姫と呼ばないで
7
朱栖が選んだ場所は、イルカには馴染みの場所だった。 木ノ葉の中心から外れた人気の無い河原は、チャクラの修行をするのにもってこいで、ここでよくカカシに指導してもらっていたのだ。 先日、漬物石を持ち上げた拍子に腰を痛めて難儀していた老婦人を助けることになったのも、カカシが留守の時にも一人でこの河原まで来て修行をするのが、イルカの日課になっていたからである。 「ここなら無関係の人間を巻き込む事はないだろう」 朱栖の言葉にイルカは頷いた。 「………最初にお断りしておきますが」 「何だ?」 「忍者と言っても色々な方がいらっしゃるでしょう。戦い方も十人十色だと聞きますが。…侍も同じです。私の剣は、数多くある流派のうちの一つに過ぎません。私の剣を見て、外の侍の基準になさるのはどうかと」 「では、おぬしと剣を交えることに意味は無いと?」 イルカは首を振った。 「いえ。…それを判断するのは私ではありません。…ただ、侍と忍では戦いの型がまるで違うから、ご参考になるかどうかも定かではないかと思われますが」 その言葉に朱栖は薄っすらと笑う。 「そうだな。………実際、我ら忍が侍と正面から勝負する場面は少ないだろうと思う。戦における我らの役目は、侍のそれとは異なるゆえ。…侍相手に剣を交える、という戦い方はまず無いと言ってもいいかもしれない。…相手にこちらの存在を気づかせずに殺るのが俺のやり方であるしな。……彼らは、自分を殺した者が誰であるか、自分がどう殺されたのかもわからず絶命していく………」 イルカは僅かに顔を曇らせた。 そう言う彼の口調や表情がまるで誇らしげではなく、どこか寂しげだったからだ。 「…だが、これが貴重な機会である事に変わりは無い。………いや、だからこそ貴重だ、と言うべきか」 イルカは彼の眼を見据え、頷いて見せた。 「………わかりました。私も心してお相手致しましょう」 手合わせ、と言ったが、どういう状態になれば勝ちだとか負けだとか、具体的な勝負の決め事などは申し合わせなかった。 イルカが腰に差しているのは木刀ではなく真剣で、また朱栖の持つ武器も忍塾の子供が最初に手にするような刃を潰した玩具などではない。 真面目に『手合わせ』した結果、どちらかが死ぬ可能性もあるのだと―――いや、相手がその気なら、死ぬ可能性が高いのは自分の方だろうという事がイルカにはわかっていた。 『手合わせ』と称して、目障りなよそ者を排除する気だとしたら――― 争いの気配をカカシが察知して来てくれたとしても、間に合わないかもしれない。 朱栖は背負っていた忍刀を抜いた。 「………安心しろ、忍術は使わん。…飛び道具もだ」 「手裏剣も無し、ですか。…それはありがたいですね」 居合いはイルカの流儀ではない。イルカも鞘から刀を抜き放って構える。 朱栖の呼吸をはかろうとした瞬間、懐に飛び込まれたイルカは咄嗟に相手の刃を弾き、飛び退った。 「侍にしてはいい反応だ。…だがおぬし、人を斬った事が無いとみえる。…違うか?」 イルカは素直に頷いた。 「…ええ。ありません」 それを聞いた他の忍達は笑いだす。 「こりゃイイや。実戦経験もねえお侍か」 「どうせお遊び剣術だろうよ」 「朱栖さ〜ん、そんな坊や、相手にするだけ無駄ですぜー」 イルカはフ、と口元を綻ばせた。 「………機会が無かっただけです。戦場でもないのに人を殺めれば、ただの咎人ですから。また、幸いなことに他人を斬るだけの理由も私は持ち得なかった」 ただ、とイルカは続けた。 「刀を持つ者として。…それの持つ意味と責任を。己の立つ処を、忘れたことは無い」 朱栖は切っ先を上げた。 「上等。……それでこそ、侍というものだ」 イルカの眼がスッと細められる。 「―――参る」 今度は、イルカから仕掛けた。 一合、二合と刃が交わり、火花が散る。 三合目、鍔迫り合いの形から互いに地を蹴って相手から離れ、間合いを取った。 