今まで多くても月に2、3回ほどしかイルカのベッドに入って来る事がなかったカカシが、最近やたらと一緒に寝たがる。
抱かなくてもいいから一緒に寝てくれと懇願されては、イルカもカカシを邪険には出来なかった。
元々、この幼馴染みで、同居人で、親友なんだか半分恋人なんだかわからない友達を、イルカは大切に思っていたのだ。
甘えられて、凭れかかられても多少迷惑を掛けられても、本気でなんか怒れない。
それどころか、彼がこんな甘え方をする人間は自分だけだと、それをどこか嬉しくさえ思っていた。
「どうしたんだよ、最近…お前が変なのは今に始まった事じゃないけど…」
「ひどいなあ、そんな言い方ないだろー? …お、お前にとっては迷惑だって…わかってるけど…イルカは一人で寝る方が好きなんだもんな」
イルカはカカシのつんつん撥ねた髪をちょいと引っ張った。
「返事が違うよ、カカシ。…俺の好き嫌いの話じゃない。お前の話をしているんだよ」
イルカの眼差しが、『お前の事が心配なんだ』と言っている。
カカシは彼にしては珍しく長く押し黙った。
イルカに打ち明けるか否か、ずいぶんと迷った末にようやく口を開く。
「……言っても、笑わないか……?」
そのカカシの様子が、本当に思い詰めたものに見えたイルカは頷いた。
「笑わないよ」
「…夢を…見たくないんだ。…いや、正確には…嫌な夢を見たくないんだ。最近、いつも同じ様な夢を見る。その夢を見ると、俺は目が覚めてからもずっとその夢で見た嫌な気分に引きずられて、不安な気持ちが消えないんだ。………でも、イルカと一緒に寝ると…似たような世界の夢なんだけど、そんな嫌な夢を見ずに済むんだ…」
イルカは約束通り、笑わなかった。
逆に、更に心配そうな顔になる。
「何か…お前、自分でも自覚がないうちにストレスでも溜まっているんじゃないのか…?いや、茶化してるんじゃなくて、マジにさ。…カウンセラーに相談したかったら、ツテ探してやるけど?」
カカシは力無く笑った。
「…いや、いい…」
「まあ、俺が一緒に寝る事でお前がちゃんと睡眠がとれるんなら…別に俺はこれくらいいいけど…」
「…ごめんな、イルカ…」
カカシは小さく呟いて、イルカの懐におずおずと潜り込んできた。
「あのさ…お前、ヤりたくなったらいつでもやっていいから…」
イルカはぷっと噴きだした。
「ばぁか。変なこと気にするなよ」
「ああ、気にしないで下さい」
イルカは、床に零れた酒を慌てて拭こうとするカカシの手をやんわりと止めた。
「でも、畳が…」
「古い畳です。今更、シミの一つや二つ」
台所で雑巾を絞ってくると、イルカは零れた酒を大雑把に拭き取った。
「今のは俺が悪いんですね。すみません。せっかくカカシ先生がいい酒を持ってきてくれたのに」
「…酒くらい、いつでも、いくらでも持って来ます…」
イルカの部屋で、二人で酒を飲み交わしていて。
いい雰囲気になったところで、イルカがカカシにくちづけようとし――それに応えようとしたカカシの足がテーブルに引っ掛かって、結果、コップが倒れたのだ。
「ムードも何もあったもんじゃないですね。狭くてすいません」
テーブルを避ければ、壁に手足のどこかをぶつけていた。
イルカは心持ちテーブルを移動させたが、大して変わりはしない。
「…じゃ、もっと広い所へ行きます?」
ちらりとカカシは奥の襖に目を遣った。
襖の向こう側は寝室だ。
「………ええと、その…」
何度も身体を重ねているくせに、まだイルカは『その時』になると照れる。
「俺、酔ってますよ…?」
「いいですよー。オレもちょっと酔ってますもの。…イルカ先生、酔って
ダイタンになっちゃったりするとオレ嬉しいかもv」
「………え、ええと………」
シーツの上で、イルカの腕がカカシに伸ばされる。
重ねられた唇が、やけに生々しく感じられた。
イルカの指先が、丁寧な愛撫を施してきて―――そして……
「あ」
ぽっかりとカカシは目を覚ました。
暗闇の中、パチパチと瞬きする。
「………なんつー夢…」
夢の中でまで、イルカに抱かれたがって。
「……………オレ、欲求不満…?」
イルカは隣で穏やかな寝息をたてている。
彼は、カカシが眠りにつくまで、まるで子供をあやすように頭や背中をずっと擦ってくれていた。
