The end of red thread −4
はたけカカシ、絶体絶命。 つい今さっき『もう逢うまい』と思い決めた男が、よりにもよって何故こんな山奥にいるのだ? 岩陰でカカシは両腕で自分の身体を抱き締め、湯に身を沈めたまま息を殺す。 そのすぐ傍で、イルカは腕に抱いた野兎をゆっくりと温泉の浅い所に降ろしてやっていた。 「暴れるなよ、お前〜…ケガしてんのに元気だな。…そうだ、俺もちょっと入っていくかな」 (うわあああああ〜〜〜っ入らんでいいっ! 帰ってお願い今スグに―――っ!) カカシの気も知らないで、イルカは服を脱ぎ始める。 そして、服を濡れない所に置こうとして首を巡らせ―――彼は気付いてしまった。 やはり濡れない場所を探して置いた、カカシの服に。 「あれ…?」 同じ木ノ葉の忍服。 しかも、どう見ても今さっき脱ぎました、という感じの。 そして、その胴衣に血が付いている事にもイルカは目敏く気付いた。 「…どなたかいらっしゃるのですか? 大丈夫ですか?」 脱いであった忍服が男物だった為、イルカは遠慮なくざぶざぶと温泉の中を突っ切ってカカシの方へやって来る。まだ穿いたままのズボンが濡れる事にも頓着する様子はない。 ヒクッとカカシは息を呑んだ。 (………ああああああ……だめだめだめえええ……) もう、泣きたい。 不覚な事に上忍はたけカカシ、パニックのあまり忍術を使って逃げる事すら思いつかない。 「……! もしかして…はたけさん?」 イルカは岩の陰にいるのがカカシだと気づいて、足を止めた。 (そ、そっか…イルカ先生、オレの事女だと思っているから、もうこれ以上は近寄らないよね…) 「イ…イルカ先生…? 何故こんな所に…?」 イルカは異性に対する礼儀としてカカシに背を向けた。 「俺は…俺も一応任務です。以前の任務の後始末みたいなものですが。帰りに近道でこの山を突っ切ろうと思ったんですが、手裏剣で傷ついた野兎を見つけてしまって……おそらく忍同士の争いに巻き込まれたんでしょう。少しね、同じ忍として責任感じてしまって。この温泉、俺偶然知ってたものですから…」 カカシはハッと眼を見開いた。 「そ、それ…もしかしたらオレの…所為かも…さっきまでこの先でやりあってたし…」 「そんなのわかりませんよ。兎のケガは大した事はないですから、大丈夫ですし。…それよりはたけさん。貴方もケガをなさっているのではないですか…? 失礼ですが、忍服に血がついているようですが」 カカシはぶんぶん首を横に振った。 「大丈夫ですっ! それこそ大した事ないですからっ!」 言ってしまってからカカシはしまった、と思った。 これでは怪我をしていると告白しているようなものだ。 服の血は返り血だと言えば良かったのに。 「やはり……失礼します、はたけさん。傷を見せて下さい。…不埒な真似など致しません。上忍相手にそんな度胸俺にはないですから」 「いえっ本当に結構ですっ! 大丈夫…」 身を縮ませるカカシに構わずイルカは近づいてくる。 「事、ご自分の事に関しては、貴方の大丈夫はアテにならないそうですね。火影様は、貴方はご自分を大事にせず、無茶ばかりしていると心配なさっておいでですよ。…いいから、お見せなさい。俺は医師の助手の経験もありますから…言ったでしょう? 何でも屋だと」 あのジジイ、イルカ先生に何言ってんだよっ…と胸中里長に毒づきながら、カカシは真っ赤になって後退った。 「いいんです! ホントにかすり傷だから!」 「はたけさん」 「本当に…お願いだから…」 それ以上近づかないで、と言おうとした時、突然上から何かが降ってきた。咄嗟に身を捩ってカカシはその物体を避け、正体を見て思わず短い悲鳴をあげた。 「うわっ」 大きなヘビが頭上に張り出していた枝から落ちてきたのだ。 イルカはヘビを片手で素早く捕まえ、勢いをつけて遠くに投げ捨てた。 