The end of red thread −5

 

 

「はたけさん、お待たせしました」
戻ってきたイルカは大荷物を抱えていた。
毛布に着替えに食料、飲み物。
「うわ…毛布まで持って来てくれたんですか…? オレ、野宿には慣れてるのに…すみません」
「フトン一式を運ぶわけにはいかなかったから…寝袋は嫌でしょう? 咄嗟の時に身動きが効かないものは」
そう言いながら、イルカは木の低い枝と岩を利用して縄を張り、シートを斜めに結びつけて日よけのような物を作った。その上から葉のついたままの枝を幾本かかぶせてカモフラージュする。これなら、何か近づいてきてもシートの内側にいる者からはよく見えて、相手には見つかりにくい。
「あ…すいません……そんな事まで……」
「二、三日はここにいるおつもりでしょう? なら、と思いまして。本当ならもっときちんとしたものの方がいいのかもしれないですが………」
「い、いえっ…充分です! オレ、木の陰かなんかでごろ寝するつもりだったんですから。…食べる物だけでも嬉しかったのに」
イルカはハイ、と弁当をカカシに渡した。
「お腹すいたでしょう? 出来合いですみませんが、任務明けってちゃんとしたご飯食べたくなるものだから…ここの弁当屋の唐揚げ美味いんですよ」
「ありがとう……」
弁当のいい匂いが胃袋を刺激する。正直、イルカの心遣いは嬉しかった。出来て間もないだろう弁当はまだほのかに温かくて、カカシはその温もりを掌で楽しんだ。
「俺もご一緒してよろしいですか? 実は俺もずっと食事抜きでハラ減ってて」
カカシはこくんと頷いた。
「も、もちろん…」
イルカはカカシに渡した物と同じ弁当屋の包みを取り出した。
「いただきます」
弁当を膝に置いて、きちっと手を合わせるイルカにカカシも倣う。
「いただきます…」
とっぷりと日が暮れた山奥で、月明かりの他はイルカが熾した小さな焚き火が唯一の明かりだった。
焚き火を挟んで、カカシとイルカは遅い夕飯を口に運ぶ。
弁当を半分ほど食べて人心地がついたカカシは、目の前で黙々と食事をする男を見た。
「……何も…聞かないんですね」
イルカは顔を上げた。
「何をです?」
カカシはそのイルカの返事に、ああ、この人はオレには関心が無いのだと悟る。
「……いえ、何でも…ないです」
イルカは弁当を全部食べ終わったようで、空になった折り詰めを火にくべた。荷物から茶の缶を二つ取り出し、一つを持ってカカシの傍に回る。
「忘れていました。はい、お茶」
「あ…どうも……」
茶の入った缶をカカシが受け取ると、イルカはそのままそこに腰をおろす。
そして、焚き火を木切れで突きながらゆっくりときり出した。
「………貴方が…気にしてらっしゃる事。…そして、悩んでいる事に関して…俺はおそらく貴方のお気持ちを半分も理解出来ないと…思います」
カカシの箸が止まった。
「俺は、男だから。…生まれた時から、それ以外の生き物になった事はないから。…大方の人間がそうであるように。…でも、貴方が辛い思いをなさっているのは想像…出来る」
イルカは言葉を切り、火に照らし出されたカカシの繊細な顔を見た。
「……人は、母親の胎内に在る時には誰でも元々女性なのだそうですね。そこから男性に変化していく者、女性のままの者がいると。……はたけさん…貴方は、お母さんのお腹の中で迷ってしまったのですね」
カカシは顔を上げる。
と、イルカの黒い眼が優しく微笑んでいた。