その大きな手の感触が気持ちよくて、カカシは幸せな気分で眠りについた―――はずだったのに。
「う〜っむ…これってば、ある意味悪夢……」
キスが、生々しく思い出される。
カカシの身体はかぁっと火照った。
「ちくしょう…どーせなら、最後までいけっての…」
でも、たいがい夢では『ご馳走』は食べられない事になっている。
と、眠っていたはずのイルカの腕がいきなり伸びてきて、カカシを抱き込んだ。
「うわ、びっくりした。…起こした? ごめん」
「………やっぱ、見ちゃったのか? …嫌な夢」
俺もカカシの精神安定剤の代わりにはなれなかったのかと、イルカは残念そうに呟いた。
「ち、違う…あ、その……言ったらイルカ、すげえイヤがりそうなんだけど…」
「ん?」
「お前とヤってる…いや、ヤる寸前ってとこで目、覚めちゃってさー、何か生々しい夢だったから、ちょっとオレ困った状態になっているだけ」
ふう、とイルカがため息をつくのがわかって、カカシは肩を竦めた。
イルカからカカシを欲しがった事なんか今まで無かった。
カカシから仕掛けて、イルカが応じる。
いつもそうだった。
こんな事を言った所で、「それじゃあ」とイルカが抱いてくれるわけがない。
だが、カカシの予想に反して、イルカは抱き込んだ腕を緩めずにそのままキスしてくれた。
―――え…?
「ちょっ…イル…んん…っ」
驚いたカカシは反射的にイルカを軽く押し戻した。
「何…嫌なのか? やっていいって…言っただろう…?」
「い、い、嫌…なわけない…けど…でも…」
パジャマの中に差し入れられて来た手に、カカシの身体はぴくんと跳ねる。
「…お前が、して欲しくないならやめるよ…?」
耳元でそっと囁いたイルカに、カカシはきゅっとしがみつく。
優しい男。
いつもならイルカの都合などおかまいなしに仕掛ける我が侭さを抑えて、遠慮しているカカシの心情を察して、自分から手を差し伸べてくれた。
今のカカシに必要なものが『自分』なら、それを与えてくれる、と言うのだ。
「イルカ…イルカ……」
泣きそうな声でしがみつくカカシの身体を、イルカは無理に引き剥がさずにゆっくりと撫でてやる。
「……嫌な夢なんか忘れろよ……夢が何だよ。…俺がいるだろ…? お前の目の前にいる、俺がお前の現実なんだから……」
ピピピ、と携帯電話の着信音が響く。
色々な着メロを入れて楽しんでいるカカシと違って、イルカは買った時の設定のまま使っている。
そういう事にはまるで無頓着な男だった。
ストラップさえ、買った時についていた物をそのまま使っているのに呆れたカカシが、イルカに似合いそうな物を買ってきて勝手に取り替えたのだ。
イルカは手を伸ばして、ベッドの脇に投げ出してあった携帯を取った。
「…はい。俺…うん、起きてるよ。何……? ……………え? 本当?」
イルカは毛布をはね飛ばして起き上がった。
「うん……うん、わかった。……いや、大丈夫、何とかする。夕方までにはそっち行くから…うん、姉ちゃんも気をつけて……」
ピ、と通話を切ったイルカの横顔をカカシは不安げに見上げた。
「どうしたの…? 何かあったのか?」
「うん。…田舎の婆ちゃんが…ちょっとヤバそうな感じなんだって。…カカシ、俺ちょっと行くわ。父ちゃん、病院に付き添ってったまま連絡もよこさんって…従姉妹の姉ちゃん一人で留守居させられてパニクってるし……」
「……そっか…大変だな。あ、オレも一緒に行こうか? イルカの婆ちゃんなら、オレも小さい時可愛がってもらったし……」
イルカは微笑んで、カカシの頭をぐしゃりとかきまわした。
「サンキュ。…でも、お前は出ないとまずい講義があるだろ…? 俺は親族だから学校側に言い訳も立つけど、お前はそうはいかないし。……連絡、入れるから。それよりお前ちゃんとメシ、食うんだぞ。いいな?」
イルカは、慌しく仕度をして飛び出していった。
それを見送って、カカシはため息をつく。
イルカの祖母の容態も気になったが、今夜は一人で寝なければならない事がカカシを憂鬱にした。
下手をすればイルカは数日は戻って来ないだろう。
「………何だか…ヤな感じ……」
カカシはのろのろと学校に行く仕度を始めた。
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