逃げ水 4

 

「こんな所で会うとは奇遇だな…いや、だがどうした? 見た所、脚と腕を負傷しておる
ようだが」
新たな闖入者―――いや、見舞い客である男はズカズカとイルカのベッドに歩み寄った。
イルカはぺこん、と男に会釈して挨拶すると、恥ずかしそうに頭をかいた。
「お久し振りです、ガイ先輩。…いや、情けない所をお見せしまして。大した事ないんで
すよ。ちょっと車に引っ掛けられてしまいまして」
「死にかけたのが、『ちょっと』かよ」
ぼそっと呟くカカシ。
ナルトも負けずにわめく。
「イルカ兄ちゃんはオレを助けてくれたんだってば! オレがトラックにはねられそうに
なったとこ、庇ってくれたんだ! …でもそれで兄ちゃん、大怪我したんだ…」
「カカシ…ナルト君も。…大袈裟だよ。手足切断したわけじゃないんだから」
ナルトは食い下がった。
「んーんっ! 大した事なくなんかないもんっ!」
ナルトにしてみれば、見知らぬ男にイルカの怪我が軽傷などと思われたくなかったのだ。
イルカは今も不自由な身体で痛みを我慢しているのだろうに。
知らないヤツに大した事無いんだ、なんて思われたくない。
「ナルト君……ガイ先輩、本当に…ただの骨折です」
ふむふむ、とガイは顎を指でさすった。
「…まあ、大体わかった。そこな小坊主を庇ったお前は、トラックにはねられて手足を骨
折したんだな?」
「背中にもひでえ裂傷。脊椎やられなかったのが奇跡だってさ」
「カカシ!」
イルカの鋭い声に、あ、とカカシは手で口を塞いだ。
ナルトの眼が真ん丸になっていた。
「………背中…? 兄ちゃん、背中にも怪我したん…? ヒドイの…?」
ナルトは外から見てわかる腕と脚の怪我の事しか知らなかったのだ。
イルカも詳しい自分の状態を子供に言う気は無かった。
「…ナルト君、そんな顔するな…大丈夫。大丈夫だから。……すぐ、治るよ」
うる、と子供の大きな眼が潤んだ。
「……イルカ兄ちゃん…ごめんね…」
うなだれたナルトの頭にカカシはぼふ、と手を乗せた。
「お前の所為じゃない。…真昼間っから酒飲んで歩道に突っ込んできたヤツが悪い」
でもでも、とナルトは首を振る。
遊びに行こうと思って駅前の歩道を走っていた。
角を曲がろうとした時にカーブしてくるトラックが見えて、ああこのまま曲がるんだな、
と何気なく見ていたらそいつがそのままこちらに向かって突っ込んで来たのだ。
一瞬わけがわからなくて足が竦んだ。
怖い、と思う間も無く「危ない!」と誰かが叫ぶのが聞こえた。
あれがイルカの声だったのかどうかはわからない。
気が付いた時、ナルトは安全な植え込みの上で呆然としており、目の前には街灯に突っ込
んで鼻先をへしゃげられたトラックが止まっていて―――そして、血まみれの若い男が倒
れていた。
その凄惨なイルカの姿を見ているのは、この場ではナルトだけだ。
血まみれで救急車に乗せられているお兄さんが、自分を助けてくれたのだと気づいたのは、
事故を目撃して救急車を呼んでくれた人が「この子も怪我をしているかもしれない」と一
緒に病院に連れて行くように言ってくれてからだった。
ナルトの怪我は掠り傷程度だったが、生まれて初めて乗った救急車の中で、応急処置を受
けているイルカを見ているしかなかった時の心地は忘れられない。
血だらけで、死んだようにぐったりして。
この人は、自分を助けに来なければこんなひどい怪我なんかせずに済んだのだとナルトに
もわかったのだ。
そして、この人が来てくれなかったらそこに寝かせられていたのは自分だったという事も。
カカシは気づいていなかったが、イルカの手術中ナルトはずっと病院の廊下の椅子に座っ
ていたのだ。
カカシが飛び込んできて、血の足りないイルカの為に輸血しに行くのも見ていた。
羨ましい、と思いながら。
―――自分の血もお兄さんにあげられたらいいのに。
しかし、たとえナルトがイルカと同じ血液型でも、事故に巻き込まれ怪我をして真っ青な
顔で座り込んでいる小さな子供から輸血などしてくれるわけがなかった。
