The end of red thread −3

 

 

すっかり暗くなった川沿いの道を二人は肩を並べて歩いた。
夕方から出てきた風が涼しい。
「…聞いても…いいですか。イルカ先生は、アカデミーの先生…なんですよね。外にいたのは任務ですか…?」
イルカは「はい」と肯定する。
「表向きは、アカデミーの研修です。でもまあ、色々とそれ以外のこともやりましたがね。取り立てて秘密にしなきゃならん事はあまり無いような任務ですよ。……ホラ俺、この顔の傷を隠しちまえば、割りと目立たない大人しげな顔になるもので。表回りにもってこいってワケです」
そうかな、傷があっても無くても結構いい男だと思うけど…とカカシは胸の中で呟いた。
「でも、これからはアカデミーにいる事が…多くなる?」
「はい。…元々、教師ですから。別名何でも屋です。教師ってね、小器用に何でもこなす器用貧乏中忍の集まりみたいなものなんですよ。融通もききますしね。便利なんでしょうねえ」
他人事のように説明して、イルカは笑っている。
「それは…大変ですね……」
「はたけさんの方が色々大変でしょう」
カカシも笑って首を振った。
「いえ…誰の方が、なんて無いですよ。中忍でも上忍でも、任務は大変です。気が楽な任務とそうじゃない任務ってのはあると思いますけどね」
いえ、そう言う意味じゃなくて、とイルカはカカシに少し身体を傾けてひっそりと小さな声で囁いた。
「……はたけさん、そんな格好してらっしゃいますが……女の方でしょう…?」
カカシの顔から笑みがストン、と抜け落ちた。
額当てと口布で顔の殆どを覆っているカカシの表情の変化はわかりにくい。
しかももう辺りは暗かったので、イルカはカカシが蒼褪めた事に気づかず、続ける。
「いや、昼間貴方、手洗いに入ってきたと思ったら、慌てて出て行ったでしょう。おかしな事をする人だと思ったんですが…婦人用と間違えてしまったんですね。…俺も迂闊です。食事なさっているところを見なければとずっと気付かなかったかも」
違う、とすぐにカカシは否定出来なかった。
自分は男じゃない。
しかし、女でもないのだ。
「…………」
急にこめかみから血の気が引いていくような感覚に襲われる。
指先が冷たい。
カカシは胸が締め付けられて、思わず手で押さえた。
「…どうしました? ご気分でも…?」
つい先程まではこの男ともう少し一緒にいられる事を嬉しく思っていたはずなのに、今は一刻も早く傍から逃げ出したい。
「………何でも…ないです。…すみません、用を…思い出しました。し、失礼致します。あの、散歩付き合って下さってありがとうございましたっ! じゃあっ」
その後はイルカの顔も見ずに上忍の脚力に任せて跳び、壁や屋根を越えて自分の部屋に駆け戻る。
どくどくどく、と心臓が大きく鳴って気持ちが悪い。
額当てをむしり取り、ベッドに身体を投げ出した。
「…言えば…良かったの…かな。……オレ…オレ女じゃないですって……」
言葉に出した途端、胸がきゅうっと痛くなって涙が零れた。
「オレのバカ。何動揺してんだよ………今更…」
何故こんなに辛いのだろう。
何故こんなに涙が出るのだろう。
後から後から涙はあふれ、シーツに吸い込まれていった。
自分は女じゃない。
彼の恋の相手にはなりえない―――
カカシはハッとした。
「…オレ……今……」
そうか。
そういう事か。
カカシは涙を零したまま自身を嘲笑った。
自分には赤い糸などない。
そんなもの、持っているわけがない。
唯一、愛してくれる可能性があった男も死んだ。
自分みたいな半端者に運命の相手などいるわけが…無いのだ。
 
 
 
 


 

