自分が、空気を切り裂いて飛んでいるのがわかった。
爪先が新たに微かな足がかりを捉え、また跳躍する。
身体が軽い。
地上を走るのと違って、何て気分がいいのだろう。
彼は鳥のように飛んでいるわけではなく、驚異的なバネと訓練によって得た身のこなしで『跳んで』いるに過ぎないのだが、それでも十分風を切る感覚を楽しめた。
それにしても、自分は何処に向かっているのだろう。
こんなに急いで。
その疑問が頭に浮かんだ途端、彼の思考はあやふやになった。
何処に?
何をしに?
誰かに逢いに?
―――誰に……?
間 − HAZAMA −
「おい、起きろよ」
夢から強引に引き離されたカカシは、不機嫌そうに枕をつかんで投げた。
「うっさいよ。…今日オレ、バイト遅番だもん…」
「何を言っているんだよ。今日は出なきゃいけない講義があるから起こせって言ったのお前だろうが」
飛んで来た枕を片手で受け止め、カカシの同居人は呆れた声を出す。
「………あ、そーだった…今日は出ておかないと単位ヤバい…」
「カカシ君、大学生の本分はお勉強。バイトやコンパじゃないんだからね」
「…うっわー、やだやだ。イルカさん、田舎の親父さんに似てきたんじゃねー?」
イルカは手近にあったタオルをカカシの顔面に投げつけた。
「いーから顔洗って来い。…卵焼いといてやるから」
「わーい、オレだし巻ね」
「ぜーたく言うな。スクランブルだ」
「ちえー」
カカシの要望など一言の元に却下したかに見えるイルカだが、彼はこの同居人には甘かった。
口では何だかんだ言って嫌がってみせるが、たいていのカカシの我が侭をきいてくれる。
カカシの方も、イルカがきいてくれそうな『我が侭』を選んで甘えているフシがあった。
洗顔と着替えをすませたカカシがダイニングに戻ってくると、テーブルの上には彼のリクエスト通りに、だし巻の卵焼きが湯気を立てていた。
白いご飯に、ほうれん草の味噌汁。
「…オレ、お前嫁にしたいわ…」
途端にカカシは後頭部を新聞ではたかれた。
「まだ寝惚けているらしいねえ、カカシ。一人暮らしが出来なくて俺んちに転がり込んできたのはどこの誰だっけ。お前に俺を養う甲斐性があるのか?」
あはは、とカカシは悪びれもせずに笑った。
「う〜ん、そっか。じゃあオレがお前のヨメになればいいのか」
「…俺、出来たらもう少し手間がかからなくて、メシくらい作ってくれる可愛い嫁さんがいい…」
「冷たいな〜…夜の相手は時々してるじゃん」
イルカは目を眇めた。
「……させられているのは俺の方だって気がするんだけど、気のせいだったのかな」
「やだなー、気のせいさ」
カカシはにっこり微笑んでイルカの頬にキスした。
「お前だって、抱き心地が悪くはないからつきあってくれてるんだろ?」
イルカは眉を顰めてため息をついた。
「……早く食って、学校行けよ。冷めるぞ」
大学の学食は午後の明るい陽射しでぽかぽかと暖かかった。
白いテーブルが日光を反射して眩しい。
「眠〜……」
カカシはテーブルに突っ伏して唸っていた。
学食のメニューは彼にとって油っぽいものが多くて苦手だった。
「イルカのご飯の方がいいな〜…ここで食えるもんってカレーとうどんくらいだもんな。…どーして皆、あんな油の悪い揚げ物なんか食えるんだろ…」
日替わりのランチにはフライものやコロッケが多い。
安くてボリュームのあるランチは学生達の人気メニューだ。
これに文句を言うカカシは贅沢者だった。
ああでも、安ものの割にコーヒーは悪くないな、とカカシは欠伸をした。
「…ちょっとだけ寝ていこう…」
テーブルに突っ伏したカカシはそのまま目を閉じた。
窓際に座っている彼の頭と背中に、暖かい陽射しが降りそそぐ。
その暖かさに、カカシはうとうとし始めた。
足の裏で木のしなやかな枝が自分の身体を押し出してくれるのが感じられた。
その枝の反発力と、自身の脚の筋力で彼は更に前方に跳ぶ。
風になる快感を味わうゆとりなどない。
彼は思い出していた。
何故、こんなに急いで自分がこの山を越えようとしているのか。
急いでいた。
こんな移動方法ではもう間に合わない。
彼は枝の上で止まり、息を整えた。
指が勝手に複雑な印を結び、身体の中でチャクラが回りだす。
―――待っていて下さい。どうか、独りで無理をしないで…
祈るような気持ちで、彼は印を切る。
銀の月の光の下、彼の身体は枝の上から瞬時に消え去った。
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