「……あのな、坊主。…コイツは昔から正義感の強い熱血漢でな。お前のような子供が目
の前で車にはねられるのを見るよりは自分が怪我した方がマシという男だ。お前が怪我を
する方が痛いのだよ」
ガイの言葉に、ナルトは顔をゆっくり上げた。
イルカはにこ、と笑ってみせる。
「……うん…でも、やっぱ…オレ、オレはイルカ兄ちゃんの半分でもオレが怪我すりゃ良
かったんだと…思う……ごめん、オレ今日は帰るね。…また来る」
ナルトはくるっと戸口に向かうと、誰が止める間も無く出て行ってしまった。
「あ! ナルト……!」
サクラは一瞬迷ったが、自分も荷物をつかむとぺこんと皆にむかってお辞儀をした。
「あの、あたしも失礼します。皆さん、お大事に!」
「うん、ありがとうサクラさん」
サクラはもう一度目礼すると、「待ちなさいよぉ、ナルト…」とクラスメイトを追いかけて
行った。
子供たちがいなくなると、病室はとたんに静かになってしまった。
「………悪い…」
カカシはイルカに謝った。
「背中の怪我の事はアイツには内緒だったんだよな〜…うっかりした」
イルカは息をつく。
「…まあ、別にいいよ。…あまり心配させたくなかっただけだから。……お前の言う通り、
脊椎損傷してどうにかなっちゃったってワケじゃないしさ。でもあの子はまた事故の事思
い出しちゃったみたいだな……」
カカシはぐしゃ、と髪をかき回した。
「オレ、お前の手術の後、事故現場見に行ったんだ。……まだ血の跡とかあってさ…そこ
ら中滅茶苦茶で。…あいつ、怖かっただろうな……だから、毎日来たんだ。お前がちゃん
と『元気』にさ、笑っているのを見ないと心配で仕方ないから」
ふ、とガイが微笑む。
「お前、相変わらずのようだなあ、イルカ」
イルカは困ったように微笑み返す。
ケッとカカシは舌を出して見せた。
「そー! 相変わらずソンばっかしてんの」
ふふん、とガイはそんなカカシを鼻で笑った。
「そう言うお前も、相変わらずか。イルカにくっついて、一番世話をかけているのだろう」
「………っ!」
かあっとカカシが赤くなった。
自分がイルカの存在に依存している自覚はある。
イルカの祖母が入院し、彼が故郷に帰ってしまっていた間、どんなに彼が恋しかった事か。
傍らに存在していない事が不安だったか。
そして事故の一報を聞いた時は、足元が崩れ去るのではないかと思ったくらいショックを
受けた。
「今は俺がこんなですから。こいつに世話焼いてもらってるんですよ」
イルカがフォローするが、ガイはそれを笑い飛ばす。
「ははは、いい、いい。たまにはカカシをこき使ってやれ。お前は昔っから、こいつの尻
拭いばかりやらされていただろう」
おずおずと手を挙げたリーがあのう、と声を掛ける。
「ガイ先生……イルカさん達と…お知り合いなんですか?」
「おお、リー。そうだ、こいつらとは浅からぬ縁でな……」
カカシが半眼でバタバタ、と手を振り否定の仕草をした。
「いや、浅い浅い。思いっきり浅い。田舎の空手道場でちょこっと一緒だっただけ」
ふふふ、とガイは笑った。
「そして奇遇にも故郷より遠く離れたこの地で再会するのだから、縁があるのだ! カカ
シ、貴様という奴はまるで根性が無い! きちんと修行をすれば上達すると師匠がおっし
ゃったのに、さっさと辞めてしまうのだからな。きちんと昇段したイルカを見習え」
昔から『偶然』顔を合わせてしまう度に同じ事を言われるカカシは、同じ事を言い返す。
「オーレーは! 空手なんか性に合わねえって言ってるだろうが! イヤイヤやったって
怪我するだけで無駄じゃない。それに、いつの話だよ。ガキの頃じゃない」
ガイはきゅっと眉を上げる。
「……お前には武道の才があるとオレには見えた。お前が強くなって、対等の勝負をする
のが―――」
カカシはばっと手を上げてガイの言葉を遮る。
「その話やめっ! いつも同じ事繰り返しやがって。だからアンタとは会いたくなかった
んだよ! 他の奴と勝負しろ、他の奴と」