隙が無い、とイルカは改めて感心した。 普段ただダラリと立っているだけのように見えるカカシに、全くと言っていい程、隙が無いのにイルカは驚いていたのだが―――この朱栖という男にも隙が無い。 ふと朱栖は笑いを漏らした。 「………失敬。………本当に、忍を相手にするのとは勝手が違うな。…やりにくい」 「手加減は結構です。…ここで私が死んだとしても、カカシ上忍は私に呆れこそすれ、貴方を責めたりはなさらないはず」 油断無く構えながら、イルカは朱栖を見据えた。 「……手加減などしておらん。手加減出来るような相手ではないよ、おぬしは。…それにこれは手合わせだ。…殺し合いではない」 「………そうでしたね」 命の奪い合いではない、と言う朱栖の言葉で、イルカは彼の言う『やりにくい』の意味がわかった。 (………なるほど。俺を殺さずに勝つのが難しいのか……言葉に裏など無かった。…この人は、本当に俺との『手合わせ』を望んでいたのか。………では………!) イルカは刀を中段に構えた。 じり、と足の親指に力を入れる。 イルカと朱栖は睨み合いに入った。互いに呼吸をはかり、相手の隙を探る。 そのまま、緊張の刻が流れていった。 一方、こんな『手合わせ』、あっと言う間に片が付くと思っていた中忍達は、思いがけず長い勝負に戸惑いを隠せなかった。 朱栖とイルカからは離れた場所で、ひそひそと言葉を交わす。 「………おい、朱栖さん遊びが過ぎないか? 何をグズグズしているんだ。…これじゃ本当にはたけ上忍が来てしまうぞ」 「お前は眼が悪いのか。朱栖さんは遊んでなどいない。……あの侍、本当に結構いい腕だ。剣術だけの勝負なら、どちらが勝ってもおかしくない」 「………チッ………あんな侍、さっさと殺っちまえばいいんだ。………刀振るしか能の無い野郎なんざ、里に必要ねえだろ。……はたけ上忍が何だよ。…死体は火遁で炭にして川に流せば、バレやしねーっつの」 大胆な事を呟いた仲間に、同調の声をあげる者はさすがにいなかったが、もしも朱栖があの侍を殺してしまったら、そうするしか無いと誰もが腹の中で思ってしまった。 その時である。 イルカが動いた。 踏み込んだ、次の瞬間に彼の大刀が朱栖の脇腹にめり込む。 見ていた中忍達は驚愕に息を呑んだ。 「―――朱栖さん…ッ」 まさか、まさかだ。 朱栖が負けるなど、あり得ない。 あんな、外の侍などに。 イルカの刀が真剣である以上、あそこに入ったら無事では済まない。いや、致命傷だ。 男達の頭に血が昇った。 「………野郎…ッ」 「よくもやりやがったなっ!」 「生かして帰すかっ」 遠慮など無い。術で、クナイで、手裏剣で。 無個性な罵倒と共に、全員がイルカに襲い掛かった。 イルカが咄嗟に防御の構えを取ろうとした時。 「―――そこまで!」 河原に凛とした声が響き、同時に巨大な水の蛇が河から飛び出して来て、その場にいた男達の頭上を叩く。 「うわあぁっ…っ」 水蛇は河原で轟々ととぐろを巻き、カッと口を開けた様は龍さながらであった。 もはや、河原は河原ではなく、水蛇によって荒れ狂う暴風雨の河そのものと化していた。 これが誰の仕業なのか、わからない人間は一人もいない。水蛇に必死に対抗しながら、男達は心の中で悲鳴をあげる。 (………はたけ上忍、無茶苦茶だっ! 普通ここまでやるかあっ? これじゃ、あの侍まで巻き添えだろうが!) イルカに襲い掛かろうとした中忍達から、戦意が完全に無くなったと判断したカカシは術を解いた。水蛇が空中に舞い上がって霧散し、サアア、と潮が引くように河原から水が無くなっていく。 ずぶ濡れになった中忍達は、河原に膝をついてゼイゼイと喘いでいた。 「はーい、ここまでね。………アンタ達、やり過ぎ」 カカシのセリフに、「アンタに言われたくないっ!」と誰しもが心の中で突っ込んだ。 しかし、何か言い返そうにも、まだ皆息が整わない。 カカシがのんびりとした声で、男達の背後に声を掛ける。 