逃げ水 3
サクラはケーキの箱を手に取り、残りをナルトに見せる。 「ナルト! イルカさんが、あんたに選択権くれたわよ。ほら、好きなの取んなさい。二個よ、二個。…あら? あんた、牛乳なんか飲むの…?」 ナルトの手には、しっかりミルクパックが握られている。 「わー、うまそう。いただきまーす。サクラちゃん、牛乳いっぱい飲むと、背がびるんだってば。オレ、イルカ 兄ちゃんやカカシ兄ちゃんみたいに背が高くてカッコイイ男になるんだ!」 「…おだてたって、何も出ねえぞ」 カカシはイルカの世話を焼きながら、ちらっとナルトを横目で見る。 サクラは呆れ顔で肩を竦めてみせた。 「バッカ。…カカシ先生とアンタじゃ、そもそもの土台が違うじゃないよ」 「土台〜?」 「百歩譲って、あんたがカカシ先生並にのっぽになったとしても! カオが違うでしょーが。カオが! それ にあんたがイルカさんみたいに落ち着いた雰囲気の大人になるわけないし」 カカシはおや、とサクラの顔を覗き込んだ。 「サクラちゃんはオレの顔、怖いんじゃないの?」 「あん、やーだァ…先生ったら。あの事は忘れて忘れて。先生の顔に大きな傷があったから、ちょっとびっく りしちゃっただけじゃない。あたしも若かったのよ、うん。コドモだったのね」 ハハハ、とカカシは愉快そうに笑った。 「すげえ。サクラちゃんってば一年でオトナになったんだねえ」 「そーよぉ。一等最初にカカシ先生の分、避けといてあげるくらいにはオトナよ。はい、これ先生の分」 箱の蓋部分に載せられた小さなケーキをカカシに差し出し、サクラは胸を張った。 「さーんきゅ、サクラちゃん。……これ、オレが食っていいの? イルカは?」 「それ、サクラさんがお前が好きそうだからって避けてくれたんだ。ありがたく頂戴すればいいんだよ。俺、 何でも食うし」 「ピスタチオはお前の好物じゃん」 カカシの言葉に、サクラは「え?」と振り向いた。 「あ、そうだったんだ。ごめんなさい」 「サクラさんが謝る事無いよ。カカシがビターチョコ好きなのをサクラさんは知ってて、避けてくれたんだか ら」 「サクラちゃんは優しいもんなー、いいお嫁さんになるねー」 「やんっカカシ先生ったらっ」 サクラは頬を染めて照れながらも嬉しそうだ。 イルカとジュースを奢ってくれたおじさんにも小さなケーキが行き渡り、ささやかなお茶会が始まった。 「ねえねえ、カカシ先生ってさ、喧嘩すっごく強いんですって?」 サクラはラズベリーのタルトを美味しそうに頬張って、カカシに視線を向けた。 カカシは怪訝そうな顔をし、イルカを睨む。 「…お前、何バラしたのさ」 「別に? サクラさんが、俺の事喧嘩強そうって言うからさ、喧嘩が強いのはカカシだって言っただけ。…草 三高の悪ども、殆ど病院送りにしたのお前じゃないか」 「……あれはお前に悪さしたからだ」 カカシは憮然としてチーズケーキを口に入れる。 「悪さ?」 おじさんは眉を顰める。 「闇討ち。…剣道の大会の前だった。二年連続で優勝をうちの高校に持ってかれて頭に来ていた草三高の 剣道部の奴が、不良どもに金つかませてイルカを襲わせたんだ。主将のイルカが欠場すれば何とかなると 思ったんだろう。セコ過ぎて涙が出るぜ」 「まー! そんな卑怯な奴ら、ボコにして正解よ! カカシ先生!」 憤慨したサクラに、向かいのベッドにいたリーも同調する。 「そうですね! それは卑劣な話です!! 正義の鉄槌を下して当然でしょう!」 「え? カカシ兄ちゃん正義の味方だったのか? 仮面ライダーみたいに?」 「……う〜ん、変身出来たらいいんだけどね〜」 ピントのずれた事を言っているナルトに、カカシは気のない返事を返す。 「で、試合には出られなかったのか…? イルカ君は」 おじさんは冷静に話を元に戻した。 「…はい。出場は辞退しました。…売られた喧嘩ですが、買ってしまったのは事実ですから。他校と諍いを 起こした主将がいては部に迷惑が掛かります。副将に主将を代わってもらって、俺は……」 「退部したんだよ、このバカ。……持っていた竹刀に、鉛が仕込んであったから……警察が変な目でイルカ を見たんだ。