「いや、オレはお前と勝負したいのだ! お前のような、攻撃の先が読めんタイプと戦う
のは面白いのでな」
しつこい、とカカシはガイを一睨みした。
「アンタね…ここは病院。何だか知らんが中学の教諭やってんだろ、アンタ。教え子の見
舞いに来たんじゃねえの? アンタの地声はでかいんだからさ、控えろよ。こっちのおじ
さんに迷惑じゃん。…ごめんね、おじさん」
いきなりカカシに謝られたおじさんは苦笑を返す。
「いやあ、なかなか複雑な事情が見え隠れして、君たちを見ているとテレビより面白いけ
どな」
ガイも社会人としての礼儀を思い出したらしく、年配の男に謝罪した。
「お騒がせして申し訳ない。まさか郷里で同じ道場に学んだ後輩とこのような場所で会う
とは思ってもおらず…つい、声が大きくなりました」
おじさんは「いい、いい」と小さく手を振る。
「いや、構いませんよ。入院していると刺激が少ないんでね。今日は賑やかで楽しいよ。
…あんたは、いい先生さんだね。毎日教え子の見舞いに来るなんて」
宿題なんか持って来なければもっといい先生なんだけど…と、リーは心の中で思う。
そこへ看護婦が顔を出し、回診の時間だと告げた。
カカシは腕時計を見て、「げ」と小さく声を漏らす。
「あ、イルカ……ごめん、オレ、バイトの時間だー。また来るからっ」
「うん。気をつけて行けよ。急いでバイクでコケるなよ。今お前が入院しても俺は何にも
出来ねえからな」
カカシは小さく舌を出した。
「わかってるよー。んじゃ、皆さん失礼」
慌てて出て行くカカシと入れ違いに、大柄な医師が入ってくる。
「あ、アスマせんせー。イルカのこと、よろしくね」
アスマと呼ばれた医師はカカシを振り返り、苦笑する。
「いつも忙しないな、お前さんは。言われなくとも、うみの君は俺の患者だ。きっちり治
してやるよ」
「頼もしいナー、先生は。でも、マジよろしくっ」
アスマは黙って手を挙げてやる。
「と、いうわけで回診の時間だ。お見舞いの方は遠慮して頂けますかな?」
むう、とガイは唸った。
「しまったな。来るのが少し遅かったか…リー、すまんが勉強をみてやるのは明日だ」
昨日の宿題がまだ出来ていなかったリーは内心の嬉しさを押し殺して、「はい」と神妙な返
事をする。
だが、彼の担任は教育熱心な男であった。はた迷惑な程に―――
鞄からプリントを出すと、リーに手渡してやる。リーはガクリと肩を落とした。
「これは、今日の分だ。わからない所があったらイルカに訊いても構わんが、あまり頼り
過ぎぬようにな。イルカ、明日はお前にも何か見舞いを持って来てやるからな。リーを頼
むぞ」
イルカは笑って「お気遣いなく」と首を振る。
「リー君に世話になるのは俺の方かもしれませんから」
ガイはアスマにも丁寧に挨拶し、病室から出て行った。
やっと、病室は元の静寂さを取り戻す。
「さて、と。じゃあ始めるか」
看護士を従えたアスマは、カルテを眺めながら先ずおじさんのベッドに歩み寄り、間仕切
りカーテンを閉めた。
イルカはこっそりリーに囁く。
「熱血教師って、ガイ先輩だったのか……大変だね、リー君」
「…ボク、ガイ先生は尊敬してるし、大好きです。ちょこっと、大変だけど」
えへ、と笑うリーに、イルカも微笑む。
「そっか。…俺はまだまだ先だけど、やっぱ生徒に尊敬される教師になりたいなあ…ガイ
先輩みたいに」
リーは勢い込んで頷く。
「イルカさんなら、絶対大丈夫ですっ! ボクは若輩者ですが、わかりますっ」
イルカはふう、と息をついてベッドに身を沈める。
「……だと、いいんだけどね…―――」

        

 



 

アスマ先生登場。
ですが、ただ顔出ししただけで終わりそう。(笑)
大目標『イルカカらぶらぶ』つうか、やりたかったラブシーンになかなか到達しなくてアセる青菜・・・次こそっ・・・次こそおおお〜〜〜〜・・・・・・

 

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