るいとも  8

 

 

結局、オレはイルカに誕生日の贈り物が出来なかった。
その当日、オレはまだ病院のベッドで足を吊って寝ていたからだ。

サクラちゃんにはイルカから事情を話してもらって、家庭教師が出来なくなったという詫びを入れておいた。
彼女はすぐに病院にお見舞いに来てくれたのだが。
上半身無事なオレを見て、次の日から教科書と問題集を持って『お見舞い』に来るようになってしまった。
彼女は曰く、オレらのマンションに一人で教わりに行くのは世間的にマズイだろうけど、病院なら他人の眼があるからOKだろう、だそうだ。
かくしてオレは、入院していながらバイトをするという、嬉しいのか嘆くべきなのかわからない状態に陥ったのだった。
でもまあ、中学生の問題を解くのも退屈しのぎになったし、サクラちゃんはオレにストレスを与えない生徒だったから。
それに、彼女は優しい子だ。オレが疲れないように気遣ってくれ、来る時は何かしら差し入れを持ってきてくれたしな。
今日も、もう中間考査は終っているというのに、彼女はケーキを持って見舞いに来てくれた。
「おー、イイ匂いだねえ。もしかして自分で焼いた?」
「うん、お母さんに教えてもらって、だけどね」
「十分すげえよ。…あ…ねえ、もしかして今日がイルカの誕生日だって知ってたの?」
サクラちゃんは「えっ」と驚いた顔になった。
「えーっ! イルカさんの? 本当? ならもっと豪華なのにすれば良かった。見た目、地味なのよ。アールグレイのシフォンケーキなの」
「イルカなら、クリームいっぱいのデコレーションケーキよりも紅茶のシフォンの方が好きだよ、きっと。それに、オレもそれ好きだし」
サクラちゃんはホッとしたように笑った。
「だよね? 前にウチに来てくれてた時、このケーキ美味しいねって褒めてくれたでしょ、先生。だから、焼いてきたの。…テスト、上手くいったから。御礼」
「やー、でも家庭教師代も貰っちゃってんのに、かえって悪いね」
ううん、とサクラちゃんは首を振る。
「怪我人に無理言ったんだから、これくらい当たり前よ。………って、お母さんも言ってたし! 本当はお母さんもお見舞い来たいらしいんだけど、お仕事抜けられないみたいでさ。よろしく言っておいて、だって」
ハハハ、とオレは曖昧に笑った。
「こちらこそ。お母さんによろしく言っておいてね」
「おや、可愛らしいお嬢さん。カカシ君のガールフレンド?」
突然背後からかかった声にサクラちゃんは驚いて振り返り、そこに立派な花篭片手に立っていた男の顔を見て頬をぽぉっとピンクに染めた。ま、無理も無い。オレだって初めて会った時は「すげえイイ男」って思っちゃったもん。女の子なら当然の反応かも。
「………いらっしゃい、教授。………こっちは、春野サクラちゃん。オレが以前家庭教師をしていた生徒さんです。サクラちゃん、この人は、来月からK大に赴任する教授で、ファイアライトさん」
教授はとびきりの笑顔で手を差し出した。
「初めまして、サクラさん。カカシ君の友人のファイアライトです。よろしく」
友人じゃないって訂正したら、この教授はまたショック受けるかもしれないから黙っていよう。………実際、この教授とは知り合ったばかりで、雇用主とアルバイトという関係で。
オレ的には友人と呼べる間柄じゃねえんだけど。(それならナルトの方がよっぽど『友達』って呼べるかも)
サクラちゃんは、ドギマギとした様子で手を出す。
「は、初めまして。春野サクラです」
教授は彼女のまだ小さな手を取り、ごく自然に腰をかがめて軽くキスした。その仕草は板についてて、そりゃスマートだったけど。でも。
―――サクラちゃんは真っ赤になって固まってしまった。………だよなぁ。
「………せんせ、そういう挨拶、日本の女の子は慣れていませんから」
「だって、せっかく相手が可愛い女の子なのに。握手なんてつまんないじゃない」
えへへ、と教授は悪戯っ子のように笑った。
「…いいですけど。その調子でやたら女の子に愛想振りまいたら、後で困るの先生ですからね?」
ん、と先生は素直に頷いた。
「それ、イルカ君にも言われた。愛想というか、女の子に親切にし過ぎるのもマズイって。…でも、女性には親切に優しくするものでしょう? そういう礼儀と、ナンパは別物だと思うんだけどなあ」
「でも、教授みたいに顔のいい男に親切にされたら、それだけで女の子は舞い上がっちゃうんですよ。…日本の男は、レディファーストの本当の意味を知らない連中が多くてね。女性に対する礼儀がなってなくて。………可哀相に日本の女の子は、男に親切にされ慣れていないんです」
「………ああ、だから親切だと『私に気があるんだわ』になるって?」
そこにサクラちゃんがそっと割り込んだ。
「…あのう…お、大人の人はどうか知りませんけど………私なら、親切にしてもらったら素直に嬉しいって思うだけだし………それが外国の人なら、尚更それはお国柄からくるものだ、くらいにしか思わないですよぉ? 私に気があるなんて………思えないです。それって私が子供だから?」
