逃げ水 

 

ナルトの命を救えた事。
事故の瞬間は子供がどういう素性の子か知るはずも無く、危ないと思ったから、ただそれ
だけで飛び出した。
子供の身代わりに死ぬつもりは毛頭なく、もちろん怪我をするつもりもなかった。
こんな、何ヶ月も入院しなければならない事態になったのは自分のドジだとイルカは思っ
ている。
だが、どんな怪我をしようと、自分の半分くらいしか生きていないナルトが命を落とさず
に済んだのだから良しとしよう。
それに、とイルカは微笑む。
この事故は思わぬ縁を生んだ。
ナルトが孤児だと知った時は、命が救えて本当に良かったと思ったが―――まさか、こん
な展開になるとは思わなかった。

イルカと同室の、足を怪我していた中年の男性が、ナルトを養子にしたいと言い出したの
だ。
男性の職業は刑事で、身元はしっかりしている。
ナルトにとって、悪い話ではなかった。
最初、ナルトはきょとんとして自分を養子にしたいという男の顔を見ていた。
「おじさん達はずっと子供が欲しかった。でも生まれなかった。…ここで君に逢えたのは、
神様が引き合わせてくれたんじゃないかと思っている。もしも、君さえ嫌じゃなかったら、
おじさんの家の子供になってくれないだろうか。…おじさんの息子になってくれないか?」
男の妻も、期待に目を潤ませてナルトを見つめていた。
「ナルトちゃん…ぜひ、おばさんの家に来て…おばさんをお母さんって呼んで…」
「お…かあ…さん…?」
機械的に繰り返したナルトの声に、彼女は涙をこぼした。
「そうよ…お母さんって…お願い…」
ナルトはおろおろしてイルカを振り返る。
「ど、どうしよう…イルカ兄ちゃん……」
イルカは、ナルトを安心させるように笑ってみせた。
「決めるのはナルト君、君だけど。…俺は良いお話だと思うよ」
ナルトはモジモジと指先を噛んだ。
「うん、急に決めろとは言わないから。よく考えてから、返事をしたらいい。ナルト君の
気持ちが決まったら、木ノ葉園に正式に手続きをしに行くから」
ナルトは顔を上げる。
「…どーしておじさん、おれの事…子供にしようって思ったん?」
男はにっこり笑った。
「おじさんは、イルカ君のお見舞いに来ていた君をずっと見ていた。自分を助けてくれた
人への感謝の気持ちを忘れない、きちんとした心を持った子だと思った。こんな子がおじ
さんの子供だったら嬉しいのに、と思ったんだよ。……そしたらナルト君には今、ご両親
はいないのだと聞いたから…おじさんは正直「ラッキー!」って思ってしまったよ」
それを聞いたナルトは、困ったような笑みを浮かべた。
「……おれ、そんなにいい子じゃないってばよ。…学校の成績も良くないし…」
「別にそういうのは関係ない。おじさんは、ナルト君がいい子だと思った。それだけでい
いんだ」
「…寝ぼすけだし…ドジだし…」
「おじさんも、子供の頃は寝ぼすけで結構ドジだったぞ? でも、今はちゃんと起きられ
るし…あ、でもちょっとドジなのは治ってないかなあ。泥棒捕まえようとして、こんな怪
我しちゃったもんなあ」
ははは、と頭を掻く夫に、男の妻は「あなたったら!」と眉を寄せる。
ナルトは笑う男をじっと見て、やがて頷いた。
「…おじさん。おれ、大きくなったら刑事になりたいんだってば。…でも、どうやったら
なれるかわかんねーの。……おじさん、教えてくれる?」
男は目元を和ませた。
「うん。もちろんだとも」
ナルトははにかんだ笑みを浮かべて男のベッドに近寄った。
「じゃあ…おれ、おじさんちの子になる」
「ナルトちゃんっ!!」
男の妻が、嬉しそうにナルトの頭を抱く。
真っ赤になって、彼女の抱擁を受けているナルトを、イルカも嬉しそうに眺めていた。


昼間は用事があって病院に来られなかったカカシが、夜やってきてその話を聞き、目を見
開いた。
「マジ? あのおじさんがナルトを…?」
「うん。世の中、こんな事もあるんだなあ……俺が偶然同室になった人に子供がいなくて、
俺の見舞いに来てたナルトに親がいなくて。きっと、そういう縁だったんだな。…それだ
けでも俺、怪我した甲斐があったよ」
カカシは苦笑した。
「バカ言ってんじゃねえよ。…でも、ナルトに親か…あのおじさんならいいんじゃない? 
感じのいいおっさんだったよね。奥さんも優しそうでさー。そういや、ベッド空いたな。
おじさん、退院しちゃったんだ。俺、挨拶し損ねた」
「挨拶?」
カカシはうん、と頷く。
「だって、ナルトはオレの弟分だからさー。やっぱ、一言ヨロシクって言いたいじゃん」
イルカは眉を寄せた。
「いつからナルトの兄貴分になったんだ? お前」
「んー、ちょっと前さ。街でアイツに会った時、盃ならぬラーメンどんぶりを交わしてね
え……アイツ、犬っころみたいなひたむきな眼ェしてて可愛いじゃん。そいで何だかオレ、
アイツの面倒見てやろーかなーとか思っちゃったワケよ」
イルカは納得げに微笑んだ。
「ああ、そういやぁナルトがすっごく嬉しそうにお前にラーメン奢ってもらったって言っ
てたっけ。…俺が言うスジじゃないってのはわかっているけど、礼を言うよ。…たぶんそ
れはきっと、俺がしてやりたかった事だから」
そお? とカカシも嬉しそうに微笑う。
「そっかー、良かった。オレさ、何だかしょげて立ってたあいつ見て、こんな時お前だっ
たらどーするかなって…そう思ってさ。それでアイツ、ラーメン屋連れてったんだ」
そこでイルカの退院祝いの為の資金調達にカカシが一枚噛んだことは、イルカには言わな
いというのがナルトと交わした『男の約束』だった。
あれ以来、ナルトはたまにカカシの遣いをしたりしてお駄賃を稼いでいく。
お駄賃だからそう高額ではなかったが、彼はせっせとその金を貯めていて、無駄に買い食
いなどに使ったりしていないようだ。
その、一度決めた目標に向かって頑張る姿勢にはカカシも密かに感心していたのである。
「ナルト、いい子だよ。…あのおじさんも、見る目あるよ」
「うん…俺達は、兄貴代わりは出来るけど、親にはなれねえもんな…やっぱ、子供には親
って…必要だよ。たとえ血が繋がってなくても……」
カカシはイルカの手を握った。
「そうだよ。…実の親じゃなくても、愛してくれる大人がいたら、子供はそれだけで救わ
れるんだ。……イルカのおじさんや、おばさんや…婆ちゃんが可愛がってくれたから…オ
レは妙に拗ねないで済んだ…」
それにイルカがずっと傍にいてくれたしね、とカカシは心の中で呟いた。
そのカカシの胸中を見抜いたかのようにイルカはその手を握り返す。
「…みんな、幸せになるといいな…」
「うん…」
ナルトも、ずっと子宝に恵まれなかったあの夫婦も。
もちろん、自分達も。
みんな、幸せになれるといい―――