鉛が入ってたのは、喧嘩の為じゃない。腕に筋力をつける為だって何度も言ったのに……こい つの顔に傷痕があったから、不良の仲間だと先入観持ったみたいでさ……」 「俺も鉛仕込んでたの忘れてて、結構手加減なしに打ち返しちゃって、相手怪我させたから……仕方ないよ。 過剰防衛ってやつだ」 「相手は武器持ってたの?」 と、おじさん。 「ナイフ持ってやがったよ! …相手が先に刃物を出したんだ。イルカは悪くないっ!!」 カカシは腹立たしそうに吐き捨てた。 「イルカだって、高校最後の大会だったんだ…優勝候補の筆頭だったのに…」 「要するに、どっちに転んでもイルカさん、試合には出られないって事だったのね…可哀想……」 そこでサクラは首をひねった。 「…カカシ先生は、その時イルカさんと一緒に喧嘩したの…? だったら、全部カカシ先生がやっつけちゃった 事にすれば良かったじゃない。そしたらイルカさんは単なる被害者だってことに出来たんじゃない?」 違う違う、とイルカは片手を振って否定した。 「カカシは、俺が襲われた時はいなかったんだ。このバカ、俺が退部した事情を知って、逆上して―――」 「殴り込みに行ったんだー、いっさましいのねえ、カカシ先生」 妙に感心して頷くサクラに、またリーが同調する。 「素晴らしい友情です。表現手段がどうあれ、友人を想っての行為は美しいです!」 「…キミ達ね……」 イルカは額をおさえる。 「暴力を肯定しちゃダメだよ。…カカシはその後停学処分くらったし。結局は事の真相が全部露見して、草三 高も大会出場停止になったんだから…バカみたいだよ…ホント」 サクラとリーは恥ずかしそうに首を竦める。 ナルトは一人、会話に全部ついて行けていないようで、キョトンとしていた。 「ボーリョクをコウテイ…って? ロケンて何?」 おじさんは苦笑して、ナルトに説明してやった。 「暴力はわかるね? 坊や。殴ったり蹴ったりするような乱暴な事だ。それをいい事だと認めてはいけないっ て、このお兄さんは言ったんだ。露見っていうのは、隠してた事がバレちゃうって意味だな」 「何だー、じゃあそう言ってくれればいいのによー。イルカ兄ちゃん、ワザとムズカシイ言い方しなくたってい いじゃん」 サクラは俯いて拳を震わせている。 「……あんたねえ…いい加減にしなさいよ…黙って聞いてりゃ恥ずかしいヤツねっっ! イルカさんは普通に 喋っているわよっこのおバカ!」 「そ、そうなん? …ごめん、サクラちゃん…」 ナルトはオドオドと小さくなる。 まあまあ、と一番年長のおじさんはなだめながら苦笑した。 「…でも、残念だった…というか、災難だったね、イルカ君は。……でもそれで剣道をやめてしまったとは惜し い話だ。…さっき、大学に入ってまで続けるほど入れ込んでいなかったと言ったが…大会の優勝候補で、主 将まで務めた君が、かい?」 イルカは頷いた。 「ええ。…元々は自分を鍛えるため。精神修行だと思って始めた武道です。でも、結局は剣の道は戦いです。 …人と争う事になる。あの闇討ち事件で、正直嫌気が差したんですよね。俺が竹刀を持っている限り、それ は戦う意志があると言う事でしょう? …それは俺が求めている物じゃないから。だから、竹刀を捨てました」 淀みの無いイルカの言葉は、それが彼の中で何度も何度も繰り返し自問自答が行われ、悩みぬいた結果出 た結論である事を示していた。 「か…っこいい…イルカさん…」 思春期の少年には、剣の才能を持ちながら自らの信念故にそれを捨てた彼の行為がとても潔く、『かっこい い』ものに思えたらしい。 リーは目を潤ませて感動していた。 「いや、見方を変えれば、怖気づいた弱虫って事にもなる。かっこよくなんかないよ、リー君。…なあ、カカシ」 カカシはぷい、とソッポを向いた。 「お前は、自分の才能を伸ばそうとしないバカだ。…剣道にしろ、絵にしろ。……俺に言わせりゃすっげえバチ 当たりだよ」 「どっちも趣味の域を出ないものだぜ? …俺はさ、一つの事を極めるより、色々そこそこ出来るようになりた いからいいんだよ」 イルカは涼しげな顔でカカシの言葉を受け流した。 