姫と呼ばないで


―――「アナタは何もわかっていない」

「………わかっていない、か………」
確かに、わかっていなかった。
外の世界の人間であるイルカを、閉鎖的とわかりきっている隠れ里に、それでも連れてきてくれたカカシの心の内を。
そして、カカシもまたイルカの心の内を全てわかっているとは言い難い。
イルカがつい彼を『姫』と呼んでしまうのは、習慣が抜けていないだけではなかった。
だが、主従関係を保ちたいわけでも、ましてや女性扱いしているわけでもないのだ。
イルカがカカシを『姫』と呼ぶのは―――………
気持ちではお互いを求めているはずなのに、どこかですれ違っていた事に、イルカはやっと気づいたのである。
イルカは唇を引き結んだ。
「………ちゃんと、話さなきゃ…ダメだ」
でなければ、何の為に彼について来たのかわからない。この一年の努力も水の泡だ。
イルカは静かに眼を閉じる。
忍の持つ『チャクラ』が人によって大きさも波動も異なるのだと、ようやくわかるようになったのは、つい最近。
他の人間のチャクラはまだよく判別出来ないが、カカシのものなら別だ。彼は、何度もイルカの『内側』でチャクラを練ってみせてくれた。だから、覚えている。
感覚を研ぎ澄ませばわかる。彼が故意に気配を断たない限り、位置する方向くらいは何となくつかめるのだ。
イルカは眼を開けた。
「………戌の方向………」


イルカが忍術を会得したことをアスマに証明してみせた池は、里の中央からは外れた人気の無い場所だった。カカシが今いるのは、里の中でも店が軒を連ねる賑やかな所に近い。
イルカは、心持ち足早にカカシの後を追った。
カカシはすぐに気づくだろうか。逃げてしまうだろうか。
(―――逃げられたら、追うまで)
イルカは忍の追尾術など知らない。カカシが使うような忍犬ももちろん持っていない。
カカシが本気で逃げたら、イルカに彼を捉えることなど不可能だ。それでも追う。
「………姫………」
イルカは街中の辻で立ち止まり、もう一度眼を閉じてカカシのチャクラを追った。
「……ダメだ……わからなくなった………」
漠然と、近くにいるような気もするのだが、雑多な『気』に邪魔されてよくつかめない。
イルカはまだまだ忍としては未熟だ。
(……先刻はおおよその方向をつかめたけど……こう周囲に人が多くなってくると、チャクラを頼りに追うのは俺には出来ないな。………仕方ない、足で捜すしかない)
カカシが過日言った通り、イルカが里で暮らし始めて二、三ヶ月も経つと、彼に対する里人の反応は変わり始めた。
里の中でも実力者であるカカシの元にいる、という事ももちろん大きかっただろうが、里人はイルカが侍の姿のまま歩いていることに慣れてしまい、彼がいても特に不審な眼を向けたり、避けたりしなくなったのだ。
イルカが侍であったことを笠に着ず、誰に対しても礼儀正しく丁寧に接するので、侍というものに先入観や偏見があった里人はかえって戸惑ったようだったが、やがては彼らも顔を合わせば話しかけたり、笑いかけたりしてくれるようになっていった。
この時点でイルカは、客人としては好意的に受け入れてもらえたことになる。
ただ、イルカは客人のままでいる事をよしとしなかったので、この一年努力してきたのだ。
それもこれも、全ては―――………
イルカが視線を彷徨わせながら歩いていると、団子屋の店先で打ち水をしていた小太りの娘が気さくに声を掛けてきた。
「…こんにちは、海野様。この間はありがとうございましたぁ」
イルカはあせる気持ちを抑えて、愛想よく笑顔を返す。
「いや、どういたしまして。…おばあさんの具合は如何ですか?」
「ええ、ちょっと腰を痛めただけですから大丈夫です。海野様が送ってくださったので、無理をせずに済んだんですよ。本当に助かったと、ばあちゃんも言ってました。いっくら元くノ一でも、もう歳ですもの。一人であんな重い物を持とうなんて、無茶だったんですよぉ」
「いや、でもあの河原の石は、本当に漬物石にはちょうどいい感じでしたよ。おばあさんが、持って帰りたくなるのも無理は無い。…こちらこそ、おばあさんをお送りしただけなのに餅をあんなに頂戴して、かえって申し訳なかったです」
娘は笑って首を振った。
「河原からばあちゃんをおんぶして、あんな重い石まで運んでくだすったんですもの。あれじゃ足りないくらいですよぉ。…そだ、海野様、お時間あったらお団子を召し上がっていきませんか? お嫌いじゃなかったらですけど。甘くないのもありますよ」
「ありがとう。…とても嬉しいんですが、今は用がありますので、遠慮します。……あの、カカシ上忍を見かけませんでしたか?」
イルカの問いに、娘は「ええ」と頷く。
「カカシ様なら、すこぉし前に向こうの通りを行きなさるの、見ましたよ」
イルカは会釈して礼を言うと、娘が指差した通りに足を向けた。
「海野様ぁ、今度また寄っておくんなさいね。ご馳走しますからぁ」
娘の声に、イルカは振り返って軽く手を振った。
屈託の無い笑顔を見せてイルカに手を振り返す娘は、忍塾に通っていた時に既に自分には向いていないと悟って早々に忍になることは諦め、実家の団子屋を継ぐことにしたのだという。
(…忍の里、と言っても色々な人がいるものだ………)
木ノ葉隠れの里は、イルカが想像していた以上に大きかった。忍の隠れ里、と聞いて、イルカは山間の小さな集落を想像していたのだが、木ノ葉は生半可な宿場町よりも規模が大きく、人口も多い。ある程度自給自足が利く田畑も有していたし、大抵の物は里の中でまかなえるようになっていた。
イルカなら、忍術を会得しなくとも他の職業を見つけることは容易だったに違いない。
だが、カカシはそちらの道をイルカに勧めなかった。
イルカが刀を捨てなくても、里できちんと居場所を作れるように手を貸してくれたのだ。
イルカもまた、決して楽ではないと知りつつ、カカシの示した道を選んだ。
何故か。
守ると誓った相手の世界に、少しでも近づく為。
彼の隣に立つに、少しでもふさわしい人間になる為。
―――すべて、はたけカカシという男の傍にいる為だ。