教授はニッコリ微笑んだ。
「いや、それはサクラさんがとても健全な心の持ち主で、物事を冷静に見られる明晰な頭脳を持っているからだと思うよ?」
「あ…ありがとう…ございます。………で、でも、さっきみたいなのはやっぱり、慣れてないから照れちゃいますけど」
「ああ、ごめんね。とても可愛らしい綺麗な手だったものだから」
サクラちゃんはまた赤くなってしまった。
「そういう事、つるっと言うから先生は………オレと初対面の時も………」
人の顔見て『美人さん』とかぬかしたんだよな、この男。
ん? と教授は首を捻った。
「カカシ君にはキスしてないよ? まだ」
―――『まだ』って何ですか。これからする気かよって突っ込みたくなるでしょ。
「いえ………もういいです。…あ、先生。イルカは? 一緒じゃなかったんですか?」
あの夜のパーティで骨折し、そのまま入院になったオレの代理で、イルカは教授の部屋を片付ける手伝いをしてくれているんだ。たぶん、世話焼きなイルカはオレがやる以上に教授の面倒を見ているに違いない。
「イルカ君なら、すぐ来ると思うよ。それより、あまりお見舞いに来られなくてごめんね。何か、住むとなったら色々と手続きも面倒で」
「いえそんな、お気になさらず。…大学の方の準備もあるでしょう? オレこそ、お手伝い出来なくてすみません」
「そんな事いいんだよ。………自来也先生も、気にしてた。カカシ君の怪我は自分の所為なのに、ろくに見舞いにも行かれないって。………先生、今は雑誌のコラムの締め切りなんだ。ごめんね」
教授は我が事のように申し訳なさそうな顔で謝る。
「いや、オレは…自来也先生の所為だなんて思ってないし。…第一もう十分なお見舞い金も頂いているのに」
ああそうだ、この際入院治療代の事もハッキリさせておくか。
「あの、自来也先生にお伝え願えませんか。オレ、ここの治療費を払って頂こうとは思ってないんだって」
教授はウン、と嬉しそうに頷く。
「自来也先生じゃなくて、僕に任せてね、そういうの。雇用中のアルバイトの怪我は、雇用主の責任だよね。あのパーティのホストとしての責任もあるし!」
「いやだから………教授の責任でも無くて………第一、雇用時間外だし、あれ」
教授は簡単には引き下がらない。
「僕の意識じゃ、立派に雇用時間内です。それに、自来也先生に飲ませたの、僕だから」
「………でも………」
教授はくわっと眼を見開いた。………怖っ………
「僕の責任だって、言ってるでしょ。………責任取らせてくれないなら、サクラさんの目の前でキスするよ。手でも頬でもないよ。唇に熱烈なのをするよ? いいの?」
何ですか、その酷ぇ脅しっ! オレは反射的に思いっきりブンブンッと首を横に振った。
「じゃあ、ここの払いは僕ね? いいでしょ?」
畳み掛けるように教授に迫られ、ついうっかりコックンと頷いてしまう。
わしゃわしゃっとオレの髪をかき回し、にま〜っと教授が笑った。勝利の笑みだな。
「そうそう、最初から素直に僕の申し出を受ければいいんだよ。あ、サクラさんが証人ね?」
サクラちゃんはおかしそうにクスクス笑った。
「………よくわかりませんけど、カカシ先生が頷いたのは見てました。……カカシ先生、ウチのお母さんよく言いますよ? 年上の方がしてくださる事に、あまり変な遠慮をするものではないって。恥をかかせる事になるって」
そういう問題じゃないんだけどな。…入院治療費なんて類のもんじゃなかったら、オレも遠慮しない…と思うんだけどね。
「サクラさんのお母上は素晴しい女性だね。大和撫子っていうのだっけ」
「うわあ、お母さん聞いたら喜んで失神しちゃう」
あ、そーね。面食いだって言ってたもんね、サクラちゃんのお母さん。これだけの美形に褒められて、悪い気がするわけがない………じゃなくてっ!
「―――でも、本当にいいんですか………先生」
まだ納得しきれないよ。元々はオレがバイクでこけたのが悪いんであって、骨折だってオレの不注意なのに。
「でないと僕の気が済まないもの。………僕に関わらなければ、カカシ君は怪我を悪化させる事にはならなかったはずだ。カカシ君は違うって言うかもしれないけど。………だから、お願いだから………せめて、治療費くらい持たせて欲しいんだよ」
あ………そうか。この教授はそういう思考回路と感性の持ち主だった。
それに、教授はオレがケガをおしてバイトしなきゃ、ルームメイトの誕生日プレゼントも買えない貧乏人だって知ってるもんな。
………おそらくはもう、オレが何を言っても引くまい。こうなったら、教授のしたいようにしてもらって―――オレは何か違う形でこの恩を返そう。それしかない。
「………わかりました。お言葉に甘えさせて頂きます」
「いい子だねっ! カカシ君は」
ちう。