「好き、か…バッカみたい……彼がどんな人なのか知りもしないで……」
仮に自分が完全な男か女でも普通の恋愛は難しいとカカシは知っていた。それは相手がイルカでも他の誰かでも変わらない。
うわべだけのつきあいならいい。
しかし、カカシの背負う『重さ』に気付いた途端、皆引いてしまう。敵国の手配帳に名を連ね、仕事の指名をするには大名クラスの力を持つ者でなければ不可能だとさえ噂される木ノ葉きっての凄腕だというだけではなく。
『写輪眼のカカシ』の二つ名は重かった。
恋愛するには『カカシ』という忍者は難しい相手なのだ。
(…それでもさ…それでもオレが女…ううん、男でもいい。きちんとどっちかだったら。
…いつか、誰かと恋も出来たのかもしれなかったのにな……)
神様は、「異性との恋愛必要なし」とこの身体を自分に与えたのかな、とカカシは思った。
「…勝手に決めないでよね…そんな事」
カカシはため息をついた。
イルカと言う名のあの人は、もう恋人はいるのだろうか。
いるとしたら、きっと可愛い女の子に違いない。
(…これ以上…好きになるのはやめよう。…今なら間に合う……先生の時みたいに辛い思いをせずに―――すむ)
もう、逢わなければいいのだ。気の迷いだったと自分に言い聞かせ、距離を置いて、彼の姿も声も遮断すればそのうち忘れられる。カカシにとって幸いな事に、意外と彼と顔を合わせる事は少なかった。イルカは朝から昼過ぎまではアカデミーで授業をしている事が多く、午後の受付業務も毎日ではなかったから。
彼を避けるのは容易い事だろう。
「カカシッ」
アスマの鋭い声が注意を促す。
「わかってる!」
任務中に考え事などもってのほか。
しかも、敵に追撃されて枝から枝へ跳んでいる最中に。
カカシは投げやりに口布の下で笑うと、ホルダーから手裏剣を引き抜いて腕を一閃させた。
手応えあり。狙い通り敵忍が3人、地面へ落ちる。アスマもナックルを振るって追いすが
ってきた敵を二人叩き落した。
カカシはアスマと並走しながら更に跳ぶ。
今越えている山を抜ければ里は近い。
「ぼんやりしてンじゃねえぞ!」
「してないよーだ。オレは撹乱すっから、お宝はアスマが持って帰ってよ。ついでに報告もヨロシクっ!」
カカシはアスマの返事も待たずに印を切って影分身を何体か出現させ、一斉に方々へ跳んだ。
「バカめが…また一人で無茶な真似を…!」
アスマは毒づいたが、今は彼が懐にしている巻物を里に運ぶのが最優先事項だった。
「ドジ踏むんじゃねえぞ、カカシ」



 

 

「ドジっちゃったー…あははー…」
カカシは一人で虚ろに笑っていた。
忍犬を一匹呼び出して、手紙を託す。
「皆に、心配するなって伝えてねー。追っ手はぜーんぶ片付けました。でもカカシさんったらちょっとケガしたので休んでから戻りますって」
忍犬は気遣わしげにカカシの頬を舐める。
「大丈夫、大したケガじゃないって。この山ね、ヒミツだけど温泉湧いてる所があるんだよね。傷に効くんだ。…だから、ね?」
忍犬はすべて承知した印にカカシの指先を舐め、召喚された時と同様に素早く消えた。
「…呑み込みのいいコで助かるよ」
出来る限り肌を他人に晒したくないカカシは、滅多な事では医療班の世話にはならない。
大抵の傷は自分で治してしまっていた。
この山に傷に効く温泉があるのは正直ありがたかった。
二、三日ここで養生すれば、医者にかからなくて済むはず。
カカシの事情を全て承知している三代目は、任務を終えても戻らない事を責めはしないだろう。
きちんと毎日忍犬で連絡を入れさえすれば、大目に見てくれるに違いない。
「…オレ、甘えているかな……すいません、火影さま。でも…」
カカシはそっと手で胸を押さえた。
最後の一人を屠る際、ぎりぎりの間合いに入った時に胸の中央を傷つけてしまったのだ。
「医者でもね…他人にこんな場所…あまり見せたくないもん…」


山奥に自然に湧いた温泉は、この山に棲む獣達の癒しの場であった。
傷ついた獣達は本能に導かれて湯に浸かりにくる。
温泉まで辿り着いたカカシはそろそろと服を脱いだ。
「今日は先客さんナシね。貸切だー」
ちゃぷ、とお湯の中に足を入れ、ゆっくり身体を沈める。
「あいたた…はー、毒が塗ってなくて良かった…」
戦闘の緊張で張り詰めていた筋肉を指でほぐして。
「きーもちいい…ああ、これでふかふかのお布団もあったらなー… それから何か美味しいもの……」
美味しいものは無かったが、カカシは腰嚢をごそごそ漁って干し肉と小さな竹筒の水筒を引っ張り出した。
お湯に浸かりながら、干し肉の端っこをかじる。
(……温泉と言ったら温泉タマゴ…温泉饅頭……ううう、後で何かゴハン見つけてこなきゃ……)
誰も見てなどいないのに、無意識に脚を縮め、己の眼からも自身の股間を隠す。
「ふー……」
息を吐いた途端、カカシはびくんと身を竦ませた。
(……誰か……来る…―――)
咄嗟にカカシは岩陰に身を隠し、気配を殺した。
「よーしよし、もう少しだぞ。ほら、着いた」
突然聞こえた声に、カカシは固まってしまった。
(どうして…っ…どうしてこんな所に…ッ…)
「ほら、いい子だな」
(―――イルカせんせーが―――っっっ!)

 



 

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ちんたらやってる暇もないことですし。(笑)
さっさとイルカ先生には登場して頂かなくては。
何故か思わぬところに出現する男。