姫と呼ばないで
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「………飲んで」 細く白い指先が、黒い丸薬をイルカの唇に押し込んだ。イルカは素直にそれを飲み込む。 「今から行う術を助けてくれる薬です。………アナタは普段、薬は飲まないでしょうから……結構、早く効いてくるかもしれませんね。………まあ、それまでちょっと、気分を高めておきましょうか………」 衣擦れの音。 仰臥するイルカの身体の上に、カカシが上半身を重ねてきた。 普段よりも紅い唇が、イルカの顎にそっとあてられ、そのまま顔の輪郭を辿って彼の唇をそっと吸う。 イルカはその接吻に応え始めた。『彼女』の腰を片手で抱き、もう片方の手で背を撫でる。 「ん…………んっ………ぅん…」 鼻にかかったような甘い声を漏らし、カカシが身を捩った。 背を撫でていた掌でカカシの項を辿り、そのまま首筋を撫で下ろすようにイルカの指先が動く。薄い着物の合わせに差し入れるといったような性急な真似はせず、着物の上からカカシの身体を確かめるようにその掌は這っていった。 男の時のきっちりとした筋肉が嘘のような、滑らかな曲線を描く柔らかな身体。 やがて、イルカの掌が躊躇いがちにカカシの胸部にそっと触れた。重みを持った柔軟な果実が、掌にしっとりと吸い付いてくる。 (………凄い……本当に………女の身体だ………) 久々に触れる女の身体に、若いイルカの身体は素直に反応し始める。 『姫付き』の護衛になってからは、女人に触れる機会がめっきり少なくなっていた。城で『姫』の誘いに応じてしまったのは、イルカ自身が欲求不満気味だったからかもしれない。 イルカの理性に靄がかかってきた。 本能の衝動に突き動かされるまま、相手の邪魔な帯を解き、肌蹴た着物の中で息づいている白い肌に手を伸ばす。身体を入れ替え、彼女を組み敷こうとしたイルカの動きは、相手の抵抗によって阻止された。 笑いを含んだ掠れた声が、彼の耳元で「ダメ」と囁く。 「……アナタが正常位の方が好きなのは知っているけど。………今は、ダメ。術の前に普通にやっちゃったら、薬の効果が半減するから………今はガマンして………オレに任せて………」 そして紅い唇を舐め、独り言のように呟く。 「………薬が効いてきたみたいだな…………」 イルカは、どこか熱に浮かされたような気分になってきていた。自分でも、これはさっき飲んだ薬の所為かもしれない、と思う。頭がぼうっとして、妙に身体が火照る。 部屋の中を満たす覚えの無い匂いに、おそらく自分の知らない香が焚かれているのだろうと、イルカはぼんやり考えていた。 術を補助する効果のある香は様々な種類の花を集めたような濃厚な匂いで、イルカの嗅覚を侵す。 仰臥している彼の着物は肌蹴られ、ここ数ヶ月の間に鍛えられて以前よりも更に筋肉質になった胸と腹が露わになっていた。 その胸に、ポツ、と何かが落ちる。 何か液体のようだとイルカは思った。危険は感じないが、ただの水だとも思えない。 「………じっとして、動かないで。………今、アナタの身体に術式を描いているところだから」 肌の上を、カカシの指が滑っていく。 薬の所為で頭に靄がかかった状態のイルカだったが、香の匂いに馴染みのある匂いが混じっている事に気づいて僅かに眉根を寄せた。 「…………こ…の匂い………」 「……もう少しで描き終わるから、大人しくして。描いたものを無駄にさせないでくださいよ」 そこでようやく、イルカにも自分の身体に施されている術式が、何で描かれているか察しがついた。 (………血で、術式を………) それもおそらく、カカシの血だろう。 忍の術に、その術者の血が果たす役割と必要性については書物で読んで知っていた。それに必要な血の量はごく僅かなはずだ。 だが、彼の指が滑っていった範囲を考えると、その量は一滴や二滴ではあるまい。イルカの胸と腹にほぼびっしりと術式を描く為には、相当の血液が要る。 カカシにこれほどの血を流させたことに、イルカの胸は痛んだ。 (―――姫様…………) 「口を開けて。………嫌でしょうけど、吐き出さないで飲んでください」 カカシに言われるがまま、イルカは口を開けた。 咥内にポタポタ、と液体が滴り落ちる。この味は知っていた。―――人間の、血の味。 イルカは口を閉じ、己の唾液と共に彼の血を飲み込んだ。 途端に腹の中に熱いうねりが生じて、思わずイルカはうめき声を漏らす。 「……よろしい。準備完了です」 イルカの大腿の上に、カカシが乗って腰を下ろした。 「…始めは気を楽にして。そして、オレがしてくれ、と言ったことだけをやってください。………無理だと思っても努力するんですよ、全力で。…いいですね?」 イルカの頭がはっきりと頷くのを見て、カカシは満足げに微笑んだ。 