「大丈夫ですか? たぶんアレ、毒は無いヤツだと思―――」 不自然に言葉を途中で切ったイルカに、カカシは彼が『自分』を見ている事に気づく。 「あ……」 ヘビに驚いて、思わず立ち上がってしまったカカシは、彼の眼前で裸身を晒してしまっていた。 まるで思春期の少女のような可愛らしいふたつのふくらみ。 ほっそりした肢体のカカシにその乳房自体は不自然なバランスではなかったが、その下、下肢の間にはやはり幼い少年を思わせる未成熟な果実があったのだ。 「み…見るな―――っ!」 急いで両腕で身体を庇い、カカシはバシャ、と湯の中に座り込む。 「―――見るなったら見るなあぁ……っ」 「…はたけさん……」 カカシはイヤイヤ、と首を振って震えながら、同じ言葉を繰り返す。 「見るな…見ないで…嫌だ…見ないで…下さい……こんな、みっともない…身体……」 そのカカシの様子をじっと見ていたイルカは、やがてそっと深呼吸した。 「………申し訳…ありません。…俺は、とんだ無神経な真似をしたようです……でも、どうか…頼みます。傷を…見せて下さい。大した事ないなんて…大きな傷じゃないですか。痕が残ったりしたら…」 イルカは、『彼女』の胸のふくらみの間を真新しい傷がすっぱりと切り裂いて血を流しているのもしっかり見てしまっていた。 カカシは頭を振った。 「いいです! 痕なんか残ったって!」 「良くないですよ!」 「オレの身体なんてどうせもう傷だらけなんです! いいんです! …どうせ、女じゃないんだから!」 自分で言い放った言葉が、鋭い矢のように心に突き刺さる。 ―――女じゃ…ないんだから…… ぽろ、と涙が零れた。 もう、ダメだ…… 今一番見られたくない人に正体を見られて。 自分で自分が『出来損ない』だと告白してしまって。 そして優しいこの人の手も突っぱねようとしている。 (あは…最悪……こんな終わり方するなんて…自然に距離置いて…忘れようと思ったのに……) びくっとカカシは身を竦ませた。 イルカが、一瞬で間合いを詰めたのだ。 「はたけさん」 イルカは真剣な眼をしていた。 気圧されるようにカカシは身を引いた。 が、岩が邪魔をして少ししか下がる事が出来ない。 「……それ以上来ないで…! こ…殺されたいんですか…」 声が震えてしまう。 「―――いいですよ。……殺しなさい」 「………!」 イルカは痛ましそうにカカシを見た。 「…貴方は……その身体を誰にも見られたくなかったのですね…? 秘密、だったのですね……? なら、その秘密を見た俺を抹殺する事で貴方が心安らかになれるのなら…殺しなさい。……でも、その前に…」 イルカの手が伸びてきて、壊れ物に触れるようにカカシの裸の肩に触れた。 「…ァ…」 カカシの身体が小刻みに震え始める。 イルカはカカシを宥めるようにそっと手を滑らせた。 「………どうか、傷の手当てをさせて下さい。それから、貴方の気が済むようにすればいい」 身体の震えはおさまらなかった。 が、真面目な眼をしたイルカの手を、もうカカシは拒めなかった。 胸元を覆っていた手をイルカに掴まれ、両脇に下げさせられても、彼の指が胸の間をさまよい、傷の具合を診ても。 震える手をぎゅっと握って顔を背け、眼をつぶっている事しかカカシには出来なかった。 「はたけさん、力を抜いて…傷に障ります。胸の傷、部分的には結構深く切れていますね……そこだけは縫合…した方がいいかもしれない。……この他にケガは? 申告して下さらなかったら、勝手に全身調べますよ」 カカシは慌てて首を振った。 「や…やめて……あの…あとは…左太腿の打撲と、右腕の切り傷だけです」 「右腕…ああ、これですね。…うん、こっちは浅い。塗り薬だけで大丈夫でしょう。打撲は後で湿布を差し上げます。…本当は、里に帰って処置した方がいいんですが…それをするくらいだったら貴方、ここにいるわけがないですね。ここで…誰にも言わずに治してしまうおつもりだったのでしょう。