今回はちょっと今までとは毛色を変えたからの、読んだら感想を聞かせてくれい」
「もちろんっす!」
オレは左手で軽く敬礼して笑って見せた。
さっさとパーティやって、自来也先生を寝かせてあげなきゃな。どうせロクに寝てないんだろうから。
出前の寿司は、オレ達だったら絶対頼まない特上のオケだった。すげえ、大トロだよ。
それがまたどう見ても人数の倍の量。ま…どうせ、胃袋ブラックホールの教授がいるから、余りはしないだろうけど。
バドワイザーで乾杯して、改めて教授がオレ達に「これからよろしく」と挨拶をし、オレ達も同じ屋根の下に暮らすことになる新しいご近所さんに挨拶を返し。
教授と自来也先生は、時々昔話をしたりして旧交を温めるという、まことに和やかな会食が始まって25分後。
悲劇(オレにとっては、だ)は起きた。
オレもつい、忘れてたんだよ。
自分の体が今、いつもと同じではないことを。
◆
「………今度はお前さんの方かい」
ヒゲをたくわえた大柄の医者は、診察台に転がっているオレを見下ろして苦笑を浮かべた。
あ〜、病院で見知った顔に出会うってのは複雑なモンだーね。
「………お世話になりま〜す………猿飛せんせー………」
イルカが前に大怪我をして入院していた時の担当医、猿飛アスマ医師はカルテをめくった。
「ナニナニ? バイクでコケて、ヒビ入ってた所を今度はバッキリ折った、と。………何やらかしたんだ」
「………いや、やらかしたって言うか………」
「その子の怪我、ウチの宿六の所為なんだよ」
その声にヒゲは振り返り、心持ち眼を瞠る。
「これは、三忍野教授………どうなさったんですか?」
診察室の入り口に、妖艶な美女が立っていた。エロ作家の奥様、ツナデ姫だ。
………何故ココに………という疑問はこの女傑に関しては浮かばなかった。何せココはK大付属病院。どーせ顔パスでどこにでも入れるだろう。
「どうも何もね。………ウチの亭主がただでさえヘロヘロな締め切り明けに、酒なんぞ飲みやがってね。足がもつれて転びかけたのを、この子が支えようとして………あのクソ重い大男に潰されちまったのさ。まったく、…ホント、ごめんねえカカシ君」
「いやその………オレも自分が怪我してんの忘れてて………迂闊でした」
な〜るほど、とヒゲクマ先生は相槌を打つ。
「で、アスマ。どんな感じだい?」
「レントゲンで見た感じだと、そう複雑な骨折では無いですから。若いし、そう時間はかからないと思いますよ。ただ、しばらくは入院させた方がいいでしょう」
あ…やっぱ入院ですか………ううう、オレの場合、イルカと違って加害者がいないから、慰謝料とか無いもんなー…き、厳しい………だって、ツナデ様は「ウチの亭主のせい」って言ってくれてるけど、自来也先生だって故意じゃねえもんな。オレが勝手に支えようとして、自爆したのも同じだもん。慰謝料や治療代なんて請求出来ねえよ。
「そうかい。お前さんが診てくれるんなら安心だね」
「あんまりプレッシャーかけないでくださいよ。伝説のツナデ姫様に見張られているんじゃ、さしもの俺もビビリます」
はん、とツナデ様はハナで笑った。
「お前さんがそんなタマかい。…ま、治療に口出す気は無いよ。私の助言が必要なケースでもないんだろ?」
「そうですね。本人さえ、医者の言う事をきくなら、ですが」
オレはカメのように首を竦めた。
前の時にイルカが勝手に病室抜け出して、屋上で息抜きしてたのちゃんと覚えてるんですね、先生。
「はいっ! オレも1日でも早く退院したいですから! 言うこと聞きます。誓います!」
ツナデ様は優しい笑みを浮かべた。
「………無理はするな。あせらないでちゃんと治療おし。…入院費とか、気にしないでね。ウチの亭主も、四代目のボーヤも『自分の責任だ!』って喚いてたから。この病院でかかる費用は、あのバカ師弟に請求書回しゃいい。………ってーか、あの二人、自分が払うって睨みあってたから」
オレは当惑した。そりゃ、カネがかかるのは参るなーとは思ってたけど………
「え…でも、そんな………自来也先生の所為じゃ…って、え? 四代目って誰すか?」
「ナマイキにも最上階なぞに越してきた、金髪のボーヤさ。…あの時のパーティのホストは自分だから、責任取るのは当然なのだとさ」
ああ、教授のこと………え? でもでも。
「………教授の責任でも無いし。………オレ、そんなに甘えられません」
「ソイツに関しちゃ、奴らと直に話をするんだね。…ただ、言っておくけど遠慮するだけバカバカしいよ。あのボーヤは派手に金を遣うタイプじゃないからそうは見えないけど、実家は大した資産家だ。ここの治療費なぞ、ポケットマネーでぽんと払えるだけの財力を持ってる」
それは………何となくわかる気がした。ジャンクフード喜んで食ってたりするわりに、持ち物は『いい物』だったから。わざとらしくブランド品で身を固めるようないやらしさはなくて、自分の眼で見て、いい品だ、と選んで身に付けている感じ。