「じゃ、いきます」 パン、とカカシは胸の前で掌を合わせた。 めまぐるしく細い指が動いて印を結び、左手がイルカの鳩尾に当てられる。 「………ッ………」 ドクン、と全身が脈を打ったような衝撃がイルカを襲った。同時に、頭の芯がジン、と痺れる。カカシが指を絡めてくるまで、自分の股間のものが既に勃っていたことにもイルカは気づいていなかった。 腰を浮かせ、慎重に彼のものを自分の身体の中に導き入れようとしていたカカシが、苦しげに息を吐いた。 「………く…っ……………やっぱ……きつ………」 慣らしもせず、ろくに潤ってもいない所にいきなり挿入しようという方が間違っていたな、とカカシはため息をついた。実際、任務の為に女性の身体に変化した事はあったものの、その身体で男と交わった経験は無かったのである。 術には流れというものがあるから、なるべくそれを崩したくない。印を結び切った後すぐにイルカと交わりたかったのだが、そうもいかないようだ。 念の為に薬品棚から失敬してきた潤滑油のビンに、カカシは手を伸ばした。 この手合いの物は、興奮剤や媚薬が入っていることが多いので極力使いたくはなかったのだが――― (………仕方ないか…オレは本物の女じゃないしね。………後ろに挿れたら、術の制御が出来ないし………ええい、やるしかないっ) 一瞬の躊躇いを捨て、カカシはビンの蓋を取って中身を掌にたっぷりと取る。とろりとした潤滑油からは、甘い匂いがした。 自らを包み込む女の熱さに、イルカは必死に耐えていた。欲望の赴くままに動いてはいけない。彼女―――いや、カカシの指示があるまで動いてはいけないのだ。 体内にイルカを半ばまで呑み込んだカカシは、じっとしたまま動かない。イルカにとっては拷問に等しい時間だった。 やがてカカシは、薄っすらと上気し、汗をにじませた顔を上げる。 「………ごめん………ちょっと、協力して………もう、少し………奥に……きて………」 情けないことに、自分ではもうこれ以上彼を奥に導き入れられないとカカシは悟ったのだ。 「……姿勢、このままで………?」 イルカの問いに、カカシは頷く。 「…狭いかもしれないけど、いいから全部…挿れちゃって…ください。思いきって、一息に…お願いします……」 イルカはぎこちなく腕を上げ、カカシの細い腰に手を添えた。その腰が逃げないように押さえ、息を詰めたイルカは一気に腰を突き上げる。 「………ヒゥ………ッ」 カカシが息を吸い込み、その衝撃に耐えているのがイルカにもわかった。ややあって、はあ、と大きくカカシが吐息を逃がす。 「………辛いでしょうけど、そのまま」 辛いのはカカシも同じだったが、同じ男として彼が耐えている衝動がいかに強いものであるかは、痛いほどわかる。カカシはあやすように、我慢して、と繰り返した。 自分の体の中で、彼のものが脈打つのが直に感じられる。これは彼の命。鼓動。力そのものだ。 彼の鼓動に、カカシは自分の鼓動を重ねていく。 「………イルカ………手を………」 両の手と手を重ね、指をしっかりと絡ませる。 カカシはゆっくりと腰を揺らし始めた。 眼を固く閉じ、体内に導き入れた彼のものを使って自分の内側にも術式を描く。実際には描けないが、そうイメージしていくのだ。術式を描き進めるごとにカカシの身体は水を浴びたかのように汗でびっしょりと濡れていく。イルカも荒い息を吐き、眉根を寄せて耐えていた。 カカシが体内で術式を描ききったと同時に、イルカの身体が大きく跳ねた。身体に描かれた術式が一瞬燃え上がったかのような錯覚にとらわれる。 「ぅ…お…ッ……」 頭の中がぐるぐると回りだし、自分が深淵に投げ出されるかのような感覚をイルカは覚える。その時、頭の中でカカシの声が聞こえた。 《…こっちです! イルカ、オレの意識に同調して!》 《ど、同調? どうやって………》 《オレの鼓動がわかるでしょう? それを感じて、自分の鼓動を重ねるんです》 イルカは、カカシの言う通りにしようと努力した。自分のものとは違う鼓動を捜し、手を伸ばそうと足掻く。 《そう、いいですよ………オレを感じて……そうですね、オレをつかまえて、抱き寄せよう、と思ってください》 イルカはその通りにした。愛しいカカシをつかまえ、自分の胸に抱き寄せる姿を心の中で思い描く。すると、まるで自分のものであるかのようにカカシの鼓動が感じられ、イルカは喜んで思わずカカシを抱きしめた。 《そうそう、そのまま。…オレが今からやる事に意識を集中させて。……チャクラを練るから、アナタはその工程を追いかけなさい。自分が一緒にやるくらいのつもりで、集中するんです》 《はい、姫》 イルカの返事に、カカシは内心肩を竦めた。が、すぐに術に集中する。 現在、既に二重の術を行っているカカシは、三重にチャクラを練らねばならない。いかな上忍のカカシといえど、不慣れな術だ。