姫と呼ばないで

≪ プロローグ ≫

 

むかしむかし、あるところに。
いろがしろくて、とてもきれいなおひめさまがおりました。
おひめさまは、おとのさまのたからもの。
おしろのおくふかくで、だいじにだいじにそだてられました。

だから、おしろのそとにすむひとたちは、おひめさまをみたことがありません。

おしろのなかにすむけらいでも、おひめさまのおかおをみたひとは
ほんのすこししかいなかったのです。

だって、しかたがありません。

『しんそうのひめぎみ』とは、そういうものなのですから。

 

 

 

 

誰かが何か叫んでいる。
こんな夜更けにはおよそ聞くはずの無い声に、イルカは薄暗い廊下に走り出た。
侍達の怒号に時々女達の悲鳴が混じり、城内は騒然としていた。イルカは現状を把握する為、混乱した城内を走る侍の肩をつかむ。
「いったい何事だ?」
「賊が侵入した! 宿直(とのい)の者が殺られたらしいぞ!」
「殿は…っ」
「わからんっ!」
ここまで城内が混乱しているということは、侵入した賊は一人二人ではあるまい。しかも、その目的は蔵の宝ではないはずだ。
城の中。
それも、城の中にいる人物だろう。
イルカは踵を返し、城主の寝所とは逆方向に走り出した。
(………姫…俺は、姫をお守りせねば……っ!)
城主を守る侍達は大勢いる。
だが、『姫』を警護する者は限られているのだ。
姫君の寝所は男子禁制であった。
が、イルカは構わず踏み込み、彼女の姿を捜す。
「姫………ご無事ですかっ…姫!」
部屋の隅で数人の女性達がうずくまっているのに気づいたイルカは、彼女達に駆け寄った。
姫の世話係の、年配の女性達だ。いずれも気を失ってはいたが、怪我をしている様子は無い。
「………姫………」
イルカの背中を冷たい汗が流れ落ちた。
彼女達が昏倒していると言うことは、もう賊はここまで侵入しているという証拠。
「………!」
板戸の向こう側に気配を感じ取ったイルカは、危険を顧みずに戸を開け放った。
「誰だっ!」
薄闇の中、月明かりの差す窓を背に立つ人物は、慌ても構えもせず、ふ、と吐息を漏らした。
「………来ると………来てくれる、と思っておりました。…『姫』を守るのが、アナタのお役目ですものね……」
その声に、イルカは安堵する。
「姫…? ご無事で………」
そう言い差したイルカはハッと息を呑んだ。
(違う………こいつの纏う空気はまるで違う……)
「―――姫じゃ…ない? …貴様…侵入した賊かっ…」
賊が苦笑する気配が伝わってきた。
「猿芝居はもう終わりです。この城に『姫』などいない」
薄闇の中から姿を現したのは、イルカの知る『姫』ではなかった。見慣れぬ衣装をつけた、細身の男。
白銀の髪が、月明かりを弾いて淡く光っている。
「猿芝居?」
思わず鸚鵡返しに呟くイルカに、賊は眼を細める。
「…そう。この城にはね、『姫』なんていないんですよ。…それはアナタが一番よく知っているでしょ…? 姫と呼ばれ、女性のフリをしていた男を…アナタは抱いたじゃないですか。―――何度もね」
イルカの頭の中が一瞬真っ白になった。嫌な汗が吹き出し、指先が冷たくなる。
「………あ………貴方は………貴方は………」
オレですか? と今まで『姫』の仮面をかぶり続けていた男が淡々と答えた。
「オレは木ノ葉のカカシ。………この城の主に、引導を渡しに来た者」
 『木ノ葉』が何を意味するのか、知らないイルカではない。木ノ葉とは、御上お抱えの忍の里だ。音に聞こえた最強の忍軍であり、また御上の命で秘密裡に『裏の仕事』をこなす組織だと聞いている。
目の前に立つ男が、木ノ葉の忍。
そして、その忍が城主を殺しに来たと言うことは――
「……バカな………何故………」
「何故って言われましても。これがオレの仕事だからです。………アナタには特別に教えてあげましょう。何せ、幾夜も肌を重ねた間柄ですからねえ」
口調は揶揄うようだったが、声は低く、真面目だった。
「………確かにこの城には本物の姫がいました。身体が弱くてね、殆ど城の奥から出ず、顔を知る者も少なかった。…二年前、その姫が病死したのを機に入れ替わったのがオレです」
二年前、とイルカは呟く。
「では………俺が護衛役についた……時は………」
「既にオレでした」
「………そんな………」
カカシは軽く肩を竦める。
「………ここの殿様は一人娘の姫君を、それはそれは溺愛していましてね。死んだという事を信じたくないあまり、簡単にオレの暗示にかかったんです。オレを姫と思い込み、オレの言うとおりにそれまでのお守役をクビにして、何も知らないアナタを役目につけた」
イルカは声を震わせた。
「何故…姫になりすます必要が………」
カカシはふと窓の外に視線を泳がせた。窓からはこの城の天守閣が見える。月明かりに浮かぶその姿は、力強く、美しかった。この城主の『力』を象徴するように。
