ドレスデンのホテルで互いのプライベートな連絡先を交換し、鑑定の結果がわかったらすぐに知らせると約束して、彼と別れた。
鑑定は、知り合いがいるアメリカの研究所に依頼すればいい。信用の置けるところだ。
おそらく、結果が出るまで二週間とかかるまい。
実は、カカシ君にはDNA鑑定のことは言っていない。
あの子に鑑定のことを言わなかったのは、サクモさんがこの一件について拒否反応を起こした時の事を慮ったからだ。
幸い、サクモさんはチドリさんとのことを認め、親子鑑定することに関しても同意してくれたから、良かったが。全面否定される可能性だってあったから、カカシ君に過剰な期待をさせたらいけないと思ったんだ。
そんなカカシ君の鑑定材料を何故僕が持っていたか、と言うと。
つい先日、カカシ君の寝癖をクシで直してあげた時に、クシに髪の毛が絡まって何本か抜けてしまったのだよね。
その時既に、カカシ君からサクモさんの件について調査してくれと頼まれていた―――もっとも、あの子の頼み方は物凄く遠慮がちで、『そういう機会があったら、でいいですので』だったが―――ので、ちょうど良いとばかりに僕はそれを保存しておいたわけ。
うん、完全な事後承諾だけど。
僕の話を聞いたサクモさんが『自分の子供かもしれない存在』を否定した場合、僕はカカシ君には何も言わないでおこうと思っていた。
そしてしばらく黙っていて、そのうち頃合を見て「ごめん、やっぱり僕の勘違いだった」とあの子に謝るつもりだったんだ。
サクモさんとは、この間のパーティを含めて二度しか会っていないが。
今回一緒に食事をしたことで、大体の人柄は把握したつもりだ。
あの人は、人間的な情に篤い、優しい人だと思う。
その僕の判断を裏付けるかのように、カカシ君が自分の息子でも赤の他人でも関係なく、会いたいと彼は言った。
もちろん、血の繋がった我が子だったら喜びもひとしおだろうが。
彼は、昔愛した女性が産んだ子供を放っておけないと思ったのだろう。今のあの子が孤児なのだと聞けば、尚更のこと。
これは僕の先走った想像だが、『親子ではない』という鑑定結果が出たとしても、妻子を持たない彼が、両親のいないカカシ君を養子にすることだって十分あり得る。
まあ、これはもちろん、カカシ君がその気にならなければお話にならないけどね。
僕はつい、そういう未来を思い描いてしまうんだ。
カカシ君にも、サクモさんにも、幸せになって欲しいと思うから。
―――我ながら、お節介だとは思うけどね。
大学が長期の休みに入っていたのは幸いだ。
古書の出物情報を確かめに行ったり、実家の使い走りをさせられたりと、この夏は結構忙しくて、僕は頻繁に飛行機に乗っていた。
自家用機が使えれば楽なんだが、あいにくと今の居住環境でそれは無理な相談だ。
このアパートにはヘリポートは無いし、日本国内じゃないしね、目的地。
DNA鑑定の結果が出た、と知らせを受けたのは、ロンドンにいる時だった。
その鑑定結果を聞きたい気持ちを抑え、先ずはサクモさんに連絡する。
だって、僕がサクモさんよりも先に結果を知ってしまうのは、彼に悪いじゃないか。
鑑定結果を文書で送ってもらいますか、と訊くと、彼は自分で取りに行く、と答えた。
場所を教えて欲しいと言うので、案内がてら一緒に行くことにしたんだ。
僕には、そうする義務―――いや、責任かな。と、権利があると思うんだよね。
結果を最後まで見届ける義務と、責任。
そして、もしも親子だと判明したら――― 一緒に喜ぶ権利が。
ロンドンでの用を既に済ませていた僕は、すぐにマサチューセッツに飛ぶ。
ボストンの空港でサクモさんと落ち合って、その足で研究施設に向かった。
タクシーの中で、彼はぽつりと謝った。
「………すみません、ファイアライトさん」
「ミナトでいいですって。………何で謝るんです?」
「貴方にこんな迷惑をかけてしまった。…結果を知りたいだけなら、書類を送ってもらえば良かったのに。………結果が出た、と聞いたらじっと待っていられない気持ちになってしまって………」
僕は、微笑って首を振った。
「いや、僕はこういうの、全然苦ではないので気になさらないで下さい。普段からしょっちゅう、あっちこっち飛び回っていますから。…来るのが嫌だったら、研究所の地図だけファックスして『いってらっしゃい』って言いますよ。………あのね、サクモさん。…僕自身の率直な気持ちとして、ここまできたら最後まで見届けたいって思っているんです。…かえってお邪魔でしょうが、ご一緒させてください」