「…そして迷ったまま…生まれてしまった。……俺にはそれだけの事に思えるけれど……それでも貴方は、貴方自身はその身体の所為で辛い思いもしてきたのでしょう。世の中、男と女しかいないような制度になっているし、またそういう社会だから」
カカシは黙ったまま微かに頷いた。
「俺もまた、そういう社会で育った人間です。つい、相手を男か女かで見てしまう。…貴方とお会いした時もそうでした。上忍棟で初めてお目にかかった時は、線の細い男性だと思い、ラーメン屋でご一緒した時は女性だと思った。…その、口布を外したお顔が、男にしては綺麗過ぎたからです。こんなに綺麗な人を男と間違えたなんて、俺も随分間抜けだと思いましたよ」
カカシは返事が出来なかった。
イルカは迷うようにやや口を閉ざしたが、思いきったようにカカシの眼を見た。
「そこで、ひとつだけ。…とても失礼で無神経な質問と承知の上、お伺いします。―――はたけさん、貴方お気持ちの上ではどちらにより近いですか?」
「は?」
カカシは一瞬何を訊かれたのかと瞬きした。
「いえだから……ええと、今まで…男と女…どちらを恋愛対象になさったか、と……」
ああ、そういう事…とカカシは質問を理解したが、何故イルカがそんな事を訊いてきたのかと混乱する。
「そ…それで言うと……オレ……あの……」
初恋は四代目。男だ。
今片恋しているのは目の前のイルカ。…男だ。
―――では、自分は気持ちの上では女に近いのだろうか。
そう思い至り、カカシはかあっと顔を赤らめた。
(あ……オレ……もしかして…お、女…なの…?)
口篭もってしまったカカシに、イルカは「すみません」と謝った。
「……やはり不躾でしたね…そんな事、お前に関係ないだろうと言われたらそれまでなんですが……お、俺……」
イルカは赤くなって、声を絞り出した。
「俺には…関係あるんです。……大事な事なんです。…いきなりで申し訳ありませんが、俺にとっての関心事は、俺が…貴方にとって恋愛対象になる可能性が…僅かでもあるかないかという事なんです!」
「え?」
カカシはぱちくりと瞬きした。
今、何だか自分にとってもの凄く都合のいい幻聴が聞こえたような気がする。
「僅かでも希望を持てるのなら…俺は……」
そこまで告白してしまってから、イルカは反応の薄いカカシのぼんやりとした様子に、目に見えて肩を落とした。
「いえ…すみません。ご迷惑…ですよね。…俺みたいなのがこんな事を言っても迷惑かけるだけなのに…俺、つい……こんな山奥で奇跡みたいに貴方にまた逢えて、それが凄く嬉しかったんです」
イルカは寂しそうに微笑って立ち上がった。
「傷、お大事に。……俺が今言った事はお忘れください。…あの、明日また食事と薬…お
持ちしますから」
カカシは頭の中が真っ白になった。
いったいこの男は何を言っているのか。
唐突に告白してきたと思ったら、こちらがその告白に驚いているうちに一人でさっさと結論を出して去ろうとしている。
「では、失礼しま……」
イルカが踵を返そうとした時、カカシは爆発した。
「ちょっと待たんか―――っ!!」
勝手に勝手に一人で勝手に決めつけてこのこの早とちりの慌て者のスットコドッコイ中忍がっ!!
上忍カカシ、眼にも止まらぬ速さで回り込み、中忍の襟首を締め上げていた。
「オレの話も聞けこの野郎っっ」
イルカはグェ、と息を詰まらせた。
「勝手に告った挙句にまだこっちが返事もしてねえのに一人で勝手にフラれてんじゃないよっ!」
イルカは華奢なカカシの腕に宙吊りにされながら眼を白黒させていた。