「オレは、見定めねばなりませんでした。………殿様は姫には甘い。…他の者には言わない本音も姫には漏らす。…ねえ、知ってましたか? ここのお殿様はね、天下を取るおつもりだったんですよ。凄い野心でしょ」
イルカは絶句した。
確かに、少し前までは所謂『戦国の世』であり、力のある国主は天下統一を夢見、争ってきた。力が頭ひとつ抜きん出た火の国がようやく天下を治めるに至ったのが十年前。
それまでは常にどこかで戦があったのを、イルカも覚えている。
「―――今更、ですか?」
「そう、アナタでもそう思いますよねえ。…今更、です。完全に時期を逸しています。…でもね、この藩ってほら、結構力があるでしょ。…だからですかねえ………いらん野望を抱いちゃったんですよ、『父上』は」
カカシは寂しげに微笑んだ。
「領民を多く抱えるこの藩を、簡単には潰せません。だからこそ、オレが遣わされました。………彼を暗殺するのは最終手段だったんですけどね。…天下を覆そうなんて…ただの夢想に過ぎないのだと、目が覚めてくれればよかったんですが。…そればかりは、いくらオレが…『姫』が諌めても聞いてはくれなかった。これはどうやら本気のようだと判断するのに二年。………戦が始まってからじゃ、遅いですからね」
「………戦………」
世をこれ以上、乱さない為。
力の無い領民を救う為にも。
戦を起こそうとする城主の存在は許されなかったのだ。
「それを………何故、俺に言うのですか………」
カカシは既に手を下した後だろう。
なのに何故、すぐに逃げずイルカを待つような真似をしたのか。
「―――それは…ま、オレを慰めてくれた優しいお守役が、クソ真面目な男だったからでしょーか」
 イルカは眼を瞬(しばた)かせた。
「………は?」
「くだらん忠義心であの殿様の追い腹でも切られたら寝覚めが悪いっつーかね。………アナタがそこまでする程の主ではなかったのだと教えて差し上げようかと」
「………姫………」
思わずこぼれたイルカの言葉に、カカシは微笑った。
「…まだオレを『姫』と呼ぶんですか…?」
イルカはカカシの双眸を見た。
色違いの珍しい眼。左眼の上を切り裂く傷痕。
こんな顔では、本当に姫だとしても嫁の貰い手など無いと、冗談のように言っていた『姫』。
そんな彼女が、いじらしく、愛おしかった。
だから、これはしてはいけない事だと頭の中ではわかっていたのに、彼女の求めるままにその身体に手を伸ばしたのだ…―――
イルカは眼を伏せた。
「………俺にとって………貴方以外に『姫』と呼ぶ御方は…おりませぬゆえ………」
 その時、俄かに廊下が騒がしくなった。
「おや、ようやく来たようですね。…撹乱に分身を何体か走らせておいたんですけど、まーそろそろ消える頃ですか」
分身。
忍の術でそういうものがあると知ってはいたが、本体から離れた場所に何体も分身を走らせるなど、聞いたことが無い。カカシは忍としてかなりの腕なのだと、イルカは悟った。
足音も荒く、数人の侍が飛び込んでくる。
「ここにおったのか曲者が!」
「海野! そいつは殿殺しの下手人だ! 逃すな!」
その時、イルカは誰もが眼を疑う行動に出た。
刀に手をかけ、ス、と下手人をその背に庇うように動いたのだ。
「―――お逃げください」
これにはカカシも驚く。
「……ちょっ…何やって………」
案の定、男達は眼を剥いた。
「海野っ!」
「貴様、自分が何をしているのかわかっているのか!」
「―――そうか、貴様…その曲者の仲間だったのだな」
「手引きをしたのか! この裏切り者めが!」
イルカは首を振り、叫び返した。
「違います!」
辛そうに唇を噛み締め、声を震わせる。
「違うけれど―――…この人には手出しさせません!」
何故なら。
イルカは息を吸い込んだ。
「この人を守ると、俺は誓ったのですから!」
その言葉に、カカシは眼を見開いた。
「やれやれ…こーなったら、置いていくわけにもいかないね」
素早く懐から札(フダ)を引き抜く。
「―――この男、『木ノ葉』がもらって行く!」
そう言い放ちざま、カカシは手首を翻した。
ドン、という大音と共に白煙が立ち上り、男達の視界を遮った。
「く…っ…ま、待て、くせも………」
ゴホゴホ、と咳き込みながら、必死に『曲者』を追おうとする若い侍を、一番年配の者が止めた。
「よせ。…もう、追うな」
「―――しかし…っ」
「………あの曲者………『木ノ葉』と言った。…殿のお命を奪ったのが木ノ葉の者なら、我らは退くしかない…」
若い侍達は不安そうに顔を見合わせた。
「な…何故………」
「何故かなど知らぬ。……だが、殿は御上に裁かれたのだ。我らは、御上の沙汰があるまで大人しく待つしかないのだ…」
「―――御上、に………」
毒気を抜かれ、侍達は呆然として立ち尽くす。
重い空気がその場を支配する中、月の光だけが変わらず主のいなくなった城を照らしていた。