フリーズ。―――…ナニ? 今の。

ちう………って………何されたの、オレ。
頬と言うより、唇のすぐ脇に教授の唇の感触が残っている。
そんでもって、何か冷たい視線を感じて眼を上げると、病室の入り口にはイルカがいた。
………なんて間が悪い。見たよな。このタイミングだと絶対見たよな。………角度的にはマウストゥマウスに見えたかも―――
イルカに気づいたサクラちゃんが明るく声を上げる。
「あ、イルカさん! 今日お誕生日ですって? おめでとうございます!」
イルカは瞬間見せた不機嫌そうなツラをサッと微笑みで誤魔化した。………お見事。
「………ありがとう。知ってたんだ、サクラちゃん」
「ウン、さっきカカシ先生に教えてもらったの。ちょうどケーキ焼いてきたのよ。皆でお祝いしませんか? あたし、ナイフとかお皿、持ってきたし」
教授は今の所業など何とも思っていない様子で、ニコニコとイルカに笑いかける。
「今日がバースディだったのかい? イルカ君。それはおめでとう」
「…………ありがとう、ございます」
イルカとしては、「今の何だコラ」と教授の首根っこつかんで問い質したいところだろうが、ぐっと堪えている―――ようだ。
サクラちゃんが食事用のテーブルの上でケーキの包みを開けているところに、もう一人賑やかな見舞い客が訪れた。
「カカシにーちゃん、ケガしたってーっ! 水くせえじゃん、オレに教えてくれねえなんてさっ! いくらメールしても返事ねえと思ったらさ、入院してるってんだもんっ! これ、かーちゃんが持ってけって!」
果物カゴ抱えたナルトの後頭部に、サクラのチョップがすかさず飛んだ。
「アンタッ! 病院じゃ静かにしろって前も言ったでしょっ! このおバカ!」
「…ご…ごめんよう、サクラちゃん………」
ナルトはこのサクラちゃんって女の子にとことん弱いんだな。頭を押えて涙眼で謝ってる。前にも似たような光景を見たなあ………ある意味、仲いいんだろうけど、この二人。
「あー……来てくれてありがとーな、ナルト。お母さんにもオレがありがとうって言ってたって伝えといてね。………それにしてもお前はくちばしが長いねー」
サクラちゃんがケーキを切ろうとしたところにちゃーんと飛び込んでくるんだもんな。
ナルトはキョトンとした。
「クチバシ?」
オレの代わりに答えたのは、教授だった。
「美味しいものがある所にタイミング良く来て、ちゃんとそれを食べられる人の事だよ。そういう事例が多々あると、『くちばしが長い人』って言われるんだ」
ナルトは初対面の教授を見上げ、目を丸くした。
「兄ちゃん、カカシ兄ちゃんの友達? すっげー、カッコイイ兄ちゃんだなーっ!」
おお、ナルト。何という素直な賞賛。教授もにこっと笑ってみせる。
「ありがとう、キミは元気がいいねえ。あ、サクラちゃんのボーイフレンド?」
「ソレは絶っっっ対に違いますからっっ!!!」
ナルトが何か答えるよりも早く、サクラちゃんは全身全霊をもって否定した。
そんな力いっぱい否定しなくても―――案の定、見るからに落ち込むナルト。………大丈夫だぞ、ナルト。お前はまだこれからだからな、頑張れ。
そんなナルトを見かねたのか、イルカがサクラちゃんのボーイフレンド問題からサラリと皆の意識を逸らした。
「…言語学をやってらっしゃるとはいえ、よくご存知でしたね。『くちばしが長い』なんて言い回しを」
教授はふわっと赤くなる。
「や…ソレは………しょっちゅう僕が自来也先生にそう言われてたんだ………」
………ウン、そういや確かにアンタも十分くちばし長いわ。