「さっきの質問の返事っ! オレの初恋の相手は男だった! んでもって今片想い中の相手も男だ!」
「ぶわだげざ……」
容赦なくカカシに締め上げられているイルカは上手く発声出来ない。
構わずカカシは続ける。もうヤケクソだった。
「ちなみにその相手はアンタだっ! わかったか大馬鹿野郎!」
イルカを吊るしている腕がぶるぶる震え出す。
胸部に傷を負っている上、決して軽くない大の男を自分の頭より高い位置で吊るしているのだ。無理も無い。
イルカはようやく我に返ったようにカカシの腕を軽く数回叩いた。
「ばがりヴぁした…でを……」
カカシは、ハッとなって手を放した。
お互いはーはーと息を荒げて真っ赤になっている。
「ご、ごめんなさい…つい……」
勢い余って告白返しをしてしまった事よりも、手荒な真似をした事が恥ずかしくてカカシは小さくなった。
「い…いや…俺も悪かった…です…。貴方の返事をきちんと聞くのが怖くなってしまって。卑怯でした……」
イルカはカカシに締め上げられた襟首を引っ張って緩め、苦笑した。
「…質問の仕方が悪かったかもしれません。…俺は、貴方が男でも女でも構わないのかもしれない。白状すれば、最初にお逢いした時からずっと貴方が気になっていた。ラーメン屋で貴方を女性だと思った時は正直嬉しくて…女の方なら俺にもチャンスはあるかもしれないとチラリと思ったのは確かです。でも、俺みたいな中忍、貴方に振り向いてもらえるわけないとも思ったのに…貴方ときたら、俺に希望を持たせるような事ばかりなさるから……」
イルカはカカシを正面から見つめた。
「俺、一度捨てた希望をまた持ってしまいましたよ。…それでもよろしいんですね?」
カカシはムッと口を尖らせた。
「それはこっちのセリフです。片想いじゃなくて、両想いだぜ、バンザイって思っちゃっていいんですねッ?」
イルカはハイ、と頷きながらも首を傾げる。
「そいつは何と言うか…願ったり叶ったりっつーか…いや、あれ? 何か変だなあ……俺たち、色っぽい話をしてるんですよねえ?」
カカシもう〜ん? と首を傾げる。
お互い告白しているはずなのに何故こうもケンカ腰なのか。
「そのはずですが〜…すいませんね、色事は不慣れでして…」
カカシは、ああもう少し我慢してちゃんとあの恋愛小説読んでおくんだった……と後悔した。
好きなはずの男の襟首締め上げて吊るしたり怒鳴りつけたり。
こんな事、恋愛小説のヒロインならしない。絶対しない。
イチャパラのヒロインだってこんな無茶はしないだろう。
カカシは恐る恐るイルカを見上げる。
「……どうしたらいいのかわかりません」
イルカは笑い出したいのを堪えて、努めて真面目な表情を取り繕い、カカシの方に僅かに身体を屈めた。
「では仕切り直しましょう。いいですか?」
カカシはコクンと頷いた。
イルカはカカシの左手を取り、両手でそっと包む。
「……貴方が好きです」
そして、やろうと思えば簡単にカカシが逃げられるようにゆっくりと顔をカカシの顔に近づける。
唇が触れた。
カカシが逃げないのを確認してから、イルカはゆっくりとその唇を味わった。
そのくちづけで酔ったように頬を赤らめ涙を滲ませたカカシは、縋るような眼でイルカを見上げる。
「……いいの? オレ……女でも…男でもない…ですよ?…」
イルカは頷いた。
「いいも悪いも。……貴方は貴方です。言ったでしょう? 貴方が好きなんです」
そっか、とカカシは微笑んだ。
 