…貴方、痛みには強いですか? ここではきちんとした部分麻酔は無理です。多少紛らわせる事は出来ますが」 「ここで…アナタが傷を縫ってくれるんですか…?」 イルカは頷いた。 「位置が位置です。ご自分では縫いにくいでしょう。…道具なら持っていますから」 カカシはしばらく悩んだ後、ようやくイルカに縫合する事を許した。 「……手際…いいですね……イルカ先生、本当に器用なんだ」 イルカは針を消毒する為に起こした火で、何かを煎じている。 「貴方も。……よく、辛抱なさいました。さすがですね。……さ、出来ました。化膿止めです。少し苦いですが、飲んでおいて下さい」 イルカは、腰嚢しか装備していなかったカカシと違って背嚢を持っていた。何の任務帰りなのか、医療用の物を結構持っている。 「…すみません…」 カカシは素直に受け取って、薬を飲んだ。 「はたけさん、はい」 イルカはカカシに何か小さな物を手渡した。 「苦かったでしょう? 口直しです」 カカシは手のひらに載せられた色とりどりの小さな可愛らしい菓子に思わず笑みを浮かべた。 「…金平糖…? 何でアナタ、こんな物持ってるんですか」 「……ええと、その……俺、疲れた時に甘い物欲しくなるんですが、ちょっとあればいいんですよね。それ、一個一個は小さいから加減できてちょうどいいんです。日持ちするし」 「要するに、アナタの常備オヤツ……?」 イルカは赤くなってぽりぽりと鼻梁の傷の辺りをかいた。 「はあ、ま…そんなとこです……回復剤を兼ねて」 カカシは笑いながら、桃色の金平糖をつまんで口に入れた。 (…おいし……オレも疲れてた…みたい…) 舌の上で溶けていく甘さが、カカシの心の中にも染みていく。 「あの…イルカ…先生」 「……はい」 カカシは、手のひらの白や黄色の粒々を指先で転がしながら、自嘲するような笑みを浮かべた。 「…さっきの、嘘です。……アナタを…殺したりなんか…オレには出来ない……出来ません」 イルカは、カカシの表情に胸を痛めた。 金平糖を見て、無邪気に微笑んだ時とは違い過ぎる笑み。 「…そうですか。…それは助かります。俺も死にたいわけではありませんし、ここで死んだら貴方に着替えを取ってきて差し上げる事も出来ませんから」 「…エ…?」 カカシが顔を上げると、イルカは既に背嚢を背負って立っていた。 「…俺も報告がありますから、一旦里に戻ります。貴方、里に連絡は?」 「あ…してあります」 「では、少し待っていて下さい。…貴方、すぐに里に戻る気はないんでしょう? 着替えとか、要りそうな物を持ってきますから」 カカシが止める間もなく、イルカの姿は掻き消えた。 「………」 血で汚れたカカシの胴衣の上に、金平糖の小さな袋がちょこんと載っている。 「…彼が……どんな人か…知りもしないで…だって。もう、バカなんだから…オレ。どんな人か知っちゃったら、もっと好きになっちゃったじゃない……」 カカシの身体を見ても、好奇心も嫌悪感も示さず、カカシの傷を――身体の方も、心の方も――心配してくれた人。 額にびっしりと汗をかきながら、慎重に、出来る限り丁寧に傷を縫い合わせてくれた人。 そして、さりげなく金平糖を置いていってくれた人――― お願いだから、これ以上優しくしないで。 もっとオレの傍にいて。優しくして。 相反する感情が、カカシを苦しめる。 「…バカだね、カカシ…見たじゃない。あの人、怪我をした野兎でさえ放っておけない人なんだよ。……あの人にとって、怪我をしたオレも、あの兎と同じなんだから…」 だから、期待なんかしたら駄目。 もしかしたら、この在りのままの自分を愛してくれるかもしれないなんて、甘い期待はするだけ無駄。 後で虚しくなるだけだ。 カカシは、重いため息をついた。
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裸の女に傷を見せろと迫るのは無神経って言わないのか、イルカよ・・・TT |