サクラちゃんが焼いてきてくれたシフォンケーキは美味かったし、皆でイルカの誕生日が祝えたのは良かったと思う。(ちなみに、騒がしくしたお詫びも兼ねて、同室のベッドの人達にもケーキをお裾分けした)考えてみれば、誕生日のお祝いなんてのは大勢でした方がいいんだ。ナルトだって、サクラちゃんだって、イルカのこと好きなんだもんな。
二人きりで祝いたいなんて、オレの我がままなんだ。
ましてやプレゼントも用意できない入院中の身で。
面会時間が終わって、賑やかな子供達は「また来るね、早く良くなってね」と口々に言いながら帰っていった。
教授も、イルカと明日の打合せをして「じゃあ、また」と病室から出て行く。
と、出て行きしなに、教授は意味ありげなウインクをして寄越した。普通ならお茶目な『挨拶』程度にしか見えないだろうけど、あの美形がやるといかにも色っぽいサインに見えちゃうんだよな。………さっきの『キス』があるから余計に。
「………あのさ、イルカ」
「ん〜? 何だ、トイレか?」
………ああホラ、不機嫌そうな声。………お願いだから、イルカが誤解するような真似はしないで欲しいんだけど。………どーしよ。オレが今、弁解じみたコト言うのはかえっておかしいかな。…おかしいよな?
「いや、トイレじゃなくて………こ、この間も言ったけど………ごめんな。オレ、何も用意できなくて………」
ああ、とイルカは拍子抜けしたような声を出した。
「その事か。気にするなよ。…お前は、忘れていたわけでも何でもないんだから。………それよりも」
イルカはオレの耳元で声を落とし、低く囁く。
「お前、少しは用心しろって言ったろ………?」
ぎっくん。
「………あ、あのさあ………たぶん、イルカが考えているよりも安全だと………思うよ?
何と言うか………ある意味すごい天然なんだよ、あの人」
自分で言ってから、何だかそれが彼に関しては一番言い得てるんじゃないかと思った。
天才で天然。
「………まあ、そうかもな」
イルカだって、マジに教授がオレにキスしたとは思ってないだろう。サクラちゃんのリアクションでそれはわかっていると思う。いくらサクラちゃんだって、教授とオレが恋人みたいなキスしたら、あんな無反応ではいない(ハズだ)。彼女の眼には、『ガイジンさんがよくやる親愛のキス』に映ったに違いない。
そこでイルカはふぃっと顔を背けた。
「………イルカ?」
イルカは自分の顔を手で覆い、はあ、とため息をついた。
「ダ〜メだなあ、オレ………修行が足りないな」
「え?」
イルカはオレに視線を戻し、苦笑した。
「いや、何でもない。………オレもまだまだ青臭いなって思っただけ」
「イルカ」
オレはちょいちょい、と指先でイルカを呼び、耳に口をつけるようにして囁いた。
「オレがキスするのはお前だけだからな?」
内緒話のついでに、イルカの耳たぶに触れるだけのキス。
「………わかってる」
イルカは、何となく照れくさそうに呟いた。………ん、少しは機嫌直してくれたかなあ。
う〜ん、教授がここの治療費を持つって話は、当分伏せておいた方が無難かなあ。
どうせ隠してはおけないコトだけど。
オレが口を開くよりも先に、イルカはボソボソと続けた。
「………退院したら、退院祝いも兼ねてどこかにメシでも食いに行こうな」
なるべくなら二人きりでやりたい退院祝いパーティも、この分じゃまた大勢でわいわいやるハメになりそうなイヤ〜な予感がしたんだけど。
そうなったら、また二人きりでパーティやり直せばいいんだよな。
オレが嬉しそうに頷いてみせると、イルカはやっと晴れやかな笑顔を見せた。
そうそう。
オレの恋人はお前だけだし。お前の恋人はオレなんだから。それを忘れるなよ?

―――その後、イルカが独り言のように呟いた、「類は友を呼ぶって言うもんなあ」ってのは、どういう意味だったんだろう………?

 

 

 

2007/5/26〜9/2

 



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