―――四代目…先生、いました。ここに、オレを、在りのままのオレを好きだと言ってくれる人が。貴方以外にも、こんな奇跡みたいな人がいたんです―――

「…オレにも赤い糸、あったのかな」
「……無かったら、俺のを結んでしまえばいい」
「イルカ先生って意外と強引」
カカシはくすぐったそうに微笑う。
イルカが握ったままのカカシの左手を持ち上げてその小指にくちづけた。






 

 

 

「あ、書類、書き直し…じゃなくて、空欄埋めなきゃ」
カカシはベッドの中で寝返りを打ち、恋人の胸に懐いた。
「空欄?」
カカシはふふっと笑う。
「性別欄。登録書のね…オレ、ずっとあそこ空欄だったんです。…まさか、何の手術も無しにこうなっちゃうなんて」
イルカの腕に当たっているカカシの乳房は、明らかに以前よりふっくらとなって、豊か、と言えないまでもそれなりに年齢相応の大きさになっていた。逆に股間のものは小さくなって、あまり目立たなくなっている。
「…だってオレ、女に…見えるでしょ?」
イルカは微笑んだ。
「見える、じゃなくって女の子でしょ? カカシさんは。この間、ちゃんと月の物もあったし」
愛は偉大だった。
イルカと本格的に『お付き合い』を始めたカカシの身体は、彼に合わせるかのように自然と徐々に女性化してきたのである。
「あれはねー、びっくりしちゃった。まさかオレに機能する卵巣とかちゃんとあったなんて知らなかったから…」
あのね、とカカシは小さな声で続ける。
「それでね、オレ、あんな身体だったし…始まるの人より遅かったから、可能性があるってだけの話だけど…お医者さんね、もしかしたらオレ、子供…産めるかもしれないって…」
イルカは真面目な顔で頷いた。
「ああ、それは俺も思いました。今度からちゃんと避妊した方がいいかなって」
カカシはがばっと飛び起きる。
「イルカせんせ、ひどいっ…そういう事言うんですねっ避妊しちゃうんですねっ…ってか、言う事それだけですかっ」
ふーふーと毛を逆立てているカカシを、イルカは抱き寄せた。
「はいはい、怒らない。…俺が言いたいのはね、カカシさんの女性の部分は今まで眠っていたようなものだから、急に色々無理は出来ないって事です。貴方が仰りたい事はわかってますから。…でも、俺は別に貴方が子供を産めなくても、いずれ求婚するつもりだったんですけど?」
イルカの腕の中でカカシはぱちくりと瞬きした。
「……え?」
「だからね、結婚してくださいって、いずれは申し込むつもりだったんです。俺、貴方を他の誰かにとられたくないですから」
しまったああああぁぁあ〜〜〜っとカカシは頭を抱えた。
「あーっ…オレのバカバカッ…大人しく待ってれば、そのうちある日突然イルカ先生が紅いバラの花とプラチナの指輪を捧げ持って跪いてくれるってぇ夢のよーなプロポーズが実現したんですねーっ…ちくしょおぉぉぉおおお……」
本気で泣きそうになりながら悔しがるカカシの髪をイルカは撫でた。
「…どこから仕入れました、その求婚スタイル」
「某はーれくいんろまんす文庫。頑張って読んだんですよ? オレ、あのテの小説は甘ったるくて好きじゃなかったんだけど、やっぱ、恋の指南書がイチャパラだけってのはさすがにヤバかろーと…」
そりゃ確かにヤバイ…と、イルカは顔を僅かに引き攣らせた。
「…ああ、前に紅さんが俺に処分を任せた本みたいなヤツですね? ……そういやァあれ、男が高嶺の花のお嬢様に恋する話でしたね。…なんだか、身につまされました」
「なんで?」
「…俺も高嶺の花に恋しそうになっていた時だったから。…小説みたいに上手くいくわけないからやめろと、誰かに忠告されたような気分になりましたよ…あの時は」
カカシは悲壮な顔で叫んだ。
「イ、イルカ先生…ッ…どっかのお嬢様に恋してたのッ」
「お嬢様…じゃないけど高嶺の花ですよ? まあ、しっかり恋しちゃいましたけど」
この人に、とイルカは泣きそうな顔のカカシにキスした。
カカシはきょとんとする。
「……たかね…って…ええっ? オ、オレのことぉ?」
「充分高嶺に咲く花ですよ、俺にとっては」
カカシはむぅっとふくれる。
「それ、ぜんっぜん違います! オレとイルカ先生には身分差なんか無いし! あの女とは違う!」
彼女が男に『恋』する気持ちこそ理解出来たカカシだが、自分がイルカの方にオチてやったという優越感は無い。あの本のヒロインと同じにされるのは嫌だった。
そういう意味じゃないんだが、とイルカは微笑んだ。
「まあ、もう少々お時間を頂ければ、その夢のよーなプロポーズ、実現してさしあげましょう。…カカシさんがお望みならば」
「…ホント?」
「……指輪を買う予算が捻出出来たら、です。プラチナがいいんでしょう? 貴方のプラチナブロンドよりも綺麗なプラチナなんて見つからないかもしれませんが…」
カカシはかぁっと赤くなった。
イルカは時々真顔で『某はーれくいんろまんす』に登場する男達顔負けの歯の浮くようなセリフを口にする。
「待っていて下さいますか?」
 カカシはコクコクと頷いた。
「……待って…ます」
 

カカシはそっと自分の腹部を手で押さえた。
そのうち、もしかしたら本当にこの男の子供が産めるのかもしれない。
ほんの僅かな可能性だけど。
無理はするなとこの人は言うだろうけど。
(……でもオレは…欲しいな…)
―――この人の子供が。


はたけカカシは、天使だった。
それももう過去の話である。

 

 



 

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ウチにおける♀カカシ×イルカ・・・もとい、イル×♀カカのパターン。
キレて怒鳴る女。+暴力的(笑) 
もの凄くご都合主義的展開ですが、ハッピーエンドならソレでよいのです!

2005/2/20〜2/24