「さぁてえ! やるかあっ!!」
カカシは腕まくりをして掃除機を手に気合を入れた。
イルカの祖母が倒れたと知らせがあって、彼が慌ただしく帰郷する為にこの部屋を出て行
ったのが五ヶ月前。
そして出て行ったままずっとこの部屋に帰る事が出来ないでいた。
ようやく、『帰って』来る。
カカシは弾む気持ちを抑えながら(それでも鼻歌を歌ってしまっていたが)部屋の掃除に
精を出していた。
イルカが不在の間、何だか意気消沈してしまったカカシは部屋の掃除その他の家事をおざ
なりにしかしていなかったのだが、イルカが一週間後に退院出来ると知らされてから我に
返り、慌てて掃除を始めたのだ。
リビングから台所、トイレ、玄関その他。
家を綺麗に維持するというのは大変な労力だ。
今までマメな性格のイルカに頼り過ぎていたな、とカカシは反省する。
「…こんなじゃ、やっぱヨメにしてもらえねえもんな」
随分前にイルカと交わした冗談。

『じゃあオレがお前のヨメになればいいのか』
『俺、出来たらもう少し手間が掛からなくてメシくらい作ってくれる可愛い嫁さんがいい』

―――カカシはその会話を思い出して苦笑した。
洗面所を拭きながら鏡を見る。
「……可愛い…とはお世辞にも言えないよねえ……」
くっくっくっと笑いが漏れた。
「こんなトコに傷がなくたって、可愛いってツラじゃねえモンな、オレは」
ならば、あまり手間が掛からない相棒になるように努力するしかない。
せっかく、今更ながらの恥ずかしい告白をして、イルカから信じられないような返事をも
らったのだ。
好きだと言ってくれた。
いつものようにカカシの冗談口を受け流すといった口調ではなく、真面目にカカシの気持
ちに応えてくれたのだ。
本気で交わしたくちづけは、心臓ごと心をつかまれたかのように甘い痛みと疼きをもたら
し、今までのキスなど子供の頃のじゃれあいの延長だったのだとあの時わかった。
カカシは鏡の中の自分の唇を見る。
「……まだ、信じられない…」
自分は、自分達は『夢』の中のように危険な任務に就かなければならない忍者ではない。
だから、あんな風にイルカを失う事態にはなるはずがない―――と、以前のカカシならそ
う考えただろう。あんな夢、気にする事は無いと。
だが、このタイミングは何だ。
夢の中の『イルカ』の死と前後するように、イルカは下手をすれば死亡していたかもしれ
ないような交通事故に遭ってしまった。
イルカを永久に失うと言う事を『仮想体験』したカカシにとって、この事故は彼の存在の
大切さを改めて思い知らされる大事件であったのだ。
だから自分が改めて彼を好きだと自覚し、失えない存在だと思い知った、というのはわか
る。
だが一方のイルカはどうなのだろう。
確かに彼は今までもカカシを大事にしてくれたし、何だかんだ言いながらもカカシが望め
ば寝てもくれた。だが、それは若い身体が持て余す性的欲求を互いに気心の知れた同士で
解消していたのに近い―――
彼は以前から自分を『好き』でいてくれたというのだろうか。
カカシは首を振った。
イルカがいつから自分をそういう対象にしてくれていたのかなど、どうでもいい。
今、彼の気持ちが自分に向いていてくれるのなら。
「……してみりゃわかるさ…アイツの気持ちなんて」
病院の屋上で『本当のキス』が出来たのなら、今度ベッドを共にする時は――――…
そう思い至ったカカシは一人で赤面した。
「うへ…オレも若いっつーか…けっこーケダモノ……」
一人で照れて、雑巾で乱暴に鏡を拭く。
「あーもー! 掃除だ掃除っ! イルカの為だモンな! 頑張るぞーっ」
季節外れの大掃除。
掃除がこんなに楽しく感じられたのは、生まれて初めてのカカシだった。

        

 

 



 

パラレルですんで。(<開き直り?)
かなり本編と違った展開になりました。
ナルトをおじさんの養子にするのは、1話から決めていた事でしたが・・・何だか唐突な展開に見えます。(笑)
みんな、幸せになるんだ! なろうよ! ね?
―――というわけで後1話です。

 

NEXT

BACK