イルカは、カカシが立ち寄りそうな場所を捜して回った。だが、なかなか所在を突き止めることが出来ない。
(………もしかして、急な任務でも入ったのかも………なら、家に一言何か残していってくれているはずだ。………あんな、ケンカしたような雰囲気になっていても…彼なら………)
カカシの住まいに一度戻ることにしたイルカは、踵を返した。
人の多い表通りを避け、裏道を急ぐ。
裏道で雑談をしている数名の忍達に気づいたイルカは、目礼をして足早に彼らの横を通り過ぎようとした。だが、彼らはそのまま黙ってイルカを通してはくれなかった。
「随分お急ぎのようだねえ、お侍さん」
絡まれる時特有の雰囲気に、「ええ」とだけ短く返す。
忍達の中には、よそ者の侍が『大きな顔』をしていることに反感を覚えている者もいるのだと、イルカは知っていた。
こんな場合はさっさと逃げた方が無難だ。
そんなイルカの態度をどう思ったのか、別の男がからかうような声をあげた。
「もしかして、カカシ上忍をお捜しなんじゃ?」
その一言に、思わずイルカは立ち止まってしまった。
振り返ったイルカの表情を見て、忍達は顔を見合わせて笑う。イルカは彼らを不快に思ったが、その気持ちを押し殺して丁寧に答えた。
「………はい。…カカシ上忍の所在をご存じでしたら、お教えくださると助かります」
「カカシ上忍の所在、ねえ………」
気づいた時は遅かった。彼らは一呼吸でイルカを取り囲んでしまったのだ。
忍の一人が、しげしげとイルカを眺める。
「………あの白い上忍が変わり者だってのは知っていたが……酔狂が過ぎる。こんな可愛げの無い侍を囲って、何が面白いのやら」
「いや、面白いのかもしれんぞ。…里の中にはおらん種類の男だしな」
「ふむ。…確か、連れ込んでもう一年にもなるか。………よほど、執心しているようだ。酔狂というだけではあるまいよ」
「では何か? この侍、病み付きになるほど具合が良いとか、そういう事か?」
男達はイルカを取り囲んだまま、勝手なことを言っている。
彼らはおそらく中忍。しかも四人―――いや、塀に背を預けて動かぬ男がもう一人。五人だ。そしてこの路地の幅は一間(いっけん)(一,八m)あるかないか。
大刀を抜いたとしても、腕づくでここを押し通るのはかなり無理がある。
左手が勝手に刀の鞘にかかっているのに気づいたイルカは、拳を握りしめて自分を抑えた。
「………彼の所在をご存じないのでしたら、通して頂けますか。……急いでおりますので」
そう言ったところで、彼らが素直に通してくれるはずもない。それくらいなら、始めからイルカの進路を遮ったりはしないだろう。
「いやいや、お侍さん。まったく知らぬとは言わんよ。……だが、ここは忍の里だ。外じゃあどうか知らんが、情報を得たければ、代償を支払うのがスジってものだ」
イルカは演技でもなく、当惑した表情を浮かべた。
「………代償…ですか? では、仕方ありません。残念ですが、私はまだここで職に就いておらず、金銭の持ち合わせがありませんので。…自分の足で捜すとしましょう。通してください」
それとも、とイルカは続けた。
「ここを通るのにも通行料が必要なのでしょうか?」
男の一人が肩を竦め、大仰な仕草で両手を広げる。
「お侍さんよ、それは野暮というもの。…俺達はなにも、金を寄越せと言っているわけじゃない。外のゴロツキではあるまいし」
「………では、何を」