「…なるほどねえ…まあ、君の中で試合に出られなかった事が未練とか無念とかそういう物として残っていな いなら、いいんだ。…いや、もしやりたいのにそう言う場がなくてやめてしまったんなら、それはいけないと思っ たんだよ。剣道をやれる場所なら紹介する事が出来るものでね」 おじさんの言葉に、イルカは微笑んで謝意を示した。 「…そうだったんですか…ありがとうございます」 「まあ、もしやりたくなったらいつでも紹介するよ。後で連絡先を渡しておくから遠慮なく言って来なさい」 「…はい」 イルカは素直に会釈した。 一方、サクラは「ねえねえ」とカカシの袖を引っ張っている。 「何よ、サクラちゃん」 「ねー、さっき、『絵』って言わなかった? イルカさん絵を描くの?」 ああ、とカカシは頷く。 「うん。…すっげえ上手いよ。こいつ絵を描くの。美大に行った美術部のヤツより上手いと思うんだけどな。高校 の担任も首捻ってたもの。何で進路に芸大が一個もねえんだろうって」 「もったいないわねー」 「ねえ。オレもそー思うわ」 黙って牛乳パックの中身を飲み干し、お行儀良くそのカラをゴミ箱に捨てたナルトは、トコトコとイルカのベッドに やって来る。 「なあなあ、イルカ兄ちゃん」 「ん? 何だ? ナルト君」 「兄ちゃんは剣道も絵も、シュミだって言っただろ? じゃあさ、兄ちゃんは何になりたいんだ?」 イルカはぽんぽん、とナルトの頭を撫でた。 「…うん。俺はね、学校の先生になりたいんだ。…それで、ナルト君やサクラさんみたいな子供達のね、将来の 夢を育てる手助けをしたい。それが俺のやりたい事 」 ナルトはぱあっと嬉しそうに笑った。 「先生かあ! それいいってば! オレ、イルカ兄ちゃんが先生だったらすっごく嬉しいなあ」 サクラもにこにこしている。 「そっか。ちゃんとやりたい事があるんじゃ仕方ないわよね。…ねえ、カカシ先生は? 何になるの?」 カカシはう〜ん、と天井を睨んだ。 「オレは法科だからねー…一応、司法試験は受けるよ?」 「べ…っ…弁護士さん…?」 「……今、思いっ切り『似合わない』とか思ったろ」 「う、ウウン別にぃ?」 「ま、司法試験イコール弁護士じゃないしね? いいじゃん、まだ決めなくてもさ」 「そおねえ。…せんせ、まだ十代だしねー…ギリギリ」 「ギリギリは余計よー…サクラちゃ〜ん…」 病室が和やかな雰囲気に包まれたその時。 忙しげなノックが聞こえ、勢い良く病室の扉が開かれた。 「元気に静養しておるかああーっっ!! リー!!」 リーは弾かれたようにベッドの上でびしいっと背筋を伸ばし、条件反射の如く敬礼して「押忍!」と応える。 「そーかそーか、よしよし。…や、ご同室の皆さんにはご無礼を。うちの教え子が何ぞご迷惑をかけておりはし ませんかな?」 入って来たのは、一目で『濃い』という印象の男だった。 どうやら、リーの担任の教師らしい。 「………ガ…イ……?」 その声に反応し、教師はくるりと身体ごと振り返った。 「おおっ!! 何とぉ! カカシではないか!」 カカシは脱兎の如く窓に走り寄る。 「待てっカカシ! ここは三階だ!」 イルカが慌ててカカシを引き止め、カカシは窓枠に片足を掛けたポーズで停止した。 「おやまあ、イルカもいるとは。…久し振りではないか」 イルカは引き攣った笑顔で新たな訪問者に挨拶する。 「……お、お久し振りです……ガイ先輩……」 リーとサクラ、ナルトは顔を見合わせた。 「…知り合い…?」 「みたいだってばよ…」 サクラはまた先刻と同じセリフを呟いた。 「……世の中、狭いのね……」
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…熱血教師登場。(笑) どうやら、カカシとイルカに何か関わりがある模様。 しかし、たらたら書いているのでなかなかイルカカ らぶらぶな話にならないわ…っ く…っ (今回の実話は剣道の竹刀です。うちの兄貴の 竹刀には鉛が入っててすごく重かったです…何に 使ってたんだろう…あのヒト陸上部だったのに…) |