サクモさんは、驚いたように僕を見てから、微笑んだ。
「………貴方は、優しい方ですね。………ありがとう」
これから行く、と空港から連絡を入れておいたので、知り合いの研究員は自ら建物の前で待っててくれた。
「やあ、ダン」
「お待ちしていましたよ、四代目。…わざわざご自分でいらっしゃるとは」
「…これはね、他人任せに出来ないことなんだよ。…サクモさん、ここの研究員で、知り合いのダンです。…こちらは、今回の依頼人サクモ=アインフェルトさん」
(ちなみに、鑑定を頼む時はサクモさんの名前を出さなかったので、ダンは誰の鑑定をやっているのか知らなかったのである)
サクモさんは、ダンに握手を求めた。
「アインフェルトです。はじめまして、ダンさん。この度は、ご面倒をお掛け致しまして」
驚いたような顔でサクモさんを見たダンは、ぎくしゃくと握手に応じた。
「はじめまして。………あの、間違っていたらすみません。…指揮者のアインフェルトさん……ですよね?」
「あ、はい。………ご存知でしたか」
あー…そういや、ダンってクラシックとか好きだったっけ。サクモさんを知ってるって事は、結構詳しいんだ。
「この間の、ウチのパーティで歌ってもらったんだよ。…キミも招待したけど、忙しいし遠いから行かないって言って来なかったでしょ? 惜しいことしたねえ」
ダンの顔は見ものだった。
眼を見開き、半開きになった唇が戦慄く。………彼のこんな顔、滅多に拝めるものじゃないな。大抵、何でも柳に風と受け流し、動じない冷静な男なんだが。
「………そっ…そんなこと、招待状には書いてなかったじゃないですか! ………さ、最近は滅多に歌ってくれないんですよっ! 知っていたら何を置いても行ったのにっっ」
おいおい、『歌ってくれない』って………本人目の前にして。
「だって、サクモさんはサプライズゲストだったし。総帥がこの人のファンだったから、無理をお願いして来てもらったの。招待状を出した時点では、まだ承諾をもらってなかったしね」
サクモさんは、申し訳なさそうな顔をする。
「すみません。都合がつくか、すぐにハッキリしなくて。返答がギリギリになってしまったんです。………最近あまり歌わないのは………オーケストラで、皆で音を作っていく方が楽しいものですから。歌うこと自体は好きなんですけど。……あ、でも今年のクリスマスには、チャリティコンサートでパイプオルガンを弾くことになっています。チケットを送りますので、よろしければおいでください。………あの、私にしては珍しく、ニューヨークでやりますので」
ダンはガシィッとサクモさんの手を握った。
「ありがとうございますっ! 絶対に伺います!」
わはは、ゲンキンなヤツ。笑顔全開になってるよ。
でも、サクモさんの演奏なら僕も聴きたいな。………後で詳しいこと聞こうっと。
僕はコホン、とわざとらしい咳払いをした。
「それより、ダン。肝心のことを」
「あ、そうでした。………どうぞ、こちらに」
ダンは先に立って歩き出した。守衛に合図して、中に入る。
エレベーターで三階に上がって、彼の研究室に通された。
「狭いところですが、中、入ってください。そちらの椅子、どうぞ」
「失礼します」
サクモさんは緊張した表情で椅子に掛けた。
僕は、隣に腰掛けずに彼の背後に立つ。この場合、あくまでも僕は付き添いだから。
ダンは机の引き出しからファイルを取り出して、はさんであった大きな封筒の中身をサクモさんの前で引き抜いた。
「…結果から申し上げます、アインフェルトさん。…DNA鑑定の結果、貴方ともう一人の方は、極めて高い確率で血縁関係にあることが判明しました。………親子、と申し上げて間違いないでしょう」
彼は、はい、と鑑定結果をサクモさんに手渡す。
サクモさんは、震える手でその書類を受け取った。
「親子………私に………息子が、いた………」
僕は、ゆっくりと彼の肩に手を置く。
「サクモさん」
良かったですね、と言ってもいいのかな? この場合。いいんだよね。
だが、祝福の言葉を言う前に僕は、いきなり立ち上がった彼に抱きしめられていた。
「ミナト!!」
わ、この人なんかイイ匂いする……コロンじゃないなぁ。ハーブ系の香りのような………じゃなくて! そんなこと考えている場合じゃない!