気を散らしたら失敗してしまう。 一方、イルカは必死でカカシの言いつけを実行しようと頑張っていた。 カカシが少しずつ引き出して丁寧に融合させていく体内の力と、精神の力は、光を帯びて美しくうねり、新しい力の核を作り出していく。 目の前で見せられたその工程に、イルカはやっと何かをつかみかけた気がした。 自分の意識をそこに重ね、追う。魂と魂で抱き合うような一体感に、イルカは酔った。 (ああ………熱い………気持ちいい………姫と、融けあっていくようだ………) イルカの脳裏いっぱいに、眩しい光の珠のイメージがわきあがった。 《覚えて! それが、チャクラの印象です!》 カカシの声に、イルカは思わず眼を見開いた。 途端、ドン、と身体が下に落ちたような感覚がイルカを襲う。 その衝撃が去った時、イルカは気づいた。術の効力が切れたことに。 イルカは愕然とした。 ―――もう、終わったのか。 チャクラの練り方にしても、完全にわかったとは言い難いのに。 カカシにこんな真似をさせて、得られたものはチャクラの印象だけなのか。 「………イル………」 カカシの声に、イルカは我に返る。 イルカの腹の上に手をつき、カカシが苦しげに喘いでいた。その様子に、イルカは慌ててカカシに手を伸ばそうと、上半身を起こしかけた。 途端、カカシが「あぁっ」と悲鳴を上げる。 イルカは、まだ『彼女』と繋がっていた事に気づいて赤面した。 「も、申し訳ありません、姫様っ! す、すぐに………」 慌てる男を、カカシは息を乱しながら睨めつける。 「………すぐに、どう、するの……っ……こんな、状態で……っ…抜いたり、したら、し、承知しな…い…っ…」 「し、しかし………お辛そうで………」 「…バカ…ッ……中途、半端だから…っ…キツイんだって……っ…も、もういい、今日の術、終わりっ! 好きにしていい! も、早く………抱いてってば……」 語尾はもう、泣き声に近かった。 術に対する集中が途切れたカカシの身体には、潤滑油に含まれていた成分の効力だけが残って彼を苦しめていたのだ。 イルカの方にも明らかに潤滑油の影響が現れていた。もどかしげに身を捩る女の姿に、これまた簡単にイルカの理性ははじけ飛ぶ。無意識に身体の位置を入れ替え、今まで抑えていた激しい欲求のままに貪るように彼女を抱いた。 夢中で抱きながらも、イルカの頭の隅で何かが引っ掛かっていた。 カカシの科白だ。 『今日の術、終わり』 ―――『今日の』…………? その言葉の意味をイルカが知ったのは、翌朝だった。 まだ女性の身体のままのカカシは、少し疲れ気味の顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて、イルカの腹筋を指で突つく。 その腹に描かれていたカカシの血はもう、洗い流されて消えていた。 「………少しはコツをつかんだ? でもまだまだですよね。アナタに描いた術式は洗い流しちゃったけど、まだ身体の内側に残っているんですよ。あと二日くらいは消えないし、その効力も持続しているはずです。…もったいないから、その術式の効果があるうちは何度でもやりましょうね」 イルカは、何も言えずに反射的にコクコクと頷いていた。 ニッコリとカカシは笑う。 「女の身体でするのも思ったほど悪くなかったですね。実は初めてだったんですが。……本当の事言うとね、ちょっとだけ怖かったんですよ。…でも、相手がアナタでしょう? だから………」 そこでカカシはふわっと頬を染めた。 「………だから、怖くないって…………」 それを眼にしたイルカの体内では、昨夜の余韻が物凄い勢いで駆け回り始めた。 暴れまわりそうな衝動を抑えるのに苦心しながら、イルカは努めて冷静に頭を下げる。 「…………術の為とは言え、貴方に酷くご負担をお掛けしましたこと、心苦しく思います。…俺が、不甲斐無いばかりに………」 カカシの眉根が不快げにきゅ、と寄せられた。 イルカは頭を下げたまま続ける。 「………でも、だからこそ無駄には出来ません。また、お辛い思いをさせるのかと思うと、申し訳ないのですが………よろしくご教授ください!」 下げられたままの男の頭を見ながら、カカシはわざとため息をついた。 「…お侍が、そんな簡単に頭を下げちゃダメでしょ。………でもま、申し訳ないと思ってくださるなら、オレのわがまま聞いてくれる?」 イルカはガバッと顔を上げる。 「如何様にも!」 その声の調子は、まだ『姫に仕える家臣のもの』だったが、今日のところはカカシは目をつぶることにした。 「じゃ、夕ご飯はオレの好きなものをたくさん作ってくださいな。茄子のおひたし、忘れないでね」
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―――ヘンですねえ。 |