イルカはさりげなく視線を巡らせた。この路地は裏道だ。通りの片側は建物の裏手。もう片側はイルカの背より高い土塀。
(隙を突いても、逃げおおせるわけがない、か。相手は忍者だ。俺よりも身軽だし、たぶん強いだろう。………さて、どうするかな)
「…俺達も、任務以外じゃ里の外にはそうそう出られないのでね。…外の事はよくわからんのさ。此処で顔を合わせたのも何かの縁だと思って、ひとつ俺達に教えてはくれまいか」
「………だから、何を…でしょう」
それまで塀に寄りかかったまま、口を閉ざしていた男がおもむろに身を起こした。
その動作だけで、他の男達は彼に道を開ける。つまり、この集団の中では彼が一番の実力者なのだろう。
「……代償などというものを求めるわけではないが。………噂ではおぬし、相当腕の立つ侍と聞く。外の侍とは、どういう剣を遣うのか。………俺はそれが知りたい」
イルカは思わず鞘に掛けた指に力が入るのを感じた。
男の仲間達にとっても、これは予想外の展開だったらしい。思わずといった態で、一人が声を上げた。
「ええ? ソッチに行っちまうんですかい、朱栖さん。…俺としては、このお侍が閨ではどれ程の手管に長けているのか知りたかっ……」
朱栖は一睨みで仲間の下世話な軽口を閉じさせた。
「………そして、はたけ上忍に殺されたいか。……こちらと、はたけ上忍がどんな関係にあろうとも、そんな狼藉を働いた慮外者に対してあの上忍が寛容さを示してくれるとは俺は思わんが」
イルカに向き直った朱栖は、軽く頭を下げた。
「…仲間が失礼をした。俺は、おぬしが彼の情人であろうとなかろうと、関心が無い。…ここを通るも自由だと思っておる…が、せっかくの機会だ。お手合わせ願えぬか」
ただ単に言い掛かりをつけて絡んでくるだけの相手なら、多少強引な手を使うのもやむを得ないと思っていたイルカだったが、一応の礼儀を示されるとそれを無視する事はできなかった。
「………私が今、足を止めたのはカカシ上忍の所在を知る手掛かりを得たいと思ったからです。貴方と手合わせすれば、情報が手に入るというのですか?」
「別に、手合わせをせぬでもそれくらい教えよう。…だが、情報と言っても、半刻ほど前に火影屋敷の方に向かうのを見たという程度だ。行き先が火影屋敷かどうかもわからぬ。一本道ではないからな。ひとつ角を曲がられれば、それまでよ。…ゆえに、そう有力な情報でもない」
だが、と朱栖は言葉を継いだ。
「………仲間が言う通り、おぬしはカカシ上忍にとって結構特別な存在らしい。そのおぬしが我らとやりあっていれば、捜すまでも無くあちらから現れると思うがな。…何せ、鼻のいい人だ。気づかぬわけがない。…足を棒にして捜し回るより、無駄が無いぞ」
朱栖の言う事にも一理ある。
イルカは数秒迷ったが、やがて頷いた。
「…よろしいでしょう。だが、街中では他の方の迷惑になります。…場所を移しませんか?」
「もちろんだ。……申し遅れたが、俺は木ノ葉忍軍第十八部隊の副長で朱栖という」
「―――海野イルカです」
「では、場所を移そうか。…海野殿」

 

 



 

あー………オリキャラって程でもない人物に名前がついちゃいました。うう。
………ただ『男』とか『中忍』とかで書いていくのが辛かっただけです。すみません。
あ、門番ちゃんにも名前つけてたっけ………^^;
さて、そろそろ詰めに入らないと。

 

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