カカシは、遠く離れた天守閣を見ながら息をついた。
「………追ってきませんね。オレが木ノ葉の名を出したからか。…存外、物分りが良いと見える」
荒い息をついているイルカにの背に、気遣わしげな視線を投げる。
「どこか痛めましたか? すみませんね、強引に連れ出してしまって」
イルカは首を振った。
「いいえ。………俺はつくづく馬鹿だと……思って……」
同じ庇うにしても、もっと違うやり方をすれば―――例えば、カカシを捕縛するフリをして、故意に逃がすとか。そうすれば、カカシは一人で逃げられたのだ。
イルカというお荷物を背負うことなく。
「あの場から逃れることなど、貴方には造作も無いことだったのでしょう…? 貴方に俺の助けなど要るはずもなかったのに………俺は…貴方を守るなどと………」
しゅん、と萎れてしまったイルカの背中を見つめているうちに、カカシの唇は自然に綻んだ。
「―――なればこそ」
耳に馴染んだ『姫』の声に、イルカは顔を上げ、振り返る。
 『姫』の顔になったカカシが、嫣然と微笑んでいた。
「…なればこそ、妾(わらわ)を守ると申したそなたの言葉は心に響いた………」
「…姫………」
なんてね、とカカシはおどけて肩を竦めて見せる。
「ま、ああいう場面で曲者庇っちゃうようなお人好しを放っておくほど、オレも人非人じゃないんですよ。…あそこに残ったら、アナタ何もかもの責任押し付けられて切腹ですよ」
イルカは唇を噛んだ。
「ですが………」
「仮にも二年、守ってもらって………情まで交わした相手です。あんな所で死なせたくはなかった」
今度はカカシの方がくるりとイルカに背を向けた。
「勝手なことを言っていますね。…すみません。そもそもアナタを巻き込んだのはオレなのに。………アナタの仕官先は、何とかします。アナタ程の腕があれば、何処へ行っても通用するでしょう。責任持って、上に掛け合いますから、心配しないでください」
決別の言葉だった。
ここでカカシと別れたら、二度と会うことは出来ないのだとイルカは直感する。
「―――他の…藩に仕官せよ、と?」
「それしかないでしょう。お嫌ですか?」
「嫌です」
何だと? とカカシは振り返った。
「何言ってんですか、アンタ」
「―――お連れください」
「は?」
イルカは真剣な眼差しでカカシを見据えた。
「俺を、お見捨てにならないと仰るのなら………どうぞ、お連れください、姫」
カカシは今度こそ呆れ、思わず声を張り上げていた。
「まだそんなコトを! オレは姫じゃないんですよ! 見りゃわかるでしょ。ただの薄汚い忍です!」
イルカも負けずに声を張る。
「いいえ! 姫です!」
その迫力に押されてカカシが声を詰まらせたところへ、イルカはたたみかけた。
「姫なのです。…申し上げたでしょう。…俺にとって、姫とは貴方以外おりません」
イルカはカカシの前に膝をつき、頭(こうべ)を垂れた。
「貴方は、生涯お守りすると天に誓った、俺の姫です。貴方のいらっしゃる処が、俺の在るべき処です。…お連れくださらないのなら、この場で俺をお斬りください」
カカシは、己に頭を下げる男を見下ろした。
「………後悔、しませんね?」
イルカは顔を上げ、キッパリと言い切る。
「しません」
カカシはふう、とため息をつくと、イルカに向かって手を差し伸べた。

「―――では、お立ちなさい」

 

 



 

『案山子姫異譚』を同人誌に収録する際、イルカがカカシと共に城から逃げなければならなくなった経緯を描いたマンガを、そのまま載せるのに躊躇いが生じた為、文章で書き直して掲載致しました。
この『プロローグ』はその部分です。

マンガはそのままWEB上に掲載しておりますので、ご興味のある方はこちらをどうぞ →

 

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