「ありがとう! 貴方のおかげです! 本当にありがとう!! ああ、すぐにでも会いに行きたい!」
彼の嬉しい気持ちが伝わってくる。僕に抱きついちゃうくらいだから、相当感極まっているんだよね。
僕も、すっごく嬉しい。彼と手を取り合ってダンスしたいくらいだ。
僕はぽんぽん、とサクモさんの背中を軽く叩いた。
「おめでとうございます、サクモさん。…ん、会いに行きましょう。カカシ君に」
―――カカシ君にも、早く教えてあげたい。
君には、こんなに素敵なお父さんがいたんだよって。
どんな顔をするんだろう、君は。
サクモさんは、ハッと我に返ったように僕から身を離した。
「あ、すみません。…つい」
「いえいえ。…でも、本当に良かったです」
サクモさんは、ダンの方を振り返った。
「貴方にも御礼を言います、ダンさん。…ありがとうございました」
「いや、貴方にとっていい結果だったようで、こちらも嬉しいです」
ダンは、DNA鑑定に頼らねばならなかったサクモさんのプライベートな事情に関心を示さなかった。もしかしたら、好奇心も興味もあったのかもしれないが、それを口に出すのは紳士的ではないと思ったのか―――それとも、こういう事に携わる者としてのモラルの問題か。
「あ…そうだ。こういうのには確か、鑑定料がかかるのでしたよね。…ええと、どうやってお支払いすればいいのでしょう。振込みですか?」
サクモさんってば………気持ちが舞い上がった直後の割には、細かいことに気づく人だな。
「ああ、いいんですよサクモさん。…ダン、この人から鑑定料取る気ある?」
流し眼をくれてやると、ダンは苦笑した。
「あるわけないでしょう、四代目。…アインフェルトさん、ウチはDNA鑑定で商売しているわけじゃありませんので、お気遣い無く。実は、この研究施設は四代目の口利きで、ファイアライト財団から随分と支援してもらっているんですよ。その額に比べたら、巷で言う鑑定料なんて微々たるものですしね」
サクモさんは、戸惑ったような顔をした。
「………いや……でも、そんな。そう何から何まで甘えてしまうわけには………」
実家の企業は曽祖父が起こし、祖父の代で既に財団にまで成長していて―――僕は所謂金持ちのボンボンというわけで。確かに、子供の頃は金銭的に不自由な思いをした事は無い。
十八の時から数年間、『金を稼ぐ事の大変さと、有難みを思い知れ』と、無一文同然で家から追い出されたけど。………結構厳しいんだよ、ウチの教育方針。
―――という家庭内事情はともかく、世間様から見れば僕は苦労知らずのお金持ちの坊ちゃんだからね。世間には、『金持ってるヤツは出すのが当然』という考えの人が結構いるんだ。自分達はたかって当たり前、みたいな。
サクモさんは、そういう種類の人ではないと、わかってはいたが。鑑定された当人としては、自分で払うのが当然だと、そう思うのも理解出来る。
でも、この件に関しちゃ、それこそ何から何まで僕が言いだしたことだ。
「サクモさん、さっきダンにクリスマスコンサートのチケット送るって仰ったでしょう? あれでもうチャラみたいなものですよ。ねえ、ダン?」
ダンは神妙な顔で頷いた。
「おつりが来るくらいです」
「それ、僕にも送ってくださいますか? 僕も聴きたいです。…それで、この件はおしまい。いいですね?」
―――と、少々強引に締めくくってしまった。
だってね、DNA鑑定の結果が出たことでこの一件が終わったわけじゃない。むしろ、ここから始まるんだ。
これから彼は、初めて我が子に会いに行くっていう大事なイベントに臨むんだからね。
鑑定料がどうのなんて、細かいこと気にしている場合じゃないの。
サクモさんは、面食らったように瞬きをして―――そして、やがて諦めたように苦笑した。
「………どうあっても、鑑定料は受け取って頂けそうにありませんね。………では、お約束します。………お二人には、公演のチケットを必ずお送りします」
余談だが、後年僕はかえって彼に悪い事をしたかもしれない、と反省した。
彼―――サクモさんは、その年のクリスマスコンサートのチケットだけではなく、ご自分に関わる全ての公演のチケットを、それからずっとダンと僕に送り続けてくれたのだ。
遠くてダンが来られないとわかっている公演のものまで、すべて。
(09/11/29) |