生活必要品を買いに行った時もそうだった。単に自分の気に入った物だけを買っていたみたいだったけど、彼が『いい』と選ぶ品はその店でもランクが高いものなんだ。ああいう、全く値札を見ない、見ようともしない買い物ってのは………本物の金持ちにしか出来ないだろうと思う。高いか安いかという金額そのものに無頓着というだけじゃなく、眼が肥えてるんだ。値札なんか見なくても、これはいい物だ、と判断出来るんだな。
「………そういう問題じゃない…です。オレの怪我に関して、彼に治療費を負担してもらうのは筋が違うと思うから」
ヒゲのお医者と美女は何故か顔を見合わせて笑った。
「いいだろ? このコも。ウチの亭主のお気に入りなのさ。………まったく、師弟揃って男の好みも似ているんだから」
「何か、わかる気がしますね。あの鼻に一文字傷の坊主も、でしょう」
うっふっふ、とツナデ様は笑った。
「あのコは私も好みだねえ。近頃の若い者にしちゃ珍しいくらい浮ついたところが無くて、何というか…清廉で潔い武士みたいな雰囲気の、いい男だよ」
「それはそれは。三忍野教授にそこまで言わせるとは、たいしたもんだ、あの坊主も」
―――というか、何ですかその怖い会話は。
何だか突っ込むのも躊躇われるようなセリフがあったような………
オレは骨折の痛みに顔をしかめつつ、違う意味でも冷や汗を流していた。
◆
「まあ、よく言うじゃないか。…休暇だと思って、この際よく休むんだなってさ。お前、怪我しているのに働こうとするから………」
色々と入院の為の物を持って来てくれたイルカは、ベッドサイドでそれらを使い勝手に合わせて整理してくれていた。
前のイルカの怪我は、子供の命を救うという素晴しい行為の結果だったからいいけど。(『いい』って言い方も何だか変だが)………オレのはな。バイクでコケたのも、自来也せんせに押し潰されたのも自業自得ですから。………肩身が狭いのなんの。
ああ、またイルカに迷惑かけちまう。
「………ごめん………」
「なーに謝ってんだか。…今度はオレの番だからな。お前が入院している間は、来られる限り毎日来てやるよ。ノートパソコンは明日な。他にも要る物あったら、言いな。見たいDVDとか。借りてきてやるから」
イルカは生来世話好きの甲斐甲斐しい男だから、オレの面倒を見るのも苦じゃない………だろうけどさ。やっぱ、オレは申し訳なさで胸がいっぱいになる。
「うん………ありがとう」
イルカは手を伸ばして、オレの前髪をくしゃりとかき回した。
「俺も経験者だから。骨が折れるって、どんなに痛いか知ってる。ベッドで動けないのが、どんなにもどかしくて、辛いか知ってる」
そこで、イルカは腰をかがめて、他のベッドの患者(4人部屋で、今ベッドは満杯状態)に聞こえないように小さな声で囁いた。
「………お前が辛い思いをしていると思うだけで、俺も辛い。………だから、俺に出来ることは何でもしてやるから。………お前は甘えてもいいんだよ」
ベッドをぐるりと囲むカーテンは、半分以上閉じていた。その陰で、イルカはオレにそっとキスをする。
その優しいキスに、オレの眼からは涙がこぼれちまった。ああクソ、オレの涙腺のバカ。
「………イルカ………ごめん」
「バッカ。だから、謝るなって」
「………ごめん…………ま、間に合わ……っない………」
イルカはキョトンとした。
「間に合わない………? 何がだ」
オレはイルカの視線を遮るように、両手の甲で顔を覆った。
「………オレ………事故ったりして………か、金、無くなっちゃって………お前の………誕生日………誕生日がくるのに………」
イルカが息を呑んだ気配がした。
「………………俺の………誕生日………まさか、だからお前………っ………」
ああ、いけない。
言うんじゃなかった。
………本当に、オレってバカ。
「……………怪我してんのに………バイトしようとしたんだな………?」
オレはこっくりと頷いた。
イルカは、深いため息をついた。
ここが病院じゃなかったら、きっと大きなカミナリが落ちてたはずだ。でも、イルカは理性で大きな声を抑え、小声で呟く。
「この……っ…お馬鹿………!」
はい。本当におバカなので反論出来ません。
「お前なぁ………俺は何にもいらねえのに………お前がこんな怪我する方が………」
「…そ……そう言われるの、わかってた。………でも、でも、オレがヤだったんだよ」
また、イルカのため息。
「………手ぇどかせ。…こっち見ろ」
オレはしぶしぶ従う。
と、イルカの半分困ったような、半分苦笑したような顔がそこにあった。
「………ありがとう」
―――え?
「何びっくりした顔してんだ。………ありがとうって言ったんだよ」
「イルカ………」
オレの行為は。
こうなってしまうとバカそのものだったけれど。
―――イルカは赦してくれたのか。
ああ、涙腺が壊れたみたい。
ぼろぼろと零れ落ちるオレの涙を、イルカのあったかい指がぬぐってくれる。
泣くなバカ、と苦笑しながら。
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