るいとも  3

 

 

………何だコレ。
教授の後を追って廊下に出たイルカは呆然としている。
オレもその光景には眼がテンよ。
「せんっせえええ〜〜〜〜〜っっっ!!!」
と叫びながら、美形教授がエロ作家の首っ玉にしがみついてるんだもん。
「こら、放せ! 放さんかい!」
「んなコト言って、また逃げるんでしょう!」
「逃げるぅ? 何を言っておるんじゃお前はっ! とにかく放せ! 苦しいわ! ワシを絞め殺す気かっ」
「いや、落とす気ならこーします」
優男はアッと言う間に巨漢の背後を取り、その首をガッチリと固めてしまった。
わーすげえ。もしかして、軍隊格闘術ってやつじゃねえ? それ。…何モンだこの教授。
でも頚動脈をキメると人間数秒で落ちるって何処かで読んだ気が。……あ、エロ作家が白目剥いたぞ。ヤバくね?
慌てたイルカが止めに入った。
「そ、それはマズイです! 手を放してください!」
「うん」
教授はあっさりと手を放した。
自来也先生は廊下に手を突き、背を丸めてぜーぜー言ってる。お気の毒に。
「すみません、先生。思いがけずお会い出来て、つい興奮しちゃいました」
美形教授、テヘッとか笑っています。笑って誤魔化せるお得な顔だな。
「ついって………お前のぉ………」
「だって、こっちに来る事になったから先生に連絡取ろうとしたら、前の住所は別の人が住んでるし、先生ったら携帯持ってないし、メルアドも変わっちゃってるし………」
エロ作家は廊下に胡坐をかいて、ため息をついた。
「携帯持っておると、何処へ行っても仕事が追いかけてきてウザイからの。…メールの方はよう知らん。あれはツナデのアドレスじゃ。迷惑メールが多いとかで、変えたのかもしれんなー………ワシ、引越しのことお前に連絡しなかったか?」
教授はぷうっとふくれた。うわ、マジ幾つだこの人。すっげー幼く見えるぞ。
「連絡なんかもらってません! 先生、郵便転送の手続きもしてないでしょ!」
「そーだったかの? 細かいことはツナデにまかせっきりじゃからのー…」
あの、とイルカが声をかける。
「と…取りあえず、中にお入りになりませんか? ………ここじゃ………」
「あー、ゴメンね、イルカ君。お騒がせしちゃって。…ほら立って、先生。僕、ゴハンの途中なんだから」
美形教授、顔に似合わない怪力。あのデカイ自来也先生を片手でヒョーイと引きあげて立たせ、有無を言わさずウチに押し込んでしまった。
………もーナニが何だか。