「………海野様。………いや、イルカさん。…大丈夫ですか? ソッチの人は」 あまりにも思いがけない『攻撃』を喰らって、朱栖の事すら一時念頭から吹き飛んでいた 中忍達は、ハッとして周囲を見回した。 と、イルカが朱栖を庇うように片腕で支え、平然と立っていた。殆ど、濡れてもいない。 「大丈夫です。…薬師も必要ないでしょう」 その姿に、男達は唖然となる。 カカシは冷ややかに彼らを見やった。 「…アンタら、一対一の勝負、その結果に何か文句でもあんの」 それとも、とカカシは続けた。 「まさか、お仲間が殺られたとでも思った? 峰打ちも知らんの?」 ―――峰打ち。 中忍達は各々口の中で耳慣れぬ言葉を繰り返す。彼らにとって『敵』はまず殺すものであり、生かして捕らえるにしても、他の方法をとる。相手を斬らずに刀の峰で打つ、という侍のやり方は思い浮かばなかったのだ。 「こーんな手合わせであの人が殺生するわけがない。…ま、峰打ちでもかなり効くけどね。内出血くらいは覚悟しなきゃならんだろーけど」 男達はのろのろと立ち上がり、イルカ達の方へ足を踏み出した。 朱栖は顔を上げ、仲間たちに苦笑いを浮かべてみせる。 「…面目ない。…負けたばかりか、この人に助けられてしまった」 男達には、朱栖の言葉の意味が俄かには飲み込めなかった。 「………は? 朱栖さん…何を言って…」 仲間達の戸惑いをよそに、朱栖はイルカに向かって支えてくれていた礼を丁寧に言い、一人で立とうとして盛大に顔を顰めた。 「あっ…大丈夫ですか? すみません。痛みますか」 慌てて貸そうとしたイルカの手をやんわりと断り、朱栖は笑って首を振った。 「いや、これしき。………お見事だった。峰打ちでなければ死んでいたな。………それにしても…おぬし、本当に侍なのか」 イルカは真面目に答える。 「………侍です。侍の子に生まれ、育った。…他のものにはなれませんでした」 朱栖は興味深そうにイルカの眼を見た。 「外の侍とは、チャクラを扱えるものなのか。………先程、おぬしは水遁を使っただろう。あの水蛇から身を護り、俺を庇う為に。あれは、水陣壁だ」 その会話を聞いていた中忍達は驚く。嘘だろう、という彼らのざわめきを聞いて、カカシはニンマリと笑った。狙い通りというところだ。 イルカは首を振る。 「…普通、扱えません。…というか、外の者はチャクラというものを知りません。………私も、この里に来てから学んだのです。…最近ようやくチャクラを練る、という初歩の段階に足を掛けたところですから。まだまだ、扱えるようになったとは、とてもとても」 朱栖は瞠目した。 「だが、おぬしはこの里に来て、まだ一年だろう。………全くの白紙状態から、一年であの咄嗟の場面で水陣壁を発動させるまでに至るとは、大したものだ」 「………カカシ上忍の、御指導の賜物です。…この里に骨を埋める気なら、チャクラの扱いくらい覚えるようにと、上忍自ら御指導くださいましたので」 薄っすらと赤面して、イルカはカカシを見た。 カカシはわざとらしく咳払いをする。 「ま、そーゆー事。………ちなみにね、彼、海野イルカは、五代目火影ツナデ姫様の承認の元、正式に木ノ葉の者として登録される事になったから。…一年でチャクラを扱えるようになった事と、『門番』の声を鮮明に聞き取った事。この二つで、里の者としての資格は充分とのご判断だ。………つまり、これからはこの人、オレ達の『仲間』だからね。わかった?」 ―――仲間。 中忍達は、顔を見合わせた。 最初に反応したのは、朱栖だった。 「そうか、仲間か。………それは、めでたい事だ。ようこそ、木ノ葉へ。…よろしくな」 朱栖の差し出した手を、イルカは素直に握った。 「よろしくお願い致します、朱栖さん」
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………やっぱり来ました、上忍。(笑) |