イルカがもう一度淹れ直してくれたコーヒーを前に、一同腰を落ち着ける。
オレは訊いてもいいかな、いいよな〜、と思いながら、恐る恐る問い質してみた。
「………あの………失礼ですが、お二人はどういうお知り合いなんですか?」
自来也先生はコーヒーを一口すすり、息をついた。
「その前にの、何でお前らの部屋からコイツが出てきたのかワシは知りたいんじゃが。………オマケに悠長にメシなぞ食っておるし」
教授は中断していた食事を再開していた。冷めてしまったベーコンエッグの残りをトーストに載せて、まぐまぐと食べている。
「これはイルカ君とカカシ君のご厚意です、先生。朝ごはんを食べていない僕を気の毒がってくれた優しい子達で。………僕、このアパートメントに引っ越してきたばかりで、食事の用意も出来なくて………」
自来也先生は吹きそうになったコーヒーを寸でのところで飲み込んだ。
「こっ…ここに………越してきただと?」
「ハイ。たまたま、最上階が空いてたんです。駅までの距離とか間取りとか、なかなか条件に合う部屋が見つからなかったんですけど、いい部屋が空いていてラッキーでした」
………最上階は、広い庭みたいなベランダがついてて、間取りも部屋数もこのマンションで一番の部屋で、当然家賃がクソ高い所為で借り手がなかなかつかなかった………らしい。
そこを『空いてた』だけで即決したこの人の経済状態は推して知るべし。
「実は先日、猿飛先生からオファー頂きまして。K大でちょっと先生でもやらないかって。
…久しぶりに日本で暮らすのもいいかなーと思いましてねえ。来月から教授としてK大に赴任します。…で、ホラ僕って部屋の片付けとか要領悪いから、出来たら誰かに手を貸してもらいたくて、K大に下見に行った時に見つけたこのコ」(と、オレを見る)「に、バイトで来て貰うことになったわけですよ。…カカシ君の住まいが同じアパートメントだったのは、偶然です。先生流に言うなら、縁があったんでしょうね」
ウン、すっごいご縁ですね。
「…僕も訊きたいんですが。何で先生がこの子達のところに逃げてくるんです? 『匿ってくれ』って何ですか。何か悪いことでもなさったんですか?」
う、と自来也先生は声を詰まらせた。
「べ、別にワシは犯罪者ではないぞっ! つまり、じゃなあ……ええと…ここへ来たのは……」
「………お隣さんのよしみで」
イルカさんったらサラッと言っちゃった………いいのかよ。まあ、ここまで来て、隠すわけにもいかんだろうけど。遅かれ早かれ分かる事だ。
「ここんちのお隣に住んでいるんですかっ…先生!」
「ああ、まあ…の。引っ越してきたばかりだわ、ウチも」
はあ、と自来也先生は大きく息をつき、オレとイルカに苦笑してみせた。
「すまんのぅ、ワシらばかりか、コイツまでお前らの世話になって。………コイツはな、昔のワシの教え子じゃ。まあ、家庭教師ってやつじゃな。とは言っても、形ばかりだったがのう。…コイツは、教えるまでも無く出来ちまうガキだったから」
教授は首を振った。
「先生には、勉強よりももっと大事なことをたくさん教えて頂きました。人生にとって、人間として、大事なことを。…だから、僕にとっては誰よりも尊敬する恩師です」
………よ、良かった………もしかしたら、複雑な事情の絡んだ険悪な関係なのかもと思っちゃってたよ。………最初の教授の勢いが、まるで『宿敵発見!』みたいだったんだもん。
「………ツナデ様はお元気ですか?」
「あー、必要以上に元気だわ。今は悪友と旅行に出かけておっておらんのだが。…今度顔を見せてやってくれ。あれもお前のことは気にかけておった。顔を見たら喜ぶじゃろ」
「………はい」
………? 気のせいか、教授の返事に元気が無いような。
でもま、これで大体の人間関係はわかったし、自来也先生の知り合いって事で、イルカも少しは安心したんじゃないかな。教授が信用できる人間かどうか、半信半疑だっただろうから。
教授は、腕時計を見て「あ」と声を上げる。
「………うわあ、もう11時だ。………ねえ、イルカ君、これから用事ある? 忙しい?」
「あ、いいえ特には………」
「じゃあ、ちょっと付き合ってくれないかな。お騒がせのお詫びに、僕が皆さんにランチを買ってきたいと思うんだけど。…悪いけどイルカ君、この辺りのお店とか、案内してくれない? カカシ君のバイトは午後からって事で。いいかな? カカシ君」
「はい。…オレはいいッスけど………」
ランチ。………いいけど、アンタは今食ったばかりなんじゃ………
「わかりました、ファイアライト教授。…ご案内します」
「よろしくね。じゃあ、行ってきます。………先生も一緒に召し上がりますよね?」
おー、と自来也先生は適当な返事をしながら手をヒラヒラと振る。
イルカと教授が出て行くと、先生は「はああっ」とデカイため息をついた。
「………あー、心臓に悪かったわい。………まさかアレがおるとは思わんものなァ」
「………す、すごい偶然ですよね………」
でも、縁ってのはこういうモンなのかもしれない。目に見えない糸みたいなもので繋がる、何か。
「まだオレは知り合ったばかりで、彼のことよく知らないんですが………随分とお若い教授ですよね」
エロ作家はボリボリと頭をかきながら、コーヒーをすする。
「あ〜? まあ、若いっちゃ若いが………ええと、幾つになったんだったかの、あいつは」
―――歳くらい覚えててあげようよ、恩師。
「そういえばオレ、まだ彼の専門も聞いてないんですよ。何の教授なんですか?」
そういう話をする暇がまだなかっただけなんだが。別に他人から聞いても失礼にはならんだろ。
「うん? ワシも知らんが。………あれは、語学に関しては天才だから、ソッチ系じゃねえかのう」
「…言語学、ですか」
「そうじゃ。あいつは、何処の国に行っても言葉に困る事は無い。この地球上で使われている、ありとあらゆる言語を操れる。…今現在使われていない、古代文字でもな」
オレは、すぐ言葉が出なかった。
それって、どういうアタマの構造?
オレなんか、言語は日本語メインで英語が海外旅行で困らん程度。教養でドイツ語はやってるけど、そんなに得意じゃないし。それでも、2ヶ国語話せるだけで、日本じゃ結構『すごい』とか言われちゃうんだよね。(もっとも、オレは見た目が見た目なんで、天然バイリンガルとか思われてちょっと心外だ。英語は中学からだっつの)
世の中5、6ヶ国語程度なら操る人は結構いるだろう。でも、地球上にある言語って何種類だよ。英語、スペイン語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、これだけでももう5ヶ国だぜ? ロシア語、ギリシャ語、中国語、韓国語、ヒンディー語にスワヒリ語。………ああもう、どれだけ種類があるやら。
そういうの、全部読み書き出来て、会話もこなすわけ?
道理で日本語ペラペラなワケだ。日本語は、漢字、ひらがな、カタカナの三種類文字がある上、一つの表現をするのに色々な言い方をするから、外国人が学ぶ言語としては難しい部類に入るってことだけど。
「そ………それはスゴイ…ってか………羨ましいッすね………」
「まぁのぅ………本人がのほほ〜んとしとるから、あまりスゴクは見えんが、やはり凄い事なんじゃろうな。よく混同せんと思うわ。………しかしなー、その所為かどーか知らんが、あれは時々思考がカッ飛ぶんじゃ。………そうなるとワケがわからん。お前、あいつの所でバイトするなら、細かいことは気にせん方がいいぞ。…気にしてたら胃に穴があく」
「………はあ」
まあ、天才なんて古今東西変わり者が多いから、あの美形教授もその類なんだろう。天に二物(か、それ以上)を与えられていても、どこかがヘン。
完璧な人間なんていねーってコトだ。
あ…でも、そんな天才言語学者(だろ? たぶん)が何でK大? そりゃあ、K大のレベルは決して低くは無い。でも、それは日本国内での話だ。世界的に見てトップクラスとは言い難いもんなあ。
―――やっぱ、変わってんのかな。………変わってんだろうな。
まあいいや。少しくらい変わり者でも悪い人じゃなさそうだし。少なくとも会話は成り立っている。(や、これ結構重要よ? 日本人同士だって会話が成立しねえヤツいるもん)
と、自来也先生はいきなりプッと噴き出した。
「な、何ですか」
「いや、考えてみたらお前も結構カッ飛んでる方だから、案外ヤツとは合うかもしれんと思っての……」
「はあ?」
オレってそー見えるの? カッ飛んでる??? え? 何処が?
「………オレはいたって普通です。教授みたいに天才でもないですし」
ぶはははは、とエロ作家大笑い。
「お前、自分が直感タイプの三段跳び野郎ってぇ自覚ねえのか。……ま、ヤツも自分を普通だと思ってやがるからのぉ」
―――三段跳び野郎。そりゃ確かにトンでるね…ってオイ! そーか? そうなのか? 
………今度イルカに訊いてみよう………怖いけど。
「そーいや、お前、どうしたんじゃ? その足」
オレは、教授にしたのと同じ説明を繰り返した。
すると、エロ作家は大真面目な顔でうむ、と頷いた。
「それは災難だったのう。だが、避けて良かったんじゃ。…動物は怖いぞ。特に猫はな。―――轢き殺したりしたら、七代祟るぞ」
………………アンタだったんですね、自来也先生。
この調子で、他にどんなコトをあの素直そうな美形教授に吹き込んだのやら。
猫を殺したら七代祟るとか、夜中に爪を切ると親の死に目に会えない、とか、害の無い迷信ならいいけどね。
「祟る、祟らんどーでもいいです。オレ、基本的に動物好きだから、傷つけたくなかった。それだけです。………実際、バイクが壊れたのはイタかったですが」
「自分の怪我は」
「痛くないワケじゃないし、同居人には迷惑も心配も掛けているから………反省はしています。もっと上手く避けられれば、転ばなかったのに。運転テクが低かったな、と。白バイ隊員なら、あの程度で転びませんね、おそらく」
自来也先生は、何を思ったのか「そうか、そうか」とオレの頭をぐりぐりと撫でた。
「ま、命までは落とさぬようにな。…若い時のヤンチャは、後で笑える程度にしておけよ」
「はあ。………心しておきます」
そうだよ。反省している。
事故って怪我しなきゃ、こんなに財布がお寒く軽くなることはなかったのに。
当面の最大の問題は、イルカの誕生日だ。
オレの愛しいダーリンへの贈り物を何とかしなきゃならんのだ。
その為には、日銭を稼がねばっ! ああもう、何だかんだで本日午前の実入りが無くなっちまったじゃねーか、クソ。
―――早く帰って来い、美形天才変わり者教授。

 

 

 

 



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自来也がお隣に越してきた御話は、小ネタの『りんじん』ご参照くださいませ^^;